3.皇太子 アルフレッド・フォン・クラウス
書類審査を突破した、皇太子妃の候補が続々と皇宮へと到着する。
入口には豪華な馬車の列が並んでおり、人々が慌ただしく荷物を運んでいる。
そして、そのすぐ近くには、華やかなドレスを纏った令嬢たちの姿があった。彼女たちは、使用人たちを引き連れて、宮殿へと足を踏み入れていた。
広間は候補者たちの到着により活気づいていた。
そんな光景を、宮殿の3階から眺める1人の男性がいた。
⎯⎯⎯⎯ついに皇太子妃選抜が始まるのか。
そう実感は湧くが、彼の胸の中に沸き立つものは特になかった。
「いよいよか〜。女性に興味がないアルフレッドに、婚約者ができるなんて想像できないな」
壁に寄りかからながら腕を組んでいる彼、ウィルフレドは、宰相の息子であり、幼い頃からよく一緒に過ごしてきた仲だ。
「……うるさい」
アルフレッドはぶっきらぼうに返し、すぐに机の上にある書類に目を落とす。
「自分のことなのに、他人の事のように興味無さそうだな」
そんなアルフレッドの様子を見て、ヴィンセントは呆れたように笑う。
「まあ、皇太子妃にふさわしい人なら誰でもいい」
そのアルフレッドの言葉に、ヴィンセントは眉をひそめた。
「でも、これから一生を共にする相手だろ? それなら、自分が少しでも良いと思う人と結婚したいとは思わないのか?」
「国のためだから、そこに私情は入れてはいけない」
アルフレッドは迷いなく答える。
感情を捨てることは、皇太子として当然の責務だ。
「はあ、お前も頑固だな…」
ヴィンセントは、溜息をつき苦笑した。
「結婚で、お前が少しでも幸せになってくれたらいいんだけどな」
そう言われたが、アルフレッドは何も返さなかった。
ただ王太子としての務めを果たす日々。
結婚も一緒だ。ただ国のためになるのなら、それ以上でもそれ以下もない。
その時、ドアがノックされた。
「入れ」
アルフレッドがそれに応じると、執事が静かに部屋に入ってくる。
「皇太子様、皇太子妃候補者のご令嬢方とのご挨拶の場がございます。準備をお願いいたします。」
「ああ、ありがとう。今向かう」
短く返事をすると、執事は一礼して部屋を出る。
「いつもの仏頂面じゃなくて、ちゃんと笑顔も見せてくるんだぞ」
ヴィンセントが茶化すように言う。
「余計なお世話だ」
アルフレッドは一言だけ返すと、かけてあった上着を羽織り、執務室を後にした。
***
挨拶の場が設けられたのは、重厚な扉の向こうに広がる壮麗な謁見の間だった。
高くそびえる天井には、繊細な彫刻が施され、壁には歴代の王の肖像画が並んでいる。
中央には絹の敷かれた長い絨毯が伸び、その先には国王と皇后が並んで座っている。
「父上、母上、お変わりございませんか?」
アルフレッドは、静かに頭を下げる。
「ああ、変わりないよ」
国王は頷き、皇后も優雅に微笑み返した。
「アルフレッド、あなたが興味無さそうにしていたから先送りにしていたけれど、この国のために皇太子妃を迎えるのですよ」
アルフレッドが隣の席に着席するなり、隣にいる皇后からそう告げられる。
「…わかっています」
アルフレッドは小さく頷く。
「私たちが恋愛結婚だったから、アルフレッドもそうしてほしかったのだけどね」
「そうだな、私達は一目惚れだったからな。舞踏会で君と目があった時、ずっと見つめてしまったよ」
「ふふふ、あの時は見つめ合いすぎて、周りが困っていましたものね」
いつもは厳格な国王と皇后が、昔の思い出に花を咲かせ笑い合う。
「今回の選抜で、せめて信頼のできる方を選びなさい。共に国を良くしていける方と」
皇后は、いつもの力強い目でアルフレッドをまっすぐ見つめる。
「…分かりました」
アルフレッドはそう返すと、視線を落とす。
父と母を少し羨ましく感じるが、自分には恋愛など無理な話だろう。そんな感情など、とうの昔に捨てたのだから。
その時、扉の前にいる従者が声を上げた。
「王太子妃候補様の御入場です!」
その声と同時に、重厚で大きな扉がゆっくりと開かれた。
