第8話 廃団地②
スクールバスの前。
続々と生徒たちが戻ってくる。
「ホンマやって!! 発音とかはぎこちなかったけど喋っとってん!!」
祇園君が顔面蒼白のまま、先ほど遭遇した凶について説明する。
「人語を操る……それって凶度3ってことじゃない……?」
仙崎さんの声が震える。
「人間を簡単に殺せるレベル。特級以上の異能師じゃないと単独対処不可……」
「だ、だったら大丈夫や……。先生も特級やん……!」
祈るような言葉。
しかし、久遠寺さんは何か考え込んでいた。
「小値賀先生は、なぜ教官の仕事をやってるのかしら……」
「どういうことや?」
「特級以上は貴重な人材なのに、現場じゃなく学校にいるのは不自然じゃない?」
「そらそうやけど……でも、ほら出雲崎みたいな奴の能力が暴走した時とかのために……」
「私の予感が間違っていればいいけれど……でも」
そう言うと、久遠寺さんは何か決意したように廃墟を見据える。
「7号棟だったわよね?」
「そ、そうやけど、まさか――」
「……私も特級のはしくれだから」
言い終わると同時に、久遠寺さんが駆け出す。
昔から変わらない。
誰かを助けることを躊躇わない。
例え、それがどんなに危険であっても。
――僕はどうだ。
特級より上の極級じゃないか。
僕こそが真っ先に動かなきゃいけないのに。
なのに、足がすくんで動けない。
情けない……。
――いや、違うだろ。
行けよ!! 今すぐ!!!
怖がってる場合じゃないんだよ!!!
心臓が跳ね上がる。
頭よりも先に、体が勝手に動き出した。
誰かが何かを叫んでいた気がするけど、聞こえない。
僕は、久遠寺さんの背中を追った。
◆◆◆
小値賀は瓦礫の中、手ごろなコンクリートの破片を掴む。
「金剛変化」
握りしめた破片が軋む。
全身に力を込め、駆け出した。
目の前には異形。
爛れた肉、膨張した骨。
人のような形をギリギリ保っている。
「アあ?」
ぼんやりとした声。警戒の色はない。
小値賀の握るコンクリが叩き込まれる。
べちゃ。
肉片が飛び散った。
「イてぇ……なンだア? そんナいしガナんでこんナイてぇ?」
裂けた傷口から、蠢く。
大量のミミズのような何かが溢れ、絡み合い、結合し――
再生した。
「――ッ! キモすぎんだろ……。まあいい、ミンチにしてやるよ」
コンクリを振りかぶる。
ドガッ!
「グゥゥ……」
反撃の腕が振るわれる。
鈍重。遅い。
小値賀は軽やかにかわし、叩き込む。
べちゃ! べちゃ!
肉が弾け、飛び散る。
不快な音と共に、黒い液体が地面に染み込んでいく。
なおも湧き出る蠢き。
それを黙らせるように――
ドガッ! ドガッ! ドガッ!
小値賀の息が乱れる頃、凶はもはや原型を留めていなかった。
しかし――
蠢く肉の塊は止まらない。
飛び散った破片から、無数のミミズのようなものが溢れ出す。
そして、絡まり合い、形を成していく。
再生が速まり、あっという間に元の異形へと戻る。
「――チッ」
小値賀は思わず舌打ちをする。
ドクン。
心臓が跳ねた。
次の瞬間、鎖に絡め取られたような圧迫感が襲う。
ギリギリギリ……
全身を締め付ける感覚。息が詰まる。
「……マジかよ。まだ五分くらいしか経ってねぇぞ……」
「もウヲわりカ? だイぶツらソウだナ?」
ぐずぐずに爛れた顔が、笑っている。
再生した腕が膨張し、鈍く振り下ろされた。
小値賀は――避けられなかった。
ドゴッ!
