第三話:おっさんは少女を拾う
レベルリセット。
それは全ステータスに10もの上昇を与え、スキルポイント20を付与した状態でレベルを1に戻す。
たった、10と舐めてはいけない。
レベルアップ時に各ステータスは1~3のランダム上昇。期待値は2。
5レベル分の強さをもって、レベル1になれる。
そして、本当にすごいのはレベルマックスになったときだ。レベル上限にたどり着いたとき、そこから先に5レベル分の強さがある。それは最強を目指す上で圧倒的なアドバンテージだ。
「三十六にもなって、レベル1とか笑えるな。十一の時に初めてダンジョンに潜って、レベル50にたどり着いたときには二十七だ。十六年。レベルが上限まであがるころには五十二か」
苦笑する。
だけど、そうはならないと知っている。
あのときは生きるために必死だった。強くなる以外にしなければいけないことが多すぎた。
何より、何も知らなかった。
冒険者たちは優しくない。やっているのはリソースの奪い合い、稼ぎ方なんて他人に教えない。
俺のように初心者の面倒をみている冒険者のほうが稀だ。
新人は、手探りで何もかも調べていく必要があった。
だが、今度は違う。
蓄えもある、装備も整っている。
この世界で積み上げて来た経験と前世の記憶。
これらがあれば、おそらく三年。いや、二年でレベル上限までたどり着く。
そうやって、今度こそ【試練の塔】へ向かうのだ。
「そのまえに、この子をどうするかだな」
俺の経験でも、前世の記憶でも巨大な水晶に閉じ込められている少女なんて知らない。
イベントキャラっぽいが、こんなイベントは存在しなかった。
少女を抱き上げる。
この世界の俺の記憶にはないが、この耳、この尻尾。
今の俺にはキツネのものだとわかる。
犬獣人、猫獣人、エルフ、ドワーフ、竜人、多種多様な亜人がいる世界だが、狐獣人はいなかったはず。
何はともあれ、このダンジョンから連れだそう。
水晶に閉じ込められている間は、食事も必要なかっただろうが、これからはそうはいかない。
食事を探しに外に出たところを魔物に襲われたら一たまりもない。
マントを魔法袋から取り出し、少女を包み抱き上げる。……いくらなんでも裸のままはまずい。
体が重い。
少女が重いのではなく、レベルアップの恩恵が失われているせいで違和感が強い。
だが、この動かない体が嬉しい。
今からまた強くなれる証明なのだから。
◇
レベルリセットをした女神像のさらに奥に、青い渦があった。
魔法の渦はダンジョンの最奥にあるもので、ここを通ればダンジョンの入り口に戻れる。
これがあるおかげで、冒険者は少ない荷物でダンジョン内に潜れる。引き返さないで済むのだ。
ましてや、今はレベルが1だ。
来た道を戻れば確実に死ぬ。
少女を抱いたまま、青い渦に飛び込んだ。
空間転移独特の浮遊感が体を包む。
……ここからがしんどい。
ダンジョン内ほどではないとはいえ、村への帰り道には野良の魔物が現れる。
そいつらを全員、避けて家にまで戻らないといけない。
さあ、気を引き締めて行こう。
◇
我が家にたどり着いた。
馬舎にラプトルを止める。たっぷり撫でてやって餌と水をやる。
危なかった。途中に何度か、レベルが20ほどの魔物と鉢合わせした。
ラプトルは少女という積み荷があったせいで足が鈍くなっており、逃げ切るのはぎりぎりだった。
……何度か少女を捨てて軽くしようと思ってしまったぐらいだ。
だが、ラプトルが頑張ってくれたおかげで無事帰ってこれた。
こいつとも長い付き合いだ。新しい街に連れていこう。
「さて、このお姫様をどうするか」
この村の孤児院に預けてしまえれば一番楽だ。
ただ、この子は見たところ十三歳か十四歳と言ったところだ。
孤児院は十二歳まで。
十二歳になれば自分で稼がないといけない。年齢がわからない以上、受け入れてもらえない可能性がある。
自活能力があればいいが……つい先ほどまで水晶に閉じ込められていた子だ。そんなものがあるとは思えない。