華やかなドレスを纏った令嬢たちが、歩みを始める。
彼女たちの後ろには、それぞれ数人の使用人が控えている。
「みな、王宮までご苦労であった。」
令嬢達が3人の前に着くなり、国王の重みのある声が響く。
「3ヶ月の間、この国の皇太子妃にふさわしい方を見極めさせていただく。どうか悔いのないよう、精一杯努められよ」
候補者たちは、一斉に頭を下げる。
「では、一人一人挨拶をお願いしたい」
国王の声に促され、1人の令嬢が1歩前に進み出る。
「私から挨拶させていただきます。シュトラール伯爵家の娘、リディア・シュトラールでございます」
最初に前へ出たのは、淡いブルーのドレスを纏った、凛々しい雰囲気の令嬢だ。
「よろしくお願いいたします、リディア嬢」
アルフレッドは、淡々と形式的に返事をする。
続いて、候補者たちが1人ずつ丁寧に挨拶を交わしていく。
どの令嬢もみな、美しく聡明だが、アルフレッドの胸は以前と冷えきったままだ。
ただ、無表情で淡々と応答するだけだった。
そして、最後にピンク色のドレスを纏った令嬢が前に進む。
令嬢の後ろにいた2人の使用人も前に出る。
その時、アルフレッドは1人の女性に視線が吸い寄せられた。
令嬢の右斜め後ろに立つ、黒髪の使用人。
歩く姿も、立ち姿も、指先の動きにいたるまで、優雅で美しい。
なぜだか、アルフレッドは、彼女から目が離せなかった。
(使用人にこんな優雅な所作できる者がいるのか…?)
信じられないような気持ちで、アルフレッドは彼女をじっと見つめた。
「ヒューズ公爵家の娘、アンジェラ・ヒューズでございます」
アンジェラ嬢とその後ろの使用人たちが、頭を下げる。
「顔を上げよ。王宮までご苦労であった」
国王がそう告げると、伏せていた顔がゆっくりと上がる。その時、その使用人とバチッと目が合った。
目の下には少しクマがあり、顔色も悪く青白い。
だが、その瞳はとても力強い目をしており、吸い込まれそうなほど輝きを放っていた。
「では息子よ、お前も挨拶をするんだ」
「……」
国王がアルフレッドに挨拶を促すが、アルフレッドは黙ったままだった。
「アルフレッド! 挨拶は!」
皇后に腕を掴まれ、アルフレッドはハッとする。周囲の視線が自分に集まっていることにようやく気づいた。
「……申し訳ございません。アンジェラ嬢、3ヶ月間よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」
アンジェラ嬢はふんわりとやわからなほほ笑みを浮かべる。
そして、アンジェラ嬢とその使用人は元の位置へと戻って行った。
華やかな格好をしている令嬢より何故か目が引かれるその存在。
(……あの使用人は何者だろう)
アルフレッドはその後も、その使用人をじっと見つめていた。
***
「気になる令嬢はいたか?」
謁見の間を出たアルフレッドに、ヴィンセントが現れニヤつきながら肩を叩いた。
アルフレッドの頭の中に、ふと先程の使用人の姿が頭によぎる。
「……」
「お?その沈黙はなんだ? もしかして気になる令嬢でもいたのか!?」
「違う」
ウキウキと問い詰めるヴィンセントに、アルフレッドは即座に否定する。
「どの令嬢なんだ? 俺もサポートしてやるから!」
「……黙れ。お前がそうやってしつこいから、女性に人気なくせに婚約者がいないんだろ」
「…なんだと! 親友なのに酷いじゃないか…昔はあんなに可愛かったのに…」
ヴィンセントはわざとらしく涙を拭う仕草をめせるが、アルフレッドはそれを無視して歩く。
自分の執務室へと戻ると、机の上には分厚い書類の山が積まれていた。
アルフレッドは椅子に腰を下ろし、手元の書類に視線を落とす。
ふと過ぎるのは、あの優雅な立ち振る舞いと力強い瞳。
(…余計なことを考えている暇は無い)
アルフレッドはそう考えを振り払うと、再び机の上の書類に向き合った。
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