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第4話 これは……魔法?

 「おい、急に何かあったのか?」


 2限目が終わると、前の席に座っている朝霧翔真あさぎりしょうまがおれに振り返って話しかけてきた。


 サッカー部所属のイケメンで、女子に人気の人物だ。


 誰とでも仲良く話すことができるほど社交性が高く、かつての勇真比呂にとっては苦手な相手だった。

 いわゆるリア充とウマが合うとは思えないのだ。

 あまり会話しないように努めていたため、最近はすっかり話しかけてこなくなった。

 こちらがずっと無視に近い態度を取っていたのだ。まぁ、当然のことだ。


 「何かって、何が?」


 唐突な質問で、おれは面喰った。

 そもそも、なぜ再びおれに話しかける気になったのか理由がわからない。


 「とぼけんなよ。急に委員長と仲良くなってるじゃないか。

 この間まで、委員長から話しかけられるのを嫌がってただろ。

 こないだまで委員長はあきらめムードだったんだ。

 それなのに、今日も委員長が笑顔でお前に話しかけているんだ。

 俺だけじゃなく、みんな驚いているぜ」


 なるほどね。確かにそうだ。


 おれの魂と「混ざる」前の勇真比呂は、とにかくひととの接触を怖がっている部分があった。

 自分自身のことを悪く言うのは変な気分になるが、勇真比呂は自意識過剰で頑なだった。

 委員長のような可愛い子に話しかけられると、周囲の目が気になって、委員長の話に集中できなかったのだ。

 もちろん、委員長が勇真比呂に好意を持って話しかけてなどいない。

 いわゆる「ぼっち」の勇真比呂を気遣ってくれているのだ。

 そんな気遣いに感謝すらできずに、かつての勇真比呂はそっぽを向き続けていたのだ。

 過去の勇真比呂と向き合う機会があれば、おれは誰よりも強く説教をしていただろう。

 ほんと、情けない。


 「委員長が笑顔で話しかけるのは、いつものことじゃないか」


 おれは数人の女子たちと会話している委員長の横顔に目を向けながらつぶやいた。

 かつての勇真比呂は顔をそむけながらも、目の端で委員長の笑顔を見ていた。

 困惑しつつも、やはり嬉しかったのだ。

 その気持ちを示す素直さが、かつての勇真比呂になかっただけだ。


 「そうだったかもしれないが、ホームルーム前も心から楽しそうに話しかけていたぞ。愛想笑いと本当の笑顔ぐらい、区別つくだろ?」


 そうなのか?


 おれは意外そうな表情を朝霧に向けていた。

 その反応に朝霧は呆れ顔になった。


 「何だよ、マジで気づいてなかったのか。あんなにわかりやすい子なのに」


 おれは改めて委員長に顔を向けた。

 委員長は女子たちにも、あの屈託のない笑顔を向けている。

 おれにはあの笑顔の違いが区別つかない。

 あまりにまじまじと見つめていたせいだろう。

 委員長がおれの視線に気づいて目が合ってしまった。

 おれは思わず息を呑む。

 すると、委員長はにっこり笑いかけると、再びクラスメートとの会話に戻った。


 「あれか、あの笑顔が本当の笑顔か?」

 おれはこれまでの関係を忘れて朝霧に尋ねていた。朝霧は呆れ顔のまま答えた。


 「あれが、愛想笑いだ」



 ゆるゆると時間だけが過ぎていく。

 前期試験が近づいているというのに、おれは勉強に身が入らない。

 頬杖ついて、外の景色に目をやってばかりいる。

 半分開けた窓から、ときどき爽やかな風が顔を撫でるのが心地よい。


 思えば、こうして外の景色にぼんやりと目を向けるなど、ほとんどしたことがなかった。

 これまでは身の回りに対し、敵がいないかを警戒し続けていたからだ。

 外の景色は緊張感とともに見つめるものだったのだ。


 そのことを思えば、ここまで怠惰な時間が過ごせるなんて夢にも思わなかった。

 いや、おれは本当に夢を見ているのかもしれない。

 そうであれば、このとんでもない状況も一定の理解ができるものだ。


 しかし、おれは勇真比呂になって、すでに1日が経過している。


 昨夜は普通にベッドに潜り込んで眠りについた。

 そして、目覚まし時計に起こされて、早めの登校をしたのだ。


 はたして、日をまたぐ夢なんて見ることがあるのだろうか?

