第14話 お前、俺に用があるのか?
暗い高架下を抜けると、そこは住宅地だった。
左手すぐに細い路地があり、おれはそこへ足を踏み入れた。
車が通るような道ではない。
アスファルトで舗装されているが、男3人が並んで歩けば左右いっぱいになる程度の幅しかなかった。
並んでいる住宅はたいていが平屋で、ぴったりと肩を寄せ合っていた。
あれじゃ、隣の物音が丸聞こえだろう。
小さな玄関口はどれも道路に面していて、多くの家が鉢植えを並べていた。
猫避けなのだろう、鉢植えの代わりに水を満たしたペットボトルを並べている家もあった。
おれは動画で見た、男の作業服を目当てに探すことにした。
家の多くは留守のようで、ひと気がなく静かだ。扉も固く閉められている。
男を探す途中で、玄関を開けている家があった。
近づいてみると、ひとりのお婆さんが、玄関口に腰を下ろして、膝に抱えた猫を撫でている。
猫もだいぶ年齢を喰っているようで、毛並みが非常に悪かった。
おれはお婆さんに近づいて声をかけてみた。
「ここしばらくの間、作業服を着た男が通りませんでしたか?」
お婆さんはおれを見上げた。
まぶたが垂れ下がって、目を覆ってしまいそうだ。
お婆さんは首をかしげ、2回うなずき、そして、首をフルフルと横に振った。どっちだよ?
おれはお婆さんに会釈して、その場を離れた。
男の姿を探して、先を急ぐ。
探し始めてすぐ、行き止まりにぶち当たった。
灰色のブロック塀が通せんぼしていたのだ。
向こう側は何かのビルが建っている。
ブロック塀によじ登ってみたが、ビルとブロック塀の間は猫以外通れそうにないほど狭かった。おれは塀から飛び降りて引き返した。
先ほどのお婆さんの家の前を通ると、お婆さんはまだそこにいた。
そして、おれの姿を見つけると、「脇の道」とだけ言った。
お婆さんの家の隣にはさらに細い路地があって、作業服の男はそこに入ったということなのだろう。
つまり、さっきお婆さんは「作業服の男? ああ、見た、見た。でも、前を通らずに脇の細道を通ったよ」と身振りで示したのだろう。わかるかよ。
おれは礼を言って、脇の道へ入った。
両脇の家がぐっと迫るほどの細道だ。
日の光も差し込まず、けっこう暗い。
一軒の家の窓が開け放しになっていて、中ではひとりのおじいさんが横になってテレビを観ていた。
さきほどのお婆さんの旦那さんだろう。
脇道を抜けると、同じような住戸が並んでいた。
おれはすばやく左右に視線を走らせた。
左右に人影は見当たらない。
おれは再び奥を目指して歩き始めた。
数軒奥に、今と同じような脇道が見えたからだ。
携帯から呼び出し音が鳴り、おれはすばやくそれを取った。
『男は行方をくらましてしまいました。
ネットには先ほど以上の情報はあがっていません』
安藤からの報告だった。
おれは通話口に顔を近づけて小声で囁いた。
「おれは手がかりらしい情報をつかんだ。今、その情報の確認をしている」
『さすがです。で、今はどこにいるのです?』
「浅倉南だ。電車の高架を南に抜けた住宅地だよ。わかるか?」
『浅倉南は漫画のヒロインでしか知りません。あいにく詳しくありませんね』
「……別に面白い返しなんかしなくていい。
おれは、この一帯を歩いてみるつもりだ」
『わかりました。くれぐれも気をつけてください。
あなたの行動を止めはしませんが、あまり賛成ではないのです』
「すまない。切るよ」おれは通話を切った。
安藤の言う通り、おれの行動は単なる出しゃばりでしかないだろう。
それでも、安藤はおれの考えを尊重し、苦言を呈するまでで留めている。
今回の一件が片付いたら、おれはもう少し安藤の言うことに耳を傾けるようにしよう。
やっぱり、おれにとって安藤は得がたい存在だ。
携帯をポケットに戻し、おれは奥の脇道へ近づいた。
この住宅の並びに人影は無いから、次の並びへ進もうと考えたのだ。
そして、おれは脇道へ一歩足を踏み入れようとした時だった。
目の前に大きな人影が立ちはだかっていた。
おれは全身が凍り付いてしまった。
目の前にいた人影は、動画に映っていた作業服姿の男だったのだ。
