1938年3月初旬:天然ゴムを巡る駆け引き~第一次交渉~
【1938年3月初旬・ハーグ オランダ外務省】
ヨーロッパの空に不穏な影が忍び寄る中、大国の外交官たちは水面下で激しい駆け引きを繰り広げていた。ハーグのオランダ外務省の一室では、ソビエト連邦通商代表部のアレクセイ・ベレゾフスキーが、オランダ外務省の植民地貿易担当官であるファン・デル・ヴァールトと向き合っていた。テーブルには、書類の山と、湯気を立てる紅茶が置かれている。形式ばった挨拶の後、ベレゾフスキーは早速本題に入った。
「ファン・デル・ヴァールト閣下。ご存知の通り、我がソビエト連邦は、急速な工業化を進めております。特に、自動車産業、航空産業の発展は目覚ましく、それに伴い、特定の戦略物資の需要が急増しております。」
ベレゾフスキーは、わざとらしく間を置いた。ファン・デル・ヴァールトは、表情を変えずに彼の言葉を聞いている。ソ連が何を求めているのか、彼の想像はついていた。
「我が国は、貴国が有するオランダ領東インド、特にスマトラ島が、世界の天然ゴム生産において極めて重要な位置を占めていることを高く評価しております。そこで、貴国より大量の天然ゴムを、長期的に安定して供給いただきたく、ここに正式な交渉を申し入れる次第です。」
ベレゾフスキーの声には、天然ゴムへの強い切望が滲み出ていた。ソ連は、広大な国土と急成長する軍事産業を支えるために、天然ゴムを喉から手が出るほど欲していたのだ。天然ゴムは、戦車のタイヤ、航空機の部品、そして兵士のブーツに至るまで、あらゆる軍事製品の不可欠な原料だった。国内での合成ゴム研究は始まったばかりで、実用化にはまだ時間がかかる。差し迫る脅威に備えるには、既存の供給ルートを確保するしかない。
ファン・デル・ヴァールトは、眼鏡の奥からベレゾフスキーを見据えた。
「ベレゾフスキー閣下。貴国の天然ゴムへの需要は理解いたします。しかし、オランダ領東インドの天然ゴムは、既に国際市場において独自の供給ネットワークを確立しており、また、国際ゴム規制協定に基づき、輸出量にも制限が設けられております。これを安易に特定の国へ大量に割り当てることは、他の貿易相手国との均衡を損なうことになりかねません。」
彼は言葉を選びながら、ソ連の要求に難色を示した。オランダは中立国として、どの国とも関係を悪化させたくなかった。特に、共産主義国家であるソ連への大規模な戦略物資供給は、イギリスやアメリカといった西側諸国からの反発を招く恐れがあった。
ベレゾフスキーは、事前に用意していた切り札を切った。
「その点はご安心ください。我が国は、貴国が必要とする様々な資源、あるいは製品を、対価として提供する用意がございます。例えば、我が国は世界有数の穀物生産国であり、貴国の食料安全保障に貢献できるでしょう。あるいは、質の高い石油精製品、特定の希少金属や木材など、貴国の工業発展に役立つものもございます。」
彼は、ソ連が持つ豊富な資源を列挙し、オランダにとって魅力的な取引であることを強調した。ソ連としては、外貨の節約と、天然ゴムという戦略物資の確保を同時に達成したいという思惑があった。
ファン・デル・ヴァールトは、しばらく沈黙し、ペンを指で弄んだ。穀物や石油精製品は魅力的ではあったが、オランダには自国植民地からの石油供給があり、食料も喫緊の課題というわけではなかった。彼が本当に興味を持っていたのは、ソ連が提供できる「特定の技術」や「高精度な工業製品」だったが、ソ連がそこまで踏み込むことはなかった。
「ベレゾフスキー閣下のご提案は承知いたしました。しかし、天然ゴムの供給は、単なる貿易の問題に留まりません。国際的な情勢、そして他の貿易パートナーとの関係も慎重に考慮する必要がございます。一度、持ち帰り、政府内で協議させていただきます。」
第一次交渉は、具体的な進展を見ないまま終了した。ソ連の焦燥感と、オランダの慎重さが、テーブルを隔てて対峙しているかのようだった。ベレゾフスキーは、ファン・デル・ヴァールトの曖昧な返答に、早くも交渉の難航を予感した。
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