第13話 そこまでする必要はあるのですか?
魚住とは日頃の会話が無いわけではない。
ただ、おれにかけられる言葉はどれも落ち込みそうになるほど辛らつなものばかりだった。
決して暴言を吐かれるわけではない。
あくまで丁寧な言葉で、グサッとくるものだ。
口をきけばそんなことばかりなのだから、この掃除の時間は沈黙の時間になるのは必然だ。
おれたちは黙々と階段の掃除を続けていた。
バタバタと足音荒くさせながら、安藤がやって来たのはそのときだった。
安藤はおれを見るなり、「ああ、勇者、ここにいた」と大声を出した。
しーっ! さっき、「勇者」という単語で嫌味を言われたばかりだってのに!
「すみません、ちょっと、これを見て欲しいんですよ」
安藤が差し出したのは自分のスマホだった。
西華高校では、スマホの持参は禁止されていない。
あくまで自己責任のもと、自分で管理しなさいというのが学校の方針だ。
ただし、授業中にスマホをのぞいていたら、問答無用で取り上げられる。
その場合には始末書を記入してからでないと返してもらえない。
厳しいのか、寛容なのかわからないルールだが、よその学校に較べると、よっぽどまともなのらしい。
「何を見ろって言うんだよ?」
おれは安藤の手元をのぞきながら尋ねた。
放課後でのスマホの使用は自由だが、大ぴらに使うと注意されることがある。
ちなみに、動画の視聴に関してはけっこううるさく言われている。
おれが自分のスマホを持たないのは、そのようなうるさい決まりごとに煩わされたくないからというのもあるのだ。
安藤のスマホは何かの動画を見るサイトを映し出しているようだった。
「おい、ここで……」
おれは顔をしかめてスマホを押し戻そうとした。
この場に教師はいないが、それよりもうるさいのが近くでおれを見ている。
「そう言わずに、ちょっと見てください」安藤はなおも食い下がってくる。
そしておれの耳元に顔を近づけると、
「エクトラントの転生者です」と囁いた。
「まじで?」
おれは顔を離して聞き返すと、安藤はうなずいてスマホを近づけた。
おれは改めてスマホの画面に見入った。
スマホの画面には『ガチで危ない人が、駅前で騒いでいる』というタイトルが見える。
「この人物の叫んでいる言葉をよく聞いてほしいんです」
安藤は緊張した表情だった。
おれは画面にタッチして動画を再生させた。
動画が撮られたのは、つい先ほどの時間だった。
投稿される10分前の出来事らしい。
動画が始まると、広がっている風景に見覚えがあった。鎌中駅の駅前商店街の風景だ。
「近くの商店街じゃないか」
「しっ! 男の声に注意してください」
安藤は小声で注意した。おれは黙って画面に視線を向ける。
画面には、ひとりの男が誰彼憚ることなく騒いでいる様子が映されていた。
男は40代前後か。薄汚れた作業服姿で、仕事をほっぽりだして騒いでいるようだ。
撮影者は危険を感じてなのか、あまり近くで撮影していない。
おかげで男の言っていることは聞き取りづらかった。
おれは耳を近づけて、動画の音声を聞き取ろうと試みた。
“Even tough plane doctor? Even tough plane doctor?”
おれは自分でわかるほど顔色が変わった。
英語に聞こえるが、英語であればデタラメだ。
ただし、これがエクトラント語であれば、「俺を知る者はいないか?」となる。
おれは顔を上げると、安藤と目を合わせた。
安藤はうなずきながら、「続きを聞いて下さい」と言った。
おれはスマホに戻った。
“Reading palace sir pop up! Reading palace sir pop up!”
男が続いて別の言葉を叫んでいる。
一部、聞き取りづらいところもあったが、男が同じ言葉を連呼しているおかげで、何を言っているのかはっきりとわかった。
「……『魔王陛下、万歳』だと?」
安藤はうなずいた。
「あなたにもそう聞こえましたよね?
