第4話 推しの子
4月17日。
オリエンテーションも終わり、いよいよ本格的な授業が始まる。
異能基礎学や倫理学に加え、数学や英語といった一般科目までカリキュラムに組み込まれていた。「基礎戦闘技術」なる実技まで存在している。
仙崎詩織は、肩まできっちり整えた黒髪をさらりと耳にかけ、一人の少女を見つめていた。
(はわわわわわわ……ッ!! 今日も……今日も……!! 麗しすぎる……! 崇高すぎる……!! いや待ってむり、尊死する、圧倒的尊さが私の命を削っていく……!!!)
眼鏡の奥の瞳は涼やかな光を宿しているものの、内心のボルテージは最高潮だった。
「あああっ……御影さま……尊い、無理、むりむりむりむり……はわわ……好きっ……しゅきぃぃぃ……」
気づけば、小声で悶えていた。
手はぷるぷると震え、呼吸は乱れ、心拍数は跳ね上がる。
久遠寺御影——圧倒的な美貌と気品を兼ね備えた女神。彼女の一挙手一投足が、詩織の心を狂わせる。
(はぁぁ……今日も麗しい……生きててよかった……尊みの限界突破……)
冷静を装いながら、密かに拳を握りしめたのだった。
――その熱い視線に気づいたのか、御影が近づいてくる。
(えっ……ちょ、まっ……待って待って待って……!?)
(見つめてたの、バレた……???)
(やばいやばいやばい、怒られちゃう……? いやでも、それってつまり……御影さまに認識されちゃったってことでは!? えっ、そんなご褒美いただいちゃっていいんですか!?!?)
(待って無理、心臓がもたない……し、死ぬ……これはもう実質昇天確定……)
脳内大混乱のまま、再起不能になりかけていた
——が。
透き通るような、鈴の音のような、美しく澄んだ声が天から降り注ぐ。
「仙崎さん。いつも難しそうな本を読んでるわよね? 今読んでるそれはメタ粒子関連の本なの?」
——御影さま、直々のお言葉!!
詩織はハッと我に返り、手元の本に視線を落とす。
表紙には、『メタ粒子理論体系』と記されていた。
(やばい、まともな返事をしなければ……!! しかし、しかし……ッ!!!)
「はわわわわッ!?!?!? えっ、えっ、あのっ、そっ、そうですこれはですね!? えっと、その、メタ粒子の理論的枠組みを体系的に整理した書籍でして!? その、物質波としての振る舞いとかエネルギー変換過程とか、こう、量子レベルでの相互作用の研究が——」
言葉が止まらない。止まれない。
完全に早口オタクモードに突入していた。
「へえ、面白そう。私も興味あるの。でも、どれを選べばいいか分からなくて。放課後、一緒に本屋に行ってくれたら嬉しい」
「——ッッッ!!!!???? い、い、い、行きます行きます行きます行きますぅぅぅ!!!! 喜んでご案内させていただきますぅぅぅぅ!!!!(過呼吸)」
◆◆◆
放課後。
二人はバスに揺られ、八王子駅に到着。
大型書店の理工系コーナーには、メタ粒子関連の書籍がずらりと並んでいた。
「みみみ御影さまはメタ粒子についてどどどどの程度の知識をお持ちなんですか?」
緊張のあまり詩織の滑舌は完全に崩壊している。
「まだ授業で習った部分しか分からないの。名前だけは前から聞いてたんだけれど」
「あっあっ、ででででしたら、これとか、このあたりから読むのが宜しいかとッ!!」
詩織が指差した先には、『ゼロからわかるメタ粒子』 『メタ粒子入門――不思議な粒子の世界』と背表紙に書かれた入門書が並んでいた。
御影は一冊を手に取り、パラパラとページをめくる。
活字を追うその表情は自然と引き締まる。
(はぁぁ……真剣なお顔が凛々ししゅぎる……!!!)
(待って待って待って、そんな綺麗な横顔見せられたら、こっちはどうすれば……???)
(ダメだ、今のうちにしっかり網膜に焼きつけなければ……!!! いやでも、でも、そんなに見つめたら不審者だし、でもでも、でもぉぉぉ!!!)
(うあああああ!!! 美の暴力……!!! 眼福が過ぎる……!!!)
