浅瀬の章 その2
Lovers Ⅰ 浅瀬の章その1の 続編です
-浅瀬の章 その2-
いつものように蕗を探すために 北の浜へ向かう途中
思いがけなく突然にシャチと浅瀬はお互いに愛し合っていることを認め合い
何度も唇が重なりあった後 浅瀬はそっとシャチに地面に下ろされた。
「浅瀬・・・ 集落に戻ったら 鷹に承諾してもらう。
それから 雪崩にも 他の皆にも お前を妻とすることを話していいか?」
シャチの大きな手の平が浅瀬の頬を挟んで じっと返答を待つ。
「・・・はい シャチ 私はあなたの妻となります。」
浅瀬の喉はカラカラだったが しっかりとその声はシャチに届いたようで
真剣な眼差しが和らいで 喜びに輝いた。
「ああ 浅瀬・・・ 俺の女神よ・・・」
はしゃいだシャチは子供のように 浅瀬を再び抱き上げて喜んだ。
「シャチ・・・ お 下ろしてください こ 恐いです。」
高山で 抱き上げられて 高い視界から 下界が見えて 浅瀬はクラクラしてきた。
「おお すまない つい 嬉しくて・・・」
照れ隠しにシャチは 下に降ろした 浅瀬の髪を漉きながら
「一応 蕗にも報告したいが・・・いいか?」
と訊ねた。
「もちろん 今日は見つけることができるかもしれません。 そろそろ行きましょう。」
「ああ。」
再び手を繋いで 歩く二人の間には いままでと違った空気が流れて
時々振り返るシャチの眼差しにも 特別な優しさが溢れていることを感じて 浅瀬は頬を上気させた。
今日ふたりは 東に向かって海岸を歩き始めた。
他の集落の人々も 貝を拾いに来ていたりで 津波の被害があったことなど 忘れてしまったような雰囲気だった。
キャッキャッ
以前のように 子供が浜辺で水遊びをしている
「おや あんた・・・」
子供たちを遊ばせている側にいた女は 先日ボウヤを探してボロボロだった女だった。
「まだ 探していたのかい?」
女は髪をちゃんと結っており 衣服も乱れておらず ずっと若く見えた。
「ええ 彼の奥さんを探しています。」
とシャチを指差した。
「そうだったの 諦めないで さがしなさい。
うちの ボウヤも ほら 帰ってきたんだよ。」
女は幸せでしかたがないという様に顔をほころばせた。
「え・・・ 帰ってきたってどういうことです?」
シャチが 驚いて女に詰め寄った。
「うちのボウヤは津波に一旦流されたんだけど 運良く 他所の集落に保護されていて しばらく寝込んでいたようで
やっと この間 意識がもどって 私を泣いて呼んだそうなんだ。
いまじゃあ すっかり元気になって ほら あそこで遊んでいる子がそうなんだよ。」
女の目から嬉し涙が流れた。
「では・・・では 蕗も どこかで 保護されている可能性もあるんですね。」
「そうかもしれない だから 諦めないで さがしてごらん。」
女はシャチの肩をぽんとたたいて励ました。
「浅瀬 蕗が 蕗が生きているかもしれない。」
「シャチ・・・」
浅瀬は喜ぶシャチを見て 一緒に心から喜びたいはずなのに どうしてもうまく笑顔を作ることができない。
(蕗・・・ 私 なんて 薄情な子だろう・・・ ごめんなさい。)
浅瀬の複雑な心境など シャチは気づかずに どんどん先を歩いていく。
だが その日もなんの成果もなく 二人は集落に戻ることとなった。
少し 遠くまで蕗を探していたため 集落に戻ったときには 皆 小屋造りを始めていた。
浅瀬を見かけた雪崩がすぐに駆け寄ってきて ちらりとシャチを見た。
「浅瀬・・・ おはよう 今日もシャチと一緒だったのだな?」
「おはよう 雪崩・・・」
シャチと一緒にいることを なんと言って答えたらいいものか戸惑っていると
「雪崩 浅瀬は俺の妻となるのだ すまないが 諦めてくれ。」
と横からシャチがそう言い放った。
「シャチ・・・ 蕗が生きてるかもしれないのに・・・」
浅瀬は驚いてシャチを見上げると
「それとこれとは別だ 俺の心はもうお前が中心にいる。 これから 鷹にも話しに行こう。」
と驚き青ざめる雪崩の横をシャチは浅瀬の手を引いて さっと通り抜ける。
「浅瀬! どうしてなんだ・・・ 長の命令だからか? しかたなくなんだろう?」
「ごめんなさい・・・雪崩。 私が シャチを選んだの・・・」
浅瀬は雪崩に対して こころからわびるように見返した。
