第1話【怒りのカウンターパンチ】
目を覚ますと、そこはどこかの街の一角だった。
石畳の地面に、赤煉瓦で詰まれた家。ここは大通りなのか道幅が広く、馬車が走っていた。
ともすれば中世のヨーロッパめいた風景。否、実際に中世ヨーロッパの風景を見たことがあるわけじゃないので、むしろRPGめいた光景と言った方が正しいと思う。
そんな場所に俺は立っていた。鞄を肩に提げて。
そこに、再び馬車が目の前を通る。そこに違和感があった。
馬車は馬がひいているので実際馬車なのだが、その御者台に乗っているのが、明らかに犬っぽいのだ。
否、犬そのものだ。獣人というやつだろうか。
下をぺろりて出しており、疲労が伺える。
見てみると、通りにもちらほらとドラゴンめいた人や猫めいた人がいる。それらはめいめいに語り合い、仕事をし、生活に溶けこんでいる。これはつまり、
「異世界転生か……」
驚いた。異世界転生にではない。自分の声の低さにだ。
明らかに俺の声ではない。俺の声は女声と揶揄されるように高い声だった。だが、この声には明らかに聞き覚えがある。そう、まるで、これはハリウッドスターの──。
「スタローン……」
慌てて、すぐそばにある民家の窓で自分の顔を確認する。それはまさしく、「ロッキィ」シリーズや「ランボゥ」シリーズで有名なスタローンそのものの顔だ。しかもこれは恐らくスタローン全盛期、ロッキィ3やランボゥぐらいの時期の顔だ。
見ると、服装はまるでランボゥの序盤でスタローンが着ていた衣装とそっくりだ。ジャケットの下は、やはりタンクトップだった。ピチピチの筋肉が張りつめている。
そういえば、いつの間にか肩に鞄を提げていた。
慌てて中身を確認する。
鞄の中には財布と、着替えの服装程度が入っていた。
……当分の生活は保障されているということか。
まさか、突然異世界に飛ばされてスタローンになるとは。一体これはどういうことなんだ……。
とりあえず宿の確保だ。この世界の通貨制度は知らないが、流石に宿に困るほどの端金では無いだろう。
財布の中身を確認する。
すると、そこに身分証らしきものを発見する。
そこにはスタローンの顔写真(この世界にカメラがあるのか?)と名前が書いてあった。
『ユーキ・スタローン』と。
女神トラウトスと言ったか。彼女は一体何が目的なのだろうか。
ただ普通の高校生だった俺をスタローンにして異世界転生させるとは。そこに何の意味があるというのか。
考えても答えは出ない。
今は、とりあえずこの世界について知るべきだ。
しばらく、宿を探して街をブラブラして歩いてみる。やはり中世ヨーロッパというよりかはどこかRPGじみている。
剣を腰に携えた騎士みたいな人や、ローブを着た魔術師めいた人もいた。
無論獣人竜人といった多種多様な種族も沢山いる。
異世界だ。まさに異世界だ。その実感が今更ながら湧き、少しばかり気持ちが高ぶったのは言うまでもない。スタローンめいた無愛想な表情にも笑顔が浮かんでいたことだろう。
その時、先ほど俺が転生してきた大通りで大きなどよめきが聞こえてきた。
何かあったのだろうか。
とりあえず異世界について知るチャンスだ、と。ささやかな野次馬根性で騒がしい方向へと足を向ける。
否、向けようとした。さらに否、向けるまでもなかった。
何故ならそのどよめきが、徐々にこちらに近づいてくるからだ。
見ると、一人の、燃えるような赤い髪をした少女が人波を掻き分けながらこちらへと走ってきた。
「どきなさい!どきなさーい!」
なんと傍若無人な態度か。しかし、見ると少女は複数の人、それも帯剣した騎士めいた人に追われているようだ。
「待て、待ちなさい! お嬢さま!」
「うるさいわね! 待たないわよバーカ!」
どうやら赤髪の少女は貴賤な血筋の少女らしい。
騎士に追われているということは、家出か?
