第3話 今のは何?
それからのおれは放課後まで気もそぞろに過ごしていた。
授業も上の空の状態だ。
早く自由な時間を確保して、自分に剣の実力があるのか確認しなければならない。
おれにとって、剣はおれそのもの、おれを象徴する存在なのだ。
今、剣を持っていないことは問題ではない。
しかし、剣を振る力がないのは大問題だ。
それはおれのアイデンティティを揺るがすことになるのだ。
放課後になると、おれは教室を飛び出して学校を出た。
徒歩10分の自宅を5分で駆け戻る。
家に着いたときには、おれは全身から汗を流して、完全に息を切らしていた。
この時点でダメだ。
まず、体力がない。
脚力も足りない。
エクトラントのおれは、これぐらいの距離なら5分も経たずに駆け抜けている。
ここまで息を切らすこともない。
胸の奥からは嫌な予感しか湧いてこなかった。
すでに明らかな結果をわざわざ確認するようで、気分が重い。
だが、おれの記憶には、これまで培った技の数々が残っている。
それこそ、この世界の剣の達人たちにも「引け」をとらないものだ。
なにせ、多くの魔族を葬るために磨き上げた技の数々だ。
それがこの世界で使えないのではたまらない。
この世界に必要かは問題ではない。繰り返すが、おれの存在意義に関わるのだ。
家の中を探し回ったが、剣の代わりになるものは見つからなかった。
小さいころならプラスチックの剣があったはずだが、とうの昔に処分されたようだ。
仕方なしに古新聞を引っ張り出して、それを筒状にくるくると巻く。
ガムテープで留めれば即席の剣が完成だ。
家の近所には広い空き地がある。
そこでなら障害物に当てる心配もなく、存分に技を試すことができる。
おれは即席剣を片手に外へ飛び出した。
空き地は広々としていた。
ほうぼうから生えた雑草が腰の高さまで伸びている。
中にはひとの背たけまで伸びているものもあった。好都合だ。
おれはその背たけのある雑草を前に立った。
本来なら鞘のある位置に即席剣をあてがい、居合のように構える。
「『飛燕斬』!」
掛け声とともに即席剣を横一線に振る。
魔王との戦いのとき、心臓を狙って攻撃した技だ。
即席剣はパシッといい音を立てた。
しかし、雑草は上体をのけぞらせただけで、再び元の位置に戻ってきた。
いきなり鼻っ柱を折られた気分だ。
「……『縦烈斬』!」
続けて上段から攻撃を加える。
おれの攻撃はその雑草の大きな葉を直撃した。
おれの心のイメージは葉を真っ二つに両断する光景だったが、実際は葉を大きく押し下げただけで、葉もすぐ元の位置に戻ってきた。
「まだだ、まだ終わらんよ!」
おれは歯を食いしばって即席剣を構え直した。
しかし、そこで視線を感じて、おれは動きを止めた。
おそるおそる振り返ってみると、5歳ぐらいの男の子がおれの様子をじっと見つめている。おれの額から新たな汗が吹き出してきた。
「お兄ちゃん、今のは何?」
男の子は素直な質問をぶつけてくる。
しかし、おれには強烈なパンチに等しかった。
「あれって、グレートレンジャーの必殺技?」
何? グレートレンジャーって。
「でも、あれだったら『じゅうれつちゅうしゃ』じゃないよね?
『サンダーアタック』だよね?」
たぶん『縦烈斬』を「縦列駐車」と勘違いしているようだが、それ以上におれはダメージを受けていた。『サンダーアタック』って……。
「これはね……エクトラントマンの必殺技さ……」
おれは心のダメージを隠しながら、声を振り絞るようにして答えた。
男の子の首がかくんと傾いた。
「エクトラントマンって何チャンでやってるの?」
もうダメだ。
おれは本当にくずおれそうになっていた。
「昔のテレビさ。おれが君くらいのころのね……」
おれはそう言って、とぼとぼと空き地から退散した。
男の子の無垢な視線が、痛いほど背中に突き刺さっていた……。
部屋に戻ると、即席剣を屑籠に放り込み、おれはベッドに横たわった。
猛烈な虚脱感に襲われる。
おれは、この世界では何の取り柄も力もない存在だった。
それを改めて思い知らされたのだ。
エクトラントでは、数千万人もの猛者たちが腕を競い合っていた。
おれはその中で一、二を争う存在だった。
しかし、この世界には何十億の男が存在する中で、何十億番目の存在なのだ。
エクトラントでは「一」なのか「二」なのか大きな違いと捉えていたが、ここのおれは「一」も「二」も関係ない。
なにせ、その数字の前に「何十億何千万何千何百何十」という長ったらしいものが付くのだから。その事実はおれを絶望の底に叩き落とした。
……なるほど、勇真比呂が何も行動しなかったのも無理はない。
この身体を、エクトラントのおれのようにするには、とんでもないトレーニングが必要だ。
あのときのおれの胸板を再現するには何リットルのプロテインが必要になるんだよ?
