第7話 やめにしない?
おれと魔女ミリヤとが対峙していた時間はわずかだったはずだ。
しかし、おれはそれが長い時間に感じていた。
「ずいぶんなマネをしてくれるじゃないか。魔法でおれを放り出すなんてな」
おれはモップの先端を魔女ミリヤに突きつけながら言い放った。
「そっちこそ味なマネをしてくれたじゃない。英語でエクトラント語を表現するなんて、ちょっと冴えていたわよ」
魔女ミリヤは褒めるようなことを言っているが、その口調はいかにも蔑んだものだった。
それは教師が生徒に対する態度ではない。
おれを完全に敵とみなしたものだ。
しかし、おれはそれが痛快だった。
「真顔で『英語の勉強をしましょう』なんて説教されたときには、本当に勘違いしていたかと思ったぜ。でも、おれの目が節穴でなかったとわかって、今は正直ほっとしている」
「バカね」
魔女ミリヤは、当たり前でしょと言わんばかりに片手をひらひら振った。
「大勢が見ている前で、私が『そうよ、私はエクトラントの魔女よ』とでも答えるわけないでしょ?
それに、正確な発音で伝えたかったのなら、“Have had bee full nest.”では少し不明瞭よね。
意味は通じたけど、どうせなら“Have ad beer fool nest.”のほうが良かったかしら」
「さすが先生だ。エクトラントの言葉も添削してくれるんだ」
「そうよ。私は教師なのよ」
魔女ミリヤは、すっと手を差し伸ばしながら応じた。
――あの構えは!
おれはとっさに脇へ飛び退いた。
ごおっと音を立てておれの脇を突風が駆け抜けていく。
「最近は教師の体罰に厳しいんだぜ、この学校でも!」
おれは叫んだ。
「わかってるわ」
ミリヤは両手を天にかざす。“Eaten order this!”(風よ攻撃せよ!)
小さな竜巻がうなりをあげて、おれに襲いかかってきた。
「全然、わかってねぇだろ!」
おれは飛び下がりながらツッコんだ。
「充分にわかっているわよ」
ミリヤはすっと身を躍らせると、その竜巻に乗り込んだ。
そして、勢いをつけておれの頭めがけて飛び降りる。
たとえ、相手がどれほどの美女であっても、踏まれて喜ぶ趣味はない。
おれは転げるようにしてミリヤの足から逃れた。
体勢を立て直そうと立ち上がりかけた目の前に、形のいい長い脚がおれの目の前に立ちふさがった。
おれは慌ててモップを目の前に掲げた。
蹴り上げた靴の先が、ガチンと音を立てておれの鼻先で止まる。
モップの防御が間に合ったのだ。
逆に、ミリヤのほうはモップの硬い柄を足首に思いきりぶつけた格好だ。
「痛い!」ミリヤは悲鳴をあげた。
向こうずねが急所になるのは全世界共通である。あの音だ。相当に痛いぞ。
相手がよろよろと後退した隙に、おれは立ち上がってモップを振り上げた。
わざわざおれの間合いに飛び込んでくれたのだ。
この機会を逃すわけにいかない。
「くぅ!」
足首の痛みに顔をしかめながらも、ミリヤはおれの攻撃をかわした。
おれは呪文を唱える時間を与えまいと、連続でモップを振り回した。
剣の重みとは全く異なるだけに、うまく扱うことができない。
バランスを崩しつつの攻撃だったので、おれの攻撃はすべて空を斬った。
しかし、おれの勢いに押されたせいもあって、ミリヤは後ろざまに転んで倒れてしまった。
おれはモップの金具部分をすばやくミリヤの喉元に突きつけた。
「らしくなかったな。魔王の幹部にしちゃ、手ごたえが無かったよ」
おれはそう言い放った。
ミリヤは観念したのか、反論もせずに顔をそむけている。
表情は虚無的と言えるほどで、何の感情もうかがえなかった。
ただ、ひと言、「殺せ」とだけ言った。
おれは少し困惑した。
あっさりし過ぎている。
エクトラントではさんざん手こずった相手だ。
それが、必殺技をまったく使えなくなったおれに敗れて倒れている。
もちろん、こちらは負けるつもりはなかったのだが、こんなに簡単に勝てるとは思っていなかった。
もし、ミリヤの魔法が直撃していたら、おれの身体はバラバラになっていたはず……。
そこで、おれは気がついた。
生徒指導室では、ミリヤの魔法をもろに喰らっていたじゃないか。
しかし、威力はすごいが吹き飛ばされただけだ。
おれは屋上のフェンスに目をやった。
さっき危険を感じて避けた突風はフェンスに激突したものの、どこにも損傷を与えていなかった。ただ、強風が吹き抜けただけのようだ。
おれはミリヤに視線を戻した。
ミリヤはさっきと同じ姿勢のまま大人しく横たわっている。
おれは必殺技を使えなくなった自分のことを踏まえて、ある仮説が頭に浮かんでいた。
「……あんた、弱くなったんだな?
