退屈なじんせい
それは唐突で、小さな社から始まった。
「……?」
高校入学式の下校中、ふと散歩がしたくて町をぶらぶらしていると、袋小路を見つけて興味本位で進んだ。
パッと開いた小さな土地。
古びた小さな神社。
鳥居も参道もない小さな社だ。
後光が降り注いでいる。
「……ふむ」
何気なく手を合わせて目を瞑り、こう思った。
『神様になりたい』
と。
日常に飽き飽きしていた。変哲の無い私生活に辟易していた。
何となく、そう願ったのだ。
頭の中で浮かんだ言葉を、どんな神様かも知らずに。
『合い解った』
そんな言葉が聞こえた。
見渡したが、誰もいない。
社からの光に気づいて振り返り、顔を覆った。
「……」
俺を包み込んだ光がうっすらと消えていき。
辺りの後光や輝きも消えうせ、薄汚れた社と袋小路が見えた。
「……ええ……」
唐突に、自分が神様になったと実感した。
「うそでしょ……」
驚きや喜びよりむしろ困惑。
こんな簡単に神様になっていいのかと、こんな安易に願いを叶えていいのかと。
「うわあ……」
世界の見え方が一変した。
世界がまるで異世界のように、まるですべてが児戯だと、疑似だと体感し。
世界の全てがまるっと平等に見える視野に。
「……」
余計にすべてがどうでもよくなってしまった。
退屈な視点だった。
『往け』
その言葉に従って俺はその場を離れた。
もとの道に戻ると、袋小路は無くなっていた。
建物の壁をじーっと見つめる俺を、周囲は変人とみているようだ。
不思議とそう直感し、そう受け止めた。
「いや、なんも変わってねえじゃん」
別段成績が良かったとか友達が大勢いるとか趣味に没頭しているとか。
高尚な目標があったわけでもない。
退屈な何かを変えたくて、神様になったら何か変わるかと期待したのに。
「……」
周囲の考えていることが解るとか、感じるとか、雰囲気やオーラを捉えるとか、目に視えていなかったモノが見えるようになったとか、その程度の差でしかない。
抱えていた退屈さは改善されていない。
ふーん、という認識に成り下がった。
「……」
俺の第二の人生、いや神生。
達観したという点では確かに神様なのかもしれない。
「どうしようか……」
——翌日の登校。
何だかやたらと周囲から視線を集めたがとりわけ話しかけられるわけでもなく。
クラス分けされた教室に入って自分の机に座った。
「……」
ど真ん中である。
「……」
アニメや漫画なら席の端っこという設定があるはずなのだが。
俺の席は中央も中央。
ど真ん中である。
「これじゃあ窓の外を見て黄昏ることができないじゃん」
腕を組んで机に突っ伏す。
寝たふり。
それでも周囲の状況が良く解る。
視線、気配、感情、霊感――エトセトラ。
この学校の校門をくぐったときだって、正直ゾッとした。
だってここ、元は寺があったところなんだから。
「うんざりだ……」
と、呟いた。
――下校の時間。
校門を越えた時だった。
「ちょっといい?」
声を掛けられた。
振り向くと、そこには一人の女生徒。
「なに?」
朝廊下ですれ違った女子だ。
やたら高い霊力を持っているなと思ってはいた。
「話があるの」
毅然とした強い目だった。
「……触らぬ神に祟りなし」
「……」
「お互い干渉は無しにしておこう、な?」
そう提案した。
だが彼女は。
「私がそうしても、誰もアナタを放ってはおかないでしょうね」
と、俺を見てそう言ってきた。
「……」
しばし考え。
「……はあ」
面倒くさくなって息を吐いた。
「近くのカフェでいい?」
「ええ」
了承を得た。
――近くのカフェ。
とはいえ学校から徒歩一分である。
そう言う意味では街は便利だ。
田舎の方が好きだけど。
「それで、話しって?」
相対して席に座った俺たち。
彼女が口を開く。
「アナタ、同業者でしょ」
そう言い放ってきた。
その意味は理解している。
霊的もしくは頂上的な力を持った者。
だから俺は。
「……別に」
と、端的に答えた。
「でしょうね。そこまで霊力を放出して、喧嘩でも売ってるのかしら?」
「はい?」
「まるで神のような力と振る舞い。私たち術者を舐めているとしか言いようがない」
キッと目つきを鋭くする彼女。
それでも話し合いに持ち込むあたり、彼女はいい子だ。
「……力の制御が下手で」
「下手にもほどがあるわ。それほどの力、師は相当苦労したでしょうね。もしくは無能だったか」
はあ、と息を吐く彼女。
