第24話 ……い?
午前中の授業が終わり、昼休みの時間になった。
おれは急いで立ち上がった。
昼休みの真央の行動パターンはまだつかめていない。
行き違いになると、また会えなくなってしまう。
おれは教室を出ようとすると、委員長が目を丸くした。
「勇真君、今日もお出かけ?」
「え? どうして?」
「最近、教室でお昼を食べていないじゃない。って言うか、お昼食べてる?」
おれはポケットから携行食品を取り出してみせた。
ブロックタイプ、チョコレート味だ。
4本入りで、全部で4百Kカロリーが摂れる。
「エネルギーと必要栄養素は、これで摂っているよ」
「ここ数日ずっとそれ?」
おれはあいまいにうなずいた。
すると、思った通り、委員長が顔をしかめた。
「良くないわ、勇真君。それじゃ身体もたなくなるよ」
おれは委員長に笑顔を向けた。「ありがとう、委員長。気遣ってくれて」
委員長は戸惑ったように顔を赤らめた。「どうしたの、勇真君。改まって……」
「実はさ、大事な問題がもうすぐ片付くんだ。
もし、これにケリをつけられたら、おれも落ち着けると思うんだ。
そうなれば、昼もゆっくりと教室で摂るつもりだよ。
でも、あと少しなんだ。
せっかく言ってもらったんだけど、おれ、今日も行くよ」
「そうなんだ」
少し大げさなことを言ったかなと思ったが、委員長は理解したようにうなずいた。
「行ってらっしゃい、勇真君。問題、今日で片付くといいわね」
「うん、それじゃ」
おれは教室を出た。
階段を降りる手前で、安藤と合流した。
安藤はやや不安そうな表情だ。
「どうした? 緊張でもしてるのか?」
「午前中、ふと、後回しにしていた問題を思い出したのです」
「問題?」
「魔王の極限魔法のことです」
おれは立ち止まった。「何の話だ?」
「あの極限魔法は、魔王陛下の意志とは関係なく、勝手に発動してしまうと聞きました。覚えていますね?」
おれはうなずいた。麻条先生からそう聞いている。
「怒りであるとか、ストレスであるとか、大きな哀しみであるとか、とにかく自制できないほどの感情に支配されると、極限魔法が発動する。それだけ、危険なものというわけです」
「……だな」
「僕たちは多少ですが、この世界でも魔法が行使できます。
つまり、魔王の極限魔法もこの世界で多少なりとも発動させることはできる……、あるいは発動してしまう危険があるのでは?
あなたは有限魔法などとおっしゃっていましたが、あれはとてつもない規模の爆発でしたよ」
おれは自分でもわかるほど顔色が変わっていた。
「この世界でも、あれが発動する……」
安藤は神妙な表情でうなずいた。
「もし、彼女が、この世界で強いストレスや深い哀しみに襲われたとき、極限魔法が勝手に発動するかもしれないんです」
「でも、彼女が自制できないほどの感情に襲われるなんて、親しい友人を亡くさないかぎり起こりえないだろ。そして、彼女はそれほど親しい友人はいないぜ」
おれは抵抗するように言った。
真央がそんな危険な存在なんて考えたくなかった。
「今朝の彼女の状態はどうです?」
「今朝って……」
「かつての部下がいきなり現れて、再び魔王として立ってほしいと要請された。
どうやら普通の女子高生として生きていたい彼女は断りましたが、感情部分はどうでしょう?
平静を保っていますかね?
これってけっこうなストレスになりませんか?」
おれは急いで階段を降り始めた。
おれの鈍い感性に嫌気がさしてくる。
おれは、真央が今、どんな心境にあるのか、まったく考えもしなかった。
それも強いストレスを感じているかもしれないなど、想像すらできなかった。
まったく、自分の至らなさには怒りすら覚える。
「慌てないで下さい。
僕が言いたいのは、彼女が強いストレス状態にあるのなら、今日、いきなり、あなたが転生者であると名乗り出たら、彼女はますます混乱して、極限魔法を発動させてしまうかもしれないってことなんですよ!」
そのときには、おれは5組の扉を開いていた。
一歩足を踏み入れようとして足が止まる。
目の前では、ひとつの騒動が起きていた。
真央がひとりの女子生徒にすがりつこうとあがいている。
相手は先日、真央に掃除を押しつけた大柄の女子だ。
片手に本を持ち上げて、からかうような表情を浮かべている。
「返……して、返……して……!」
真央は必死に本に飛びつこうとするが、小柄な彼女では手が届かない。
大柄な女子とはそれだけの身長差があったのだ。
「何さ、毎日、毎日、本ばっか相手にして。
私たちがバカに見えているのかい?
