レモンティー
服が絞れるほど濡れていた私は、カフェホテルだというこの『ひだまりカフェ』のシャワーを借りた。
ここの制服を借りて、制服を乾燥にかけてくれている間、カウンターでレモンティーを口にする。
「なるほどねぇ…それで落ち込んでいたんだね」
店員だという少年:陽太は、花型の一口クッキーを皿にのせると私の前に差し出した。
隣の席に腰掛けると、陽太はクッキーをほおばり始めた。
差し出されたが食べていいのか、陽太が自分のために用意したのかイマイチわからない。
というか落ち着いてよく考えてみたら、シャワー代、乾燥機代って一体いくらになるんだろう。
ママに話して改めてお礼に来た方がいいんだろうか。
いや、人様に迷惑をかけたなんて話したらきっとまたママに怒られるだろうか。
「こういうことって、初めてなの?」
サクサクとクッキーを食べ進める隣で、私は小さく頷いた。
正直ひまわりさんが社会人なのかどうかさえもわからないけれど、これまで数年にわたって毎回欠かさずコメントしてくれていた。
忙しいのならログイン自体していないだろうし、どうしても理由を考えると行きつきたくない結論にしか辿り着かない。
「もうきっと私の言葉なんて、誰にも…」
「ね!それじゃその作品俺に見せてよ!!」
「えええええ!?むりむりむり!!」
「えーなんで?だって、その作品がどう思われたのか知りたいんでしょ?」
「それはそうだけど…あくまでネットはネットで、リアルの私を知っている人に知られるのは気まずいというかなんというか……」
そう言っている間に、陽太の視線が私のスマホへ滑った。
一瞬の静寂。
気づいたときには、画面を軽くスワイプする音が耳に届いていた。
「……ってめっちゃ投稿してる!!」
「ちょ、私のスマホいつの間に!?いやああああああああやめてええええ」
可愛らしい見た目をしてても結局は男の子だ。
左手で制圧されながら、右手で器用にスクロールして読み進める彼の前では私は非力だった。
彼の気が済む頃には直近の作品は大体読まれてしまったようだった。恥ずかしさで消えてしまいたい。
(もうアカウントごと消そうか。さよなら、私の居場所)
「心ちゃんって、意外とパワフルで繊細だよね」
「え、そう…かな?」
「こう思う、こうしたい!って思いと、でもこう思われたらどうしよう。嫌われたらどうしようって、その狭間にいる感じ」
陽太の一言は実に的確だった。
ずっと刺さって抜けなかったモヤモヤの正体に初めて気づいた。
みんなに好かれるようないいこでいることが、誰にとってもいいことだと信じてきたはずなのに、まるで誰かを欺いているような気がしていた。
それはずっと周りの人だと思っていたが、欺いていたのは他の誰でもない。
「ちなみに俺が一番好きなのはねぇ、、、これかな!」
そういって彼が見せてきたページは作品ページでもなくて、私のプロフィールだった。
投稿サイトに登録した一番最初に書いたそれは、思えばずっと振り返ったことなどなかった。
好きな作品、好きなうた、好きな言葉、好きな季節。これからしたいこと。
プロフィールというよりは今でいう『推し』の紹介というにふさわしいほど、情熱的な文量だった。
明らかに作品よりも長いまである。
誰の目も気にせずに『好き』を語る言葉たちは、今の私よりもずっとキラキラして見えた。
ずっと殺してた、自分のキモチ。
「俺、こっちの心ちゃんのほうが好き」
にっと笑った陽太の顔に、不覚にも胸が跳ねた。
それはきっと、ちょうど乾燥機が終わった音に驚いたせいだ――そう思いたかった。
私は逃げるように制服を取り出し、奥の部屋に引っ込んで慌ただしく着替えた。
借りていた服はクリーニングして返すと申し出たけれど、
「すぐ使うからいいよ」と笑って断られてしまう。
少しだけ後ろ髪を引かれる思いで、カフェのドアへ向かった。
「おっちょうど雨もあがったみたいだね!」
薄暗かった窓からはいつの間にか、葉から滴る雫に反射した日差しが揺れていた。
「忘れ物はもうない?」
陽太の問いに頷いて、私は小さく息を吸い込む。
「……歌、やって…みようかな」
ずっと忘れていた“やりたい”という言葉を、ようやく口にできた気がした。
陽太は少し驚いたように目を見開いたあと、やわらかく笑った。
「うん、やりたいことならやってみなよ。失敗しても死んだりしないんだからさ」
「あはは、それもそうね!ダメで元々、ってね!それじゃいろいろありがとう!」
「うん、またね。心ちゃん」
明るく送り出した陽太に背を向けて、雨上がりの下に歩みを進める。
帰ったら、昔書き溜めた歌詞ノートを探してみようか。
次の週末には、ずっと気になってたギターを見に行ってみようか。
その日の空は、随分高く澄んで見えた。
「お客様にはご満足いただけましたか?陽太」
外での閉店作業を終えた後。
店内に戻るといつの間にか不在だったマスターがカウンター越しに呼びかけた。
「マスター!戻っていたんですね。はい、今回も無事灯りましたよ」
「それはよかったです。ありがとうございます。では、貸していためぇちゃんの制服は洗っておきましょうか。持ってきてもらえますか?」
「はーい……ってあれ?」
きちんと畳まれた制服の上には千円札が2枚とお礼を書いたメッセージカードがおいてあった。
くだけた話し方や繊細な作品とは変わって、やっぱりどこまでも根の真面目さが抜けない彼女の痕跡に、やはり少し笑みがこぼれた。
「やっぱり、真面目で優しい子だな」
そう呟く声が、カフェの奥に静かに溶けていった。




