第20話 ウソをついていない保証なんて、どこにあるのですか?
――麻条先生がおれたちの話を立ち聞きしていたかもしれない……。
迷った末に、おれがこの話をすると、安藤は「続きは外で話しましょう」と小声で囁いた。
おれは安藤の意図はわからなかったが、それに従うことにした。
安藤は「ちょっと遠くまで付き合っていただきますが……」と断りを入れながら、上原台駅前の喫茶店までおれを連れてきた。
喫茶店は10数人入れば、いっぱいになるような小さな店で、その一番奥の席に安藤は腰を下ろした。
安藤の位置からは店内全体が見渡せる位置だった。
おれはその向かいに腰を下ろすことにした。
「あなたは、麻条先生との間に結んだ協定はどこまで固いものだと思っています?」
おれが腰を下ろすなり、安藤は尋ねてきた。
おれは不快な表情になった。
「それって、麻条先生が協定を破るかもしれないってことだよな?
この世界でエクトラントの戦いを持ち込むのは無意味だって、麻条先生は認めてるんだぜ。それを疑うって言うのか?」
安藤はうなずいた。「僕はその意味で言っています」
「おい……」
「少し、聞いて下さい」安藤は抗議しようとするおれをさえぎった。
「初めは麻条先生も勇者の提案に賛成だったのはウソじゃないでしょう。争うメリットがありませんから。しかし、五分倫太郎の事件から、ある可能性が浮上しました。それが……」
「何だよ」
「魔王の転生です」
「魔王の転生……」
「あなただって考えていたじゃないですか。
五分の事件は、僕たち全員にその可能性を思いつかせるものだったんです。
実のところ、あなたが口にしなくっても、僕はそのことを考えていました」
「そして、当然、麻条先生も……」
うなずく安藤の目は確信に満ちていた。
「魔女ミリヤは魔王軍の中でも知恵者でした。
僕で考えられる程度のことなど、すぐ考えつくでしょう」
「麻条先生が魔王も転生している可能性に気づくのはいいとして、それが協定の反故につながるか?
たとえ魔王が見つかっても、この世界を征服するのは無理があるだろう?」
エクトラントの人口は数百万人程度。
対する魔族は数万規模だった。
しかし、この地球上には数十億もの人間が存在する。
対する魔族は数名程度だ。
これではヤクザのほうが多いぐらいだ。
彼らが人間に牙を剥いたとしても、簡単に制圧されること請け合いだ。
いくら何でもそこまで無謀なことを考えたりしないだろう。
「でも、魔王には極限魔法がありますよね?
あの完全にチートな魔法攻撃です」
おれは呆れ顔になった。
「この世界に転生した者は、例外なくエクトラントにいたときより弱くなっている。
お前だって魔法の威力が落ちたって言ってたじゃないか。
魔女ミリヤもそうだった。
魔王だってショボくなってるって。
さすがの極限魔法も有限魔法になっているさ」
「僕はそこまで楽観できません。
極限魔法の使い勝手が悪いというのは、あくまで麻条先生の話を信用することが前提でしょう?
麻条先生がウソをついていない保証なんて、どこにあるのですか?」
「逆にウソをつく理由がないだろ、麻条先生には」
今度は安藤が呆れ顔になった。
「あなたは本当にお人よしですね。
僕は、麻条先生と会話するとき、相手からいかに情報を引き出すか、逆にこちらの情報をいかに抑えるか考えて話していますよ」
「ウソつけ。さっきだって、けっこう余計なこと話してたじゃないか」
安藤は手を振って否定した。
「思い出してください。
僕が教えた情報に、重要性の高いものはありましたか?