今日は何の本なのさ?」
持ち上げられている本の表紙には見覚えがあった。
おれが貸した『空飛ぶ馬』だ。
「お願い……、返して……!」
真央はおぼつかない足で跳ねている。
その様子を見て、大柄女子を取り巻いている数人の女子から笑い声がもれた。
「すごい必死」
「そろそろ返してあげたら?」
「からかうのも過ぎるといじめに認定されるよ」
「もう、いじめじゃん?」
そこで再び笑い声があがる。おれは自分の顔が熱くなるのを感じた。
「おい……」
おれは大柄女子に向かって歩き出したとたん、大柄女子の手から「ビリィッ!」と不吉な音が聞こえた。
そして、本の表紙から中身の部分だけが抜け落ちて、ばさりと音を立てて床に落ちた。
「あ……、あ……、あ……」
真央は床に散らばった本の中身を見て、絶望的な声をあげた。
同時に、おれが教室にいることにも気がついた。
顔を上げた真央の顔は真っ青だった。
可愛らしい顔が泣きそうな顔に変わってゆがんだ。
「ごめん……なさい……。ごめん……なさい……」
「き、気にするな。
あれは、もともとボロだったんだ。
君が責任感じるなんてことは……」
おれは最後まで言い切ることができなかった。
突然、真央がビクンと身体を直立させると、目から生気が消え、ツインロールの髪が天井に向かって逆立ったのだ。
小さな口は力なく開いて、そこから声なき叫びをあげているようだ。
彼女の身体からは黒い霧が湧きだして、みるみる渦となって周囲を回りだした。
霧は強風をともない、教室中を駆け巡りだす。
教室から悲鳴が湧き上がった。
「極限魔法!」
おれは片手で風をさえぎりながら叫んだ。
まさか、まさか、こんなところで……!
霧をまとった強風は、その勢いをどんどん増し、ついには立っていられないほどの暴風となって教室中のものを巻き上げだした。
生徒たちの何人かは教室から逃げ出したが、そのほかは歩くこともできず、その場に伏せてしまっている。
ほかならぬおれもそうだ。
「何が起きたのです?」
おれの背中に安藤の声が飛んできた。
おれは薄目を開けて背後を見た。
安藤が後ろの出入り口から顔をのぞかせていた。
安藤は真央の様子を見て、険しい表情になった。
「勇者! これは、まさか……」
おれは天井を見上げた。
天井には黒い霧が、まるで液体のように溜まりだしている。
そこからは赤い雷のようなものが這いまわっていた。
エクトラントで見たものと全く同じだ。
あのとき……、側近が自分をかばって倒れるところを目の当たりにした真央は、恐慌状態になって『あれ』を発現させた。
魔王の責務に追われ、ストレスに耐えていた彼女にとって、あの出来事は心の負担が大きすぎたのだ。
彼女にとって、魔王という立場は軛みたいなものではなかったのか。
『あれ』によって、この世界に転生した彼女は、魔王という軛から解き放たれたと感じたのかもしれない。
この世界で好きな読書にふけり、おれたちよりも早く、この世界に馴染もうとしていた。
しかし、この世界は楽園というわけじゃない。
辛いことや、理不尽なことは、この世界にも存在する。
それは決して逃れられないものだ。
転生した先に、幸せな世界が広がっているなんて、誰が保証できるだろう。
「生きること」に都合のいいことなんて、そうそうあるもんじゃない。
加えて、おれや麻条先生が現れて、自分の周囲に同じ転生者が存在することを知った。
真央は再び魔王に担ぎ上げられることを恐れたのだ。
麻条先生への要請を断ったのは、彼女からすれば当然の話なのだろう。
しかし、側近に見つかったという事実は、彼女をかなり不安にさせたに違いない。
そんな不安が募っているところへ、彼女に辛く当たる女子たちに絡まれてしまった。
はずみとは言え、おれが貸した本を傷つけた罪悪感が、彼女を強く苛んだ。
不安、ストレス、罪悪感……。
あらゆる負の感情に押しつぶされ、彼女は『あれ』を発現させてしまったのだ。
そうだとすれば、これもまた、おれが関わったせいだ。
おれは歯を食いしばった。
ダメだ。真央にこんな苦しみを背負わせてはダメだ!
早く彼女のもとへ向かい、「そんな辛いこと考えなくていいんだ」と言ってやるんだ。
そんなものはひとりで背負わなくていい。
何だったら、おれが背負ってやる!