おれはそれすら見当ついていないじゃないか。
涙があふれ出しそうになって、おれは慌てて片腕を両目の上に載せた。
にじみ出る涙を腕の皮膚に吸い取ってもらうために。
改めて考え直せば、すぐ答えは出るはずだった。
おれの技はすべて、エクトラントのおれの肉体で実現させた技だ。
この世界の勇真比呂の肉体は、剣術の基礎すら身についていない。
頭ではわかっていても、まるで身体がついてこなかったのだ。
さきほどの技も、まるで腰が入っていなかったし、腕の振りも鈍かった。
とても剣を「一閃する」にはほど遠かった。
そして、それがおれの現実で限界だった。
おれはのろのろと起き上がった。
どういう事情で、おれはこの世界に飛ばされたのかは未だ理解できていない。
しかし、おれの現状は正確に認識できた。
今後、おれは「勇真比呂」としての人生を送らなければならない。
決して使い勝手のいい身体ではないが、健康状態に問題があるわけではない。
取りようによっては転生するには最適の肉体ではないのかとも思える。
この世界でチートのような能力を持っていれば、エクトラントでのような面倒な戦いに巻き込まれることもあるだろう。
日本での転生も最適だ。
なにせ、今の日本は戦争がない。
アメリカや韓国のように徴兵制もない。
戦いに明け暮れたおれにとって、これが望んでいたものではないだろうか。
今後は、戦いの世界からすっぱりと縁を切って、この平々凡々とした平和な人生を送ろう。
普通にトシを取って、普通に寿命で死ぬ。
エクトラントでは考えられなかった生き方じゃないか。
そうさ。
これは、戦うことしか知らなかったおれへの、神様がくれたプレゼントなのだ。
この世界で平和ライフを満喫しなさいというプレゼントだ。そうだろ、神様?
そう考えると、何となくだが心が晴れてきた。
何か、希望のようなものが見えてきたのだ。
もちろん、今は明確な形を成しているわけではない。
だが少なくとも、さきほどまでの絶望的な気持ちからは脱することができた。
現状を把握し、その現実を受け入れる。
おれには、初めからできることは決まっていたのだ。
それさえクリアしてしまえば、後は何とかなるのではないか。
おれの心に楽観的な気分が湧いてきた。
大丈夫だ。おれはこれからも生きていける。
問題はこれからどのように「勇真比呂」の人生を送るのか、だが……。
おれはそこで大切なこと思い出した。せっかく汗の引いた額から汗が噴き出してくる。
「進路希望の提出忘れてた……」
翌朝はいつもより1時間早く家を出た。
急いで教室に入り、進路希望の紙を提出するのだ。
委員長には先生に直接渡したと言えばいい。
実際、そうするつもりだった。
提出の件は昨日の放課後ではなく、今朝の話になるのだが。
朝7時ころの学校は閑散としていた。
しかし、グラウンドではサッカー部と野球部の部員たちがランニングの最中だ。
よく見れば陸上部の姿も見える。みんな練習熱心で感心する。今のおれはとてもできやしない。
何か老年のような感心をしながら教室に入ると、おれの全身は硬直した。
朝、もっとも顔を合わせてはいけない存在。つまり委員長がそこにいたのだ。
戸を開ける音で、委員長は驚いたように振り返っておれの姿を見つけた。
委員長は黒板を掃除しているところだった。
「あーっ、勇真君。進路希望の紙、提出しないで帰ったでしょ。
後から先生に言われたよ。
ちゃんと伝えたのかって」
委員長は腰に手を当てて不機嫌そうな表情を見せている。
結果的に2日も提出が遅れているのだ。そんな顔をするのも当然だ。
「ご、ごめん……。朝は覚えていたんだけど、途中からすっかり忘れてしまって……」
おれはガチガチになって釈明した。
とは言っても、それで済む話ではない。
思った通り、委員長は黒板拭きを片手に、おれの近くへ歩み寄ってきた。
「ひょっとして、こんな朝早くに来たのは、その進路希望の提出のため?」
おれは不自然なほど小刻みにうなずいていた。
「そ、そう。そのとおり。朝一で提出しようと……」
「勇真君って、夏休みの宿題、9月1日の朝までやるタイプなんだ」
一瞬、皮肉を言われたのかと思ったが、委員長は苦笑いの表情だ。
まるで「あなたって、しょうがない子ね」と言っているお母さんのようだ。
おれは、「そんなタイプじゃないよ」と言いかけて口をつぐんだ。
エクトラントでのおれは、優先すべきことを後回しにする男ではない。
でも、勇真比呂の記憶にはそれが事実として残っていた。
「う、うん。実は小5のとき、1日の朝までやっていた……」
委員長はそこで弾けるように笑い声をあげた。
勇真比呂の人生で初の大ウケである。
「本当にそうなんだ。でも、それ、正直に言う? 勇真君って本当におもしろい」
言われてみればそうだ。
何も正直に言うことなかった。
どうも、委員長を前にすると調子が狂ってしまう。
転生前は多くの女性にモテていた。
だから、こんなに初心なところを見せることがなかった。
これは本当の話だ。
この世界では検証できないからって嘘を言っているわけじゃないぞ。
「おれって、そんなにおもしろいかな?
おれ、いたって普通のつもりなんだけど……」
「そうねぇ……、普通におもしろいよ」
委員長はそう言いながら黒板へと戻っていく。何? 普通におもしろいって?
「……委員長は日直か」
「そうよ、今日は早番。おかげで朝から楽しい話が聞けたわ」
委員長はこっちを振り返り、にこっと笑顔を見せる。やっぱりいい笑顔だ。
「あれっぽっちの話で楽しいのなら、また聞かせてあげるよ」
おれは社交辞令的に言いながら自分の席に向かった。
それを聞いて委員長は再びクスクス笑い声をあげた。
「うん、期待しないで待ってる」
こういうのを洒脱って言うのかな。
委員長の言いかたには、まるで嫌味がない。
おれは少し苦笑いを浮かべながら、机の中の紙を引っ張り出した。