1.皇太子妃選抜の知らせ
朝の陽光が街を包み込み、市場では元気よく張り上げている声が聞こえ始める。
行き交う馬車、駆け足で仕事や学校へ向かう人々、街は今日も活気に満ち溢れていた。
そんないつも通りだと思われた日常に、それは突然の知らせだった⎯⎯⎯⎯
「速報! 速報だ! 皇太子妃選抜が始まるぞ!」
新聞を抱えた少年が、大声を上げながら街を駆け出す。その声に、人々は足を止める。
「なんだって? 皇太子妃選抜?」
「そんな話、今まで聞いたこともないぞ!」
「ついに皇太子様が結婚するのか!?」
王都は瞬く間にざわつき、広場や市場ではその話題でもちきりになった。庶民が驚きと興奮で騒ぐ中、貴族たちの間ではさらに大きな波紋が広がっていた。
「まずは書類選考と聞きましたわ! 早く準備を!」
「一族の名誉がかかっているのよ!」
「皇太子様のお隣に立つのはこの私よ…!」
貴族の屋敷では令嬢たちが浮き足立ち、侍女たちは書類や衣装の準備に走り回る。誰もが必死になっていた。
——そんな喧騒の中で、優雅に新聞を広げている女性が1人いた。
「ふうん……皇太子妃選抜の実施するのね」
朝の穏やかな陽射しが差し込み、鳥のさえずりが聞こえる庭で、私は『皇太子妃選抜、急遽始まる!?』と一面に書かれたページを冷めた顔で眺める。
「ま、私には関係ないわね」
私はゆっくりとお茶を飲みながら、すぐに次のページへとめくる。
「お嬢様だけですよ。こんなに落ち着いていらっしゃるのは」
微笑みながら話しかけてきたのは、私の侍女であり、乳母のような存在であるルイーゼだ。元々は母の侍女だったが、母の死後も変わらず私の世話を続けてくれている。
「フェシリティお嬢様も公爵令嬢ですから、皇太子妃候補の1人ではありませんか。」
「まあ、そうなんだけど、私、皇太子妃なんて興味ないもの」
私は肩をすくめる。
「そもそも、貴族の家門ごとに、候補者は一人だけよ。確実に妹が選ばれるに決まってるわ」
「……そうですが、アンジェラ様よりお嬢様の方が絶対にふさわしいですのに」
ルイーゼは、納得できないかのように、手に持つポットをぎゅっと握りしめる。
「いいのよ、私はただ静かに自由に暮らしたいの。皇太子妃なんてまっぴらこめんよ」
私はカップを置き、軽く伸びをする。
その時、テーブルの上に小さな鳥が舞い降りた。
「あら、可愛い!あなたも朝食の時間?」
指を差し出すと、小鳥はぴょんと飛び乗ってきた。
私はくすっと笑い、鼻歌を口ずさみ始める。
それに合わせるように、小鳥が私の周りをふわりと飛び始めた。
私は立ち上がり、ルイーゼが心配する声をよそに、私は小鳥と庭でくるりと回ったり走ったりして、小鳥と遊ぶ。
「はあ~、気持ちいい朝だわ」
私は木に腰掛ける。
すると、小鳥は軽やかに羽ばたき、私の背丈の2倍はある壁を超えて、飛んで行った。
「……私もあの鳥のように自由に飛びたい」
私はボソッとつぶやき、ぼんやりと壁を見つめる。
***
空がオレンジ色に染まる頃、私は鼻歌を口ずさみながら、庭で摘んだ花を手に取り、自室の花瓶に生けていた。
その時、コンコンとなり、ルイーゼが入ってきた。
しかし、その表情はいつもより沈んでいる。
私はその様子に、これから彼女が言おうとしていることを何となく察した。
「…お嬢様、本館での夕食に招待されております。話したいことがあるから、久しぶりに4人で食べようとのことです…」
その瞬間、私の顔から表情が消える。
「はあ…最悪の気分だわ」
私は深いため息をつく。
大嫌いな父、継母、妹と同じ空間で食事をしなければならない、それを想像だけで虫唾が走る。
これまで彼らにやられた嫌な思い出が、まるで昨日の事のように蘇る。
「はあ、どうせ皇太子妃候補の話でしょう? 手紙で済ませればいいのに」
わざわざ彼らが食卓に呼ぶ理由なんて、決まっている。きっと、妹のアンジェラが、皇太子妃選抜の候補が自分になったことを私に自慢するためだろう。
いつもそう、私を見下し、貶め、妹が優位に立つための場——それだけだ。
しかし、断るわけにもいかない。
「ルイーゼ、身支度を手伝ってくれるかしら?」
「…かしこまりました」
私は淡い色のドレスを纏い、母譲りの金色の髪をルイーゼに整えてもらう。
「お嬢様…! 本当に美しすぎます…!」
ルイーゼが、私を見て感嘆したように息を漏らす。
「ほんの少し身支度を整えただけですのに、本当に輝いています……!」
「褒めすぎよ、ルイーゼったら親バカね!」
私は軽く笑いながらも、鏡に映る自分を見て気を引き締める。
「そしたら、そろそろ行ってくるわ」
私は覚悟を決めた面持ちで、本館へと向かう。
長い石畳の道を抜けると、離れとは比べ物にならないほど大きく華やかな建物、本館が現れる。
豪奢な装飾、煌びやかなシャンデリア——まるで私を拒むような輝きがそこにはあった。
私と母がここで過ごしてきた頃とは、全く雰囲気が変わってしまったと、改めて実感する。
やがて、私は豪華な食堂の扉の前に着いた。
(さっさと美味しい食べ物を食べて、話を聞いて、直ぐに帰ろう)
私はそう心に誓い、ゆっくりと開く扉を見つめる。
豪華な食堂の扉が開くと、そこには私の嫌いな人達の姿があった。
「あら、お姉様。久しぶりね」
「元気にしていたかしら?」
妹が優雅に微笑みながら、楽しげに私を見つめる。その隣では継母が上品に微笑みながら、その目は一切笑っていない。
「遅い。早く座りなさい」
父は無関心のように、冷たい目を向けるだけだった。
——本当に、この人たちの顔を見るだけで、吐き気がする。
私は胸の奥の嫌悪感を必死に押し殺して、1歩踏み出した。
これから、彼らに何を言われるのかは、大体予想がついていた。
しかし、それが今後の私の運命を変えることになるとは——このときは、まだ知らなかった。
読んで下さりありがとうございます(*ˊᵕˋ*)