昭和16年を昭和36年に引き伸ばすと、世界は滅亡しかねなかった?
猪瀬直樹氏の「昭和16年夏の敗戦」にインスパイアされて、当時の日本にできることがあまりにも無いことから、「昭和16年夏」に選択肢を増やすため、ポーツマス条約の条文を書き換えることと、生前退位を大正陛下から可能とする流れで、頑張ろうというものです。つまり、原敬と濱口雄幸がifなので、暗殺されずに生きています。桂園時代ならぬ敬雄時代を築いて、政府が主導権をとれていたことで、2.26事件について、決起軍と鉄道警備隊との戦闘で決起軍殲滅という形で、終了させています。後に起きる、警察特務隊によるクーデタについては、帝国陸海軍が殲滅します。
しかしながら、昭和36年まで開戦を引き延ばした場合、日米国力格差は減っても、いかんせん戦争そのものの形態が変わりすぎてしまうことにあります。特に問題となるのは、「核兵器」に関する問題です。
つまり、昭和36年以降に日米が正面戦争に突入すると、核兵器の応酬となる可能性があり、世界が滅亡しかねない「リスク」のような世界が登場します。
昭和16年夏の敗戦は、猪瀬直樹氏による著書であり、日本が総力をあげておこなった、日米戦の兵棋演習が進められた。結果として、戦略研究所からの報告書には、必敗という形で書かれた。そして、運命の昭和16年12月8日に開戦し、昭和20年夏に無条件降伏となった。
当時のシミュレーションによる、戦争結果は、国家総力戦という発想で実施されたことで、極めて精確な結果が得られている。
しかしながら、この戦略研究所の報告は、前提条件を満たしていなかった。
兵棋演習の前提条件は、日米開戦して、日本が勝利することが演習条件であり、日本が敗北する演習結果は、日本政府から求められていなかったのである。
ここに、日本の官僚体制が抱える問題があり、猪瀬直樹氏によって指摘されている。
あたりまえのようだが、現代においても同じであるが、日本で遂行される、この手の政策会議では、先に結果が決定されていて、結果を承認するための会議であるという点にある。つまり、政策会議の議題として、日米開戦が決定事項であり、日米開戦を勝利するために、どのような戦略があるかというのが、戦略研究所の主題であった。だからこそ、様々な分析をおこない、限りなく低くても勝率が存在する可能性について、様々な側面で検討され、研究されたのである。
だからこそ、報告書の隅々まで穿り返すようにして、勝つ可能性を見出した結果が、南方を占領し、日本で使用される石油を確保できる可能性が存在するという点が、開戦の口実にされたのである。現実的に言えば、非常に低い可能性であり、結果として敗戦を引き伸ばしただけであった。
お爺ぃとしては、勝つ可能性を探るという意味では、戦略研究所の情報活動を、昭和26年や昭和36年、このように開戦期間を延期させて、議論すべきあった。
真珠湾の結果として、アメリカは、チート国家の面目を果たし、昭和18年から月間正規空母、週刊護衛空母を就航させている。B-29の生産にしても、1944年6月あたりからが本格的な運用であり、アメリカにしても、当初は三か月で100機生産がやっとであった。生産が軌道に乗り始めたのは、1944年秋あたりからであり、1944年11月24日以降は、一日100機以上を連日戦闘稼働させて、爆撃を実行している。
日本とアメリカの基盤工業力の差は、歴然たるモノであり、昭和16年時点では、どうにもならない国力差として認識されていた。同様以上の国力差で戦った、日露戦争は国家総力戦ではなく、ロシア帝国が極東で国力を疲弊させることを、皇帝が望んでいない結果として、戦争が終結することが可能であったためである。
日本側の思考としては、政府にしても国民にしても、会戦に勝利することで、アメリカが停戦や講和といった外交が可能となると考えていた点にある。
日本の外交努力は、水泡に帰していて、世界中のどこを探しても、日米の仲介をしてくれる国が無かったのである。
昭和16年12月8日の真珠湾攻撃は、結果として、アメリカを激怒させ、アメリカとの講和可能性がゼロになったのは、当時のアメリカが持つ有色人種に対する感情である。これは、アメリカが被害を偽装し、開戦した場合でも同じであり、正面戦力の状況からみて、緒戦に負け続けるアメリカには、負けた状態で有色人種相手に講和を行うことはあり得ないのである。当時のアメリカは、最終的に日本に勝てるのは、当たり前で時間がかかるだけと判断していた。
日米開戦を昭和16年時点で止めるには、「満洲」の放棄が基本になるため、勅命でもおそらくはできず、ifの起点をそれ以前のポーツマス条約が締結される、1905年に置いたのである。
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日露戦争の講和交渉であり、アメリカの仲介による、講和交渉であった。日本とアメリカが、初めて欧州列強と同等の扱いを受けた、外交交渉の場であった。
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日本国皇帝陛下およびロシア国皇帝陛下は、両国と人民に対して、平和を回復することを欲し、講和条約に締結することに決定し、日本側外務大臣小村寿太郎男爵とアメリカ駐在公使高平小五郎、ロシア側セルジ・ウヰッテ全権大使、ロマン・ローゼン男爵、良好妥当な条文と認め、協議決定した。