魔法の威力がエクトラントのころと、まるで違う。
この世界のあんたは、かつての強い魔法が使えなくなっているんだな?」
「ぐぅっ!」ミリヤの喉から絞り出されたような声が漏れる。
これまで感情らしいものを一切見せなかったミリヤの表情が歪んだ。
悔しそうに口の端を歪め、両目から涙があふれ出した。
「……それが、どうしたの?
お前にとっては都合が良いでしょ?
そうよ。私はお前を切り刻むほどの風が起こせない。
威力も安定していない有様なの。
強さをコントロールできないのよ。
生徒指導室で喰らわせたのが、この世界に来てから、もっとも威力の出せたものだわ。
次に同じ威力の魔法が使えるかはわからない。
とんだポンコツ魔女ってわけね」
ミリヤは自嘲気味に言うと、その目から涙がこぼれて屋上の床に落ちていった。
「安定していないって、自由に使いこなせないのか?」
「授業のときに起こった突風は、こちらのコントロールからまったく外れたものだったわ。
たしかに、あのテキストの一文は呪文のようだと思いながら読んだ。
でも、魔法を発動させようなどと思ってもいなかったの。
それなのに魔法が勝手に発動した」
おれはうなずいた。「だろうな。あのとき、あんな魔法を使う必然性がない」
「あの件でお前に存在が割れてしまったのは、それが私の運命なのでしょうね。
私はエクトラントでは魔王陛下の身を守ることができなかった。
しかも、こんな世界に飛ばされて、人間として生きる羽目になるなんて。
罰だとしか言いようがないわ。
ここで、お前に殺される。
それが、陛下に対する贖罪になるわ。
簡単に殺されるつもりはないから、ここで出来る限りの方法で抵抗した。
陛下の家臣として、義理は果たしたつもりよ。
さぁ、もう構わないわ。
ここですべてを終わらせて……」
ミリヤはそう言い終えると両目を閉じた。
おれはこれまでの経緯がわかって、モップをこれ以上動かすことができなくなった。
ミリヤの行動はおれを狙ったものではなかったし、エクトラントでのような恐怖をこの世界にまき散らすことでもなかった。
単なる事故だった。
たしかに、あれは危険極まりない迷惑な事故と言えるのだが……。
それでも、おれはミリヤにとどめをさすことなどできないと思った。
目の前のミリヤは、今のおれと似ている。
かつては敵同士であったが、今、身の回りにある状況は同じだと言える。
エクトラントの記憶を持ったまま、この世界で新しい生を得たこと。
しかし、それが困惑と不安、そして、言い知れぬほどの孤独をもたらした。
おれはかろうじて、この世界で生きていこうと考えてはいたが、孤独感に満ちた決意であることは間違いない。
はたして、そんな感情にうまく折り合いをつけて生きていけるか、おれにはまったく自信がなかった。
おそらく、それはミリヤも同じなのだろう。
だからこそ、ここで人生を終えることを簡単に望んだのだ。
おれは深いため息をついた。
ミリヤと対峙したとき、おれの中に湧いてきたのは『歓喜』の感情だった。
あのとき、おれは敵であってもエクトラントの人間に出会えたことが嬉しかった。
おそらく、おれ以外の誰も理解できない孤独を癒したのは、ほかならぬ敵の幹部だったのだ。
おれはモップを放り投げて、ミリヤの手を取った。
そして、上半身を引き上げてミリヤと向かい合った。
ミリヤは不審そうな表情でおれを睨んだ。
「何よ。何をするつもりなの?」
「いや……、提案なんだけどさ」
「提案?」
ミリヤは理解できない様子で聞き返した。
おれは苦笑いを浮かべながら、その提案を口にした。
「やめにしない?」