いずれもしょうもないことでしょ?」
「……たしかに、しょうもない話ばっかりだった。
おかげでいろいろ恥ずかしい思いをさせられた」
安藤が真央のことに触れたのは、おれが真央について魔王の転生者かもしれないことを伝えていないせいだ。
何も知らない安藤は、「しょうもない」情報を流すつもりで暴露したのだろう。
「僕たちが無害そのものに見えるようにするためです。我慢してください。
あなたと違い、僕は麻条先生を信用しきってはいません。
なにせ、こちらの裏をかき続けた魔王の幹部だったのですから。
簡単に信用できるような単純な相手ではありません」
おれは暗い気持ちになった。
それじゃ、麻条先生を疑っていないおれはバカそのものじゃないか。
「バカじゃありませんよ。
さっき言った通り、お人よしなんですよ、あなたは。
相手の考えに世界征服が無いとしても、僕たちに対する復讐の可能性はあるのです。
警戒するのは当然でしょ?」
おれはため息をついた。
「いや、やっぱり、おれはバカだ。
お前と麻条先生が、そんな駆け引きをしながら会話しているなんて思ってもいなかった。
……そうか、おれに魔王の転生者に会ったらどうするか尋ねたのは、おれの真意を確認するためじゃなくて、麻条先生の反応を見るためだったんだな?」
安藤は小さくうなずいた。
「そして、麻条先生は殺意を露わにしました。
協定を反故にするつもりであることも口にしました。
あれが偽らざる麻条先生の気持ちですよ」
相手を探るために、おれを利用したということか。
おれは安藤の高校生らしからぬ思考に驚かされた……って、こいつ、エクトラントじゃ30歳だったか。
「せっかく転生者同士、手を取り合って生きようって趣旨で始めた会だったんだがな。
こんなのじゃ、明日から麻条先生は二度と顔を出さないな」
「それは、どうでしょうかね。
魔女ミリヤは魔王も転生していると考えながらも、誰がその転生者なのかつかめていない。
ミリヤにすれば、僕たちから情報を得られるのであれば、今後も接触は続けたいと考えるはずです。
明日も、何事もなかったように顔を出すかもしれませんよ」
おれは首を振った。
「そういう腹の探り合いは止めにしないか。
おれは相手の裏をかくためにウソをついたり、隠し事をしたりするのはどうも……」
どうしてもウソをつかなければならないなら、それは相手を傷つかないようにするためであってほしい。
隠し事をするのも同じだ。
おれの考えは甘いのだろうか?
「あなたは甘くていいんです。
そのほうがミリヤも警戒心を緩めてくれます。
これからもあなたはあなたのままでいてください。
なまじ、あなたが腹芸を使おうなどとすると、ウソの下手なあなたではすべてバレバレになるでしょうから」
……そういうこと言われて、甘くていいと思えるか。
おれがぶすっとした表情でいると、安藤は目を閉じて、何か口の中でつぶやいた。
何だろうと思ったが、おれは急にあることを思い出した。
「麻条先生が魔王も転生している可能性に気づくのはいいとして、それが協定の反故につながるか?
たとえ魔王が見つかっても、この世界を征服するのは無理があるだろう?」
安藤はじっとおれの目を見つめた。
「あなたはなぜ、今の言葉を口にしましたか?
僕はその質問には、もう答えましたが」
おれは戸惑った。「答えたって? いつ……?」
おれは尋ねながら額を押さえた。
ぼんやりではあるが、たしかに同じ質問をしたようだ……。
「ああ、でも、たしかに、さっき……」
それを聞いて、安藤はすまなそうな表情で頭を下げた。
「すみません。実は、今、あなたに魔法をかけました。記憶の一部を消す魔法です」
「何だって? 記憶を消す魔法?」
おれは驚いて聞き返した。
安藤は指一本を立ててみせた。
「記憶を消すと言っても、大量に消せませんし、完全に消すこともできません。
せいぜい数分前の出来事などの記憶を1分程度消すぐらいです。
しかも、きっかけがあれば思い出せる程度のものです。
ただ、僕の疑念を理解していただくために、こんなことをしました」
「どういうことだ?」
「さっき使ったのは、ここ数分の会話です。何を話したか、思い出せますか?」
おれは首をひねった。
「ええっと……、魔王がこの世界に転生しているかもって話をして……」
そこから先が出てこない。
何かやりとりした気はするのだが、もやの奥に隠れて見えなくなってしまったようだ。
「僕と麻条先生が腹の探り合いみたいなことをしているって話をしていたんですよ」
安藤のひと言で、みるみる記憶が蘇ってきた。今度は正確に説明ができる。
「そ、そうだ。お前がおれに魔王の転生者に会ったらどうするか尋ねたのは、おれの真意を確認するためじゃなくて、麻条先生の反応を見るためだろうって、おれは聞いたんだった」
安藤はうなずいた。「その通りです。ね、すぐ思い出せたでしょ?」
安藤が記憶に干渉する魔法が使えることはわかった。
しかし、このことがこれまでの話とどう繋がる?
