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第7話 廃団地①

 6月20日。


 課外授業が始まる。


 国家戦略高専の生徒たちは、定期的に街を巡回する。

 目的はひとつ——くぐりの駆除。

 この異形はメタ粒子の濃度が高い場所を好み、そこに巣くう。


 科学的な解明は進んでいないが、陰鬱な空気とメタ粒子の関係は以前から指摘されているそうだ。当然、僕は知らなかった。

 特に廃墟や朽ちた建物には、この粒子が溜まりやすいという。


 小値賀おぢか先生に引率され、今日僕たちが向かうのは八王子市郊外の廃団地。

 崩れた壁、割れた窓、絡みつくつた

 そこには、その奥で蠢く何かがいるのだろうか。怖い。


「今日は雨が降らなくて良かったね」

「ホンマやわ。こんな不気味なとこで暗い雨が降ってたら、ちびってまう」


 スクールバスを降りると、東雲しののめ君と祇園君がそんなことを話しながら前を歩く。


「でも、じめじめしてて嫌な汗かきそう。着替えのTシャツはちゃんと持ってきた?」

「あ、忘れてもうた……」

「だと思った。余分に持ってきてるから、いつでも言って」

「東雲……お前はホンマにええ奴やな……」


 やや長めの茶髪を軽く流すように整えている東雲君。

 目元は優しく、常に穏やかな微笑みを浮かべているクラスの人気者。

 僕も何かと東雲君には頼ってしまう。


「よし。じゃ、ここからは2~3人組になって周囲を調査するように。もし凶度2を見つけたらすぐに退避だ。俺に連絡をよこせ。凶度1は、各チームで対処。分かったか?」


 先生の言葉にみんなが「はい」と返事をし、巡回が始まった。

 未だに上手く能力が発動できない僕は、久遠寺さんと仙崎さんのチームに入れてもらった。


「いいなぁ、出雲崎。久遠寺さんにちゃんと守ってもらえよ」

「仙崎! 出雲崎がどさくさに紛れて、久遠寺さんに抱きついたりしないように警戒を怠るなよ!」


 酷い言い草だ。

 ちらっと久遠寺さんの様子を伺うが、珍しく少しムッとしてる感じだ。

 え? 僕が怒らせたわけじゃないよね?


 雨は降っていないとはいえ、薄暗い曇り空の下。

 ぼうぼうに生い茂る草と崩れかけたコンクリート。

 慎重に周囲を見渡すが、くぐりと思しき影はそう簡単には見つからない。


「出雲崎君は御影さまとは小学校からの知り合いなのよね?」


 調査を開始した当初の緊張感が緩んできたのか、仙崎さんが気軽に尋ねてくる。


「う、うん。そうだよ。」

「いいなぁ。私も子供の頃の御影さまをこの目に——」


 突然、仙崎さんの何かのスイッチが入った。


「見ることができていたらどんなに尊いことかって話ですよ!! だって御影さまが小学生ですよ!? 今の凛とした佇まいも最高に美しいですけど、幼少期ならもっと純粋で、でもすでに片鱗を見せるような気高い雰囲気があったんじゃないかって考えたら、もうそれだけで供給過多で呼吸が浅くなるんですけど!? ねえ、ランドセルは何色!? 絶対上品なワインレッドか、深みのある紺色とか選んでたでしょ!? まさかのキャメルとかだったらそれはそれでお洒落すぎて悶絶なんですけど!? さらに運動会とか学芸会もあったわけじゃないですか!? え、御影さまが紅白帽をかぶる世界線、存在していたんですか!? リレーで本気を出して風を切るように走る御影さまとか、学芸会でお姫様役をやらされて、「こんなの、私じゃなくてもいいでしょ……」とか言いながら、でも舞台に立ったら完璧に演じてしまって観客を虜にする御影さまとか……ちょ、もうダメだ、情報量が多すぎて脳が処理しきれない……出雲崎君!! 今すぐその記憶を映像化して!!! Blu-ray BOX化して!!! 初回限定特典付きで販売してぇぇぇぇ!!!」


 早口すぎて、途中から全く聞き取れなかった。


 ◆◆◆


 その建物の内部は、ひんやりと湿った空気に包まれていた。

 足元には崩れた瓦礫や朽ちた家具の残骸が散らばり、踏むたびに小さな音が響く。


「ここにも何もおらなさそうやな」

「そうだね。でも一応、奥まで見ておかないと」


 その時――


 遠くで何かが崩れる音がした。


「な、なんや?」


 祇園は思わず隣の東雲のシャツの裾を握りしめる。


「ね、猫の昼寝でも邪魔しちゃったかな?」


 薄暗い闇の中から、さらに深い闇の塊がヌルリと現れた。


 人間ほどの大きさか? 

 研究室で見たくぐりよりも明らかにデカい。


『あア……なんダ、ヲまえタち。あレ? ケっこうえねルぎーおヲきいカ?』


 背筋が凍りつく。


 次の瞬間——二人は全力で逃げ出していた。

 転がるように階段を駆け下りる。肺がパンクしそうなほど息を切らしながら出口を目指す。


「うわああああああああああああああ」


 恐怖を振り払うように叫ぶ。

 外へ、全力で。


 そして、振り返る——


 ……何も、いない。


「み、見たよな?」

「あ、ああ。先生を呼ばないと」


 震える手で東雲が小値賀の携帯に連絡を入れる。

 言葉を話す、人間ほどの大きな影。


「よし、お前たちはすぐにその場を離れて、全員バスまで避難するように伝えて回れ」

「せ、先生はどうされるんですか?」


 通話越しに、小値賀の声が低く響く。


「そんなものを見つけたなら——放置するわけにはいかないだろ」


 ◆◆◆


 小値賀は、東雲からの報告を受け、静かに7号棟の前へと立った。


「なるほど。こいつか。凶度2どころじゃねぇな……まさか、3とは」


 崩れかけた建物の奥から、じわじわと何かが滲み出している。

 見た目にはただの廃墟だが、小値賀の肌には確かに感じるものがあった。

 生徒たちにはまだ分からないだろう。

 だが、この空気の重みは――長年の経験で分かる。


 上着のジャージを無造作に脱ぎ、静かに階段を上がる。

 空気が粘りつき、喉の奥にわずかに鉄の味が滲む。

 確かに「そこ」にいる。


「この濃さ……てめぇ、八王子近辺の連続殺人犯だな? こんなとこにいやがったか」


 闇の奥で、何かが蠢いた。

 ぬるりと動いた影が、ゆっくりと人の形をなしていく。

 現れたのは、中年の男――のようなもの。

 肉はただれ、骨は異様に膨張し、皮膚の下で何かが蠢いている。

 人間の形をしていながら、その輪郭はどこか曖昧だった。


『ヲまえ……さっキのやつラヨり、えねルぎー、おヲきい……くっテやる……』


 粘ついた声が、耳にまとわりつく。


「はっ! てめぇなんざ、さっさと駆除してやるよ」


 廃団地の一室。

 凶度3との戦いが、静かに幕を開ける。

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