「おや、兄ちゃん。ここ、通るのかい?」
男はぬぅっとおれに顔を近づけた。
顔は日に焼けて浅黒く、頬からあごにかけて無精ひげに覆われていた。
動画での印象と違い、年齢はもう少し若い30代後半あたりと踏んだ。
目つきは鋭く、油断なくおれを睨めまわしている。
男からは、魔女ミリヤと戦ったときに感じた、肌がひりつくような殺意が全身から溢れていた。
おれの背筋にぞくりときたのは、びびったからというよりは戦慄が走ったからと言ったほうが正確だろう。
ほんのわずかのブランクだが、エクトラントでの戦いの感覚が蘇ってきたのだ。
「ええ、おれん家、その先なんで」
「そうかい。通せんぼして悪かったな」
男はそう言って、道を開けてくれた。
男から感じる殺気は、まだ警戒を解いていないことを示す。
この状況でエクトラントの話は振りにくい。
おれはいったん、やり過ごすことにした。
「すみません。通らせていただきます」
おれは会釈すると、脇道へ足を踏み入れた。すると、男はぽつりとつぶやいた。
「その先は行き止まりだったがな」
おれはすばやく振り返った。
しかし、太い足がおれの腹に喰い込み、おれは脇道の奥へ蹴り飛ばされた。
「ぐぅっ!」
おれは腹を押さえながら転がった。
急いで立ち上がろうとしたが、今度はあごめがけて足が飛んできた。
おれはとっさに両腕を顔の前に出した。
おれの腕が顔面に衝突する。
腕の防御もむなしく、おれは腕ごと顔面を蹴られたのだ。
腕はおれの鼻にもろに当たって目の奥がツーンときた。
おれはよろめきながら奥へと逃れた。
「お前、俺に用があるのか?
俺をつけてきたのか?
どっちだ、おう?」
男は声にドスを効かせて尋ねてきた。
腹と顔面の痛みから、おれはすぐに答えることができない。
おれは口を開きかけたが、そこからは呻き声しか漏れなかった。
男は勢いよくおれに近づいてくる。
その様子から、おれを尋問するよりは痛めつけるほうが目的だと悟った。
つまり、相手の質問に答えても意味がないということだ。
おれはさらに奥へ飛び退いて、相手のパンチをかわした。
相手の動きからケンカ慣れしているのは明らかだ。
転生前の記憶によるものか、それとも、この男本来のものなのかはわからないが。
「クソっ! 逃げんなよ!」
男は苛立った声をあげると、蹴りを入れてきた。
狭い脇道なので回し蹴りはできない。
往年のプロレスラーが使った「〇〇文キック」みたいなものだ。
勢いが無いので、それも奥へ逃げることでかわせた。
しかし、完全に手詰まりだ。
男の言った通り、脇道の奥はブロック塀で塞がれていた。
行き止まりなのだ。
唯一の出口は作業服の男が立ちはだかっている。
ここを何ごともなくやり過ごすという「目」は完全に無くなった。
男はオラオラ系のノリでおれに殴りかかってくる。
おれは背にブロック塀が当たる感触で立ち止まった。
もう、後に下がることはできない。
ロープを背に追い詰められたボクサーと同じだ。
いや、同じではない。
壁を背に戦う場面は、戦場では珍しくない。
肉体的には経験値ゼロだが、おれには8才から戦場で戦ってきた記憶がある。
こういう状況でも戦うためのノウハウは存在する。
おれはボクサーのようなファイティングポーズを取って身構えた。
おれの対応に、相手は警戒心を深めたようだ。
一歩下がると、相手も拳を上げて身構えた。
なまじ戦闘の記憶があるせいで、相手の構えでパンチ力が想像できてしまう。
あれはけっこう重い。まともに当たると痛いじゃすまない。
しかし、ようやく間が空いた。
これなら相手と会話ができるかもしれない。
説得できるかわからないが、この機会を逃してはならない。
“Have ad beer fool nest.”(お前の正体を知っているぞ)
おれのひと言に相手の表情が変わった。
「俺の正体がわかるのか、お前!」
“Gain some odds plink boy, hate wish home good bay.”(そもそもおれを呼んだのはお前だ。攻撃されるいわれはない)
「お前、エクトラントの者なんだな?
