1938年4月下旬:英国との取引成功と次なる獲物
【1938年4月下旬・モスクワ 重工業人民委員部 本庁舎】
モスクワの春は、まだ冷たい風が吹いていたが、重工業人民委員部本庁舎の一室には、歓喜にも似た熱気が満ちていた。貿易人民委員部の代表団が、外交部のモロコフ(極東課長代理から昇進)とともに、英国との交渉結果を報告している。
「同志委員、英国との交渉は、当初の懸念を越え、成功裏に終わりました!」
貿易人民委員部の担当者が、興奮した声で報告した。テーブルには、英国との正式な契約書が広げられている。「ウクライナ穀倉地帯水害対策及び灌漑計画」という巧妙な偽装のもと、ソ連は英国製の高品質な高圧パッキン、耐久性のあるホース、そして精密ベアリングの大量輸入を確保したのだ。これらの製品は、天然ゴムを多く含み、OT-34の足回りや要塞建設の重機にとって不可欠なものだった。
「英国は、タングステンとマンガンの安定供給を強く求めていました。我々の提供する資源が、彼らの航空機産業に不可欠であることを理解させたことで、彼らは最終的に、我々の要求に応じる決断を下しました。ただし、全てインチ規格ですが……。」
担当者は、わずかな不満を滲ませながらも、成功の喜びに顔をほころばせた。
その報告に、モロコフは満足げに頷いた。外交的な困難を乗り越えてのこの成功は、ソ連が西側諸国から戦略物資を調達できるという、重要な先例を作った。
「よろしい。これで、『赤い鉄壁』の建設と、OT-34の駆動部の安定供給に、大きな目処が立ちました。ズブツォフ同志も喜ぶだろう。」
だが、モロコフの頭の中には、すでに次の目標があった。彼が広げた世界地図の、北アメリカ大陸にある大きな国、カナダを指差した。
「同志たち。英国との交渉成功は、我々に新たな可能性を示唆しています。この勢いを活かし、次はアルミニウムの確保に動くべきではないか?」
部屋の空気が、一瞬、ざわめいた。アルミニウムは、航空機製造に不可欠な戦略金属だった。ソ連国内での生産はまだ不十分で、航空機産業の拡大には外部からの安定供給が必須だった。
モロコフは続けた。
「カナダは、世界の主要なアルミニウム生産国の一つです。彼らも英国と同じく、経済的利益を追求する資本主義国家。英国との取引成功は、彼らに対する我々の信用を裏付けるものとなるはずですいます。アルミニウムもまた、『治水計画』や『インフラ整備』、あるいは『民間航空産業の発展』といった名目で調達できる余地は十分にある。」
貿易人民委員部の担当者たちは、その大胆な提案に目を見張った。次から次へと戦略物資を調達しようとするソ連の執念が、彼らの瞳に宿っていた。
「承知いたしました、同志モロコフ。直ちに、カナダへの接触を検討し、アルミニウムの調達可能性を探ります。英国との交渉で得たノウハウを最大限に活用し、周到な偽装計画を練り上げます。」
ソ連は、英国との「治水工事」という名の軍事転用物資取引の成功で、西側諸国からの戦略物資調達に自信を得た。しかし、この自信は、後に天然ゴム交渉で痛手を受けることになる、わずかな「過信」でもあった。それでも、彼らは止まらない。来るべき大戦に備え、ソビエト連邦は、世界の資源を貪欲に吸収しようとしていた。
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