1938年3月中旬:ズブツォフの怒り
【1938年3月中旬・ハルコフ機械設計局(ズブツォフ設計局)】
薄暗い設計局の室内で、ランプの光が埃の舞う空気の中に細い筋を描いていた。ズブツォフは、机に叩きつけられた報告書を睨みつけていた。差出人は重工業人民委員部の高官。その内容を読み終えると、彼が常に手放さないパイプを握る手が、小刻みに震え始めた。感情を露わにすることは滅多にないズブツォフの顔に、明確な怒りの色が浮かんでいた。
「ふざけるな! 『英国からの輸入部品に合わせて、全設計の寸法を再検討せよ』だと? 我々が泥まみれで履帯を鍛え上げ、凍てつく寒冷地でトランスミッションを焼き尽くしながら、血の滲むような努力の末に導き出した、このミリ単位の設計を、今更、あちらのインチ基準に合わせろというのか!」
彼の声は、怒りを抑えきれないまま、部屋の隅々まで響き渡った。助手であるスモレンスキーが、恐る恐るズブツォフに近寄る。
「同志主任……パッキンやホースなどの汎用品は、国内ではまだ品質が不安定です。英国製であれば、長期的な信頼性は高まるかと……」
スモレンスキーは、主任の怒りを理解しつつも、現実的な側面を提示しようとした。しかし、ズブツォフの怒りは収まらない。彼は、机の上のT-34の設計図面を指差した。そこには、傾斜装甲の角度、足回りの各部寸法、冷却機の配置など、すべてがソ連の厳しい自然環境と、来るべき戦場の要求から逆算された、ぎりぎりの最適解が描かれていた。それは、妥協を許さない、彼の魂そのものだった。
「信頼性だと? たった一本のホースのために、この全体のバランスを崩せと? 彼らは何も分かっていない! 汎用品など、最終的に我々が製造するのだ。その基礎設計を、なぜ他国の都合に合わせねばならん!」
ズブツォフの脳裏には、ドニエプルの凍える泥濘地で、試作機が呻き、履帯が悲鳴を上げていた光景が鮮やかに蘇る。あの過酷な試験の中で、一つ一つの部品のわずかな寸法の違いが、戦車の性能を、ひいては戦場における兵士たちの命運を左右することを、彼は骨身に染みて理解していた。
「我々は、規格の奴隷になるために戦車を設計しているのではない! 戦車兵を、そして我々の祖国を守るために、最善を尽くしているのだ!」
怒りに震えるズブツォフを前に、スモレンスキーはただ沈黙するしかなかった。人民委員部の官僚たちの安易な決定が、現場で汗を流す技術者たちにどれほどの重圧と無念を与えるのか、彼は痛いほど理解していた。しかし、国家の決定は絶対であり、それに逆らうことは許されない。ズブツォフの怒りは、やがて来るべき戦いの中で、彼らの戦車が直面するであろう、見えない困難を暗示しているかのようだった。
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