まわりはとっくにこの騒動に気がついて 小屋造りの作業を中断していた。
「鷹 俺は 浅瀬を妻にしたい 父として承諾して欲しい。」
「・・・シャチ 悪いが 竹取集落の息吹が豚を持って近い内に来るはずなのだ。」
堂々としたシャチの申し出に臆しながらも 鷹は そう言って 手ぶらで申し込みをして来たシャチを回りくどく非難した。
「豚か? なら俺はそれ以上の物を 用意したい 小屋造りが終わったら 狩に行くが それまで 浅瀬を誰にも娶らせないと約束してほしい。」
「豚以上?・・・ほう そうか だが 浅瀬はあちこちから 声がかかってくるのだ ちんけな物では渡せないぞ。」
いやらしく笑う父親に浅瀬はぞっと怖気をふるう。
「当然だ 浅瀬にはそれだけの価値がある。」
シャチも胸に手を当ててそれに同意を示した。
「ちょっと待ってくれ。 俺も シャチ以上のものを用意する自信がある。」
雪崩があわてて 話に割り込んできた。
「お前が? ふん まあ 楽しみにしていよう。」
小ばかにしたように鷹は雪崩を鼻で笑う。
「雪崩 今度の狩は 普段の狩とはちがって単独で浅瀬を妻とするために行くのだ。
誰の助けも借りてはならない できるか?」
シャチの厳しい眼差しに 雪崩は武者震いをおこしたように色めき立ち
「むろん そのつもりだ。 浅瀬 おまえもそれでいいな?
もし 俺がシャチより 大きな獲物を持ってこれたときには俺の妻となることを真剣に考えてくれ。」
「雪崩・・・」
「よし よし お前は なかなか 溢れる河に似て美しく育った親孝行な娘だ。ふおっほっほっほ・・・」
と鷹が場違いにも高笑いをしながら浅瀬の背を撫でてきた。
「触らないでっ! 雪崩 シャチ 私の為になど 無理なことはしなくて良いのです。
私は獲物の大きさで夫を選ぶのではありません。
ましてや 貢物など・・・」
「馬鹿者! 貢物は 妻に贈る物ではないのだ 女をここまで 美しく育てた親に対して贈る物なのだ。 お前が口出すことでは ないわっ!」
急に鷹は青筋をたててまくし立てた。
「やれやれ 勝手に盛り上がってるのはいいが そろそろ 小屋造りに取り掛かってくれ。」
冷めた様子の霧の声で皆 持ち場に戻っていった。
浅瀬もまた皆の食事の用意をしたり 喉の渇きを訴える男達のために 湧き水を取りに行ったりと忙しく働いた。
休憩時間に苔桃を配っていると 霧は不機嫌な顔で それを受け取り
「お前も藤のように 暮らすのではなかったのか?」
と 愚痴った。
「・・・藤も 普通に誰かの妻になることを望んでいたのですよ。」
と浅瀬は 霧に言い返すと
「まさか あの女が?」
と しらけた顔をした。
「藤を馬鹿にするな・・・ 彼女はいつも土くれを見て 寂しそうにしていたじゃないか。」
いつの間にか 兄の海風が 側にいて 霧を諌める。
「浅瀬 おまえ シャチと・・・ おめでとう。」
「海風・・・ ありがとう。」
「だが 男の取り決めは絶対だから もし 雪崩がシャチより 大きな獲物を獲ってきたら お前は雪崩のことを夫にと考えなければならない。
またもしも 万が一 二人とも たいした獲物が取れなければ お前はまた父さんのいいなりに・・・」
兄が言いよどむのを知った浅瀬は
「大丈夫 私 シャチを信じているから。」
と はっきりと応えた。
シャチの元へ行くと
「さっき 霧に何か言われてなかったか?」
と気にしている。
「何も ただちょっと 藤のことを話しただけです。」
「そうか 俺も雪崩のことは言えない ずっとお前を目で追ってしまうようだ・・・」
と苦笑した。
「シャチ 本当に狩に行くのですか?」
「ああ 妻を娶るとは そんなものだ。蕗の夫となった時も 俺の狩の腕を見込まれてのことだった。
お前を失望させはしない。」
力強い意思がその黒い瞳に宿り 浅瀬の胸はじ・・・んと熱く高鳴った。
「無理はしないで・・・くださいね。」
「ああ 小屋もほとんど出来たし 明日には出かけられるだろう。
お前はこの小屋で 待っているといい。」
ほとんど 後は屋根を造るだけとなった小屋を見上げて 浅瀬は顔を赤らめた。
(ここが 新しい私の住まい・・・ もう父の言いなりにならずに済むのだ・・・
そして シャチとのあたらしい生活・・・ 夢じゃないのかしら?)
