第21話 何やってるの?
真央の正体を探るうえでの問題はいくつかあるが、最大は真央と気まずくなってしまったことだろう。
今、真央と直接顔を合わせて会話できるとは思えない。
クラスはもちろん、学年も違う女子のことを探るのは、普通の男子高校生にはかなり難しい。
ひとに尋ねたりすれば、「あの子に気があるの?」なんて勘繰られるだろう。
それならまだいいほうで、ロリコン趣味、あるいはストーカーと勘違いでもされたら事だ。
そんなおれにできることと言えば、真央のいる1年5組の教室を遠くから観察することだ。
特別教室棟の視聴覚室に忍び込み、カーテンの陰からそっと様子をうかがう……って、まるっきりストーカーじゃねぇか!
しかも、ここから見えるのは廊下と教室の窓だ。
教室の窓は白い摺りガラスで室内が見えないようになっている。
真央が教室の外へ出ないと様子をうかがうのは不可能だ。
せめて、風通しを良くするために窓を開けてくれたらと期待したのだが、それほど気温の高い時期でもないせいか、5組に限らず廊下側の窓を開けている教室は無い。
実のところ、おれのいる2年3組でも、グラウンド側の窓しか開けていなかったのでそのことに不思議ではない。
おれは「まぁ、いっか」とつぶやいた。
もちろん、いいわけではない。
エクトラントの言葉で嘆息しただけだ。
ただ、日本語ではやや前向きな意味になるこの言葉を、おれは少し気に入ってきたのだった。
この言葉をつぶやけば、悪い状況だと思いながらも、何となく肯定的になれる。
本音部分では自分自身に呆れた言葉を吐いているのだが。
休み時間のわずかな時間では、真央の様子をうかがうのは無理だろう。
おれは潔く諦めて、昼休みと放課後の時間に賭けることにした。
真央は毎回、違う場所で読書をしていた。
そのせいもあって、昼休みに真央の姿を探すのは難しかった。
プール前の木陰、体育館前の木陰、特別教室棟の階段……。
以前、見かけた場所にはいなかった。
日替わりで読書スペースを決めているのかもしれない。
当然、図書室にも顔を出したが、そこにも真央の姿は無かった。
移動のふりをして1年5組の教室をちらりとのぞき見たが、そこにも姿が無かった。
おれは昼休みを諦めて自分の教室に戻った。
放課後を迎えると、おれは居ても立ってもいられない感じで教室を飛び出した。
階段を駆け下り、そこでスピードダウン。
何気ないふりを装って、すたすたと1年の教室の前を通る。
そして、5組の前でひょいとのぞいて見たが、少し遅かったようだった。
教室内に生徒の姿はまばらで、その生徒たちは教室を掃除していた。
その中に真央の姿は無かった。
なんとも間が悪いと、おれは西棟に目を向けたが、そこに真央の姿を見つけた。
見慣れた栗色のツインロールが、すたすたと特別教室棟に向かって歩いている。
「特棟の掃除当番か」
おれたちは普段、呼び名が長たらしい『特別教室棟』を縮めて『特棟』と呼んでいる。
放課後は、全校生徒が学校の清掃を持ち回りで行なっているが、1年生は特別教室棟の清掃を分担していた。
それで、おれは真央が清掃に向かったのだろうと直感的に考えたのだ。
おれの予想は当たっていた。
後を追って特別教室棟に入ると、長い廊下の前でモップを手にした真央を見つけたのだ。
おれは壁に身を潜めて、そっと様子をうかがった。
真央は数人の女子たちに囲まれるようにして立っていた。
一番大柄な女子が真央の顔をのぞき込むように顔を近づけている。
