第12話 いいかしら、勇者様?
おれの急な要望に、さすがの安藤も昼休み時間では対応できなかった。
「その件では、少し時間をいただけませんか?」
おれはうなずいた。当然だと思った。
「おれだって難しい問題だと思っている。ほかに考えることがあるだろうけど、よろしく頼むよ」
「わかりました。考えてみます」
そこで、今後のことを互いに連絡とり合えるよう、携帯番号を交換することになったのだが……。
「……スマホじゃないんですか?」
おれのガラケーを見て、安藤がつぶやいた。
「家庭の方針ってやつだ。スマホ依存症になる10代が多いから、自制できる年齢になるまでは親父の使い古しガラケーを使えってさ」
「00年代ものじゃないですか。今どき、ガラケーでも10年代が当たり前ですよ」
安藤はおれのガラケーをひっくり返して大声をあげた。
「だから、親父のお古なんだって」
「よく持っていますね」
「勇真家は物持ちがいい家系なんだ」
「ええっと、赤外線通信はできるんですよね?」
「たぶん」おれは自信なさげに答えた。おれ自身は当然として、かつての勇真比呂の記憶にも携帯の知識は薄い。
安藤のおかげで、どうにか番号の交換はできた。
「スマホ同士ならSNSでもっと手軽に連絡しあえるんですがね」
ガラケーをおれに返しながら、安藤はつぶやいた。
「悪いな。高校生であるおれの限界ってやつだ」
携帯電話代も親父に持ってもらっている。
ガラケーであれば月2千円程度ですむ。
おれにすれば、それ以上の負担を親にかけさせたくない。
最近は格安のものもあると聞いてはいるが、親父もおれもまるで知識がない。
それにおれ自身がガラケーで困っていないのだ。
それで、おれは親父のお古を使い続けているわけなのだが。
「ともかく、何かあればメールします。
あなたも気軽にメールください。
メールであれば、連絡とりづらい時間でも対応できますから」
おれは改めて安藤に頼むと教室に戻ることにした。
昼休みの時間は間もなく終わろうとしていた。
教室に戻る途中、ひとりの女子の存在に気づいた。
プールと校舎をつなぐ渡り廊下のはずれに名の知れぬ木が立っている。
彼女はその木陰に腰を下ろしてサンドイッチを口にしているところだった。
栗色のツインロールの髪を風になびかせている。
肌の色は白く、目や鼻、口までもがお人形さんのように小さくまとまっている。
ほとんど横顔だが、美しい顔立ちだと思った。
おれは思わず立ち止まってしまった。
「気になりますか?」
おれの隣から安藤が話しかけた。
「いや、ひとりで食べているから。
それに、ここ、別に景色がいいわけでないし……」
彼女の正面にはプールの灰色の壁とフェンスがある。
フェンスは外からのぞかれないよう半透明の白いプラ板が張られていた。
どう見ても殺風景だ。
「あの子は矢蓑台 真央さんですよ」
「知っているのか?」
おれは安藤の顔を見た。
「1年5組の女子です。
アメリカからの帰国子女ですよ。
父親がアメリカ人です。
髪の色とか顔立ちが日本人ぽくないでしょ?
大人しくて、ほとんど誰とも口をききません。
たいてい、どこかでひとりでいます」
「1年生のことなのに詳しいな」
おれが呆れ混じりに言うと、安藤はうなずいた。
「僕の趣味がアイドルのおっかけって言いましたけど、校内美少女のチェックもしていまして。
密かに校内美少女図鑑をまとめています。
彼女は1年生の部、ナンバー5にファイルされています」
おれはまじで引いた。「お前、本当にあのアンドリューか」
「だから、安藤の人格も残っていると言いましたでしょ?
これは、あくまで安藤の志向です。あくまで」
「あくまで、ね……」
おれはアンドリューにもそんな傾向が潜在的にあったのではないかと考えた。
まったく異質な志向であるなら、こうも馴染んだりしないだろう。
「何です?」
「……いや、何でもない」
おれたちが話している間に真央という少女はサンドイッチを食べ終えた。
脇に置いたポーチから本を取りだすと、それを読み始めた。
木漏れ日の中で静かに読書している美少女の姿は絵になった。
おれは興味半分に近づいて、「何を読んでいるの?」と声をかけてみた。
近寄ってみると、思っている以上に小柄で、身体つきも幼い感じだった。
真央はゆっくりと顔をあげた。
まったく感情のない表情で、おれにまるで関心がないようだ。
それでも無言で本を持ち上げて、おれに表紙を見せてくれた。
ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』だった。
「……それ、面白い?」
おれは顔が少しこわばった。
ニーチェを読んでいるのは予想の斜め上を行っていた。
真央はつまらなそうに表紙に目をやった。「……別に」
「面白くないけど、読んでいるんだ」
「読み終わるのに、時間が、かかるから……」
おれには彼女の言っている意味がわからなかった。
ひょっとしてニーチェ的な発言なのかもしれない。
「そ、そうかい。読書の邪魔をして、ごめんね」
おれは詫びるのもそこそこにその場を退散した。
渡り廊下では安藤が待っていた。
「あなたのほうは相変わらずですね」
「おれが? 何?」
「あなたはひとりぼっちのひとをほっとけない性質でしたよ。
エクトラントでは、あなたは見かけたひとりぼっちのひとすべてに話しかけていました。
そういう光景を、僕たちは呆れ半分で見ていました」
「そうだっけ?」
「自覚がないのも同じですね。
あなたは孤独な少年時代を過ごしたから、孤独なひとが気にかかるんです。