そうなんだな?」
おれはうなずいた。
「おれはエクトラントから転生した者だ。お前と同じようにな」
「俺と同じ!」
男は大声をあげた。
「よ、良かった……。
仲間に会えるとは。
お、お前はどの隊の所属なんだ?
俺は玉座の間、ゴブリン防衛隊のタローだ」
玉座の間のゴブリン……?
おれの額から汗が流れた。
あのときの決戦の場面がプレイバックする。
たしか……、この物語の冒頭部分で……、『おれは目の前でちゃちな槍を構えているゴブリンの兵士を蹴り飛ばして、玉座の間の中央まで迫った』……。
あれか。あのときのゴブリンなのか。
まずい。
非常にまずい。
こいつはおれと折り合う可能性がめちゃくちゃ低い。
おれの正体を知ったとたん、『あのときのお前かぁ!』と叫んで襲ってくるほうにおれなら1万円賭ける。
「おい、どうした? お前、どの隊なんだ?」
なかなか答えようとしないおれに、男は不審そうな表情を浮かべた。
どうする? ここでどう答えるのが正解なんだ?
選択肢1。 「いや、おれ、魔王の首を獲りに来た勇者一行の者でーす」
確実に殺されるな、おれ。
選択肢2。 「おれは城門守備部隊のオークだ」
ウソはいかんよな、実際。
それに、「城門守備部隊なんて隊は無いぞ」とウソがバレる危険がある。
ウソがバレると、確実に殺されるな、おれ。
選択肢3。 「おれは魔王城近くに住んでいる一般の魔族です」
即バレるウソだな。魔王城は荒野の中にそびえ立っていた。
周囲に一般の魔族の姿なんて無かった。確実に殺されるな、おれ。
……万事休すじゃん!
おれは心の中で頭を抱えた。
「お、おれは、魔女ミリヤと協定を結んだ……者だ」
おれの口からやっと出たのは、相手を困惑させるような意味不明なものだった。
おれの中での葛藤が、ウソを吐くことだけは何とか押し止めたのである。
そのせいで、自分でもツッコみたくなるほど変なことを口走っているのだ。
「ミリヤ様と協定? 何だ、そりゃ」
当然の反応だよな、やっぱり。
「う、ウソじゃない。おれとミリヤとの間には不戦の誓いを立てている。
おれはミリヤとそういう関係の者だ」
「お前、言っていることがおかしいぞ」
この口上も相手の警戒を解くのには役に立たなかった。
なんとなくわかっていたけど。
「しかし、お前の口からミリヤ様の名前が出たということは、エクトラントの者であることは間違いないな。じゃあ、なぜ、部隊名を教えられない?」
元ゴブリンにしちゃ考えるじゃないか。
でも、そこはあまりツッコんでほしくないんだがな。
“Pardon? Wealth?”(魔族なのか? 人間なのか?)
元ゴブリン男は決定的な質問を投げかけてきた。
もう隠しても仕方がない。
おれは苦笑いを浮かべて答えた。
“Wealth.”(人間だ)
元ゴブリン男の拳がおれの顔面めがけて飛んできた。




