第8話
「はっ、はっ、はっ、ハァ……」
日照りのヒドイ甲板で日光が俺の肌をガンガン焼いていく。
体力鍛錬に必要な基礎体力作りの為に、地獄耐久マラソンは日頃から行われ、俺の体からドバドバと汗が滴り落ちた。
完全装備でクソ重たい模擬銃を肩から下げて、今にも膝から潜れ落ちそうだった。
ドラゴ乗りになぜこの様な歩兵まがいの訓練がなぜ必要になってくるのかと言えば、簡単な話で、ドラゴが戦場で機能不全を起こした時、ドラゴを脱ぎ捨てて帰還する為のサバイバル技術が必要とされるためであり、戦場で生存する為の大事な訓練だった。
『もうバテタのかい。君は戦場では屁っ放り腰の弱虫君で行くのか? 。死にたくないなら必死で体力をつけるんだ』
「……サー・イエス・サー」
俺は背嚢を担ぎ直し、重い体を引きづって走る。午前中からキツイ訓練だ。
ただでさえ体力のない俺に、こんな兵隊まがい、まあ傭兵と言う立派な兵隊に成り下がったのだが、ドラゴ乗りにこんな訓練は必要なのだろうか? 。
チラリと甲板で俺と同じ訓練をしている柊は同様に汗だくで、でもどこか清々しいと言った笑顔で走っている。
別の場所では、ベンチプレスをしている葛藤さんがいるし、マリファナ女こと紙白は生身での狙撃訓練をしていた。
仕方ないと言えば仕方ないのだ。ドラゴの運動機能は操縦士の運動能力に依存している。いくら筋肉アクチュエータが動きを増幅して超人的な運動機能性能を持っていたとしても、起点となる動きが微細過ぎた場合には、軟殻がその運動を感知せずにマネキンのように突っ立っている事がドラゴにはある。
俺も乗り始めぐらいにそれは感じていた。時折体を動かしたとしてもドラゴに運動姿勢がフィードバックされない、反応がない時が。
要するに操縦士の動きが不十分、操縦士の運動エネルギー不足で起こるエラー。
『マネキン』とか『マグロ』とかドラゴ乗り界隈で言われているドラゴ操縦における重大なエラーで、それの回避の為に、こうした運動能力強化が必要なのだ。
運動能力の強化、そして生還サバイバル技術の強化、その2点がこの午前中の体力鍛錬の主な目的だ。
『もう模擬銃が重くなったのかい。本物の小銃はもっと重いぞ、倉敷君』
班長のドラゴが俺のノロノロ走りに追走するように煽ってくる。
アメリカン方式の発破の掛け方だが、何と言うか、ドッと疲れてを誘うやる気の掛け方だ。
ネイビーシールズはもっと罵声が飛んでくるぞ、老人の方が腰が入っている、受精卵の段階からやり直せばいい泌尿器科を紹介するぞ、っと他の班の罵詈雑言を見ているとフランシス班長は甘々でのんびり優しく、それこそ幼稚園児に物事を教えるように優しく優しく教えてくれる。
たまにゾッとするような事を言うが。
『この体力鍛錬はただマネキンエラーを回避する為だけじゃないんだよ倉敷君。ドラゴ乗りのKIA、戦死の第一原因は撃破だが、第二原因は知っているかい?』
「はァ……はァ……いいえ、知りません」
『機体を失った際の脱出行動の拙さからだ』
ドラゴ乗りはその機動性、汎用性の高さから一番槍、最前線で戦闘を行うが多く、戦場の雛形なのだそうで、敵陣ど真ん中で戦闘をすることが多いい。
故に、機体の破損、機能障害、撃破などされた場合など、第一前提として操縦士が生きていた場合だが、ドラゴの破棄、及びベイルアウト行動で手間取り、敵に捕虜にされたり、即射殺される場合が多いいのだという。
ドラゴ乗りは貴重だ。欧米諸国のレイダーたちの間ではLSDやMDMAなど薬物を使って操縦士を洗脳し、敵戦力として戦力を引き抜くハイジャック行為が多いそうな。
そんな訳もあって生身であっても、ある程度の練度が求められる。
再三言われているがドラゴ乗りは稀少だ。米中戦争が始まって未だに半島ではバチバチにアメリカと中国は鉄砲を向け合っているし、中国の拡大戦略は留まることを知らない。
その上にレイダーの台頭まである。ドラゴ・シェル・スケールの普及率と、それを操る操縦士の数の釣り合いが取れていないのもあって、俺達ドラゴ・ライダーたちはまさに金剛石にも勝る稀少価値がある。
そんな俺達を置いてそれとホーク・ディード社が手放す訳がないし、何より俺達に注入されたピューパ素子なるものが稀少も稀少、オール・フォーマットの以前に造られたフェムト・マシンで今では製造も複製も出来ない数少ない『ロスト・テクノロジー』の産物だった。