それこそ、どうにかしてあげたいと本能的に思ってね。
あなたの行動に批判的なルナが、文句を言いながらもあなたについて行ったのは、あなたのそういう部分を認めていたからですよ」
「そういや、ルナも戦災孤児だっけ」
「あなたは無自覚でしょうが、ふところが深いんです。
僕たちは、いや、エクトラントの人びとは、あなたのそういうところを見て『勇者』と呼んでいたのですよ」
「それは魔族を打倒してきたからだろ」
「それだけじゃ、誰もそう呼んだりしません。
エクトラントには、あなたより強いのはほかにいましたからね」
おれは頭をかいた。「そりゃあ、エクトラント最強だとは思っていなかったけど……」
そのとき、頭の上から予鈴の音が鳴り響いた。
昼休み終了5分前を告げるチャイムだ。
「いけね。早く戻らにゃ」
おれは校舎のほうへ向いた。
安藤も校舎へ小走りになりながら、「それでは、僕はこれで。頼まれた件、合間を見つけて考えてみます」
「ああ、それじゃ」おれたちは校舎に入ると二手に分かれた。
ふと、後ろを振り返ってみると、真央はまだ木陰に腰を下ろして、ページをめくっているところだった。
おれは少し気になったが、彼女の元へ戻って話しかけるのは憚られた。
おれは向き直ると教室へ向かう階段を駆け上った。
午後の授業は、あっという間に終わった。別に勉強に集中していたからではなく、考え事に没頭していたからだ。
エクトラントの『勇者』の仕事は、とうぜん廃業ってところだろう。
それに代わって、おれは勇真比呂として生きていく役目がある。
ただ、おれはこの世界に転生した『意味』を考え始めていた。
何か特別な能力を持っているわけではないが、数奇な運命の中で生きている。
その体験が何か行動する鍵になりはしないだろうか?
ひとまず、おれはほかの転生者を探すことを決めた。
安藤の言うように、「ひとりぼっちの者を放っとけない」性分のせいだろうが、それでも、それがおれの役割のひとつだと思えたのだ。
この世界にやってきて間もなくのころ、自分の存在意義が大きく揺らいで、ベッドの上で泣きそうになっていた。
あの絶望感、孤独感は適切な言葉で表現しきれないほど深い。
おれは幸い、敵だった魔女ミリヤに出会い、そして、アンドリューとも再会できた。
おかげで、今のおれに孤独感は無い。
『仲間を探す』という目的も得て、おれは確実に生き返った。
もし、アイラやキリス、それにルナまでもがこの世界に転生しているのなら、彼らがこの間までのおれのような思いをしているかもしれないのだ。
そうであるなら助けてあげたい。
おれが助かったように。おれがこの世界に転生した『意味』は相変わらずさっぱりだが、少なくとも今はそれに意識を集中させようと考えた。
おれは立ち上がって鞄を取り上げると、隣の席から「勇真君」と声をかけられた。
見ると、隣に座る魚住あき乃がこっちを冷ややかな表情で見つめている。
細面の美人だが、黒縁のメガネで睨む表情は恐い。
日頃からおれに冷たく、声をかけられるときはたいてい辛らつな言葉をぶつけられる。
「な、何?」
「忘れているの? 今日は掃除当番よ」
そうだった。
今日は階段掃除の当番の日だ。
おれは魚住と同じ掃除班だった。
「わ、悪い。すぐ掃除するよ」
おれは慌てて鞄を机の上に降ろした。
「しっかりしてよね」
魚住は身体の向きを変えると、おれを置いてさっさと教室を出て行った。
おれは遅れまいと後を追った。
階段の掃除は、屋上入り口の踊り場から3階から2階にかけての踊り場までだ。
それなりに広いので、クラスでも教室の当番より面倒臭がられている。
おれも同じ気持ちだ。
「私が先に掃いておくから、勇真君は水拭きをお願いね」
魚住も同じ気持ちなのだろう。
てきぱきと段取りを決めて、さっさと終わらせるつもりだ。
おれはロッカーを開いて、水拭き用のモップを取り出した。
先日、魔女ミリヤとの対決に使ったものだ。
固い木の感触を味わうと、あのときの戦いを思い出した。
おれはこれをまったくうまく扱うことができなかった。
おかげでミリヤに1発も当てることもできなかったのだ。
結果的には麻条先生にケガをさせずに済んだのだから良かったのだけど。
しかし、それがもし必ず仕留めなければならない相手だったとすれば、おれは返り討ちに遭っていたことだろう。改めて、おれは危険なことをしていたと思った。
おれはモップを手に、それをしげしげと眺めた。
この世界に剣は無いから、万が一のときは手近なもので戦わなければならないだろう。
たとえばこのモップもうまく扱えなければならないはずだ。
おれはぶんとモップを大きく一回転させて、孫悟空の如意棒のごとく構えた。
これだ。剣にこだわるのではなく、道具の特性を活かした使い方をすればいいんだ。
この構えなら、ここのように狭いところでも突きで攻撃ができる。
おれはモップで三段突きを実践して手ごたえを確かめた。
いける。これならモップを武器として使える。
「ええっと、いいかしら、勇者様?」
不意に飛んできた声に、おれはびくっとして階段を見下ろした。
その先にはほうきを手にした魚住が立っていた。
相変わらず冷ややかな視線をおれに向けて。
おれは額から汗が噴き出してきた。
「冒険に出るのは、掃除が終わってからでお願いするわ」
魚住は、例によって辛らつな言葉でおれの胸を突き刺した。
おれは強烈なダメージを受けてよろめきそうになった。
「……はい……」
おれは雑巾を濡らしに行くべく、屋上の扉を開けた。