想像力豊かだな。
実際は神だけど……。
敬えとか頭が高いとか言う気はない。
感情の振り幅がほとんどないのが少し寂しいくらいだ。
「はっきり言うんだな」
「中途半端は嫌いなの」
届いたコーヒーを受け取って、彼女は口にした。
綺麗な所作だった。
「そう言えば名前は?」
俺もコーヒーを口にした。
「神楽坂結城よ」
「うわあ」
あまりに『わかりやすい』名前に、俺はつい口に出してしまった。
それに彼女は顔を歪ませて。
「何? 親に付けてもらった大事な名前よ?」
言葉の最後に疑問符を付けるあたり、彼女は相当お怒りの様だ。
「いや、俺の知り合いにそっくりな名前だなあって」
そんな知り合いはいない。
何なら俺の名前にそっくりだ。
「へえ、その人の名前は何て言うのかしら?」
「……かぐ――」
と、名前を言おうとして。
静電気が走ったように身体が震えた。
「なんだ?」
「くっ」
俺は呆けて、彼女は周囲を見渡し警戒態勢に。
「……なんで?」
周囲が昔の映画のようにモノクロの景色へと変貌し時が止まっていた。
色があり、動ける者は俺と彼女だけ。
「今すぐ逃げるわよっ」
「にげる?」
「敵よっ」
そう端的に応じて彼女はテーブルを飛び越える。俺の首根っこを掴んで店を出た。
と同時に、店内にて何かの力が働き、店が丸ごと重力に押しつぶされて板みたく潰れた。
「はい?」
中にいた人諸共、何もかもがミリ単位未満に潰れて、その場に屋根の『絵』だけが残される。
「どうなってんだよ」
けれど中にいる人たちは生きている。
現実世界では何の影響もないのだろう。
そう直感した。
「敵の結界領域よっ。食らえば私たちもああなるわよっ」
「こわ」
彼女も一瞬でその力を解析したらしい。
なら何で俺が神様だって解らなかったんだ?
「口閉じててっ。舌無くなるわよっ!」
どこにそんな怪力があるんだと、引っ張られる俺は鯉のぼりのように揺れていた。
建物から建物へと移るその脚力。まず人間ではない。
飛び移るたびに、そこにいた建物が潰れていくのは恐怖だった。
一時、靴先が削れて『絵』の中にその靴先が残ったのには少し笑った。
「随分と余裕なのねっ」
余裕のない真剣な顔。
制服の懐から取り出すお札。
それがキラッと光ると、俺たちの周りに結界が張られた。
「うわっ」
圧し潰す力が俺たちに襲い掛かった。
地面へと叩きつけられるも、『絵』だけが足元に形成され、俺たちは元の形を保っている。とはいえ、この結界の形が円形ではなく細長い楕円形に変形していた。
「まさかこれほどとはね」
この結界に自信があったのだろう。
彼女は悔しそうに口元を結んでいた。
「ッ」
「なんだ?」
突然感じた強大な力。
この一帯を覆い尽くすほどのその力に、俺は震えた。
「離脱するわよっ」
またもお札を取り出して、彼女は言葉を紡いだ。
周囲の力が増す中で彼女は集中している。
失敗すれば死んでしまうこの状況で相当な胆力である。
「『解』ッ」
そう叫ぶと、俺たちはその場から掻き消えた。
と同時に、地区一帯を丸ごと『絵』に変えてしまった力。
「なんだこりゃ」
瞬間移動した俺たち。空中でその光景を見る。
円形にぽっかりと空いた土地。
街にそぐわない巨大なクレーターが形成されていた。
「見つけた」
ある方角を見る彼女。
俺もそちらに視線を向けると、その力に似た力を持つ気配をつかみ取った。
「あら、あなたも解ったの。結構優秀ね」
「さっさとどうにかしてくれ」
「人任せなのね。術者の風上にも置けないわ」
冷ややかな眼を頂戴した。
いきなりのバトル漫画な展開、ついて行けるわけがない。
そもそも俺は元は一般人だ。
神に成った途端これとかふざけんな。
彼女を睨みながら、この疫病神め、心で呟く。
「もう一度飛ぶわよ」
「さっさとやってくれ」
次いで目の前に一面を覆う尖った力。
イメージするなら弓矢の一斉掃射。
その嵐が俺たちに到達する前に。
――飛ぶ。
敵の近く。
郊外のビルの中。
「お初にお目にかかるわ」
敵がこちらに気づいて、力を操るのを感じる。
「遅い」
彼女の力が炸裂した。
鋭利な風の刃のようなそれらが無数に敵の元へと迫る。
三十代くらいの男。
そのガタイの良い身体に、いくつもの刃がするりと滑り込んで無惨にも切り刻んだ。
「……」
けれど周囲を警戒する彼女。
敵を排除したからと言って油断は禁物ということ。
「ふう」