『よーし。次は射撃訓練だ。実弾入りの小銃を持ってB34エリアに集合!』
班長の号令で俺はようやくこのクソ重い背嚢を下ろせると息を付き、そそくさと背嚢を脱ぎ捨て、武器庫から小銃、ブッシュマスター ACRを受け取って小走りで甲板のB34エリアにむかった。
……
…………
……
座学も忘れもせず、俺はトリック・ギアの応用から銃器の解体組み立て、他にも分隊支援火器の名称、他戦場で戦況を左右しうる用語を右から左へと次々と脳味噌にねじ込まれてた。
「まず、ゲルシリンダ―の可塑性と流動性における凍結の恐れを加味して、凍土でのドラゴの運用法は基本的に座席ヒーター程度の熱で十分と言うのが学者方の見解だが、私の経験則からすれば、ノ-。いくらゲルシリンダーが凍結しにいと言っても筋肉アクチュエータ群自体の凍結までは学者連中の脳には加味されていない。故に装備には防寒ユニットが必須であり、十全な動きをするのならば当然の配慮だ。色彩迷彩も忘れてはならない」
実技応用の座学は軍事行動の戦い方の原則を一つ一つ覚えなければならず、マークシートテストが無いだけマシだが、やっぱり勉強と言うのは頭が痛くなる。
「次に、電脳戦に措いての原則だ」
「にゅぅ……」
比嘉は座学よりも実技の方がなれているようで、そっちの方が生き生きしている。
知恵熱上げて今にもぶっ倒れかねない程顔を真っ赤にしているが、残念だがこいつは覚えなければ戦場に措いて俺達の命に直結している。
いやでも覚えてもらわなければならない。
俺だって勉強は嫌いだが、死ぬのはもっと嫌だから必死に覚えている。誰か一人でも俺の足を引っ張れば俺が死ぬ可能性があるし、その逆も然りだ。
必死になる理由ならいくらでもある。
「電脳戦はオール・フォーマットが転換点だ。ハッキング・クラッキングなりの遠隔情報戦術がネットワークの滅却により完全に不可能になり、現行ではメッシュウェブ特有のノード間での近距離接触によるクラッキング技術、『高速・強奪』、H・H技術が一般化している。このH・Hを成立させるには3つのキーがいる。倉敷君、何だと思う?」
「ああっと……ノード端末と、その使用者のニューロン暗号──と、あと……」
「うんうん。そうそう2つは正解だが、もう一つがすぐに出てこないと赤点だ。答えは推察力だ。ニューロン暗号は個々人で違った暗号方式で構築されている。人間の神経ニューロンをベースにしている為だ。精神意識とも言ってもいい、これらを即座に読み解き、侵入しデータを読み取る乃至、書き換える事が現在の電脳戦の主流だ」
メッシュネットワークはある種の集合意識体とでも呼ぶべき、次世代のネットワークだ。
機械演算で構築されていた旧世代ネットワークとはかなりの違いがある。個々人、人自身が一つのノードのパーツなのだ。
スマートグラスやメッシュネット接続している端末は、大抵の場合は頭部付近に装着されたアクセサリ類で、眼鏡型であったりイヤリングであったりするそれらはただのツール、ネットワーク情報を可視化する為だけで、それ自体が演算するのではなく、演算するのは個々人の脳味噌そのもので演算している。
人間は無意識の内に様々な事を脳内で命令している。その機能の内、表面的に運動野、言語野と様々なモジュール群を見れば意識できるのはほんの少しで、呼吸の運動、瞳孔の運動、更に意識しても引き出せない運動器系など数えだせばキリがない。
その中でも僅かにしか機能していない脳神経系部位に電気刺激的を端末から与え、機械演算の機能を付加している。
これが現ワールド・メッシュ・ウェブの実態であり、仏教用語でいうなら阿頼耶識と呼ばれるものである。
これらで構築されたワールド・メッシュ・ウェブの個々人のノードの保護、管理をしているのが個人の個性とも呼ぶべきモノで、他人が他人であるように、他人と自分の区別の意識構造が、『ニューロン暗号』と呼ばれている。
偏にこれは心の壁とも言える構造で、人として立ち入ってはいけないラインである。
