第25話 連続失踪事件④
国家戦略研究所――その最深部。
建設時、粟国が極秘で設けさせた、設計図にも存在しない影の部屋。
彼の専用研究室から直通でつながるその隔離領域は、唯一粟国本人のみが出入りを許された場所である。
入室には指紋・声紋・脳波の三重認証が必要とされ、あらゆる認証が、粟国にしか反応しないよう設計されているのだ。
天井に吊るされた蛍光灯が、ときおり明滅する。
壁は剥き出しのコンクリート。床には細く走る配管と染みついた薬品の跡。
空気は重く、湿り気を含んだ鉄の匂いが喉奥にまとわりついた。
その奥、厚い格子の内側に、複数の男女が拘束されている。
椅子に縛られた者、壁にもたれたまま目を閉じる者、虚ろな目で天井を見上げる者。
彼らは皆、国家安全維持局に『行方不明者』として記録された潜在異能保持者たちだった。
粟国は、ただ静かに彼らを見下ろしていた。
同情の色も、あるいは狂気すらもその瞳には浮かんではいない。
「……じゃ、始めようか」
白衣の胸元から取り出された一本の特殊塗装された注射器。
中は、凶の体内から抽出された黒い液体――異能活性を強制的に促すために加工された試薬。
注射器の先が、青年の左腕に沈んでいく。
黒く濁った液体が、血流に混じってじわじわと体内を侵していく。
――少しすると、青年の肩が小さく跳ねた。
バチッ。
空気を裂くような音が鳴り、指先から青白い火花が走る。
その閃光は、以前のように皮膚の表面で燻るだけの微弱な現象ではなかった。
鋼製の拘束具に電流が伝い、手首から肘にかけて静かに光を帯び始める。
粟国は端末のグラフを眺め、静かに頷いた。
「……ふむ。着実に変化しているな。電位強度、前回の1.8倍。応答速度も上昇中」
この青年に異能が発現されたのは、ここへ連れてこられてから最初の試験だった。
第一段階の注入によって、ほんのかすかな静電反応が生じ、
第二段階では不安定な火花を散らし、
そして今――明らかに『武器』として成り立つだけの出力に達しつつある。
「制御できずとも構わない。今は、まだ」
粟国はぼそりと呟く。
だが、青年は一切の反応を見せなかった。
虚ろな瞳は焦点を結ばず、人を見ているのか、壁を見ているのか、それとも何も映していないのかすら分からない。
粟国がゆっくりと歩を進めるたび、革靴の音が静かに響き、空気は凍りついたまま、異能者たちは沈黙の中で身を縮める。
この部屋にあるのは、希望ではない。
未来への可能性でもない。
ただ、静かに狂気だけが満ちていく。
◆◆◆
登録者100万人超の都市伝説系YouTubeチャンネル
『アンダー・ザ・ミステリー』。
冒頭、サイレンと共に警告風の演出が流れる。
黒と赤を基調にした画面に、インパクトのある見出しが次々と現れては弾けていく。
『八王子で記憶喪失者が急増中!?』
『関係者の証言「名前も、家も、昨日の記憶も分からない――」』
『これは宇宙人か? それとも国家が隠す人体実験か?』
センターに浮かぶ赤いテロップ:
『保護された男の証言を初公開――俺は、誰だ?』
続いて、スタジオが映し出される。
司会のショータが、いかにも真剣そうな表情でカメラに向かって語り始める。
「いやこれ、マジで始まってるかもしれません……八王子、完全に異常です!!」
「また言ってるよコイツ」
相棒のリョウが苦笑いで返す。
「今回はですね、ここ数週間で『記憶を失って保護された人』が複数確認されてるっていう、ガチでヤバい話を追ってきました!」
「いやそれ、もう事件じゃん。ニュース出てなくていいの?」
「そう、それが何故か出てないの! 完全スルー! テレビはダンマリ! これは絶対、裏があるって!!」
そして――カメラに向かってドヤ顔のショータが告げる。
「ということで、今回はなんと! 実際に記憶が消えたという当事者に来てもらってます!!」
リョウがわざとらしく目を見開く。
「……え? どうやって呼んだの!?」
カメラが切り替わる。
そこには、やや痩せた男性が所在なげに椅子に座っていた。
目の焦点は定まらず、声も弱々しい。
「……どうも……たぶん、成田……です」
「たぶん……? 名前もあやふやなんすか?」
「はい……警察にそう言われて、あーそうなんだって。でも……自分では実感がないというか……」
「逆に覚えてることって、何かあるんですか?」
「……いや、何も。気がついたら、公園に座ってました。いつからそこにいたのかも分からないっす。周りも何も知らない……ただ、寒くて、空が灰色だったのは、覚えてます」
「ちなみに、連れてかれた病院では何か言われました?」
「……メタ粒子に近い痕跡が、体内に強く残っていると……」
効果音とともに画面が切り替わり、
「出た〜〜!! メタ粒子〜〜!!」の文字がド派手に弾け飛ぶ。
コメント欄は一気に盛り上がる。
「結局メタ粒子って何なん? 誰か教えて」
「やっぱり人体実験か?」
「国家ぐるみの記憶操作」
「新宿のビルの事故と絶対つながってるだろコレ」
動画は、都市伝説・陰謀論・疑似科学が入り乱れるまま、いつも通り再生数を伸ばしていった。
公開からわずか数時間で、SNSにも波紋が広がり始める。
X(旧Twitter)では、
《#八王子の連続記憶喪失》《#メタ粒子》《#人体実験》といったハッシュタグがトレンド入りする。
「陰謀か?」
「この国、何か隠してる」
「新型兵器の実験説ガチじゃん」
といった投稿が、フォロワー数の多いインフルエンサーたちによって次々と拡散されていく。
TikTokでは、
番組中に流れた「どうも……たぶん成田……です」のセリフが、
『記憶喪失あるある』としてネタ動画化され、パロディが爆発的に広がり始める。
YouTubeのコメント欄にも、
「こういうの笑って見てたけど……最近、身内が似たようなことになってる」
「うちの地元でも『記憶が消えた』って話あったよ。マジで広がってない?」
といった、冗談では済まない内容が混ざり始める。
噂は噂を呼び、
憶測は憶測の上に積み重なり――
都市伝説は、静かに、確実に、現実を侵食し始めていた。