その辺りは本人に聞こう。
起きるまで待っているのもあれだし、夕食を買って来よう。
ゆっくり飲んでいる時間がない日は、あそこで特製のミートパイを買って来て、ミートパイを片手に作業をするのだ。
◇
夜が来た。
少女はまだ眠っている。
少女が起きるまで食事は待つつもりだったが、腹が減った。
かまどに火を熾して、ミートパイを温める。
いい匂いがしてきた。
腹の音がなった。いや、これは俺の腹の音ではない。少女の腹の音だ。
「やっと、起きたのか」
少女が上体を起こす。かけてあったタオルケットをどけて、キツネ耳をぴくぴく動かす。
小動物みたいな仕草が可愛らしい。
「おじさん、誰?」
「おじさんは冒険者だ。名前をユーヤと言う。君をダンジョンで拾った。さて、次は君のことを教えてくれ」
「私? 私は……えっと、誰?」
少女は首をかしげて、うなり始める。
……水晶に閉じ込められていたから、うすうす予想していたとはいえ、記憶喪失とは。
最悪のケースだ。記憶がない子を一人で放り出したら、野たれ死ぬか、人買いに捕まる。
「それはおじさんも知らない。……とりあえず、お腹も減らしているみたいだし、ご飯にしようか。食べながらゆっくりと思い出してみよう」
俺は立ち上がり、かまどに放り込んだミートパイを取り出しカットする。
そして、木製のジョッキを取り出し、俺のものには安物のエールを、そして少女のものには来客用に用意してあるミルクを注いだ。
「来なさい」
食卓に、カットしたミートパイとジョッキを並べる。
すると、少女はおそるおそると言った様子で近づいてくる。
多少は俺のことを警戒しているようだ。
「おじさん、これ、食べていいの?」
「ああ、いいよ。君のために一人じゃ食べきれない大きさのを作ってもらったからね」
少女はくんくんと匂いを嗅ぐ。
そして、一切れをとりバクっと食べた。
目をきらきらと輝かせて、もふもふのキツネ尻尾を振る。
非常に可愛らしい。
「美味しいか」
「うん、とっても美味しい」
「それは良かった。たくさん食べなさい」
少女が美味しそうにミートパイを食べる様子を見て、自嘲する。
俺も随分甘くなったものだ。
生きていくのに必死だったころは、他人の面倒なんて見なかった。
きっと、この少女も見殺しにしていただろう。
だけど、ベテランになり生活にゆとりができて、新人の面倒を見たり、この村の専属冒険者になってから変わっていった。
自分の力で誰かの命が助かること。それを素直にうれしく思える。
俺もミートパイを食べよう。
このままじゃ、全部少女に食べられてしまいそうだ。
◇
少女が食後のミルクを美味しそうに飲んでいる。
結局、彼女は特大ミートパイの七割ほどを食べてしまった。
「それで、君は自分のことを思い出せたか?」
少女は首を横に振る。
「ぜんぜん」
「……そうだと思ったよ」
予想の範囲内なので驚きはしない。
だからこそ、ここから先、少女に提案することを考えてある。
「君には三つの選択肢がある。一つ、この家から出ていき、自分の力で生きていく」
少女が泣きそうな顔をして俺の顔を見る。
記憶がない少女は頼れる相手もいない。
ましてや、この子はすさまじい美少女だ。
この子を狙う男は多いだろう。
この世界は、こんな少女が一人で生きていけるほど優しくない。
「他の二つを聞かせて」
ふむ、こういう前向きな話の仕方をできるということは頭のいい子だろう。
「二つ目、この村の酒場なら俺のコネで頼み込めば住み込みで働かせてもらえると思う」
酒場のマスターはいつも人手不足だと嘆いていた。
そこに俺の紹介とあれば無碍にはしないだろう。
この容姿なら売り上げの増加にも繋がる。
「酒場?」
「酒場の意味はわかるか?」
「わかる。お酒と食べ物を出すところ」
記憶喪失とはいえ、最低限の常識は失っていないらしい。
……そういえば、この子は俺に思い出してと言って俺にキスをした。