 いや、これまでのエクトラントの日々が夢であったのではないか。

 おれは真剣にそんなことまで考えるようになっていた。


 この世の基準で考えれば、おれの頭の中にある「事実」はただの「荒唐無稽」だ。

 この2日間、おれは唐突に変な考えに取りつかれただけなのだ。


 チャイムが鳴り、おれの考えは中断された。


 教室の扉がガラリと音を立て、英語の麻条美莉耶まじょうみりや先生が入ってくる。

 亜麻色の長い髪をした美人だ。

 大胆な服装に寛容な海外帰りらしく、胸の大きく開いたブラウスを着ていた。

 おかげで、かなり大きな胸がけっこう露わになっている。

 おれは大きな胸がこぼれやしないかと余計な心配をした。……あれ? そんな心配、どっかでしたな。


 英語の授業が始まると、おれは妙な感慨を抱きながら、麻条先生の声に耳を傾けた。

 先ほどまで夢の世界ではないかと思っていたエクトラントの記憶が、麻条先生の英語の発音で呼び戻されるのだ。


 それと言うのも、エクトラントの言葉は、英語の発音とよく似ているからだ。

 もちろん、単語の意味や文法はまるで違う言語なので、似ているのはあくまで発音だけだ。


 英語を普通にそのままで話しても、エクトラントの言葉では意味がまるで通じない。

 しかし、奇跡的に意味の通じる言葉もあったりする。

 それは英語と日本語の間でも似たケースがある。


 たとえば、“What time is it now?”(今は何時ですか?)が、日本語の「掘った芋いじるな」と聞こえたりする、これと同じである。


 さっきの例をエクトラントの場合に当てはめれば、たとえば“It's an honor to meet you.”(お会いできて光栄です)が、エクトラント語での「ついに見つけたぞ」の意味になる。


 もちろん、アルファベットはエクトラントの文字ではないので、さっきの「掘った芋いじるな」と同じ当て読みになるのだが。


 英語のテキストをパラパラめくりながら、この文はエクトラント語ではでたらめな文章になるな、だとか、あるいはとんちんかんな意味になるな、などと腹の中で微笑んでしまう。

 さきほどの“It's an honor to meet you.”と同じように、奇跡的に通じる言葉になる文章も散見される。次にあげる文章もそのひとつだ。


 “Having never eaten this menu before, I ordered this.”(今までこのメニューは食べたことがなかったので、私はこれを注文しました。)


 完了形分詞構文の例文だ。

 もちろん、エクトラント語に『完了形分詞構文』なんて文法は存在しない。

 意味もまるで異なる。


 この文をエクトラント語読みすれば、『風の精霊よ、暴れて力を示せ』という風系統の呪文になるのだ。


……魔法の呪文ねぇ……。


 おれは不思議な思いをしつつ、ページをめくった。

 ついさっきまで、自分の記憶は妄想の類だと考えかけていたのに、それが打ち消されようとしているのだ。

 やはり、おれはエクトラントという世界で勇者をしていたのだろうか……。


 そんなことをぼんやりと考えながら教科書を見つめていると、麻条先生がさきほどの文章を読み始めた。きれいな発音だった。


――Having never eaten this menu before, I ordered this……


 次の瞬間、がたがたと教室が震えだした。


 教室の中を強い風が吹き荒れて、何人かのノートや教科書が天井に舞い上がる。

 女子たちの悲鳴だけでなく、男子からのどよめきも湧きあがった。


 「何だって!」

 おれは思わず席から立ち上がっていた。


 「これは……魔法?」


 信じられない思いであたりを見渡す。

 目の前を誰かの教科書が飛んできて、おれはのけぞりながらそれをけた。

 教科書は窓ガラスに激しくぶち当たり、ガラスは大きな亀裂が生じた。

 教科書がガラスにひびを入れただって? どんな勢いだよ。


 風は轟音を上げながら、教室の中を縦横無尽に駆け巡った。


 カーテンの一部はレールからはずれてぶら下がり、教室後ろの扉を押し倒すように吹っ飛ばした。

 扉が激しく倒れる音とともに扉の小窓のガラスが割れる音も響いた。

 その音で女子たちから再び悲鳴が起こった。


 風は扉を壊したときに収まったらしい。

 気がつけば、みんなは静かになった教室でぼうぜんとしていた。


 立っている者、座っている者、誰もがその姿勢のままで硬直している。

 おれは中腰の姿勢で固まっていた。

 額からは汗が流れ、口の中はカラカラだ。

 今起こった出来事に、おれはクラスのみんな以上に衝撃を受けていた。


……今のはエクトラントの風魔法!

