序【スタローン・イン】
光の中に包まれていた。
名前も過去も思い出せないが、死んだという実感だけが心の中にある。
「ここはどこなんだろうか」そう言おうとしたが、震わせる喉が無いので泡となって消えた。
「俺はどこへ行くのだろうか」その問いかけもまた泡となって消え、意味のないものとなった。
段々と自己を認識する実感が消えはじめ、意識が光に溶け始める。
暖かく、光と一体になる心地よさが全身に広がる。いや、全身こそ光なのだ。
──もういいや、もう終わりにしよう。
そのまま全てに光りを委ねようとしたその時、
「──聞こえますか」
声が響いた。
意識が僅かに揺り戻される。
ガラスのように繊細で鐘の音のように遠大な、美しい声だ。
「聞こえますか?」
返事をしたかったが、返事を返せる喉がない。
だけど、どうしても声を返したくて喉を震わせた。
「──はい」
音が響いた。それは共鳴して光に広がる。
「はい、聞こえます」
すると、声が返ってきた。
「よかった、あなたはまだあなたのままですね」
どういうことだろう? 俺は俺なのだろうか?
「まず、落ち着いて聞いてくださいね。あなたは、死にました」
声の主は重々しく告げる。しかし俺は既にそれを知っていた。
「おや、驚かないのですね」
顔の見えない声の主が、少し、笑ったように感じた。
「やはり、あなたは特別……」
声の主の言うことはさっぱり要領を得ない。なので俺は質問することにした。
「あなたは誰ですか?」
声が響く。
「どうやら意識が徐々に戻ってきたようですね」
しかし、声の主はそれに答えない。聞こえなかったのかもしれない。もう一度問おう。
「あなたの名前を教えてください」
「あなたは死にました。その事実には変わりません」
声は響く。なのに返事は返ってこない。これは、意図的に無視されているのだろうか。
「あなたはあなたの自意識があります。なので、あなたには選択権が与えられます」
それよりも人権が欲しい。例えば、声をかければ返事が返ってくる程度の。
「選びなさい。このまま光に溶けて神々の一部となる悦びに甘んじるか。それとも、再び生の苦しみに身を投じるか」
声の主は問う。恭しく。それな神の啓示めいていて。否──、
「さあ、選びなさい。あなたは私になるのか、それともあなたになるのか」
「神、そのものなのか」
なるほど、まさか神に会えるとは。夢にも思わなかった。いや、これこそ夢めいたことか。
「さあ、三上結城よ。選びなさい。死か──生を!」
そこで、急激に記憶がフラッシュバックする。
今までの人生。何も無いが、ささやかで幸せな日々。そして、唐突に現れた死。
思い出した。俺は何もせず、何も成し得ず、死んだ。
俺は三上結城だ。それと同時に何者でもない。
俺は、俺は──。
「どうせならスタローンのようなタフな男になりたかった!」
俺はあの惨劇に対して為す術もなく死んだ。俺が、アクション映画で見るような、スタローンのようなヒーローだった。救えたのだろか。皆を──。
突如、光が収束する。否、光が空へと還り、俺の肉体は堕ちていく。
そしてあの繊細で遠大な声が響く。
「よく選びました。三上結城。あなたはこれから第二の生を全うしてもらいます。これが悦びになるか苦しみになるかはあなた次第です」
光と共に声が遠ざかる。そして光の粒子が下から照射される。
「私の名前は女神トラウトス。どうか、あなたの生に祝福があやんことを!」
肉体の落下速度は音速を超え、光速を超え、全てを置き去りにする。光の粒子は線形となり体を通過する。
そしてまた、光が見え、体が衝突した。
そこで俺の意識はブラックアウトした。
──そして、俺はスタローンとなった。