真新しい 木の匂いが香る新居に 浅瀬の胸は踊った。
夕方になる前に それぞれの 小屋は完成して 早めの宴となった。
「明日は シャチと雪崩が狩に向かう。 狩の成功を山の精霊に祈ろう。」
調子づいた鷹が酒に酔って ふらふらしながら木の杯をあげた。
「おお 山の精霊よ 我らに恵をもたらし給え・・・」
全員で 祈りを捧げる。
(山の精霊よ どうか 二人が怪我も無く 無事に帰ってこれますように・・・)
「海の精霊にも祈ってくれないか・・・?」
シャチがこう言ったので みんな驚いた。
「何? おまえは海に狩にいくつもりなのか?」
「ああ 元々俺は 海の漁を主に生業としてきたのだ。 今回は一人でいくのだから 海に行こうと思っている。」
「それはいい! 海のめずらしい獲物は大歓迎だぞ。」
と鷹は手を叩いて 喜ぶ。
だが 浅瀬は真っ青になって
「海へ・・・? どうして そんな 危険な・・・」
と震えた。
「大丈夫だ 浅瀬。 海も これからは漁の季節だ。 昔の仲間に声をかけて 船に乗せてもらう。
すこし帰りは遅くなるかもしれないが 楽しみにしていろ。」
「シャチ・・・ 無理をしないで。」
泣きそうな浅瀬の肩を抱いて シャチは心配するなと宥める。
「さあ せっかく小屋が出来ているのに 残念だが おまえはまだ俺の妻になっていないから まだ一緒の床に就くことは出来ない。 月篭りの小屋まで送ろう。」
滲んだ涙を指で拭って シャチは浅瀬を休むよう促した。
「・・・はい。」
シャチに伴われて 集落を離れる浅瀬を食い入るように見つめる雪崩。
「残念だが シャチが海に狩に行くとなるとお前に勝ち目はないな。」
霧がからかう様に声を掛ける。
「何を・・・ 海の狩はむずかしいと聞いている あのシャチだとて 何も取れずに帰ってくるかもしれないだろう?」
キッと剥きになって 雪崩が言い返すと べろんべろんに酔った鷹も
「その通り! 海は大きな幸ももたらすが 狩人を食ってしまうかもしれん
シャチの奴 生きて帰ってこれるかどうか? ふぁはっははっははは・・・」
鷹の高笑いに すっかり その場は白けて 宴はお開きになった。
浅瀬はまだ 不安の涙が止まらず 何度もシャチに海にだけは行って欲しくないと訴え続けていた。
月篭りの小屋に着いても
「どうしても海じゃないと駄目なの?」
と大粒の涙を溢れさせる浅瀬に
「俺の女神よ・・・ 信じるんだ。」
と抱きしめて 口付けをした。
甘く 深い口付けに やっと浅瀬は落ち着いて
「わかりました 信じます だけど 絶対に無理をしないで・・・」
「ああ わかっている。 お休み 我 妻よ。」
「シャチ・・・おやすみなさい。」
妻と言われて ボーっとその後姿を見送っていると
「ったく どうして こう洞窟集落の女は手が早いのかしらね・・・」
とすぐ背後で椿のぼやきが聞こえた。
「つ 椿・・・聞いてたの?」
顔を真っ赤にしてうろたえる浅瀬に
「聞いたっていうか しっかり 見てたけどね。」
と苦笑いをされた。
「す すみません・・・ こんなところで・・・」
ともじもじ謝罪をする浅瀬。
「まったく この神聖な女の園に いちゃいちゃ 考えられないわっ これだから しつけのなってない子供は嫌よ。」
と言われて ますます 浅瀬は身を縮みあがらせて 謝った。
「本当にごめんなさい わたし 月篭りのルールあまり知らなくて・・・ もっとちゃんと蕗や藤に聞いておけば良かったです。 許してください・・・」
手を合わせて椿に許しを請う浅瀬に 椿は ふっと顔を緩ませて笑い。
「馬鹿ね 謝ることないんだよ。
おめでとう 良かったね 浅瀬。」
と頭を撫でてくれた。
「ありがとう 椿・・・」
それから 浅瀬は椿に妻になる心構えと 狩に向かう男達にするまじないの仕方を教えてくれた。
「いいかい 今回はあんたをめぐって争う狩なんだろう?