気づいたら、赤髪の少女は俺の目前にまで迫っている。
「邪魔よ! どきなさーい!」
赤髪の少女はこちらを睨みながら叫んでいる。
そんな少女の横柄な態度に、なんとなく退く気にならず、そのまま突っ立ていた。
少女もまさか退かないとは思わなかったようで、慌ててブレーキをかけるように足を止める、が。そのまま滑るように俺の胸にぶつかる。
少女はマンガめいた見事な転びっぷりで尻餅をついた。
当然俺は無傷。流石はスタローンの体幹だ。
「いったた……」
少女は尻餅ついた尻をさすっている。しかしそのポーズはこちらのアングルから見るとパンツ丸見えで、やはりパンツ丸見えだった。柔らかな質感の白だった。
少女は俺の視線に気づき、あわててスカートの裾を隠す。
その顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「み、見たな……」
ああ、見た。見てしまった。しっかりと。
「すまない」
慌てて謝罪する。
「見たでしょ! こ、この変態ー!」
しかし、少女は取り付く島もなく、突然拳に火を宿して殴りかかってくる。というか拳に火がつくのか! すげえ!
突然のことに俺は混乱してしまい、少女の拳を普通にかわした。何故ならスタローンの反射神経だから。炎の拳が頬をかすめる。そしてカウンターパンチを放つ。
「ヌン」
スタローンのパンチが顎にクリーンヒットした少女は白目を向いて気絶し、地面に倒れた。
やってしまった……。さすがはチャンプの拳だ。まさにロッキィで見たような鋭い威力のパンチだった。それを俺が放ったのだ。
しかし、この少女には申し訳ないことをした。パンツを見てしまった上に、殴って気絶させてしまうとは。
でも、パンツを見ただけで炎の拳を放つのはどうかと思う。
多分、スタローンじゃなかったら死んでた。
それにしても、まだ俺はこのスタローンの肉体に完全に適応できていないのだと思う。
突然のこととはいえ、反射的に拳を放ってしまうとは……。
「お、お嬢さま!」
すると、この少女の追っ手らしき男が駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか、お嬢さま!」
しまった。これは、面倒なことに巻き込まれた予感だ。
「お嬢さま! お嬢さま! 貴様……システリカお嬢さまに何をした!」
この騎士めいた男は怒りの感情を目に宿し、剣を抜く。それに倣って周りの部下みたいな騎士達も剣を抜く。
やはりこうなったか。
この男達からは俺は今この場で斬り伏せんとする意志を感じる。
以前の俺だったら間違いなく恐怖しただろう。しかし、今は不思議となんの感情も湧いてこない。
「我が名はトラウトスティア王国ヴティヴェル騎士団副団長! アーマル・イズゴルス! 今、ここで貴様を断罪する!」
そういてアーマル・イズゴルスは斬りかかってきた。それにしても、ここはトラウトスティア王国という名なのか。
俺はアーマル・イズゴルスの放つ剣戟をかわし、その剣を握る手をめいいっぱいの握力を込めて左手で掴む。
「ぐぅ……!」
アーマル・イズゴルスの顔が苦痛に歪む。スタローンの握力だ。
がら空きになった右わき腹に膝蹴りを二回叩き込み、アーマル・イズゴルスがよろめいたところで右フックを食らわせる。
「ヌン」
アーマル・イズゴルスは気絶した。
「き、貴様! よくも副団長を!」
さすがよく鍛えられた騎士達である。指揮官が倒れたというのに一歩も引かない。
騎士達は剣を構え、一斉に襲いかかってくる。
それよりも素早く動き、開脚蹴りで一度に二人、吹き飛ばす。それに怯まず騎士達は襲いかかってくる。それらを打投極を駆使して全員打ち倒す。
周囲には、気絶した騎士たちと、お嬢さまと、野次馬だけが残った。
改めて、自分の力にぞっとする。
確かに俺はスタローンになった。
だが、スタローンはアクション俳優だ。決して強いわけではない。
なのに、この俺の強さは映画で見るスタローンそのものだ。下手すれば、これは世界を滅ぼすほどの力かもしれない。
「う、ん……」
赤髪の少女──システリカが呻く。それにしても、この子には悪い事をした。そういえばまだ名前も知らない。
折角だから看病してやろう。
とりあえず俺は、その少女を肩に抱えて医者を捜すことにした。