第5話 実地訓練
5月15日。
入学式から、一ヶ月以上経過した。
僕は必死に授業についていくので精一杯。
でも、久遠寺さんや仙崎さんみたいな天才には物足りないのかもしれない。
授業の方針はいたってシンプルだった。
「基礎は教える。それ以上知りたければ自習で頑張れ」という半放任主義。
座学の大半は「異能基礎学」に割かれている。
異能の理論、歴史、科学的分析を学ぶ。まずは仕組みを頭で理解するのが大事らしい。
そして、今日から実践――実地訓練。
ついに、能力を発動させる訓練も始まる。
……僕にできるのか?
もし出来なかったら、退学とか……ないよね?
不安がじわりと胸を締めつける。
訓練はクラス全員が並んで受けるわけではない。
一年生一人につき、先輩チューターがマンツーマンで一ヶ月指導するらしい。その後も何かと相談に乗ってくれるとか。
広い校庭で、僕たちはじっと待っていた。
やがて、先輩方がぽつぽつと到着し、それぞれの担当の生徒を連れ出していく。
久遠寺さんのチューターは、女性の先輩だった。
ホッと胸を撫で下ろしている自分に気づく。
もし男の先輩で、この訓練をきっかけに仲良くなられでもしたら、きっと僕は立ち直れなくなっていただろう。
「出雲崎って奴いるか?」
威圧感のある声が、僕の名前を呼ぶ。
そこに立っていたのは――
一乗谷龍成先輩。
入学式の日、「この学校最強」を自負していた、あの人だった。
……え? ちょっと待って?
この人が僕のチューター? 嘘でしょ??
「は、はい、僕です!」
慌てて返事をし、先輩の元へ駆け寄る。
近づくにつれ、そのガタイの凄さがよくわかる。
……いや、デカい。
めちゃくちゃデカい。
190センチ以上はあるんじゃないか?
「お前の担当の一乗谷だ。よろしく」
「は、はい。宜しくお願いします……」
「おう、じゃあついてこい」
そう言うと、先輩は校庭の端へ向かって歩き出す。
――まさかの最強チューター登場。
周りの生徒たちも、興味深そうに僕たちを見ていた。
◆◆◆
「よし、じゃここにするか。すぐそこに研究所があるから、メタ粒子の濃度がここら辺では一番濃い。」
そう言って指差した先には、無機質な灰色の建物がそびえていた。
何の研究してるんだろ。
「何で俺がお前のチューターに選ばれたか分かるか?」
唐突な問いかけに、僕は思わず戸惑う。
「え? 何で? さ、さあ、何でですかね? 先輩もお忙しいでしょうし……」
「そうだ。俺は忙しい。現場にも、しょっちゅう駆り出されてる」
先輩はじっと僕を見つめる。
鋭い目つき。値踏みされているような感覚。
「だが、それでも俺じゃなきゃダメだと、学校側が判断した。俺じゃなきゃ、お前を押さえることはできないと」
「……押さえる?」
「異能はな、使い始めの頃が一番危ない。暴走することがある。しかも、その力がデカければデカいほど、コントロールは難しい」
「……はあ」
正直、ピンとこない。
自分の力が極級と言われても、実感がなかった。
「ま、そうだろうな。でも、いずれ自覚する時が来る」
先輩はそう言うと、ゆっくりとジャージの上着を脱ぎ捨てた。
――デカいだけじゃない。
鍛え抜かれた、分厚いタイヤみたいな体。
「まずは俺の能力を見せてやる。全力で殴りかかってこい」
「……はい?」
先輩の目は本気だった。
手加減したら本気で怒られそうだ。
仕方なく、拳を握る。
生まれて初めて、人を殴る。
ドス。
鈍い音がした。
少し遅れて、拳にジーンと痛みが広がる。
「続けろ」
ドス。ドス。ドス。
何度も拳を叩き込む。
だが、先輩は微動だにしない。
「……ダメだな。そんなんじゃ。ちょっと待ってろ」
そう言い残し、先輩は何かを探しに行った。
◆◆◆
「瑠璃さんの妹だって? 話には聞いてたけどマジで真逆だな。おっと、まずは自己紹介からか。あたしは糸月小夜。三年の特級。宜しく」
長身でスタイルが良く、姿勢が美しい。
口調は砕けているが、どこか気品の良さも感じられる。
黒髪は肩より長めで、流れるようになめらかに整えられていた。
「姉を知ってるのですか? ご迷惑をお掛けしていなければ良いのですが……」
「迷惑? まさかまさか。お世話になりまくってるっつーの。」
糸月は豪快に笑う。
「で、お前も特級なんだろ? どんな能力なんだ?」
「はい、恐らく重力操作とのことです」
「へぇ、レアなもんを発現させたな。楽しみだ。じゃ行くか」
そう言って、糸月は周囲をキョロキョロと見渡しながら歩き出した。
御影は黙って、その後ろをついていく。
「どこに行きやがったかな、あのゴリラ」
「誰かを探してるのですか?」
「ああ、一乗谷さん。入学式の時、祝辞をした人。覚えてる?」
「あ、はい。この学校で最強だとか」
「かかっ」
糸月は愉快そうに笑う。
「ま、いずれあたしが追い抜いてやっけどな」
「一乗谷さんと一緒に訓練をするのですか?」
「いんや。近くで見てみたいだけ」
「え? 一乗谷さんをですか?」
「あのゴリラはもう見飽きてるっつーの。あたしが見たいのはその相手の方。いずもなんとかって奴。極級なんだろ、そいつ?」
「出雲崎透真君ですね。はい、そう聞いてます」
「ちょっと見てみたいじゃん? どんな能力なのか」
そう言って、糸月は切れ長の瞳を細めた。
◆◆◆
「待たせたな。」
戻ってきた一乗谷先輩の手には、木製バットが握られていた。
「これで俺を全力で殴りつけろ」
そう言って、バットを僕に手渡す。
「え? いやいや、さすがにそれは……」
……嫌だ。
いくら僕が非力でも、こんなので殴って無事なはずがない。
「大丈夫だ。詳しいことはよく分らんが、俺のDNAは衝撃耐性が高いらしい」
「どういうことですか?」
「そこらへんの車に轢かれても平気だ。トラックとかはまだ試してないが」
え? いずれ試すってこと?