あんたは あくまでも私情をおさえて シャチにも雪崩にも平等に祈らなければならない。
少しでも シャチに もしくは 雪崩の方に 勝って欲しいと願ったら 災いを呼んでしまうんだよ。」
「はい わかりました。」
真剣に浅瀬は椿の教えを頭に刻み込んだ。
浅瀬は 夜明け前に 冬の音の洞窟を訪れて
まじないの際につかう 精霊の塩を分けてもらった。
「男達の額に この塩を押し当てて 祈るのだ。出来るかい?」
「はい 出来ます。」
浅瀬は冬の音にお礼を言って 体を清めさせてもらうとすぐに集落に向かって行った。
朝焼けの中 既に雪崩もシャチも身支度を整えて 狩の前の祈りを捧げていた。
「狩人たちよ そこに座りなさい。」
朝日を背に浅瀬が現れたのを知り 雪崩もシャチも恭しく跪く
「雪崩 額を上げて・・・」
いわれるがまま 雪崩は顔を上げる
「雪崩よ そなたの上に 多くの山の恵みがあることを祈ろう
そして 山の精霊が そなたを無事に返してくれるよう祈ろう。」
浅瀬は心から雪崩が無事に戻ることを祈りながら その額に祈りの塩を押し当てた。
そして シャチの前に立ち
「シャチ 額を上げて・・・」
シャチも真摯な態度で 浅瀬を見上げる。
「シャチよ そなたの上に 多くの海の恵みがあることを祈ろう
そして 海の精霊が そなたを無事に返してくれるよう祈ろう。」
シャチに対しても 同じ分だけ強く 無事を願い 同じように塩を額に押し当てた。
「よし では 二人とも 次の満月までには戻るのだぞ
満月を過ぎたら その後にどんな大きな獲物を持ってもどっても 約束を反故にしたとみなして 先に戻ったものを勝者とする。
また 戻らなかった場合もそうだ いいな?」
鷹が珍しく神妙な顔をして 二人に確認をする。
「ああ それで結構だ。」
とシャチは言い。
「無論 承知している。」
と雪崩も 請け負った。
シャチは北へ そして 雪崩は南へと それぞれ 旅立ち 残った浅瀬は 二人の無事を祈りながら 土饅頭の花を取り替えたり
残った男達の食事の世話などをした。
「父さん そろそろ 北の浜へ抜ける道も 通り易いようにしないか?」
「・・・そうだな 竹取集落の男も こっちから来るだろうし 豚を連れてだからな。」
理由はなんであれ 北の浜への谷間の道の流木を残った男達で取り除くことになって 浅瀬は 提案してくれた兄の海風に感謝をした。
「お前が シャチの帰りが気になるかと思って・・・ まあ 俺はこれくらいしかできないから。」
「海風・・・ありがとう。」
兄の優しさに嬉し涙がこぼれる浅瀬。
それから 数日経って 元のように北の浜へ容易に行けるようになって 浅瀬は 蕗の捜索を再開しながらも シャチと雪崩の帰りを待った。
その間 幾人かの男が他の集落からやってきて 鷹に土産を持ってきたが
「次の満月までに 浅瀬の婿候補達が 大きな獲物を持ってくるから それを見てから返事をしたい。」
と 自慢げに 話していた。
それでも にわかに 婿候補として男達が貢物を携えて 置いていくので 毎日上機嫌であった。
浅瀬はそんな父を見ているのも嫌で ほとんどを北の浜へ行ったり 冬の音の洞窟を訪れて 狩人たちの無事を祈ったりして過ごしていた。
そして夜になると シャチの家ではなく東の洞窟に寝泊りをするようになった。
日中は シャチの小屋も 雪崩の小屋も同様に 掃除をしたり 空気の入れ替えをしてはいるが 決して寝泊りはしないで置いたのだ。
(シャチはああ言ったけど 二人が戻ってくるまでは 災いを呼ばないようにしていたい・・・)
「まだ 見つからないのかい・・・」
海岸で子供をつれた女に会うたびに
「ええ でも きっと見つけます。」
浅瀬はそう言って 貝やウニを採りながら 帰る。
残った男達は シャチ達が大物を持ち帰るのを期待して ほとんど狩に出かけないからだ。
