1938年 2月月末:必要資源
【1938年 2月月末・試験場】
雪解けの凍土が、鈍色の空の下に広がる。その凍てつく大地を、改良試作車「OT-34M」1号車が唸りを上げて快調に走破していく。泥を蹴散らし、凍った窪みを乗り越えるたびに、鋼鉄の巨体が軋む。ズブツォフは、その力強い走りを満足げに腕を組みながら見つめていた。彼の視線の先には、力強く地面を捉える履帯があった。
「これで動く。泥濘でも凍土でも、期待通りだ。」
吐き出す息は白く、冬の到来を告げていた。しかし、彼の思考は、目の前の成功に留まらなかった。技術者の性として、彼は常に限界とその先を見据えていた。
「だが、この履帯がこの性能を維持できるかどうかは……結局、ゴムにかかっている。特に、寒冷地での耐久性、そして泥濘でのグリップ。天然ゴムは理想だが、我々には届かない。幸い、バクーの石油がそれを可能にする。我々の合成ゴムは、どこまで天然に肉薄できるか……」
ズブツォフの独白は、技術者として最高の性能を追求する一方で、資源の現実的な制約に直面している彼の葛藤を鮮明に映し出していた。T-34という傑作戦車の誕生は、彼の技術力と情熱の結晶である。しかし、その性能を左右する鍵は、彼の手の届かない、遠い世界の資源に委ねられている。特に、バクーの石油から生み出される合成ゴムが、この戦車の命運を握っていることが、彼の言葉から明確に示された。来るべき戦いを予感させる不穏な空気が、凍土の試験場に漂っていた。
外務委員会の奮闘:天然ゴムの探求
同じ頃、モスクワの薄暗い外務人民委員部執務室では、ソ連の外務委員会が、天然ゴムの安定供給を確保するため、困難な外交交渉を続けていた。人民委員(外相に相当)リトヴィノフは、部下である極東課長代理のモロコフと広げた地図を囲んでいた。
リトヴィノフは、疲れた様子でタイの外交情勢に目を凝らした。
「タイ国王はゴムの輸出には前向きだと? ……だが、輸送路はどうする? シベリア鉄道は限界がある。そして、万が一、西欧列強が我々に輸送を拒否した場合、迂回ルートは?」
モロコフは、額の汗を拭いながら答えた。
「同志委員。地中海ルートであれば、スエズ運河を通るため、イギリスとフランスの許可が必須となります。現状の国際情勢では、彼らが我々に協力する可能性は低いでしょう。特に、我々がドイツと『友好』関係にあると見せかけている限りは……」
リトヴィノフは、大きくため息をついた。
「ならば、極東陸路か。だが、タイからシベリア鉄道まで、どれだけの距離だ? 満州は日本の支配下にある。チベット越えは現実的ではない。結局、中国大陸を通るルートは、日本の妨害と現地の軍閥の跋扈で極めて不安定だ。そして、輸送コストと時間が膨大になる。」
モロコフは、苦渋の表情で同意した。
「ご指摘の通りです。しかし、少しでも天然ゴムを確保できれば、我々の合成ゴムの品質向上にフィードバックできます。あるいは、戦略的な備蓄として……」
リトヴィノフは大きくため息をつき、遠くアジアの地図を睨んだ。その視線の先には、豊かな天然資源を湛える東南アジアの広大なジャングルが広がっていた。だが、それはあまりにも遠く、そして危険な場所だった。
「分かった。あらゆる外交ルートを駆使し、タイ、そして可能ならば英仏植民地からの天然ゴム調達を模索せよ。金額は問わん。ただし、この目的が軍事的なものであることは、決して悟られてはならんぞ。」
リトヴィノフの声には、諦めと決意が混じり合っていた。世界のどこかで、戦車の履帯が唸りを上げ、その性能の限界に挑む技術者がいる。そして、遠く離れたモスクワでは、その履帯を支えるゴムを求めて、外交官たちが世界の地図と睨めっこしていた。ソ連の未来は、ズブツォフの技術と、リトヴィノフの外交手腕、そして天然ゴムという見えない資源の糸に繋がれていた。