視界が跳ねる。
地面が、近い。いや、叩きつけられたのか。
たった一撃で体が鉛のように重い。立ち上がれない。
その時――
「小値賀先生!!」
聞き覚えのある声が響いた。
視界がぼやける中、何とか体を起こし、振り返る。
そこに立っていたのは――久遠寺御影。
「ば、馬鹿野郎――!! 何しに来た!! 早く戻れ!!」
小値賀の怒声も無視し、御影は一直線に駆け寄る。
「私も戦います」
「ふざけたことを言うな――! 特級の素質があるとはいえ、お前はまだ基礎中の基礎しか学んでいない。こいつを相手にするには二年早い!!」
「……私は時間稼ぎをするだけです」
「時間稼ぎ!? 何を言ってる?? そんな暇はないぞ!!」
「大丈夫です。すぐに彼が来ます。絶対に来てくれます」
「か、彼!? 何のことだ??」
小値賀の問いに答えることなく、御影は異形を睨みつけた。
醜悪な化物。
「おマエもウまそうダな? キョうはゴちそウのひカ?」
ぞわり。
耳の奥が不快にざわめく。
御影は静かに手をかざす。
「重力制御」
空気が歪んだ。
「――!?」
ズンッ
瞬間、凶の体が押し潰される。
異様に膨張した骨が、内側から肉を突き破った。
「ナ……なンダこレ……?」
呻きながらも、しかし化物は前へ踏み出す。
圧を振り払うように、さらに一歩。
そして――
膨れ上がった腕が、無造作に振り回された。
御影は即座に後方へ跳ぶ。
だが遅い。
ドゴッ!
爛れた拳が、御影の腹部を捉えた。
「ぐうっ……!」
弾き飛ばされ、地面を転がる。
全身に鈍い痛みが広がった。
その時――
「久遠寺さん!!!」
声が聞こえた。
待ち望んでいた、あの声。
御影にとって、ただ一人のヒーローの声。
◆◆◆
ようやく追いついた。
だが、その瞬間だった。スローモーションのように。
巨大な腕が、久遠寺さんを捉えた。そして、弾き飛ばされる。
「――!!」
全身を駆け抜ける、熱。マグマのような熱。
火事の日、何も感じなかった僕の体が――今、燃えるように熱い。
血管が、筋肉が、内臓が、脳が、僕の全てが熱く滾る。
「久遠寺さん!!」
全力で駆け寄り、倒れた久遠寺さんの身体をそっと抱き起こした。
「透真君……」
弱々しい声。
「大丈夫?」
「う、うん。大丈夫。それより――」
久遠寺さんの顔に驚きの色が広がる。
「どうしたの、その目?」
「目? 何か変?」
「左の瞳が、真っ赤になってるよ!?」
「え? 本当に!? 自分じゃ全然分からないけど……」
でも――それよりも。
僕は本能で理解していた。
「久遠寺さん、歩ける?」
「……大丈夫。歩けるよ」
「良かった。じゃあ、先生と一緒にすぐに逃げて」
「分かった。でも、透真君も無理に倒そうとしないで、隙を見て逃げるんだよ?」
不安そうな瞳。
「……残念ながら、それは出来そうにないかな」
「え?」
「能力が暴走しそうになってる」
「――!!」
「……早く逃げて。巻き込まれないように」
久遠寺さんと先生が、よろよろと外へ出ていく。
それを見届け、僕は化物と対峙する。
凶は動かない。
ただじっと、僕を観察している。
「おマエ、ヘンだ……。ヲかシイ。なんダソのえねルギー?」
耳障りな声が響く。
「せッカくできタきょテん、ウシなウワケにいカナい。アルじオムかエスるまデ」
……何だ?
拠点? 主?
何を言ってる?
「何を言ってるか分からないし、理解するつもりもない。」
ダメだ――もう、持ちそうにない。
「久遠寺さんを殴りつけたお前を、絶対に許さない――!!」
僕は朽ちたフローリングに手を置いた。
床材やカーペットが燃える。
最初は赤い炎。
けれど、すぐに青へと変わる。
バチバチバチ……ッ!
青白い火花が弾ける。
空気が歪み、光を帯びる。
「ナ……なんダコれ?」
化物が怯んだ。
朽ちた床材が浮遊する。
重力を振り払い、宙に舞う。
形を保ったまま微細な粒子となり、漂う。
ブゥゥン……!!
一瞬の静寂。
そして、全てが崩壊する。
そのまま光り輝くプラズマへと変化し、僕たちの周囲を包む。
「死ね」
僕が告げる。
その瞬間――
閃光。
世界が白に染まる。
膨張するエネルギーが弾け、超新星のごとく炸裂する。
ドガアアアアアアアン!!!!!!!
爆音。衝撃波。
全てを飲み込み、焼き尽くす。
目の前の景色が、消し飛んだ。
「ん……?」
鼻血が出ている。
視界が揺れる。
立ち眩み――いや、違う。
気が遠くなる。
視界が狭まる。
ああ――
僕は気を失うんだな。
小値賀 鉄蔵
・国家戦略高専教官。25歳。
・特級異能師
・能力名『金剛変化』
特定の物質を短時間だけ超硬化させる。建物や武器を一時的に強化できる。
範囲を拡大し、戦場全体の地形を一時的に要塞化することも可能。