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第27話 裏能祭②

 12月4日。


 裏能祭の開催まで、あと二週間と少し。


 一乗谷龍成は、特級以上の異能者にのみ開放される特別訓練場で、今日も汗を流していた。

 壁の一角に設置された『反動緩衝壁』。

 打撃を加えると、電磁反動装置がその衝撃を瞬時に逆方向へ跳ね返す仕組みだ。

 本来は、強大な凶の一撃に耐えるための訓練装置。

 一乗谷は、反動倍率を最大の「2倍」に設定し、文字通り――浴びていた。


 拳、肘、膝、踵。

 全身を使って壁を殴り、蹴り、打ちつけ、返ってくる倍化された衝撃を全身で受け止める。

 蓄積されていく衝撃――そして限界近くまで貯まったそれを、床に向かって一気に解放した。


 轟ッ!


 衝撃吸収シートで覆われた床面は破壊こそ免れていたが、あちこちに歪みが生じ、波打って見える。


「……あーあ。そんなベコベコにしちゃって。出禁になっても知らんすよ」


 後ろからの声。

 聞き慣れた、静かで芯のある声。

 振り返らずとも、一乗谷には分かる。


「む。ちょっとやり過ぎたか……? お前もここ使うか?」


 額の汗をタオルで拭いながら、一乗谷が振り向く。


 そこにいたのは糸月小夜。

 入口脇の壁に、片肩を軽く預けるように立っている。

 気の抜けた立ち姿でも、彼女特有の凛とした姿勢の良さは崩れていない。


「……いや、お構いなく。ちょっと様子を見に来ただけなんで」


 糸月はそう答え、視線だけを彼に向けた。


「今年も――いや、卒業まで高専最強の座は譲らんぞ」


 不敵に笑う一乗谷。

 それは自信に満ち、挑発にも似た言葉だった。


「ふっ。まあ、頑張って下さい。たぶん来年は、出雲崎も出てくると思うんで。軽く、あんたを超えてきますよ」


 一乗谷の眉がわずかに動く。


「……あいつが、それまでに自分の力を使いこなせていればな。まだまだ、負けるわけにはいかん」

「……あんた、あいつの力を間近で見てないっすもんね」


 どこか、諦めたような、遠くを見るような声音だった。


「努力じゃどうにもならない壁って、マジでありますよ」


 その言葉に、一乗谷は静かに問いかける。


「どうした? お前らしくないな。相手が強ければ強いほど燃えるのが――俺の知ってる、お前のはずだが」

「はっ」


 糸月は肩をすくめ、小さく笑った。


「……あたしも、大人になったんすよ」


 それだけ言い残し、彼女は踵を返し訓練場を後にした。


 その背中を見送りながら、一乗谷は少しだけ不審に思う。

 何か話しかけようかと迷ったが、声をかけるよりも早く、彼女の姿は静かに遠ざかっていった。


 ◆◆◆


 都内某所。

 大型ショッピングモールのフードコートにて。


 土曜の午後、雑多な喧騒が入り混じるその場所で――

 その一角だけ、空気が違っていた。


 銀色の髪。

 深い森を思わせる緑の瞳。

 静かに本を読みながら、ゆっくりとコーヒーを口に運ぶその人物は、ひと目見ただけで視線を奪われる存在だった。

 美しさに惹きつけられる──だが、長く見つめていると、胸の奥がじわりと蝕まれるような錯覚すら覚える。

 まるで現実と幻想の狭間に立つような、不穏な魅力があった。


 そんな人物を遠巻きに眺めながら、周囲のテーブルからはヒソヒソとした声が漏れ始める。


「ねえ、あの人カッコよくない?」

「カッコいいっていうか……可愛い、じゃない?」

「え、女子? 男子? どっち……?」

「男にしては綺麗すぎるし、女にしては線が太い気も……」

「髪、銀だぞ。地毛か? ハーフ? 外人?」

「いやいや、あの顔は芸能界レベルだろ。モデルかなんかだって」