そのおかげで前世の記憶を思い出した。
その本人が記憶喪失とは笑えない冗談だ。
「親父さんは良い人だし、娘のニキータは君よりちょっと年上で面倒見がいい。たぶん、良くしてくれると思う。……もっとも君が働き者であればだけどね」
俺の紹介とはいえ、使えないなら放り出されるだろう。
「わかった。今の私の状況を考えると素敵な提案。最後のを教えて」
「最後は、俺と一緒に冒険者になること。ダンジョンに潜って魔物を倒してドロップアイテムを得たり、宝を持ち帰って生計を得る。幸い、俺はレベル1。そして、君もレベル1。お互い一から始める冒険者だ」
口に出してからどうかしているなと思った。
普段の俺は自分の眼で実力を見極めない限り、ぜったいにパーティに入れたりはしない。
足手まといを抱えた探索がどれだけ危険かを知っている。
それなのに、なぜか”そうしたい”と思っていた。
一応、イベントキャラの可能性が高く、俺の知識にすらないイベントを引き起こしてくれるかもしれない。そんな打算はあるが、そっちはおまけだ。
「あたりまえだが、酒場で働くよりずっと危険だ。……なにより、俺のような冒険者と四六時中に一緒にいるということ自体、君みたいな少女にとって辛いだろう。強制はしない。ここを出ていく、酒場で住み込みで働く、冒険者になる。好きな道を選べ」
少女は必死に考え込む。
記憶がない以上、判断材料は少ない。
とはいえ、十人に九人は酒場を選ぶだろう。
一番、安全な道だ。
そして、俺が推奨する道でもある。
少女は頷き、口を開いた。
「冒険者になる。ユーヤ、がんばるから仲間にして」
「理由を聞いてもいいか?」
「えっと、一人は怖い。酒場のおじさんは知らないけどユーヤのことは知ってるし、いい人」
俺をいい人か。
この人の信じやすさはちょっと怖いかもしれない。
少女は、それからと続ける。
「一番、楽しそう」
「そっか」
俺は笑う。
冒険を楽しそうと言ったことが嬉しい。それは冒険者にとって一番の素質だから。
「なら、決まりだな。明日、俺はこの村をでる。それから、俺たちに相応しいダンジョンのある町へ行く」
……この村のダンジョンではだめだ。
レベルリセットだけでは最強には届かない。
俺が向かうのは、冒険者にとって始まりの街と呼ばれるルンブルク。そこにあるダンジョンには、レベル上昇時のステータスを最大値で固定することができる隠し部屋がある。
加えて、まずはクラスを得ないといけない。そこで戦士、魔法使いなど、多数のクラスの中から自分にあったものを選択する。
クラスを得るための施設はこんな小さな村にはない。
始まりの街ルンブルク。そこは冒険者たちにとって聖地のようなものだ。
「わかった。楽しみ」
「今日は休もう。疲れた。君はそのベッドを使うといい。俺はソファーで寝る」
「ん? どうして一緒に寝ないの」
「恋人でもない男と女が一緒に眠るのはどうかと思うよ」
「そう? てっきり、〇〇して、〇〇するために仲間にしたと思った」
「……俺は大人だ。君のような少女に手を出さない。そもそも、俺がそういう男に見えているのかな?」
「ううん。ただ、男はそういうもの」
「本当は記憶があるんじゃないか?」
可愛い顔して、とんでもないことを言う。
俺はソファーに寝転がって背を向ける。
まだ、十三、十四の子供だ。手を出すわけがない。
「ねえ、ユーヤ」
「なんだ」
「私は名前がほしい。ないと不便。君って呼ばれるの、なんかやだ」
名前か、そう言えばミートパイを美味しそうに食べてたな。あのミートパイは酒場の名物で、店の名前が付けられている。
たしか、ルーナ・ミートパイ。
ルーナ、わりといい名だ。
「ルーナ。それでいいか?」
「ん。可愛い名前。これからはルーナ」
少女は嬉しそうにルーナと口に出す。
気に入ってくれてよかった。
さて、そろそろ寝よう。
明日は早い。冒険者は休めるときに休まないといけない。だから、ぐっすり眠るのは得意だった。