第6話 凶
「何だったんすか、あれ? 光ったと思ったらいきなり爆発して」
初回の実地訓練が終わり、校舎へ戻る二人組。
糸月小夜と一乗谷龍成。
「……いや、分からん。爆発もそうだが、一番の謎はバットが宙に浮いたことだ。上手く言えんが、まるで物質が見えるエネルギーに変わったような……」
「ふーん、難しい話はよく分からんすけど、あれが『極級』の片鱗ってことすかね? ヤバそうすか?」
「ヤバい。間違いなくな。あれはまともに制御できない奴が持ってていい能力じゃない。大惨事を引き起こしかねん」
「……気に入らねぇ」
糸月が舌打ち混じりに吐き捨てる。
「生まれた時にたまたま持ってただけの能力のくせに。どんだけラッキー野郎だよ。あたしは認めねぇ」
そう言うなり、足早に去っていった。
「生まれた時にたまたま持ってた能力」?
いや、それ言ったら俺たちも一緒だろ……。
一乗谷はツッコミを入れたい気持ちを飲み込み、肩をすくめた。
◆◆◆
6月16日。
チューターとの実地訓練を終え、僕たちは次のステージへと進んだ。
祇園君やクラスメイトたちは、能力の制御に慣れつつある。
中でも久遠寺さんは格が違った。
担当の糸月先輩が舌を巻くほどの速さで課題をこなし、校内では早くも「天才美少女現る」との噂が飛び交っている。
――ちなみに僕は、初回のあれ以来、一度も能力を発動できていない。
あの爆発の記憶がよぎるたび、心の奥でブレーキがかかる。
一乗谷先輩は「気にするな。ゆっくりやっていけばいい」と言ってくれたが、不甲斐なさばかりが募っていった。
今日、僕たちは学校に隣接する研究所へと向かう。
無機質な灰色の建物。
一歩足を踏み入れると、空気が変わる。
重たい。肌にまとわりつくような圧。
「何や、これ……毛穴から何か染み込んでくる感じ。不快やわー」
祇園君が顔をしかめる。
すると、前を歩いていた仙崎さんが振り返り、さらりと答えた。
「メタ粒子の濃度が高いのよ。試験のときはもっと濃かったけど、緊張して気付かなかっただけね」
「へえ、そうなんや。仙崎は何でも知っとるんやな」
「何でもは知らないわよ。知ってることだけ」
――ん? どこかで聞いたセリフだな。
僕たちが案内されたのは、がらんとした大部屋だった。
「研究所」と聞いて想像するような機械や装置は意外なほど少ない。
必要最低限のものだけが並び、無機質で、なんとなく殺風景な空間。
「ようこそ。今日、君たちの案内係を務める粟国です。この研究所の主任研究員を務めてます」
そう挨拶をしたのは、50歳前後の中年男性。
白髪交じりの髪をきちんと整え、細いフレームの眼鏡越しに覗く瞳は穏やかだった。
「君たちが入学してから二カ月が過ぎたのかな。能力開発の訓練も、そろそろ本格的になってきたと思う」
口元に柔和な笑みを浮かべながら、粟国さんは続ける。
「さて、君たちはまだ何の為に、その能力を使うのか学校から説明を受けていないはずだ。学校で説明されてもピンと来ないだろうからね」
僕たちは黙って話の続きを待つ。
入学式で「世界を守る使命がある」と言われたが、具体的な説明はまだされていない。
「まずは簡単な歴史から話そうか。今から三十年近く前、南太平洋の海底で世界を揺るがす轟音が鳴り響いた。あまりに非現実的で理解に苦しむと思うが、とりあえず聞いて欲しい。その音は――『異界の門』が開く音だった」
さすがに、どよめきが広がる。
「そして、門が開くと共に、ある物質が流れ込んできた」
粟国さんが一旦言葉を切る。すると仙崎さんが口を開いた。
「メタ粒子ですか?」
「その通り。この未知の粒子は奥が深くてね。まだまだ分からないことだらけだ。そして、もう一つ、世間には秘匿されている、ある凶悪な存在も一緒に流れ込んできている」
凶悪な存在?