「ねぇ、私たちさぁ、用事あるのよねぇ。悪いけどさぁ、今日の当番、あなたで片づけてくれない?」
おれは顔をしかめた。
特別教室棟はおれたちが授業を受ける一般棟と同じ幅の建物だ。
一般棟は、ひとつの階に一学年分の教室が並んでいる。
つまり、特別教室棟の廊下の長さは、7組分の教室を並べた長さに匹敵するのだ。
それをひとりで掃除させるのは負担が大きい。
おれが担当していたときは、駆け足でモップ掛けしていたように思う。
もちろん、時間がかかるからだ。
真央は無表情のまま、こくんとうなずいた。
大柄な女子は「じゃあ、頼んだわよ」と言い残して、周りの女子たちとともにその場を立ち去った。
おれは顔を引っ込めて階段を駆け上がった。
女子たちはこっちに向かって来たからだ。
足音を殺していたので、おれがいたことに気づかなかったようだ。
女子たちは楽しげに笑い合いながら階段を降りて行った。
女子たちの笑い声がかすかなほど小さくなると、おれは階段を降りて廊下の様子をうかがった。
真央は廊下の一番奥でモップを動かし始めていた。
小柄な彼女の姿が、ますます小さく見える。
おれはどうしようか迷った。
本来なら、今すぐ階段を駆け下りて、真央に掃除を押しつけた女子たちに掃除に戻るよう注意するべきだろう。
しかし、学年もクラスも違う生徒に、おれが注意するのは気がひけるし、出しゃばり過ぎだとも感じた。
とは言うものの、そのまま放置するわけにも……。
おれは迷った挙句、自分の頭を掻きむしると、目の前のロッカーに向かった。
そこからモップを取り出し、おれは真央とは反対側からモップ掛けを始めた。
正しいとは思わないが、それがおれのできる精いっぱいだった。
モップを動かしていると、「何やってるの?」と背後から声がした。
声の主のほうを向くと、魚住が不審そうな表情でおれを見ていた。
そりゃあ担当でもない場所を掃除していたら妙に見えるよな。
「ああ、これね」
おれはモップを動かす手を休めずに答えた。
「ちょっと、汚しちまったんだよ」
「何したの? あなた」
魚住の声は嫌悪感が入り混じっている。
まるで、おれが廊下で粗相したと思っているようだ。
言い返す言葉の無いおれは、無言で清掃を続けた。
その様子に魚住は呆れたらしい。
「きれいにしておいてよね」と言い残して去っていった。
ぴしゃりとドアが閉められる音がして見てみると、そこは音楽教室だった。
魚住は吹奏楽部の部員なのだ。
おれは黙々と作業を続けた。
真ん中に近づくと、真央も真ん中あたりを掃除していた。
とっくにおれには気づいているはずだが、おれに近づきもしないし、声をかけようともしない。
あの出来事に、まだ腹を立てているのだろうか。
もっとも、彼女の無口ぶりからみて、向こうから声をかけることなどありえないのかもしれない。
ちらりと様子を見ると、真央はただ廊下に視線を落として、黙々とモップを動かしているだけだ。
お互いの距離がかなり近づいたところで、「どうして……?」と、ぽつりと声がかかってきた。
振り返ると、真央は背を向けていた。こちらを見ずに尋ねているのだ。
「勇真比呂だ」
真央は手を止めると、こちらを振り返った。
相変わらず感情のうかがえない様子だが、それでもわずかに困惑の表情が混じっているのがわかった。
「ゆうま……ひろ……?」
「おれの名前だ」
おれは胸を張って答えた。
「昨日、君は名乗ったのに、おれが名乗っていなかっただろ?