こいつは魔王軍からの転生者です」
「なんてことだ」
おれは天を仰いだ。
いや、この場合、天井を見上げた、になるのか。
「しかし、こんな動画。よく見つけたな」
「見つけたのは偶然ですが、あなたのおかげですよ」
「おれの?」
「仲間を探すいいアイデアはないかと言われ、考えたのはSNSからの情報です。
あなたから、エクトラントの言葉はデタラメな英語みたいだと聞いて、それを元に情報収集できないかと考えたのです。
誰かが自己存在を訴えるなら、エクトラントの言葉で呼びかけるでしょうから。
さっそく『意味不明な英語』で検索してみたら、これがヒットしたんです」
日頃、スマホだの、SNSだの、そういったネットワーク関係に関りを持たない生活をしていたせいで、そんな方法で探す発想がおれにはなかった。
逆に、安藤は真っ先にこの方法を試したのだ。それにしても……。
「しかし、せっかく見つけたのは仲間ではありませんでした。
どうします? やはり、これには関わってはいられませんよね?」
おれは画面を見つめ続けた。
男の頬は濡れている。涙を流しているのだ。
泣きながら自分の存在を訴え、救いを求めているのだ。
見つかったのは仲間ではなかったが、おれにはこの男を放っておけなくなった。
「安藤、これ頼む」
おれはモップを安藤に押し付けた。
「え? 何です、これ?」
「モップだよ。掃除の続きを頼む!」
おれはきびすを返すと、階段を駆け下り始めた。
少し離れて様子を見ていた魚住に、「悪い、急用! 残りはあいつに頼んだ!」と叫んで、彼女の脇を駆け抜けた。
「別のクラスのひとに押し付けたの?」と魚住から咎めるような声が、おれの背中越しに聞こえた。おれは、それには返事をせずに昇降口へ駆け込んだ。
昇降口では、委員長が靴を履き替えているところだった。
おれは彼女にぶつからないよう気をつけながら、靴箱の前に身体を滑り込ませた。
「きゃっ! びっくりした、勇真君?」
いきなり現れたおれの姿に、委員長は驚いて小さな叫び声をあげた。
驚かせてごめん。心の中で謝りつつ、靴を急いで履き替える。
「委員長は電車通学だっけ?」
おれの唐突な質問に、委員長は大きな目をさらに大きくした。
「え? ええ、そうだけど」
「鎌中駅で降りる?」
「うん、家が鎌中だから……」
「駅に行くのは遅らせたほうがいいかもしれない。
家のひとに迎えに来てもらえるなら頼んでみて。それじゃ!」
おれは言うだけ言うと、校舎を飛び出した。
あの男とトラブルを起こすつもりはないが、相手は元魔族で人間と敵対した者だ。
委員長があの男がらみで事件に巻き込まれないよう、おれは注意を促したのだ。
委員長は何か言いかけていたようだが、おれは立ち止まらなかった。
全速力で正門を駆け抜ける。
家の前を素通りし、まっすぐ上原台駅へと向かう。
家のある上原台は新興住宅地で、緩やかな丘陵地帯に住宅が並んでいる。
道路が整備されているので、駅まで道はまっすぐだ。
体力に自信のないおれでも、駅まではずっと下りなので走りやすかった。
駅に到着すると、小銭入れを引っ張り出してキップを買い、ホームに飛び込む。
改札機にタッチするだけで入れるICカードの類は持っていない。
これも家庭の方針だが、いい加減、家庭の方針の不自由さが面倒臭くなってきた。
しかし、今はそんなことに言及している場合じゃない。
おれはタイミングよくやって来た電車に乗り込むと、ようやく一息ついた。
窓の外を流れる景色を眺めながら、おれはどうやって先ほどの男と接触するか考え始めた。
いきなり前に現れて、「おれも元エクトラント人だ!」なんて言ったところで、うまくいくとは限らない。
そもそも、相手は魔王軍の誰かだ。
おれの正体を知ったら、襲いかかってくる危険のほうが高いのだ。
だからと言って、あの男を放って置けば、警察が不審者としてしょっぴくことになりそうだし、そのことで、さらに事態が悪化する危険だってある。
事情を知るおれが一番ましな結果をもたらすことができる――いや、そうしなければならないと思うのだ。
まずは男に会うことだ。
相手を見れば、どうすればいいかわかるかもしれない。
電車の音で始めは気づかなかったが、おれの携帯が呼び出し音を鳴らしていた。
取り出してみると安藤からだった。
『今、どちらです?』おれが通話のスイッチを入れると、安藤の声が飛び込んできた。
「電車の中だ。つい、たった今乗ったところだ」
『あなたは、あの男をどうやって見つけるつもりです?
