1938年2月下旬・試験場
【1938年2月下旬・試験場】
広大な試験場には、雪解けの凍土と、冷たい風が吹き荒れていた。地面はぬかるみと氷がまだらに混じり合い、一歩踏み出すごとに泥が靴にまとわりつく。そんな過酷な条件下で、改良試作車「OT-34M」1号車が、轟音を響かせながら走行テストを行っていた。
その姿は、一年前の「OT-34」とは見違えるほどだった。むき出しだった鉄板はより洗練され、車体全体が頑強さを増している。泥と水しぶきを上げながら、OT-34Mは凍てつく沼地をものともせず、力強く前進していく。その重厚な履帯が泥を噛み、滑らかな動きで地形を乗り越えるたび、技術者たちの顔にわずかな安堵が浮かんだ。
ズブツォフは、冷たい風が吹きつける中、満足げに手を後ろに組み、その走りを見つめていた。彼の脳裏には、昨年春の“工事演習001”で泥に喘ぎ、度重なる故障に見舞われた試作車の姿が蘇っていた。あの時、ニキーチン技術員が詳細に記録したデータ、そして夜を徹して行われた設計会議の末に生まれた改良案が、今、目の前で完璧な結果として現れていた。
履帯摩耗が激減し、かつて新兵オレグを悩ませたような、泥詰まりによる脱輪も皆無だ。前進後退の切り替えは驚くほどスムーズになり、荒れた地形での細やかな操作が可能になった。急旋回中の脱輪も一切ない。まさに、設計陣の執念と、現場の兵士たちの汗が、一つに結実した瞬間だった。
一台のOT-34Mが、凍結した斜面を乗り越え、泥濘地を巧みに回避しながら目標地点に到達する。ズブツォフは、その完璧な機動に目を細め、無線機を手に取った。
「素晴らしい操縦だ!まるで戦場の幽霊のようだ。今の動き、完璧だったぞ!」
無線からは、わずかに息を切らした若き操縦士の声が返ってきた。
「ありがとうございます、同志ズブツォフ!この機械は、まるで我が手足のようです!」
ズブツォフは、その返答に満足げに頷いた。機械の進化と、それを使う兵士の練度が、まさに理想的な形で融合しつつあった。彼はパイプの煙を吐き出しながら、確信を込めて呟いた。
「これなら……『戦車の形をした工兵』にもなる。そして、来るべき戦場では、『戦場の機動兵器』として、敵を圧倒する力を持つだろう。」
彼はさらに続けた。
「この泥濘地こそ、最高の訓練場だ。ここで鍛え上げられた兵士は、いかなる過酷な戦場でも生き抜き、機械の限界を引き出すことができる。そして、この機械自身も、兵士と共に苦難を乗り越えることで、真赤い鉄壁』の牙となるのだ。」
こうして、後のソビエトの象徴となるT-34の“駆動部の魂”は、凍てつくウクライナの平原、ドニエプルの沼地で徹底的に鍛え上げられた。その始まりは、泥の中で呻く試作車と、一冊の赤茶けた手帳に記された、地道な観察と改良の記録からだった。それは単なる機械の進化ではない。来るべき大戦で、ドイツの電撃戦を打ち砕くための、秘匿された国家戦略の、確かな一歩だったのである。
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