この文(意訳)に始まるポーツマス条約(意訳日露)では、ifの中では、「満洲」をロシア側帰属とし、日本側とロシア側の決着がつかない部分を設定した。樺太帰属問題の始まりである。
(1)日本国皇帝陛下と全ロシア皇帝陛下および両国ならびに両国臣民の間に、将来平和および親睦を図ること。
(2)ロシア帝国政府は、日本国が韓国において、政事上・軍事上・経済上の卓絶なる利益を有することを承認し、日本帝国政府が、韓国に於いて必要と認める指導・保護・監理の措置に対して阻害しまたは干渉しないことを約束する。ロシア帝国臣民は、韓国において、外国の臣民や人民と共に、同様の待遇を受けるものと認識する。露韓間の国境に置いて、韓国に対して疑義を疑われるような、いかなる軍事上の措置を取らないことを約束する。
(3)日本国およびロシア国は、互いに約束する。
1.遼東半島の租借権が効果が及ぶ総ての地域からロシア軍が撤兵すること。
2.「満洲」において、日露両軍が占領する地域について、清国専属する行政に返還すること。
3.日本国およびロシア国は、「満洲」に対して、清国の主権を侵害し、機会均等に反することを放棄すると声明すること。
(4)日本国およびロシア国は、「満洲」に対して、列国が行う一般措置に対して、阻害しないことを約束す。
(5)ロシア帝国政府は、清国政府から譲渡された、遼東半島の租借権および関連する公共機関等の諸権利について、日本帝国政府に譲渡する。
1.両締結国は、本条項について、清国政府の承諾を得ることを互いに約束す。
2.日本帝国政府においては、本条項の地域に対して、ロシア国臣民の財産権力について、尊重することを約束す。
(6)ロシア帝国政府は、奉天から旅順間の鉄道に関して、権利特権財産について、清国政府の承認を以て、日本帝国政府に委譲することを約束す。
(7)ロシア国は、「満洲」における鉄道および商工業の目的に限り経営し、軍事目的に転用しないことを約束する。本制限は、遼東半島の租借権についても、同様に適応するものとする。
(8)日本帝国政府ならびにロシア帝国政府は、交通および運輸を増進し、「満洲」における鉄道接続業務の規定とするため、速やかに別途約定を締結すること。
(9)日本帝国政府およびロシア帝国政府は、サハリン島および付近の島嶼地域に対して、公共財産に完全なる主権を有するが、権益および主権の所管について、別途約定を締結すること。日本帝国政府およびロシア帝国政府は、サハリン島または付近の島嶼地域に対して、軍事上の工作物を建造してはならない。また、両国は宗谷海峡および韃靼海峡の自由航海を阻害しないことを約束す。
(10)ロシア帝国政府は、日本海、オホーツク海、ベーリング海における、漁業権を日本国臣民に許諾することを約束す。日本帝国政府およびロシア帝国政府は、ロシア国臣民および外国民に属する権利に影響しないことを約束す。
(11)日露通商航海条約の廃止、日本帝国政府およびロシア帝国政府は、新たに通商航海条約を速やかに締結することを約束す。
(12)本条約締結後、日本帝国政府およびロシア帝国政府は、互いに捕虜の返還を速やかに実施することを約束す。
本条約は、日本国皇帝陛下および全ロシア国皇帝陛下に於いて、批准せられ本条約調印から50日以内に、日本帝国政府およびロシア帝国政府に通告すること。
最終的にポーツマス条約は、ロシア皇帝ニコライ2世と明治天皇が署名することで、成立した。
ifの重点は、「満洲」の帰属をロシアとして、日本の植民地経営負担を軽減すること、樺太の帰属について、別途成約すべきこととしたことにあった。日露両軍が、双方に膨大な犠牲を払った奉天会戦後、樺太を全島占領した帝国陸軍であった。「満洲」に対しては、列強諸国家の思惑もあり、外交上で妥協することができるが、樺太は全島占領していたことで、問題になったのである。樺太について、継続審議とし、ifにおける日露領土問題として、交渉が継続されることとなる。
ロシア帝国がボリシェビキ・ソビエトに変わることで、シベリア出兵が生じるが、シベリア出兵の目的を、ロシア帝国領土をネルチンスク条約に引き戻すこととした。結果として、ロマノフ皇太子および四皇女救出に成功し、樺太の敷香にロマノフ帝室府を設置したのである。|無地領主《Landless Lord》という形をしているが、樺太は、日露間の領土係争地域であり、日露双方が主権を主張する地域とした結果でもある。日本は、樺太道に対して、特別措置法を制定し、日本国籍を持つ樺太住民とロマノフ帝室旅券を持つ樺太住民に分けたのである。
日本国は、二重国籍を認めないため、他国籍の旅券を保有している住民は、日本側の戸籍に入ることはできない。しかしながら、樺太道内に限り、居住権を持つとしたのが、樺太特措法である。
最近聞かれることもなくなった、「東西冷戦」という言葉や「南北対立」という言葉は、世界を2極化した結果によるモノです。
東西冷戦の中で、西側には複数の極があり、まがりなりにも纏まっていたことで、最終的に東西冷戦には西側が勝利したことになります。さて、この「反ボリシェビキ政権」に対する、戦争が、第一次世界大戦を終結させず、そのまま継続したというのが、宵闇ifの発想となります。
東西冷戦ではなく、最初の世界大戦から、そのまま戦争を継続させて、世界冷戦へと繋がっていく世界です。