海風は すまながったが 足が悪いので 父親の鷹が腰を上げない以上 動くことも出来ない。
「いいのよ 兄さん どうせ 毎日 蕗を探しに行ってるのだもの。」
兄はその代わり 狩道具の直しや 新たな槍などを作って 集落の倉庫に収める日々を送っていた。
暇そうにしているのは 父の鷹と 年寄りの霧だけだ。
いや鷹は鷹で 浅瀬を妻にとやってくる男達の応対に忙しかったのかもしれないが
浅瀬はほとんど 新たに増えるみやげ物でその訪れを知るだけで 普段は集落にいなかったから 父のほくほく顔を見るたびに嫌気がさしていた。
「まもなく 満月だな・・・ 」
兄の海風が夕食の火を熾しながら呟く。
「うん・・・」
まだ 雪崩もシャチも戻らず その噂さえ耳にしなかった。
浅瀬は次第に大きくなっていく不安を胸に抱えて どんどん寡黙になっていた。
「大丈夫だ 二人ともきっと戻ってくるさ。 おまえはただ妻になる心の準備だけしていればいいのだ。」
「海風・・・」
それから まもなく また月篭りの日がやってきて 浅瀬はひさびさに小屋にやってきた。
「ひさしぶりね 元気だったかい?」
今回は 椿が先に来ていて もう一人 年配の別の集落の女も迎えてくれた。
「おお あんたは洞窟集落の浅瀬だね。シャチと雪崩の噂は聞いているよ。 まだどちらも帰ってこないのかい?」
「はい・・・そうなんです。」
あまり元気のない浅瀬
もちろん月の篭りに入ったため 体調も優れなかったのだが それだけではない・・・
「大丈夫さ ここに居る時はそんなこと 忘れて 心を落ち着かせるんだよ。ああ イタタタ・・・」
年配の女が浅瀬の頬を優しく撫でながら 顔をしかめる。
「胡桃姉さん まだ腰が痛いのかい?」
「ああ もう 月の篭りも 無くなると思ってたのに ひさしぶりに来ちゃってね・・・」
「月の篭りって 無くなるんですか?」
「ああ 年取ると もう子供も産まなくなるからね あんたはまだまだ これからだけど あたしゃもうそろそろカンベンしてほしいのさ。」
と胡桃という女は大儀そうに小屋の中に移動したため 浅瀬は肩を貸しながら 一番柔らかそうな敷き藁のある場所に胡桃を横たえらせて その背中を擦った。
「私は全然 楽だから いつまでも月篭りは あってほしいわ。」
と元気な椿も 一緒に胡桃の横に座り 浅瀬と一緒に 年配者の背中を撫でて労わった。
「そんなこと言ってても 子供を産むと 変わるんだよ・・・ああ 少し楽になってきたよ・・・ ありがたいね・・・」
気持ち良さそうに 胡桃はいつしか寝息を立てだした。
ザクザクッ・・・
「あら 新客かしら・・・?」
小屋に誰か近づいてきていた。
コンコン・・・
「・・・シャチじゃないの? ノックするなんて 月篭りに来た女じゃないわ。」
椿がそう言うので 浅瀬は逸る(ハヤル)気持ちを抑えながらドアを開けた。
「浅瀬・・・」
「兄さん・・・」
「あら 浅瀬のお兄さん?」
少しがっかりしたような椿。
「雪崩が戻ってきた・・・ イノシシを持ってきている。」
「雪崩が?」
雪崩にしては かなりのお手柄であった。
浅瀬は兄と共に 集落に戻ると 無駄な肉付きが落ちた少し精悍な面立ちに変わった雪崩が自信に満ちた顔で立っていた。
「浅瀬 もどったぞ。」
「雪崩 無事に戻ってくれて 嬉しいです。」
浅瀬は ほっと胸を撫でおろし 微笑む。
「見てくれ この大猪を。」
雪崩が 傍らに置いてある猪をさして自慢する。
「一人じゃ持ちきれなくて 竹取り集落の滝と海鳴りに手伝ってもらったんだ。」
話によるとギリギリ満月になるまで 狩を続けて それまで 小さな獲物は取れていたのだが 大物を狙って粘り続けていたらしかった。
「ああ 小物は不要という雪崩から 沢山の兎や 肥えた鳥を貰えて こっちも大助かりだったよ。」
