赤い鉄壁への道:回想~ラインラント進駐と赤軍の激論~
※この話は、スターリンによる要塞構想決定前夜、赤軍内部での激論を回想形式で描いています。
ラインラント進駐に対する各陣営の読み、ドイツ軍の再編状況、そしてソ連としての対応方針――
歴史の分岐点に立った軍人たちの葛藤が読みどころです。
回想:ラインラント進駐と赤軍の激論
その火のような決意の裏には、半年前の苦い記憶が横たわっていた。1936年3月、ドイツのラインラント進駐という衝撃的な報がモスクワを揺るがした時、赤軍内部では激しい議論が交わされた。
「同志諸君! ドイツは、ベルサイユ条約を破り、ラインラントに進駐した! これは、彼らが東方、つまり我々ソビエト連邦に矛先を向ける前兆と捉えるべきだ!」
ヴォロシーロフの怒鳴り声が会議室に響き渡ったが、一部の将校たちは、その言葉に必ずしも同調しなかった。
「同志国防人民委員。ドイツのラインラント進駐は、あくまでフランスとイギリスへの牽制であり、彼らの当面の敵は西側にあると見るべきです。我々が今、過度に反応すれば、かえってドイツを刺激し、不必要な対立を生むだけではないか?」
ある古参の将校が、慎重な口調で意見を述べた。彼は、第一次世界大戦の経験から、二正面作戦の危険性を説き、「ドイツとの協調論」を暗に示唆した。当時のソ連とドイツは、ラパッロ条約以来、軍事協力の歴史があり、一部の将校には依然としてドイツとの関係改善を望む声も存在していたのだ。
だが、別の若手将校が、それに激しく反論した。
「戯言を! ドイツのナチスは、常に共産主義を敵視してきた。彼らが西側と一戦交えるとしても、それは我々への侵攻のための時間稼ぎに過ぎない! 我々は、一刻も早く西方の国境に強固な防御線を築き、『西部戦線防衛』を確立すべきだ!」
会議室は、激しい議論の嵐に包まれた。「ドイツとの協調論」と「西部戦線防衛論」が激しくぶつかり合う。シャポシュニコフは、その時も冷静に両者の主張に耳を傾けていた。彼の脳裏には、スターリンの冷徹な目が焼き付いている。あの時、スターリンは、どの意見にも明確に与することなく、ただじっと将校たちの顔を見定めていた。しかし、その表情からは、既に未来を見据えた、何か強固な決意が滲み出ていたのを、シャポシュニコフは感じ取っていた。