第2回 自覚
第2回 自覚
さて、読んでくださってる方が何人かいるらしいことをPV数で確認して少し喜びを噛みしめているレズことわこうです、こんにちは。
突然ですが第一回目を読んでくださった方の中にはどれくらい性的少数者、言うところのセクシャルマイノリティの方がいらっしゃったのでしょうか。第二回を執筆中にふと考える瞬間が何度かありました。
セクシャルマイノリティの性質を持つ人間はクラスに一人~二人だとか、消費税よりもちょっと少ないくらいだとか、世間ではごく少数であるからこそマイノリティと称されていることがわかります。このタイトル(吉田○好に土下座しないといけない)やタグに惹かれてこのページを開いてくださった方の中には世間よりも多くの割合でマイノリティの方がいたのではないのかと思ったり。
私一個人の考えとしては、性別自体一元的に語られるべきではないと思いますし、LGBTというカテゴライズ自体が狭っ苦しいような気もしますけどね。みんながみんなマジョリティの指向、思考、嗜好ではないと思うので。これについては延々と語れるのでまた別の回を設けようかと。
それはさておき、今回の本題に入りましょう。第二回のテーマは「自覚」です。文字通り私がいつ自分の性的指向を自覚したかについてです。
実は私の初恋の相手は男の子でした。当時三歳の私が公園の砂場で遊んでいた時のことです。近所に住むいじわるな女の子に砂をかけられていじめられているところをある人に助けられました。
それが私の初恋の人ことゆうたくん(仮名)です。シンデレラや白雪姫、王子様が出てくるおとぎ話を聞かされて育った三歳の私は男女が結ばれるものだと信じ込んでいましたし、三歳の頃なんて大した性差もありません。ノーカンとは言わないけど、正式にカウントするとエッセイ名をツレバイグサに変えないとですね。
しかしまあ、性欲が邪な感情だとされるのであったらあの頃の恋心は人生の中で一番ピュアなものであったでしょう。
前置きが長くなりましたが、そんな私が初めて自分が女の子を好きになる人間だと気づいたのは小学校六年生の頃です。十二年住んでいた町から引っ越し、人生で初めての転校でバタバタした年でした。
小学校五、六年生の頃といえば思春期真っ盛り。性教育なんてものが始まるタイミングでもあります。保健の教科書に出てくる「異性に興味を持ち始める」なんて文言に苦しめられた人も多くいるはずです。同性を好きになる人もいれば、異性、同性共に興味を持たない人もいるわけで。私ももれなく「あれ、私は男の子に興味がないぞ?」と悩み、好きな男の子の話をする友達に無理して話を合わせていました。
実際、みんながみんな異性に興味を持っているわけではなく、幼稚園から知っているような男の子にも女の子にも恋愛感情を抱きようがないと考える子も少数ながら存在して、私もきっとその類いの人間だと思っていたのです。
ですが転校を境に見知らぬ土地、そこで初めて知り合うクラスメイトたち、そしてまだ友達としての関係を十分に築いていない女の子との出会いによってセクシャリティを自覚しました。
鼻を垂らしたりだとか、遠足のバスで吐いちゃったりした過去を知っている、まるで家族のような距離感だったのが前の小学校の友達だったのでしょう。
転校先での女の子らしい女の子との出会いは私にとって新鮮で、何だか良い匂いがして、時折ぎゅっと抱きついてくるその子に胸がドキドキした時、とても幸せな気持ちになりました。恋をするってこういうことなのか、と小さな感動もありました。
それと同時に、これは誰にも言ってはいけない気持ちなのだ子供心に理解していて心臓がキリキリ痛かったことを覚えています。
思春期の頃って「普通」と違うことがすごく気になりますよね。くせっ毛だとか、体毛が濃い、薄いだとか。あとみんなが知ってる流行のものを知らないことも「普通」じゃなかった。「普通」じゃないとすぐに仲間外れにされる。
個人が生まれ育ってきた環境の中で身につけた常識、固定観念(偏見ともいう)から外れた瞬間、初めて人生の行き止まりに立ったような感じがしました。
自分で言うのも何ですが、運動も勉強もそこそこできて、友達だっていました。だけど男の子を好きになれない。女の子の方が好き。その一点だけが周りから外れていて、恥ずかしいことだと。こんなことを誰かに話したらいじめられるし、嫌われてしまう。親だって失望するだろう。年の離れた姉の出産・結婚も相まって、自分は孫を見せて親を喜ばせてあげられない欠陥品だ、失敗作だと自身を責めるばかりでした。
今思えばそんなふうに考えてしまったことがおかしくて悲しくもあります。当時は「同性を好きになる=気持ち悪がられること」という図式が自分の中で完成してしまっていました。私も偏見まみれの人間で、自分が当事者でなければそんな目で誰かを見てしまっていたのではないかと思ってしまったりもして。
こんな言い方をしてしまっては良くないのですが、何に関してもマイノリティな立場にあるクラスメイトに対して変に仲間意識を持ってやたらと肩を持ったり。
あの攻撃性の強い多感な時期に人の痛みに敏感になったことは、自分にとって良かったことなのでしょう。
とにかく小学生の頃はネット環境なんてなく、こんな人間は自分だけなのだとただただ暗い気持ちを抱えていたのです。
とまあ今回は暗い気持ちを保ったままこの辺りで終わっておこうかと。あの頃の感情をすべて文章に起こせたら良かったのですが、何ともかんとも力不足で。似たような気持ちだったよ、とか自分はもっとハッピーな気持ちだったとか色々な感想を抱いていただければと思います。もしくはこんな気持ちになるのね、知らなかった、とか。
次回は私のセクシャリティについてと、どう向き合って小学校を卒業したか。初恋の女の子とはどうなったのか、その辺りについて掘り下げる予定です。気に入ったら次回も読んでくれよな。
次回へつづく