「てかさ……あの人、いくつくらい? 高校生? 二十代? いや、中学生って感じも……」

「わたし、性別とかどうでもいいわ。ああいう美形は見てるだけで心が洗われる……目の保養」


 声をかける者はいない。

 誰もがただ、盗み見ることしかできなかった。


 そこへ、遅れて一人の男が現れる。

 長身でまだ若いが、無造作に伸びた黒髪には、所々白いものが混じっていた。

 男は親しげにその人物に近づくと、正面の席に腰を下ろす。


「よ、待たせちまったか?」


 サンドイッチを取り出してひと口。

 しばし、無言のまま味わうように咀嚼する。

 それを合図にしたかのように、その人物は本を閉じ、静かに視線を上げた。


「……いや。ちょうどいいところまで読めた。続きはまた後にする」


 声は低すぎず、高すぎず。

 不思議な音色をしていて、聞いた者の記憶に静かに残る。


「にしても……お前、目立ちすぎだぞ?」


 男はちらりと周囲を見渡しながら言う。


「男なのか女なのか、って議論が始まってたぞ。後ろの女子高生たち、ずっと観察してる」

「ふっ。くだらない。どっちでもいいじゃないか」


 銀の髪がさらりと揺れ、当の本人はどこか達観したように笑った。

 その笑みには、神聖さと不穏さが入り混じっていた。


「本番は来週だ。準備はどうなんだ?」

「ああ。今すぐでも問題ない」

「そいつは何より。……で、本当に金は要らないんだよな?」

「今回は観察してみたいだけだ。結果として、それが君へのサービスになるだけの話さ」

「観察、ね……異能師のか? お前が興味持ちそうな奴なんているかな?」

「いや、異能師じゃない。……きっと君も、楽しめる」


 ◆◆◆


 12月19日。


 裏能祭前日。

 なぜか僕は、特別訓練場で金属バットを握りしめていた。

 能力で焼き入れたそれは、火を浴びて鍛え上げられた直後のように、鈍く黒光りしている。

 冷めた今も、その表面には鋼の硬さが宿っていた。


 目の前には、一乗谷龍成先輩。

 全身が岩のように盛り上がった筋肉で覆われた、まるでプロレスラーのような体躯。

 その腹めがけて、僕はこれからバットを全力で振り抜こうとしている。


「よし、来い!」


 号令とともに、僕は大きく息を吸い、床を踏みしめる。

 大谷翔平選手になりきって、全身をしならせ一気に振り抜いた。


 ドンッ!


 空気が震えるような鈍い衝撃音。

 バットの軌道が止まったのは、まさに先輩の腹の上だった。

 その手応えはまるでコンクリート。手のひらが痺れる。


「いいスイングだ。……大分、力もついてきたみたいだな」


 余裕の表情でそう言う先輩に、僕は思わず苦笑する。

 トラックにぶつかっても無傷で済ませられる先輩だ。遠慮はいらない。


「もういっちょ来い!」

「はい!」


 ドゴンッ!


 渾身の一撃。

 だが先輩は微動だにせず、それどころか嬉しそうに頷いている。

 何度か繰り返したあと、先輩は「よし、行くか」とつぶやき、拳を軽く振った。


 そして――


 ズン!!!


 拳が床を叩きつけた瞬間、訓練場全体が小さく揺れた。

 衝撃吸収シートの敷かれた床が、中心から波紋のように沈み込み、見事にへこんでいる。


「あちゃ~、やっちまった……。おい、俺がやったって誰にも言うなよ」

「いや、言わなくても……こんなことできるの、先輩だけだと思いますけど」

「ガハハハ! まぁな!」


 豪快に笑いながら、先輩は拳を振って余韻を楽しむように肩を回す。


「明日は絶対に表彰台に登ってやる。そん時はメシ奢ってやるから、楽しみにしとけよ!」


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