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第1話 まじ?

 魔王を倒すまで、本当にあと一歩のところだった。


 おれたちの国に魔族たちが侵攻して30年。

 おれの人生は、ほぼ魔族との戦いに費やした人生だった。

 おれたちの世界エクトラントは、人界と魔界が国境のように隣り合わせになっていた。


 そのせいで魔族の侵攻そのものは珍しくないが、30年ほど前に攻めてきたときは様子が違った。

 少々の攻撃で怯みもしない魔族たちに、多くの人びとは手を焼いた。


 おれが生まれたころ、この戦乱は最悪と言えるほど混迷を極めていた。

 物心ついたころには、おれは当然のように剣を手にし、戦いの世界に身を投じていた。

 おれでなくとも、ほとんどの若者はそう考えるのが自然だったと思う。

 おれは戦いの中で多くの仲間と出会い、そして力を合わせて厄介な魔族たちを倒してきた。


 攻撃役のキリス、アーチャーのアイラ、魔法使いの少女ルナ、回復役の神官アンドリュー。


 おれは彼らとパーティーを組み、ときには名のある魔族を討ち取ってきたのだ。

 おれたちの名声はエクトラント中に轟き渡り、おれたちはエクトラントの英雄と讃えられるようになった。


 伝説になぞらえて、おれを「勇者」と呼ぶ者も現れた。

 おれの剣技が伝説の勇者が使っているものと同じだったからだ。

 おれたちは多くの声援と期待を背に、魔族たちを追い詰めていった。


 おれが戦いに身を投じて20年。


 ついに魔王を討つべく魔界に攻め込むことになった。

 魔界は何か不快な空気に満ちた世界で、おれたちは息をするのも苦労した。

 空は不気味な紫色の雲で覆われて、それが毎日続く。

 おかげで魔界に足を踏み入れて、わずか数日で陽の光が恋しくなった。

 そんな苦難の進撃を続けて、ようやく魔王の住まう城へとたどり着いた。


 城内を守る兵たちを蹴散らして玉座の間に踏み込んだとき、敵の数は残りわずかになっていた。

 おれは目の前でちゃちな槍を構えているゴブリンの兵士を蹴り飛ばして、玉座の間の中央まで迫った。


 「忌々しい。ついにここまで来たか!」

 魔女ミリヤが眉を吊り上げて怒鳴ってきた。


 『闇の大魔王』を守る幹部のひとりだ。

 露出の大きい服で魔法の杖を振り上げている。

 あんなに胸が大きいのに、こぼれてしまわないかと勝手に心配する。


 「長年の戦いに決着をつけに来た!」

 おれは魔女の心配は後回しにして、剣の切っ先を魔王に突き付けた。


 魔王は全身を黒い霧のようなもので覆われている。

 2メートルは超えるような巨体で、頭と思われるところからギラギラと光る眼がのぞいていた。


 「……よくも、我が同胞を傷つけてくれたな!」


 口が見えないので、おそらく魔王の声だと思うが、魔女ミリヤと違ってサビだらけの声だった。

 まるで声に何か加工でもしているかのようだ。

 気が弱い者であれば、その声だけで怖気づいたことだろう。

 もちろん、おれたちはその程度で怯みはしない。


 「そちらこそ、人間世界でさんざん暴れてくれたじゃないか。

 だが、そんな日も今日で終わりだ!」


 「思い上がったことを! すぐ後悔させてやる!」

 魔王は両手を天に突き上げると、「ケイム・トゥ・アット・ルーム!」と叫んだ。


 「みんな、散れ!」

 おれは仲間に指示すると、その場から飛び下がった。

 おれのいたところに稲妻が落ちる。雷系の魔法攻撃だ。


 「魔法はこちらだって使えます。ノット・ヒット・ドレス・ユーザー!」

 ルナも魔法の杖を振りかざして呪文を唱えた。

 杖の先から勢いよく水が吹き出し、魔王めがけて向かっていく。


 「させるかぁ!」

 魔王の脇から全身が緑色の大男が立ちふさがり、全身で水の攻撃を受け止めた。

 魔王軍幹部のワウレイカだ。

 魔王も巨体だが、ワウレイカも同じぐらいに大きい。

 魔王の盾を果たしたワウレイカは、胸を押さえると苦しそうに膝をついた。


 「ワウレイカ!」ミリヤが叫ぶ。

 「俺はいい! 早く侵入者を!」ワウレイカは苦しげに叫び返した。


 その間にキリスがワウレイカのかたわらを駆け抜け、魔王に攻撃を仕掛ける。

 キリスの剣が魔王ののどを刺し貫いた。


 「やった!」アイラが矢を構えたまま叫んだ。

 「違う! 手ごたえがない!」

 キリスは慌てて後ろへ飛び下がって剣を構えた。


 のどを刺し貫かれたはずの魔王はゆらゆらと頭部を揺らしながら、光る眼をキリスに向ける。キリスの額から汗がひと筋、流れ落ちてきた。


 「お前たち……」

 魔王は相変わらずサビだらけの声だが、まったくダメージを受けている様子がない。

 キリスの攻撃が効いていないのは間違いないだろう。