モノクロの世界が解かれ、現実世界に戻ってくる。
緊張を解いて、俺を地面に落とした。
「もっと丁寧に扱え」
「何もしてないあなたを? 馬鹿なの?」
「ひでえ奴」
「もっと謙虚になるべきね」
「知るか。てか、あいつは知り合いか?」
彼女に対する恨みつらみを感じとったのだ。
「知り合いではないけど、家の敵であることは間違いないわ」
『家』、か。最悪だな。
「家督争いか」
「いいえ、戦争よ」
物騒な言葉が出て来た。
「厳密には、権力争いかしら」
もっとドロドロした感じだった。
「……帰る」
踵を返し、階段を目指す。
「あら、一人で帰れるの。意外だわ」
毒舌が止まらない。ほんと嫌な奴。
「五月蠅い」
そう言った直後だった。
「ん?」
目の前。
不気味に笑う別の男が巨大な戦斧を振り下ろしてきた。
百七十くらいある俺の身長。
それがやけに視線が低いことに気づき――そして。
「あなたッ」
彼女が俺に向かって叫ぶ。
臨戦態勢に入り、こっちに走り寄ってくる。
その光景がとりわけ遅く感じた。
ドチャリと生々しい音を立てて俺は地面に落ちる。
苦痛すら感じていない。
血液と内臓が飛び散り、辺りがグロテスクになる。
高笑いする男。神楽坂の攻撃を戦斧で防御した。
何度かの打ち合いを、けれど俺はボーっとしながら見つめていた。
「痛くねえなあ」
ケロッとして目をぱちくりした。
泣き別れしたはずの身体は直立のまま。
神様ってのはこういう時は便利だよな。
「「……ッ」」
異変を感じた二人が互いに距離を取ったのちにこちらに視線を向けてきた。
「でも、なんでだろうな」
神経が繋がっているが如く、動かせる身体。
その場で袈裟懸けに斬られた半身がピョンピョン飛んでいる光景は異様である。
「え」
「はあ?」
袈裟懸けに斬られた上半身が宙に浮き、ピタッと張り付くように元の身体に乗っかった。
傷跡も何も残さずに、俺の身体は元通り。
「退屈しない」
何でもできるという確信で、頭の中にイメージが溢れてくる。
「あ、あなた……」
「お、おまえッ」
表情を変える二人。
男が血相を変えて俺に再び斬りかかってくる。
感じられるのは危機感、奴は今、俺に対して畏怖を感じている。
「るああああッ!」
今度は唐竹割に左右半分に叩き切られた。
が。
逆八の字に割かれていくことなく、頭のてっぺんからスウと身体が引っ付いた。
「……あ、急に退屈になった」
人間やめた神様の俺。
緊張感も臨場感もなくて面白くない。
「じっとしてろよ」
「え?」
彼女を見てそう告げると、頭に思い描くこの建物ごと圧し潰すイメージ。
右手を上に上げ、グッと拳を握る。
「うわああああああああああああっ!」
男が叫びながら何度も俺に戦斧を振り回してきた。
幾度も身体を切り裂かれたが、身体が次第に透過するようになる。
身体を何度も切られるのは気持ち悪いからな。
「じゃあな」
そう一言発して。
右手を下ろす。
「やm――」
男の最期の一言。
この『世界』から元から無かったかのように。
建物ごと消滅させた。
「…………」
神楽坂の周囲に張られた神域結界。
俺の力によって消滅を免れた彼女は、信じられないという目で俺を見ていた。
更地となった地面に足を着ける。
『世界』から消えた六階建ての建物。
俺と彼女以外は誰も知らないし、誰も憶えていない。
「廃墟で良かったな」
俺がそう呟くと、彼女は我に返って。
「ちょ、一体どういうことなのッ、どんな術式を使ったのよッ!」
俺の胸ぐらを掴んで前後に揺らしてきた。
「頭がグワングワンする」
「ふざけないでッ! あなた喧嘩売ってるのッ!」
「売ってもないし買う気もない」
「馬鹿にするんじゃないわよッ!」
揺する速度が倍々になっていく。
首が吹っ飛ぶって。
「あー、じゃあカフェ行くか」
「全部あなたが支払いなさいッ! 未払い代も込みでッ!」
あ、そう言えば。
傍から見れば唐突に消えた二人組だ。
今頃カフェでは混乱が起こっているか、もしくは警察沙汰になっているかもしれない。
「じゃあ」
パチンッ、と指を鳴らすと、先ほどのモノクロの世界。
「な、な、な」
彼女は口をパクパクさせていた。
「さっさと戻ろうか」
いまだ金魚みたいになっている彼女を、俺は手を掴んで引っ張っていく。
緊張、などはなかった。むしろどうでもよいくらい。
はあ……。
神に成ったからって、俺の在り方は何も変わっていない。
俺は自身の退屈なじんせいに、嫌気を抱いた。