もう、駅前にはいないかもしれないんですよ』
「騒ぎになっていれば、人だかりができているだろうし、何らかの動きはあるはずだ。
それをたぐってみるつもりだ」
電話越しに、安藤のため息が漏れ聞こえた。
『相変わらず、出たとこ勝負ですね。
鎌中に着いたら、また電話してください。
こっちはネットの情報をたぐって、男の現在位置を探ってみます』
「ありがとう、また連絡する」
おれは通話を切った。
電車は各駅停車の普通電車だ。
電車はこっちの焦燥感をよそに、ゆったりとホームに滑り込んだ。
おれが降りる鎌中駅はその次だ。
早く出発してくれと心で念じる。
閉まりかけたドアが目の前で再び開いた。
車内アナウンスで『駆け込み乗車はおやめください』と車掌らしき声が聞こえる。
普段は気にしなかったが、今回ばかりは苛立った。
早く出発してくれ!
ドアはガタガタ開け閉めを繰り返しながらようやく閉まった。
続けて何人か、電車に駆け込んだようだ。
ああ、急いでいるときに限って!
電車は間もなく出発した。先ほどの駆け込み乗車で、いくらか遅れが生じただろうが、実際には十数秒程度のものだろう。
世間では定刻通りの出発と認識するに違いない。
だが、その程度の遅れで、おれの中にイライラした感情は募っていた。
早く目的地に着いてくれと、気持ちだけが急いていた。
電車が鎌中駅に入ると、おれはドアが開ききる前に飛び出した。
改札機にキップを放り込むと、駅前のロータリーに降り立った。
ロータリーの向こうには商店街アーケードの入り口がそびえている。
動画にあった場所だ。
しかし、そこに男の姿は見えなかった。
代わりにひとりの警察官がぶらぶらと歩いている。
おそらく誰かの通報で駆け付けた警察官だろう。
そして、男は警官に見つかる前に、この場を立ち去ったのだ。遅かったか。
おれは携帯を取り出すと、安藤に電話をかけた。安藤はすぐ出た。
「今、鎌中商店街の前だ。男の現在位置はつかめそうか?」
『現在位置まではわかりません。
動画では、警察官を見つけた男が商店街入り口から隣の銀行前へ走って逃げる様子が映っています。
浅倉方向ですね。国道に向かっていると思われます』
「わかった」
おれは左に身体を向けると駆け始めた。
『ネットでは、意味不明男に関する情報が流れています。
ただ、多くは誰かと似ているなど、今ひとつ信ぴょう性に欠けるものばかりです。
情報の発信元も、この地域のものではありませんでした。
鎌中周辺に絞って調べていますが、今のところ有力な情報は見当たりませんね』
携帯からは安藤の冷静なリポートが聞こえる。
「すまない。おれは浅倉周辺を重点的に探るから、お前も何かつかんだら連絡してくれ」
安藤はすぐに返事しなかった。
『……あなたが、そこまでする必要はあるのですか?
赤の他人どころか、もともと敵じゃないですか。
あなたが男を救おうとしたところで、あっちは迷惑にしか思わないかもしれないんですよ』
「そうかもしれない。
単なる押し付けにしかならないかもしれない。
でも、おれは純粋にこうしたいと思っているんだ。
悪いとは思うが、もう少し付き合ってくれ」
『わかりました。僕は僕で出来ることで探ってみましょう』
おれは通話を切ると、走るスピードを上げた。
目指す国道は百メートルほど先にあった。
そこは車の往来が激しく、向こうへ渡る信号が少ない。
商店街入り口からここまでまっすぐ逃げたのなら、この国道に行く手をさえぎられて男は立ち往生したはずだ。
行き場に窮した者はどちらに逃げるか?
北か、南か? おれは南に身体を向けた。
南は先ほど乗っていた電車の高架がある。
その下は暗くなって、奥の見通しも悪い。
向こう側はたしか古い住宅地で、細い路地が入り組んだ一種の迷宮のような場所だ。
男があそこへ逃げ込めば、不審者の確認に向かっただけの警察官は諦めるかもしれない。
男もそれをアテにしないだろうか?
おれは一か八か、南に賭けることにした。おれは高架に向かって走り出した。