 「さすが敵の大将ってことか。簡単に仕留められるものじゃなさそうだな」

 おれは剣を握り直しながら声をあげた。


 キリスに向けられた怒りの眼が、今度はこちらに向けられる。

 おれは背後で構えているアイラたちに、「いつもの手で行くぞ!」と叫んで駆け出した。


 アンドリューが「耐久力強化、敏捷性強化!」と叫び、おれの身体は淡い光に包まれた。


 短時間だけ効果がある強化魔法を掛けられたのだ。

 続いてルナが「サイド・ワンド・イナッフ!」と呪文を唱える。

 今度は杖の先から炎の帯が魔王めがけて襲いかかる。


 「ええい!」ミリヤの大声とともに杖が投げつけられた。

 杖は炎を浴びると、一瞬で燃え上がって灰となった。

 しかし、炎の帯はそこで食い止められてしまった。

 杖に魔法を相殺する力があったのだ。


 ミリヤの妨害は想定内だ。

 おれは一気に魔王のそばまで距離を詰めて、今度は魔王の心臓を狙った。

 おれの剣が魔王の胸を一閃する。


 「『飛燕斬』!」高圧の剣風が相手を両断する、かつての勇者が魔人を倒した必殺技だ。

 おれの技は確実に魔王の胸を両断した……はずだった。


 「なに?」


 剣は空を斬ったように手ごたえがなく振り抜けていった。

 おれの剣圧は魔王の背後にある壁に当たって、壁に亀裂を生じさせた。

 おれはつんのめるように、その壁と激突した。


 「くそっ! どうなっている!」

 おれは剣を振り上げて縦に振り下ろした。「『縦烈斬』!」


 ガキンという手ごたえと、「させぬと言っている!」という叫び声がした。

 ワウレイカが両腕でおれの剣を受け止めていたのだ。

 奴の腕には分厚い鋼鉄の小手がはめられていた。


 「ワウレイカ、無茶はよせ!」魔王の叫び声が聞こえる。


 そのとき、ワウレイカの口から「ぐはっ」という声とともに血が噴き出した。

 アイラの放った矢がワウレイカの背中に突き刺さったのだ。


 ワウレイカはよろめきながらも、おれにもたれかかってきた。

 おれは動きを封じられてワウレイカを振りほどこうともがいた。


 「ワウレイカ!」ミリヤが叫びながら駆け寄ろうとする。

 「ミリヤ……、陛下を頼む。陛下を守って逃げるんだ!」

 ワウレイカはおれの胸からずりおちながらミリヤに声をかけた。


 「ワウレイカ!」魔王も叫んだ。

 「陛下……、どうか、ご無事で……」ワウレイカはおれの足元にくずおれた。


 耳をつんざくような叫び声が響き渡ったのはこのときだ。

 目の前の魔王から、黒い霧がみるみるふくれ上がっていた。

 それはくるくると渦を巻き始め、ついには竜巻のような姿になった。


 「いけない! 陛下!」焦るようなミリヤの声が聞こえる。

 「どうぞ、お気を確かに。陛下!」


 「いったい、どうなっている!」

 片手で突風を防ぎながら、キリスが怒鳴った。

 そうは言われても、おれも状況が理解できていなかった。


 「わからない! とにかく姿勢を低くしろ。吹き飛ばされるぞ!」

 「きゃあ!」

 ルナの悲鳴が聞こえ、そちらに顔を向けると、ルナが一陣の風に巻き込まれて身体が宙に浮いていた。そのまま玉座の間から奥へと飛ばされていく。


 「ルナ!」

 おれは叫ぶだけが精いっぱいだった。

 ルナは視界の届かない奥まで飛んで行ってしまった。


 「何だ、あれは!」

 今度はアイラの叫び声だ。

 おれは魔王に視線を戻すと身体が強張ってしまった。


 魔王の起こす竜巻は、天井に向けて黒い雲を立ち昇らせていた。

 その雲は天井に溜まり、黒い穴のように姿を変えていたのだ。


 穴からは赤い雷光がバリバリと不吉な音を立てながら駆け巡っている。

 どう見てもヤバい感じだ。


 「陛下、陛下! どうか、どうか鎮まり下さい! 陛下!」

 四つん這いの状態でミリヤが叫び続けている。

 しかし、黒い竜巻はミリヤの呼びかけに応えることはなかった。


 「いったん、引きましょう!」

 アンドリューの声が聞こえた。

 彼は柱のひとつにつかまって、かろうじて吹き飛ばされないように立っていた。

 正直なところ、引けるものなら引きたいところだが、吹き飛ばされないよう這いつくばるぐらいしかできないのだ。


 「おれは無理だ! みんな先に撤退しろ!」


 「お前を置いて逃げろってか!」

 キリスが顔だけ上げて怒鳴った。


 「この状況はまずい。わかるだろう! おれ抜きで態勢を整え直すんだ!」

 「しかし!」

 キリスの抗議は途中で止まった。キリスの足をアイラがつかんだのだ。

 「あいつの命令は絶対だ。引くぞ!」

 キリスはまだ何かを言おうと口を開きかけたが、キッと口を結んでうなずいた。

 それからふたりは転がるようにして奥へと退散していった。


 それでいい。みんなが無事なら、おれに万一があっても後がある。