 窓を半分開けていたぐらいで、こんなつむじ風が飛び込んだりはしない。

 これは魔法でなければ起こりえない現象だ!


 そこで、おれは弾かれたように黒板のほうへ顔を向けた。

 そこには麻条先生が立っていた。険しい表情で、教室の後ろの扉が倒れたあたりを睨んでいるようだ。


 「皆さん、落ち着いて下さい。誰か今の突風でケガしているひとはいませんか?」


 麻条先生は険しい表情のまま、みんなに話しかけた。

 表情はともかく、声はいたって落ち着いていた。


 「みんな、大丈夫?」

 委員長があたりを見渡しながら声をかけている。

 委員長はおれのほうにも顔を向けた。


 「勇真君。窓ガラスが割れているけど、あなたは大丈夫なの?」

 おれは亀裂の入った窓ガラスに目をやり、そして、足元の教科書を拾い上げた。

 「大丈夫。うまく避けたから」


 おれは教科書を持ち上げてみせた。

 窓ガラスに亀裂を入れたのは、これだと示したのだ。

 委員長は意味がわかって目を丸くした。


 「それが割ったの?」


 「勢いよくぶつかっていたからな」おれはうなずきながら答えた。


 「みんな、ケガはないようね」麻条先生は終始落ち着き払っているようだ。


 教室の後ろに何人かの生徒がのぞきこんでいる。

 騒ぎを聞きつけて、隣の教室から野次馬がやって来たのだ。

 隣の教室からは、先生もやって来ている。


 日本史の久里先生だ。

 恰幅の良い中年教師で、丸々した顔にメガネを喰い込ませている。


 「麻条先生。いったい、何の騒ぎです?」

 廊下に倒れている扉と、半分ぶら下がっているカーテンを交互に見ながら、久里先生はおっかなびっくりの様子だ。


 「開いている窓から、つむじ風が飛び込んできたのです。幸い、ケガ人はいないようです」


 麻条先生の説明に、久里先生はおれのほうに顔を向けた。

 正確には、おれの真横にある、亀裂の入った窓ガラスを見つめていた。


 「すごい風が入って来たのですね」

 久里先生は信じられない様子だった。

 それはそうだ。

 窓から飛び込んだ風が教室内を暴れまわって扉を吹き飛ばすことなど、流体力学的にありえない。

 それほどの威力の風なら、教室の窓ガラスすべてを破壊して、教室のみんなを校舎の外へ吹き飛ばしてしまうだろう。

 たかが一陣のつむじ風でできる芸当ではない。


 では、誰の芸当なのか。


 おれは麻条先生をじっと見つめた。

 あれがエクトラントの風魔法であるなら、その呪文を唱えたのは麻条先生になるからだ。

 そして、風系統の魔法が得意だったのは、魔王軍の幹部、魔女ミリヤだ。


……麻条先生は魔王の手下、ミリヤなのか?


 おれは思わず両手を握りしめた。

 胸の奥をつかまれるような緊張感に襲われる。


 「どうかしましたか? 勇真君」


 麻条先生がおれをまっすぐに見つめて尋ねている。

 それでおれは我に返った。久里先生は納得したように隣の教室に引き揚げていた。

 その際に野次馬と化した生徒たちも追い返していたので、この教室は内も外も、いったんは落ち着いた状態になっていた。

 クラスのみんなも自分たちの席に戻って、ひとまずは授業に戻れる態勢だ。

 現実に戻っていないのは、麻条先生を見つめていたおれだけだったようだ。


 おれはクラスの視線が集まるのを感じて、顔が熱くなった。

 こんなことで注目を浴びたくはない。


 おれは「すみません」と口の中で詫びて席に着いた。

 全員が席に座ったのを確認すると、麻条先生は「では、さきほどの続きを読みます」と、テキストの残りを読み始めた。


 おれは授業を受けながらも、心の内に湧き上がった疑念で勉強に集中できなかった。

 本当に、麻条先生は魔王軍の幹部なのか?

 絶対に確かめなければならない。


……エクトラントの戦いは終わっていない……。


 おれはシャーペンが折れそうになるほど握りしめた。

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