滝と海鳴りを加えて 再度晩餐を繰り広げることとなった。
「いやあ 見直したぞ雪崩 お前が先にこんな見事な大猪を取ってくるとは思わなかった。」
手の平を返したように 鷹は笑い。
「この間 きた小さな豚とは大違いだ はっはっははは。」
と大笑い。
竹取り集落の滝と海鳴りは 自分の集落の男が豚を持って 鷹の元に訪れていたのを知っていたのでちょっと複雑な顔をしていた。
「ところで シャチの噂を耳にしたんだが・・・」
海鳴りという男は よく海へ漁をしに行くらしく そこで他の仲間からシャチの噂を耳にしたそうなのだ。
「どうやら 沖に出る大きな船に乗ったらしいよ。 まだ一隻も戻ってはいないそうだ。」
「どんな大物を持って帰っても 満月まで戻らなければどうしようもないな・・・」
鷹は少し不安そうに目を泳がせた。
「貢物なんてのは どうでもいいが 無事に帰ってくるといいな・・・」
海風がそう言ってくれた。
「うん・・・」
(本当に そう・・・ 無事に戻ってきさえしてくれたら 何にもいらないのに・・・)
月篭りの小屋に戻ろうとした時
「浅瀬・・・」
と 雪崩に呼び止められた。
「お疲れさま 雪崩。 すごく大きな猪 びっくりしたよ。」
浅瀬がそう労うと
「お前の為に俺は命を懸けた・・・ もし シャチがもっと 小さな獲物だったり 戻らなかったりした場合は 心構えをしていてくれ。」
「・・・はい わかりました。」
今度こそ 浅瀬は覚悟を決めて頷いた。
月篭りに入って3日目 とうとう満月の夜がやってきた。
「浅瀬 迎えに来たよ。 今宵は満月の夜 このまま シャチが戻らなければ お前は俺の妻となる儀式を明日の朝 行ってもらう。鷹にも了承すみだ。」
浅瀬は無言で頷いて 冬の音の言葉を思い出していた。
――浅瀬 おまえはまだまだ子供だが 後 満月を2つ経験をしたら 妻になれるよ。――
やはり 私の夫は雪崩だったのだ・・・
浅瀬は雪崩の背中を眺めながら シャチと手を繋いで歩いた日々を思い出していた。
夕食の火を囲んだ男達は 浅瀬を快く迎え
「浅瀬 明日はもっと着飾って 床入りの用意をせねばなるまい。」
と からかった。
(みんな シャチのことなど忘れたように・・・)
浅瀬は辛くて しばらく供えていなかった花を摘みにその場を抜けた。
高台の 賑わいとは別にシ・・・ンと静まる 土饅頭の並ぶ旧集落・・・
浅瀬は 藤の土饅頭から順に 花を供えていった。
「藤・・・私 明日 とうとう夫を持つことになりそう・・・
でも 全然 その覚悟が出来てないの・・・」
それから もっと下に降りていって 馬の背や 土くれ達の土饅頭に近づくと 先客が暗闇の中に蹲っていた。
「土くれ お前の母を連れてきたぞ・・・」
ジャラ・・・
先客は 土くれの揺りかごに何か光るものを入れた。
「そ それは・・・?」
浅瀬が駆け寄って覗き込むと
それは懐かしい 蕗の赤い勾玉の首飾りであった。
「浅瀬 俺は蕗の痕跡を見つけたぞ・・・ そして お前とのことを報告したよ。」
「シャチ・・・ああ・・・ 戻ってきてくれたんですね・・・うっううっぅう。」
浅瀬の頬から幾筋もの涙が溢れ 愛しい人の胸に頬をうずめた。
「どうしたのだ 浅瀬 何を泣いている・・・ お おまえは シャチ!?」
浅瀬の泣き声に 高台に居た男達が様子を見に来た。
「遅くなったが なんとか 満月に間に合ったようだ。」
「シャチ・・・ もう戻らないかと思っていたぞ。」
鷹はキョロキョロしながらも そう言った。
「鷹 心配するな 貢ぎ物なら 北の浜に置いてきてある。」
「北の浜だって?」
そこで 夜半ではあったが ぞろぞろと皆で 北の浜まで向かった。
「この道 通しておいてくれて 助かったよ。 実は今宵の満月に間に合わせようと何日も寝ていないのだ・・・」