「安藤! おれにありったけの補助魔法を掛けてくれ!
何でもいい!
とにかく彼女のもとに辿り着けるぐらい身体を動かしたいんだ!」
おれは風で自分の声がかき消えていないか不安になりながらも叫んだ。
早く何とかしないと、あれはやがて球状に成長し、ついには大爆発を起こす。
そのとき吹き飛ぶのはこの教室だけとは限らない。
「風に抵抗できる魔法は知りませんよ!」
安藤からの返事が聞こえてきた。だから、何だっていいんだって!
「耐久力強化、敏捷性強化!」
安藤の叫ぶ声が聞こえ、おれの身体は淡い光に包まれた。
風は容赦なくおれの身体を叩いてくるが、耐久力が上がったせいか、這って動くことができるようになった。
そろそろと手を動かしながら前へと進む。
「耐久力強化、敏捷性強化!」
再び安藤の声が聞こえた。
おれの身体に光が増してくる。
同時に、おれも力を得たように身体が進むようになってきた。
魔法の重ねがけは有効だったのだ。
「行ける! 今度こそ!」
おれは歯を食いしばって前進した。
以前は間に合わなかった。
そのせいでおれたちは命を落とし、この世界に転生した。
転生は望んだものではなかったが、この世界でおれはそれなりに折り合いつけて生きていけると思い始めていた。
そうだ。
転生したのは悪いことばかりじゃない。
だが、あんなのは二度とごめんだ。
あまり詳細に説明しなかったが、『あれ』の爆発を受けたとき、それこそ言葉にできないほど痛かったんだ!
天井を見上げると、黒い霧はすでに球状に変化していた。
今は大きな玉だが、あれがひとつまみできるほど小さくなると爆発する。
急がなければならない。
今度こそ間に合わなければならない。
風は周囲の物を巻き込み荒れ狂っていた。
それらがおれの身体に次々と激突する。
耐久力を上げているからマシだが、そうでなければ打撲の痛みで動けなくなっていただろう。
それでも痛いものは痛い。
おれは痛みに耐えながら真央のもとへと近づいていった。
前へ前へと伸ばす手の甲はすでに傷だらけとなって血が滲んでいた。
だが、それぐらいどうだって言うんだ!
真央の足元まで這い進んだとき、風の勢いが弱まったことに気づいた。
荒れ狂う風は、真央の周囲だけ吹いていないようなのだ。
まるで台風の目のようだ。
おれはそこで立ち上がって、真央の両肩をつかもうと考えた。
彼女を揺さぶって意識を取り戻させるつもりだ。
真央がトランス状態から回復すれば、極限魔法は収まるかもしれない。
おれは勢いよく立ち上がって、つんのめりながらも彼女に飛びついた。
虚ろだった真央の目に光が戻った。
きょとんとした表情でおれを見ている。
一方、おれは顔面蒼白で凍り付いていた。
肩をつかもうとしていた手がどういうわけか、真央の胸をつかんでいたのだ。
真央はおれの顔、そして自分の胸に視線を移した。
そして、再びおれの顔に視線を戻す。
その表情に何の変化もない。しかし……。
「い……」真央の小さい口から小さな声がもれた。
「……い?」おれはオウム返しのようにつぶやいた。嫌な予感が頭をよぎる。
「……いやぁあああ!」
真央の悲鳴とともに、おれは思いっきり荒れ狂う風の中へ突き飛ばされた。だよね……。
おれは勢いそのままに、教室の一番後ろの壁まで飛ばされて激突した。
派手な音が頭の中に響き渡る。
目から火花が散るのを初めて経験した。
おれはずるずると床の上に尻もちをついた。
おれは床に触れる感触が無いまま、意識を失ってしまった……。
どれだけ時間が経ったのかわからない。
気がつけば、真央がおれの身体にむしゃぶりついて、小さな拳でおれの胸を叩いている。
“I love you! I love you! I love you!”
エクトラントの言葉で「いやらしい人」という意味になる。
もっと直接的な表現をすれば、「すけべ、変態」になるか。
だが、この世界で、この言葉を連呼されると、まったく違う光景に見える。
頼む、早くその状況に気づいてくれ。周囲の者たちが何て考えるか……。
おれは真央の拳を受けながら天井を見上げた。
あたりからは黒い霧は消え失せ、あの黒い玉も消滅していた。
ひとまずは事なきを得たらしい……。
おれはそこで意識が遠のいた。真央の拳を受けながら、おれは再び気を失った。