 「アンドリューも早く!」

 おれはアンドリューにも大声を上げた。

 アンドリューは風の強さに返事もできなくなっていた。

 かろうじて手を少し挙げてみせると、柱の陰から風を防ぐようにして退出していった。


 状況は刻一刻悪化しているようだった。


 黒い穴のようなものは黒い球形に形を変え、不気味な赤い稲妻が無数に這いまわっていた。不気味なのは、その黒い球が縮んでいるように見えることだ。縮みながらもドクドクと脈打つように動いている。


 「魔王をどうにかしないと、あれは止まらない!」

 おれは少しずつ這いながら、竜巻の根元へ、つまり魔王の足元へにじり寄った。

 その間にも黒い球はみるみる縮んでいき、小さな点のようになった。


 「陛下!」

 ミリヤの絶望的な叫び声が合図のように、黒い点から光があふれ出した。


 そのあまりにもまばゆい光で、おれは目がくらんで身動きできなくなった。


 巨大な爆発が起きたのはその瞬間である。


 轟音とも突風ともつかぬものが、おれの耳をふさいだ。

 全身が粉々になるような感触がエクトラントでの最後の記憶だ。


 おれの意識はそこで断ち切られた……。





………………。




…………。



……ジリ!


ジリジリジリジリ!


 何かの鉄を小刻みに打つような音が鳴り響く。

 おれは両手を泳がせて、音のするほうへ手を伸ばした。

 やっとの思いでそれをつかみ、それの頭を叩く。

 ジリジリという音は止み、おれはゆっくりと目を開けた。


 おれはベッドの中にいた。ふかふかの羽毛布団を被って。


 おれはのそりと起き上がり、さきほど音を鳴らした物に目をやった。

 ありきたりの目覚まし時計が6時半を指して沈黙している。

 おれはそれを手にして困惑した表情を浮かべた。

 知らない物のはずなのに、おれはこれの名前と機能を正確に把握していた。


……何だ? 目覚まし時計って……。


 周りを見回すと、不思議な感覚に襲われた。


 白い壁に、学習机。窓からは柔らかな朝日が机の上を照らしている。

 机の上には数学の教科書が――数学の教科書だって?――ノートとともに乱雑に置かれていた。


 ベッドからゆっくりと足を下ろすと、フローリング床のひんやりした感触があった。


――フローリング床?――。


 おれは混乱した頭を落ち着かせようとしながら立ち上がった。

 さっきから知らないはずの単語が頭から浮かんでくる。

 しかも、その単語の意味をおおよそわかっているのだ。


 たとえば、先ほどの目覚まし時計。


 こんなものはエクトラントには存在しない。

 さらに、この部屋のことをおれはよく知っていた。

 初めて見るはずの部屋だが、これはおれの部屋だ。


……おれの部屋……。


 おれはベッドの脇に立てかけられてある鏡の前に立った。

 おれが通う高校の制服は背広なので、ここでネクタイを締めるのだ。


 「高校?

 制服?

 ネクタイ?

 おれはいったいどうしたんだ?

 何で、そんな単語を知っている?」


 鏡をのぞくと、そこに映っているのはエクトラントで勇者として戦ったおれの姿ではなかった。

 どことなく華奢な感じの10代の若者の姿だ。

 髪は栗色ではなくこげ茶色で、精悍だった顔つきは大人しいものに変わっている。

 おれはまったく別人になっているはずだが、それなのに、おれはこの顔の人物が誰かを理解していた。


 「勇真比呂ゆうまひろ、17歳。西華高校の2年生だ」


 おれは自分の顔をなでながらつぶやいた。


 そうだ。

 おれは勇真比呂だ。


 生まれて間もないころの記憶はないが、2才か、3才あたりからの記憶ははっきりとある。

 おねしょを隠そうと布団を物置に入れて叱られたことを覚えているし、海水浴でカモメにお菓子を盗られたことも覚えている。まだ幼少のおれは悔しくて泣き喚いたものだ。


 そうだ。これは勇真比呂の記憶だ。


 事なかれ主義で、面倒ごとはできるだけ避けていきたい。

 クラスで何かを決めるときには、大勢が手を挙げるところに手を挙げる。

 学級委員長など責任のある役目に立候補するなど絶対にあり得ない。


 それが勇真比呂だ。


 おれはぼうぜんと鏡の自分と見つめ合った。

 この奇妙な感覚は、勇真比呂の人格にエクトラントのおれの人格が記憶ごと放り込まれたようなものだった。

 これまでの勇真比呂の記憶に、魔族と戦ったおれの記憶が共存しているのだ。


 混乱の収まらないおれが、ここで気の利いた言葉を言わなくても、そこは寛容に捉えて欲しい。おれが鏡を見つめながらつぶやいたのは、次の言葉だったのだ。


 「まじ?」

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