それで、きちんと名乗っておこうと思ったのさ」
「名乗る……ために、……掃除……してたの?」
本当は違うが、おれはうなずくことにした。
しかし、本当のところ、なぜ、こうしたのか。
おれは正確に答えられそうになかったのだ。
真央に同情して行動したのではない。
どことなくだが、申し訳ない気持ちからだった。
ただ、それを正しい言葉で説明できるほど、おれは自分の心を量りきれていなかった。
「変な……ひと……」
真央はそっぽを向くと、掃除の続きに戻った。
おれもこれ以上にかける言葉が思いつかない。
おれも廊下に向き直って、モップを動かし始めた。
「借りた……本……。まだ、読み終わって……いない……。でも、……すぐ……返す……」
「いいよ。ゆっくりで」
おれは振り返らずに答えた。
「まぁ、優しく扱ってもらえたら、かな。あの本、おれや姉貴が乱暴に扱ったせいで、表紙が取れかかっているから」
「……そんな……こと、……しない。本は……大事……」
真央に本を手渡したときのことを思い出した。
本を汚すまいとスカートの上に置くなど、彼女には本に対する気遣いがあった。
おれは余計な注意をしている。
「そうだね。信じるよ。だから、慌てずに読んでよ。返すのはいつでもいいからさ」
「あり……がとう……」
会話はそこで途切れてしまった。
それからはふたりとも無言のまま、掃除を済ませた。
廊下を拭き終えると、真央は無言でおれに手を差し伸ばしていた。
「何?」
「モップ。……洗う……から……」
「ああ、そうか」
おれは素直にモップを渡した。
これ以上の手だしは良くないと思ったのだ。
真央はモップを受け取ると、おれに頭を下げて背を向けた。
これから、廊下奥にある水道まで行くのだろう。
おれは少しだけ見送ると、おれも背を向けて立ち去ることにした。
わずかなやり取りだが、おれは真央の正体が何であるか、どうでもよくなってきた。
おれには彼女が危険な存在とは思えないのだ。
たとえ彼女が魔王の転生者だとしても、そっとしておくのがいいかもしれないと思い始めていた。
“Say does vie command tone, so wealth oh `ectollant`?”(私をどうしたいのか? エクトラントの者よ。)
前触れもなくかけられた言葉に、おれは硬直して立ち止まった。
振り返ると、少し離れたところで真央がモップふたつを抱えたまま、おれのほうを向いて立っている。
表情は静かだが、冷たくもあった。
距離はあるが、彼女の緊張がここまで伝わってきた。
“Never end.”(どうもしない。)
おれは答えた。
真央の眉がぴくんと動いた。
「でも、……そうだなぁ。友達になれたら、嬉しい……かな」
おれは頭をかきながら日本語で話した。
真央はおれの照れ笑いの表情に困惑しているようだ。
“Say bought hill Command check?”(私が何者か知っているのか?)
「……たぶん、ね。でも、それを確かめるのはやめとくよ。
お互い、つまらないことになりそうだから。
友達になれたら嬉しいって話、ウソじゃない」
真央の頬に、ほんのりと赤みが差したように見えた。
何かを言いかけて開いた小さな口は、結局何の言葉もないまま閉じられた。
彼女はくるりと向きを変えると、そのまま奥へと立ち去った。
……これで、お互い転生者だということは明らかになった。
さて、どうする? あの子はどう動く?
真央が魔王の転生者なのか確証は無いが、もし、そうであったとしても、おれの態度は変わらない。
それだけは断言できる。
だから、真央からもこの間までと同じような態度で接してほしい。
彼女とは読書について笑い合いながら話が出来るようになりたい。
ただ、それを改めて口にして伝えるべきか、おれは迷った。
転生者同士であっても、同じ考えを共有できるわけではない。
麻条先生はもちろんのこと、かつての仲間であるはずの安藤ですら、同じ考えで行動できないのだから。
真央は真央で、おれとは別の考えがあるに違いないのだから。
おれは歩きながら堂々巡りする思いに悩んでいた。
ふと気がつくと、音楽教室の扉が少し開いて、そこから魚住の顔がのぞいていた。
おれは魚住の蔑んだ表情に戸惑った。
「何?」
「すけべ、変態、女たらし」
おれと真央とのやり取りを遠くで見ていたらしい。
おれが1年生の女子を口説くために掃除を手伝っていたと解釈したようだ。
「絶対、誤解! それ!」
おれは思わず大声で叫んでいた。