「ほら。早くしろ」
「――ッ! どうなっても知りませんよ!!」
ヤケクソでバットを振る。
ドスッ!
分厚いタイヤを殴ったような鈍い衝撃が腕に響き、手がビリビリ痺れる。
しかし、先輩は微動だにしない。
「続けろ」
もう一発。
さらにもう一発。
目で続きを促されるので、何度も繰り返す。
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
十回目のスイングでついに腕が悲鳴を上げる。
息は乱れ、体はバキバキになった。……これ、絶対明日筋肉痛になる。
「よし、じゃ見てろ」
先輩は片膝をつく。
「満力解放」
そして、地面に向かって拳を振り下ろした。
ドン!!
土煙が舞う。
地面は少し陥没し、ひび割れが広がっていた。
「ま、あの程度じゃこんなもんか」
……ええ!? 簡単に言ってるけど、地面が割れてるんですけど!?
「見ての通り、俺の能力は、外部から受けた衝撃を体内に蓄積し、運動エネルギーとして放出する。」
「え? 蓄積ってことは……」
「そうだ。衝撃が溜まるほど、放出エネルギーもデカくなる。ま、上限はあるらしいがな」
先輩は真顔のまま、さらっと続ける。
「いつか拳一つでビルの解体をやってみたい」
春風が吹き抜けた。
「というわけで次はお前の番だ。見せてみろ」
「いや、いきなりそう言われましても……どうやって発動すればいいのか……」
無茶ぶりが過ぎる。
そんなすぐに出来るわけない。
「異能基礎学で発動理論は学んでるんだろ? それを実践するだけだ」
「えええっと……メタ粒子を取り込んで、シグマコードと反応させて……そのためにフックとなるのは――」
「考えるな。感情を解放するだけでいい。ここには能力を発動するのに充分なメタ粒子が満ちてる」
「で、ですが感情の解放と言っても……」
「記録を見たが、お前の発動条件は『怒り』のようだ。とりあえず怒れ」
「どうやってですか!?」
「街中に怪物が現れて、人々を蹂躙していくイメージとかでどうだ?」
言われたとおりにイメージしてみる。
――が。
ダメだ。
全然ピンとこない。抽象的すぎて、怒りが湧かない。
十分ほど粘ってみたが、何も変わらなかった。
先輩が呆れたように言う。
「情けないな。あっちで女子も見てるぞ。カッコ悪いとこ見せてていいのか?」
先輩が視線を向けた先には――久遠寺さん。
彼女と、そのチューターが僕を見ていた。
久遠寺さん――
もし、彼女が怪物に襲われたら?
ぞわっ、と背筋が粟立つ。
そして、あの日の記憶が蘇った。
火事の原因となった、不気味な黒い影。
爛れた子犬のような、ぼんやりとした影。
もし、あれがあの時、久遠寺さんにへばりついていたら。
心の奥で、どす黒い何かが弾ける。
許さない。
叩き潰してやる。跡形もなく、ぶっ壊す!!
その瞬間――
握りしめたバットがブワッと燃え上がった。
「おお、その調子だ! その感情を維持しろ!」
遠くで先輩の声が響く。
木製バットの炎は、赤から青へ。
そして青白く、揺らめきながら変化していく。
「よし、もういいぞ。深呼吸して落ち着け」
ようやく、先輩の声が頭に届いた。
しかし――
バットの変化は止まらなかった。
バチバチバチ……ジュウゥ……
バットの周囲の空気が、まるで溶けるように歪む。
炎が、燃えるというより「蒸発」していく感覚。
光が滲み、表面がちらちらと白く輝き出す。
バットが、光に溶けていく。
握っている感触が、次第に消えていく。
バットが形を保ったまま、粉々に分解されていくのがわかる。
気体になった光の粒子が、ふわりと宙を舞う。
……何だこれ?
ハッと我に返った僕は、先輩と共に慌ててその場から離れる。
すると――
ドゴン!!!!
轟音とともに、元は木製バットだった何かが爆発した。
一乗谷 龍成
・国家戦略高専四年
・特級異能師
・能力名『満力解放』
外部から受けた衝撃を体内に蓄積し、運動エネルギーとして放出できる。
受けた衝撃を蓄積し、周囲の物体や味方へ分散・拡張できる。
ただし、一度に放出できる量には上限がある。