「差し当たって君たちが電脳戦に措いて警戒すべきは、精神解析技術を持った者たち、『精神観測士』だ。君たちと言う名のノードはより強固であらなければならない。ノード不全とは個々人の気絶乃至、精神的崩壊を意味ている。精神を解析、測定することはメッシュネットワークに措いてニューロン暗号のそのものを読み解き、心を観測し、無意識のネットワーク内に四散している精神構造コードを読み解く鍵を創製する事が出来る。医学、軍事、ネット管理と様々な用途に活躍する彼らだが、彼らも人間だ、精神は絶対ではない。壊れもすれば解れもする。故に君たちはより高度で難解な、知識を得る必要がある、知識の量、思考の質は、より難解にニューロン暗号を構築し、強固なセキュリティーウォールとなる」
「強い個性が必要ってことすっか」
「ありていに言えばそう言う事だ。宗教観、人生観、倫理観、道徳心、これらは半導体の塊であるAIには理解不能な演算であり、人が人足りえ、人に帰属している事を意味している。完全に人との関りを持たない人間など存在しない。故にどこかしらに必ずセキュリティーホールが存在している。君たちだってやろうと思えば今にすぐにでも高速・強奪が行える筈だ」
「てぇと……班長は俺や、比嘉に高速・強奪で干渉する事が出来るってことですか?」
「その答えは半分正解、半分はノーだ。干渉と言ったが、高速・強奪はなにも意識を直接弄る方法だけを意味している訳ではない。勘違いされがちだが、H・H技術とは精神干渉と機械干渉の二つの意味を持った総合的な用語で、電脳戦に措いて、データコードの入手及び改竄を高速、意識干渉や記憶改竄を強奪と言う意味を示しているんだ。間接的な端末干渉やデータ入手などは『高速』と言う意味になる」
よく意味が分からないがどう解釈すればいいんだ、これは。
「分かりやすく見せた方がいいだろう。倉敷君。私の指今何本立っている?」
班長が手の甲を向けて2本指、ピースサインを見せる。
そんなもん答えは一つだ。簡単な話。
「二本すっけど」
「グラスを外して見てくれ」
俺はスマートグラスを外すと──。
「──ッ……それ俺の脳味噌は糞って事っすか?」
「当たらずしも遠からずだ」
スマートグラスを取れば班長の指は中指だけが立っていた。
それはそれは綺麗なミドルフィンガーであった。
「H・H技術の高速は精神観測士自体が、近距離接触による意識操作で高速・強奪を行うが、弄るのは意識ではなく、人間をメッシュネットワークのノード足らしめている端末、スマートグラスなんかをハッキングする技術だ。ここ忘れないように。──どこ見てるんだいこっちだよ」
僅かでもスマートグラスを掛ければ高速・強奪を班長は行ってきた。
前にいた筈が、気づけばそれはただの映像で実像は背後にいる。
確かにこれは脅威だ。メッシュネットは所謂オーグメント・リアリティ、拡張現実と言う側面も併せ持っている。
これを自在に行えたなら虚像を相手の目に投影することもできる。それが出来たなら弾丸の一つも喰らう事はないだろう。
「質問良いっすか?」
「良いとも。何だい?」
「高速・強奪ってノード端末のクラッキングなら、面接の時に使った識閾下質問は何になるんすっか?」
「いいとこを突くね倉敷君。高速・強奪は二つの意味を持つと言ったね? 。文字通りではなくね。今まで教えた電脳戦のH・H技術は『高速』の部分だ。ノード端末のハッキング技術。そして『強奪』、これは意識下に直接干渉する方法、洗脳や、識閾下質問、記憶の消去などを示す。この二つの意味を総合して高速・強奪、H・H技術と言うんだ」
物理的と精神的の二側面を持ったハッキング技術『高速・強奪』。
端末干渉を高速、意識干渉を強奪と言う事になるんだろう。
どのみちどちらも脅威と言えるだろう。拡張現実は無垢な意識を包むレイヤーであり、そのレイヤーの中身が赤を見たくても、レイヤーが青であれば青に見える。
そして無垢なレイヤーの中身の意識を搔き回すのは何を隠そうとも、レイヤーと言う現実の色であり、その色によって中身は幾らでも変容する。
人の意識は脆弱だ。故に道具でその弱さを補填しているに過ぎない。
その殻の中身の脆さと柔らかさたるや、如何様にでも変容する、鳥の卵や、虫の蛹のようだ。
「君たちがH・H技術を警戒するとするなら、まずは高速だ。それを克服したのならば、まあもうすぐだが、自動的に克服する筈だが、その次に強奪を警戒するんだ。頭の中身をスクランブルエッグにされたくはないだろう? 。もしくは死へと羽ばたくのはまだ先だ」
羽ばたきはいつも力強く、行く先は戦場。
強い意志が、強奪を防ぐというのなら──この俺はもう壊れている。