たしかにシャチは疲れきったようにふらふらしていた。
「シャチどうぞ 私にもたれかかって下さい。」
浅瀬はシャチに肩を貸すと
「俺が代わろう・・・」
と 雪崩がシャチの脇に入ってくれた。
「すまない・・・ お前が先に帰っていたんだな。」
「ああ だが きっとシャチも戻ってくると信じていた。」
「・・・たくましくなったな 雪崩。」
と シャチが改めて 自分を支える雪崩に感心すると
「そうだろ?」
と 雪崩は笑う。
「シャチ 俺はあんたが戻ってきた時点で 浅瀬を諦めることにしていたんだ。
あんたが何を持ってこようと 浅瀬の心にあるのは あんただ・・・
ただ もしも万が一 帰ってこなかった時は・・・と そんな風に思っていたんだが それは杞憂に終わったようだな。」
浅瀬は 雪崩の心の内を知り 至極感動した。
(私 もし 蕗が精霊に迎えられてなかったら ちゃんと雪崩と幸せになっていたかもしれない・・・)
とふと考えた。
「雪崩よ 俺を馬鹿にするな ふふ ちゃんと貢物は用意してきた・・・」
程なく 北の浜に着いた一行は そこに大きな船影をみることとなった。
「おお あれが船というものか・・・」
霧も鷹も感心して 近づいていく。
「ずっと漁を手伝った御礼に 一隻貰い受けたのだ。」
「すごい これなら 走らなくても漁ができる・・・」
海風が喜んで 船を眺める。
「ああ 海の漁の仕方を伝授するぞ 海風。」
「こ これはなんだ!?」
鷹が腰を抜かして 船から引き下がる。
「何を驚いている お前達は これを見たことがないのか? これほど婚礼の席に似合いの貢物はないぞ。」
浅瀬も船に近づいてみると 大きな船のそこに どでんと横たわる 愛嬌のある獲物を発見した。
「み 見たことないわ・・・ なんて言うの?」
浅瀬もあまりの大きさに父の鷹が腰を抜かしたのも無理はないと納得した。
「これは マンボウというのだ。無数の卵を産む 肉の最高に旨い魚だ。」
「魚だって? この馬鹿でかいのが?」
霧が素っ頓狂な声をあげる。
「ははは 霧よ クジラはもっとでかいのだ この位で驚いていてどうする?
本当はクジラくらい持ってきたかったのだが さすがにここまでは持ってこれない
クジラ漁に付き合っているうちに マンボウが網にかかってな 持ち帰ることが出来たんだ。」
「すごい・・・ 負けたよ。 シャチ 俺にも漁を教えてくれ。」
「ああ だが 海は恐ろしいところでもある 蕗の勾玉の首飾りも サメの腹から出てきたのだ・・・」
「サメ・・・?」
「ああ 凶暴で大きな 人をも襲う魚だ。 おそらく 遺体になって漂っている蕗を食ったのだと思うが
俺達の漁場を荒らしに来るそいつを仕留めて 捌いた時に出てきたのだ・・・」
「シャチに見つけて欲しかったのね・・・」
「ああ おかげで俺も 無事に帰ってこれたような気がする。」
シャチの暖かい手が浅瀬の手をそっと握り
浅瀬は やっとシャチが帰ってきたことを実感することが出来た。
男達がはしゃいで 船からマンボウを引きずり降ろす傍らで 疲れきったシャチは浅瀬と浜辺に腰掛ける。
「浅瀬よ 遅くなってすまなかった・・・ まだ 俺の妻となってくれる気持ちはあるか?」
「はい シャチ。」
太陽が東の空を紫色に染め
波が穏やかに 煌き はじめる。
「浅瀬 マンボウが何故 婚礼の場に最適か わかっているか?」
ふと いたずらっぽく シャチが訊ねる。
「さあ・・・ 私はまだ 子供ですから 物をしりません。」
浅瀬は なんとなく気づいていたが 恥ずかしくて 応えようもない。
「それもそうだ・・・ では 俺が 教えてあげよう・・・」
と そっと妻の耳に唇を押し当てた。
浅瀬の章 その2終
拙い文章を最後まで読んでくださってありがとうございます