「凶――くぐりと呼ばれる生命体だ。門を潜ってきたから、くぐりと呼んでる。これが実に厄介でね」
そう言うと、粟国さんは一旦場を外し、台車を押して戻ってきた。
ガラガラ、と車輪の音が静かな部屋に響く。
その上には、段ボールくらいの大きさの檻。
「これがそれだ」
中には、ぼんやりとした影のような『何か』がいた。
リスくらいの大きさ。輪郭が不鮮明で、ふわふわと形を変えながら揺らめいている。
見ているだけで、不安感がじわじわと胸に広がっていく。
「何が見える?」
粟国さんの問いかけに、祇園君が檻を覗き込みながら答えた。
「え? なんやねん、これ……。キモい小動物みたいやけど、ぼんやりしてて、実体があるんかないんか分からん。なんか……変な感じや」
「そうか。これ、私には見えないんだよ」
「……え?」
祇園君が硬直する。
僕たちも思わず顔を見合わせた。
「嘘やろ? こんなにはっきり見えてんのに?」
「本当さ。これはね、シグマコードを持つ君たちにしか視認できない」
粟国さんは薄く笑い、少し首を振った。
「私たちには見えないから対処のしようがない。この世界に異界の理を持ち込んできたようなものだ。こちらに害は与えられるのに、こちらからは何も出来ない。拳銃で撃っても、凶には何のダメージもない。この世界で実体化されていないということだろうね」
「ちょっと待ってください」
仙崎さんが口を挟んだ。
「見えないのに、対処ができないのに、どうやってその檻に入れたんですか?」
「特殊な光を当てれば、見ることだけは出来る。」
そう言って、粟国さんは白衣のポケットから懐中電灯のようなものを取り出し、檻に向けて照射する。
「でも、触れることは出来ない。ただ、この研究所には異能師の資格保持者が何人もいるからね。彼らに任せてる」
徐々に、頭の奥でパズルのピースがはまるように、理解が追いついてくる。
粟国さんの後の話をまとめると、こうだ。
「凶のエネルギー源はメタ粒子。だが、この世界ではまだ濃度が足りない」
「凶は動物の生命エネルギーを捕食し、それをメタ粒子に変換することで存在を維持する」
「凶は体内に暗黒物質を内包することで、肉体を維持し異界の力を行使する」
徐々に、皆の中で「自分たちの使命」が具体的な形を持ち始める。
粟国さんは一同をぐるりと見渡し、問いかけた。
「ということで、いきなりだが、この檻の中の凶を駆除してみたい人はいるかな?」
みんな互いの顔を見合わせる。だが、誰も動こうとはしない。
すると――
「はい、私にやらせてください」
静かに手を挙げたのは、久遠寺さんだった。
「うん。では任せよう。能力は使えるね?」
「はい、大丈夫です」
わずかに緊張を滲ませながら、久遠寺さんは檻の前へと歩み出る。
「重力制御」
短く告げると、ゆっくりと手を伸ばした。
指先がわずかに動く。
その瞬間、空気が歪んだ。
ギギギ……ッ
目に見えない圧が降りかかる。
檻の中の影が震え、もがき、逃げ場を探す。
だが、存在そのものが押し潰されるように、ゆっくりと縮んでいく。
ベチャッ
数秒後、残されたのは黒い水溜まりだけだった。
「素晴らしい……」
粟国さんの眼鏡の奥には、静かな興奮の光が宿っていた。
◆◆◆
『連続殺人事件で、新たな犠牲者 が発見されました。本日未明、八王子市郊外の廃工場跡で、身元不明の遺体が発見され、警察はこれまでの事件と同一犯による犯行と見て捜査を進めています。遺体の状況から、犯人の残忍な手口が再び浮き彫りとなり、市民の不安が一層高まっています。新たな展開があり次第、続報をお伝えします。』
凶のランクについて
凶度1 極めて弱く、直接的な危害は少ないが、不吉な存在感を放つ。
凶度2 単独で不意を突けば成人を殺傷し得る。
凶度3 高い戦闘力を持ち、積極的に人を狩る異形。人語を操る。
凶度4 都市壊滅レベルの力を持つ災害級異形。
凶度5 世界規模の危機となる神話級異形。