「先ほどの魔法は、ある程度魔法を追究した者であれば、誰でも習得できます。
もちろん、エクトラントでの話ですが。
そして、麻条先生も扱えるだろうと考えています。
それは納得してもらえますよね?」
「……まぁ……な……」
「麻条先生はあなたと会話する間に、この魔法を仕掛けることだってできるのです。
あなたは、自分の記憶にないだけで、実は重要な情報を麻条先生に話している可能性もあるのです。
魔女ミリヤは優秀な魔法使いです。
そんな彼女が、この魔法を使わない道理はないでしょう?
あなたが麻条先生を信用しきっているのは、都合の悪い会話の記憶を消されて、好印象の記憶だけ残されているせいかもしれないのです」
おれは安藤の指摘に驚いた。「おれの記憶が操作されているのか?」
「もちろん、確証があるわけじゃありませんが。
ただ、可能であること。
それだけでも危険性は存在する、と言っていいのではないでしょうか?」
おれは何も言えなかった。
エクトラントで魔法が使えた者は、この世界でも魔法が使える。
ただし、その威力はかつてより相当劣る。
だから、おれはあまり重要視しなかった。
ショボい魔法で何ができると高をくくっていたのだ。
しかし、いくらショボくっても、さっき仕掛けられた魔法は、おれを動揺させるには十分大きいものだった。
「ショボいと言えるレベルの僕でも、この程度は扱えるのです。
その僕より、はるかに力量が優っていた魔王の転生者であれば、少なくともこの日本を支配するのは可能じゃないでしょうか?」
「魔王の転生者であれば、より多くの人間の記憶を操作できると?」
「魔王を旗頭にしたい者は、そこに期待するでしょうね。日本に大きな影響を及ぼすほど強い魔法が使えるのでは、と」
「お前だけの想像だろう?」
「今のところは。ですが、麻条先生にとっては、これ以上にない『希望』の話になるはずです。
エクトラントでは実現できなかった、人間たちの上に君臨するという野望の実現に繋がるのですから」
おれは首を振った。「さすがに、そこまで考えたりはしないと思うけどなぁ……」
「ひとを支配する手段はさまざまです。
暴力、脅迫、宗教。そして、カリスマです。
ひとの心を掌握するカリスマは、何も持たない個人を帝王にまで押し上げることができます。
僕たちはエクトラントの記憶のほかに、この世界の歴史でヒトラーを知っています。
絵の才能を持たない、やせっぽちの男がわずか数年で世界を揺るがす独裁者にまで昇りつめたのです。
あのナチスだって、最初は数名の小規模な集団だったと聞いています。
ひとりの男を稀代の独裁者にしたのは、カリスマという『魔法』です。
それが、ひとの記憶に干渉できる本物の魔法を行使できるとなれば……」
正直なところ、安藤の話は極論だと思う。
しかし、それを完全に否定しきれないのは、安藤から実際に魔法を掛けられたからだ。
それに、これまで安藤は魔族に対して個人的な恨みは無いと主張してきたが、ここまで頑なな態度を見せられると、安藤が抱く憎しみはかなり根深いと思えた。
おれが主張する「エクトラントの恨みをこの世界に持ち込まない」という考えに理屈では賛成でも、感情の部分では受け入れられていないのだろう。
おれは安藤の意見に対して、あいまいな答えを返すにとどめた。
煮え切らないおれの態度に安藤は不服顔だったが、その場では何も言わなかった。
そんなわけで話しがまとまらないまま、安藤とは喫茶店の前で別れた。
おれは家への帰り道をひとり、自分でもわかるくらいに暗い表情で歩いていた。
真央のことは折を見てふたりに話そうと思っていたのだが、そんな話はとてもできそうになかった。
折を見てではあるが、真央が本当に魔王の転生者であるか確認する方法がないか、安藤に相談するつもりだった。
しかし、安藤のあの様子を見る限り、相談できる状況になるのか怪しいものだ。
真央のことはおれひとりで探るほかないだろう。
……しかし、どうやって確かめよう?
下手なやり方だと、おれ、捕まっちゃうかもしれないし……。
おれはまるで出口のない迷宮に放り込まれたような気分だった。
おれはため息とともに、思わずエクトラントの言葉でつぶやいた。
「まぁ、いっか……」(“Mar ickka……”)
日本語では『やれやれ』という意味になる言葉だが、何となく前向きなことを言った気になった。
おれはそんな自分に苦笑いをし、家に入った。