御影はお勧めされた二冊の本を購入し、二人は書店の外へ出る。
「仙崎さん、まだ時間はある?」
「ふぇッ!! も、もちろんございますッ!! どこまでもお供させて頂きますぅぅぅぅ!!」
テンションが振り切れたまま、詩織は勢いよく返事をした。
御影に連れられ、二人はスタバへ向かう。
今度は御影おすすめのカスタマイズフラペチーノを二つ注文。
「今日はお礼に、ご馳走するわ」
そう言って、さらっと奢ってくれた御影に、詩織は危うく昇天しかけた。
(御影様に! 奢っていただく!! そんなことがこの世に許されていいの!?!? むりむりむり死ぬしぬしぬ)
混み合う店内を避け、二人はカップを手に外へ。
駅の近くにちょうど空いていたベンチを見つけ、腰を下ろす。
すると——
「何してんの? ひょっとして暇してる? 俺らと遊ばない?」
「君、めっちゃ可愛いね。芸能人? インスタ教えてよ」
見るからにチャラい二人組が、ニヤつきながら近づいてきた。
詩織の心に怒りが燃え上がる。
「何だこのゴミども。御影さまに話しかけるとか頭沸いてんのか?」
思わず心の声がダダ漏れしていた。
「あ? 何か言ったか?」
「てめぇとは話してねえんだよ。黙ってろブス」
瞬間——
御影のカップを握る手に力がこもる。
何か言いかけた、その時。
「やっほー、何やってんのー?」
突然、明るめの茶髪をゆるく巻いた派手ギャルが登場。
「あ? 何だてめぇ。ビッチはお呼びじゃねんだよ。すっこんでろ」
電光石火。
ギャルは稲妻のような動きで、二人組のみぞおちに拳を入れ、さらに股間を蹴り上げる。
数秒後。
二人は地面に崩れ落ち、気絶していた。
「——誰がビッチだって?」
ゴミでも見るような目で二人を睨みつけた後、ギャルはくるりと振り向き、御影に向かってにこりと微笑む。
「御影ちゃん、久しぶり♪ 元気してた?」
「姉さん……ちょっとやり過ぎじゃないかしら……」
「あは♪ だいぶ手加減してるから大丈夫だって」
あまりの展開の速さについていけなかったが、詩織は何とか声を絞り出す。
「ふぇ!? みみみ御影さまのお姉さまですか!??」
「そうだよん♪ 国家戦略高専の五年。君の先輩になるかな? よろしくねん♡」
御影とはまるで正反対の外見に、詩織はまだ理解が追い付かない。
だが、それよりも——
「格闘術の授業を受けると、そんなに強くなれるんですか!?」
思わず食い気味に尋ねる。
「ん? ああ、まあねー♪ でも、うちの能力『電光神経』の影響が大きいかな?」
そう言って、ギャル姉はニッと笑う。
「でも、頑張れば似たようなことはできるようになるかもよ? 精々鍛えることだね♪ じゃ、うちは用事があるのでまたねー♪」
◆◆◆
二人はバスに揺られ、帰途につく。
窓の外はすっかり夕焼けに染まり、街並みが黄金色に輝いていた。
「それにしても、御影さまにお姉さまなんていらっしゃったのですね?」
今日一日で少し慣れたのか、詩織の口調も自然になりつつある。
「ええ。あんな感じだから、私がちゃんと家を継がないと」
「継ぐ……?」
「うちは代々、政治家の家系なの。お爺様は八年前まで総理大臣だったのよ」
「——!! そういえば、久遠寺総理って聞き覚えが!!」
驚愕する詩織をよそに、御影は窓の外へ視線を向ける。
夕焼けを背にした横顔が、窓ガラスに淡く映る。
(なんだろう……少しだけ、悔しそうな顔……?)
「いつか私も総理になって、あの時の——なんてね」
御影はふっと微笑み、軽く流すように言うと、くるりと振り返って尋ねた。
「仙崎さんは、将来の夢ってあるの?」
不意の問いに、詩織は思わず言葉に詰まる。
「わ、わたしはまだ、将来のこととか全然……」
そして気づく。
御影は、自分と同い年だというのに、すでに先の未来までしっかり見据えている。
ただ美しいだけじゃない。心が強くて、賢くて、芯がある。
(御影さま……なんてお方……!!)
御影推しの心は、ますます燃え上がっていくのだった。
久遠寺 瑠璃
・国家戦略高専五年
・上級異能師(見習い)
・能力名『電光神経』
神経伝達速度を向上させ、自身の反応速度を上げる。
ただし、長時間使うと疲労が蓄積する。