BlueBird ~After story~ 第5話
彼女の業務をこれ以上邪魔しては悪いので、ここらで翔は切り上げ、また来ると言い残して店を後にした。何、近い将来、あの大学から帰る場所はここに変わるのだ。フェイの更生プロジェクト(仮)は行使せねばならないが、何も二十四時間彼の元に居続けろといった制約はない。青群はただ、彼が一匹狼で社会性を欠いた状態で生活せぬよう、見張っていて欲しいと言っていたのだ。
(完全なマイルド解釈だけどね)
さて、と翔は現在の自宅である大学寮へ戻る。しかしその途中、ちょうど夕陽が街一体をオレンジ色に染め、帰宅ラッシュに差し掛かったところで、翔の前に一人の少年が駆け寄ってくる。
「翔兄ちゃん、助けて!」
依頼者は、生まれて初めて出会ったファアル民であるハルマだった。ハルマはすすり泣きながら翔の懐へと顔を埋め、涙で垂れてきた鼻水を拭いてくる。良からぬ状況であるのは分かるが、流石に汚い。翔はハルマの服を掴み、宙ぶらりんにした状態で要件を尋ねる。
「何があったんだい? いつも一緒にいるヒノが見当たらないけど……」
「そうなんだよ! ヒノが連れ去られちゃったんだ! しかもハイラナに!」
「ハイラナ!?」
あそこはこれからの時間帯、不良や排他的支配を望む輩が湧いてくる場所として有名だ。翔は、すぐさま家から反対方向へと走り出し、その後を追うハルマに詳しい事情を聞き出す。
彼の話によると、ハルマとヒノは数時間前まで共に行動しており、いつものように大学でリアルに関する授業を盗み聞きしようと潜伏していた(本来なら、ここで叱責が伴うシーンだが、それは後にとっておこう)。そして、授業が終わる数分前に施設を一時退散し、聞き得た情報を整理しようと路地裏へ向かったところ、偶然いた謎の男達に絡まれ、逃げ遅れたヒノが人質に捕らわれてしまったらしい。彼を返してほしければ、ハルマが手にしている魔導書と身代金を請求されるらしい。
「その人達の特徴は?」
「三人組で、皆黒いマスクをしていたよ。背中におっきな字でリアル語が書かれてた!」
(テンプレに当てはめたような人物像だな……)
しかもリアル語って何だと思いながらも、これ以上彼に不安を募らせても良くないと、翔はハルマに一旦自分の家に帰るよう伝えた。ハルマはリアルに対して人一倍関心を持っているので、家もわざわざこっちに引っ越したと聞いた覚えがある。だが、ハルマは彼の命令に従わなかった。ヒノは、自分にとって大切なパートナーだし、今回の件は自分の不注意が招いた事だからと責任を感じているらしい。
「翔兄ちゃんだって、ペロちゃんがピンチだったら、絶対かけつけるでしょう?」
その言葉は、彼の心にトドメを刺す。完全に論破された翔は、仕方なく彼を夜の街であるハイラナへと連れて行った。
エミレス城外へと出て、薄暗くなってきた空の下で足早に進んでいると、目の前に黒いビルが建ち並ぶ街が見えてきた。勤務時間が厳守されているこの街では、帰宅ラッシュが過ぎると、ほとんどのオフィスビルが消灯し、辺りは一瞬にして暗転する。ほとんどの人は、ハイラナシティ近辺に家を持つため、今この街には警備に関わる人物しか表向きは存在しない。
だが、それはあくまで表向きの話。この世界には、表側では決して記されない裏側が存在する。昼間は真面目かつ勤勉な人達が集まり、貿易が頻繁に行われる事であらゆる技術や情報が回る、先進的で希望の光に満ち溢れたハイラナシティだが、光が強い分、かえって陰は濃く映る。真面目な人達がいなくなったのを機に、ネズミの如く姿を現してはギャンブルや暴力、窃盗を通して王道から外れたルートで収益を得る者もいた。そしてその者達が活動し始めるのは、まさにこれからの時間帯だ。
僅かな街灯を頼りに、翔とハルマは裏側と化した街に足を踏み入れる。今思えば、ここから先に進みヒノを見つけ出す際、どちらにせよハルマの存在が必要となってくるのには違いなかった。
「じゃあ、この辺りを過去探しして、ヒノを連れて行った人達の跡を辿るね」
そう小声で伝えるとハルマは目を閉じ、何やら念を込めたと思うとカッと橙色の瞳を光らせた。考えると、彼が過去探しの力を発動させているところを見るのは、初めてだ。ハルマの片目には、時計のような模様が浮かび、徐々に針が本来とは逆に回転していく。すると、彼の目から放たれた光が照らす場所に、ヒノを連れた男達が、駆け足で街の奥へと消えていく映像が映し出された。ハルマはそのまま男達が走っていった後を追い、翔もそれに続いた。
(これが……過去探しの力)
望む過去へと遡り、あらゆるものの真実を見つけ出す力。こうして目の当たりにすると、彼も十分優れた能力者であると改めて実感した。本人は、未来使いにはとても敵わないと謙遜していたが、本当に謙遜で、かつて自分が持っていた能力と同じくらいの価値があると思った。
そして、彼の力は最後まで驚異的能力を発揮し、本当にヒノを連れ去った男達の元まで翔達を導いた。男はヒノをロープで縛り、長い耳をいじったり、足をくすぐったりして、主がこちらへ来るのを待ち構えている様子だった。
(よかった……何もされていないな)
手遅れになっていたらどうしようかと思った。その不安が解消されると、翔はハルマを後ろに退かせ、真正面から男達の元へと歩み寄る。
「ねえ。この子の友達、返してもらえる?」
「あ? 誰だてめえ」
男達は、ヒノをロープで吊しながら、ズカズカとわざとらしい足音を立てて威嚇する。ハルマは今にも泣きそうだったが、翔はそんな彼の手を優しく、でもしっかりと握りしめた。
「僕は、この子の友人でね。大切なパートナーがいじめられていると聞いて、飛んできたんだ」
「ああ? じゃあお前、身代金も何も持ってきてねーって事だな? ふざけんじゃねえ」
「おい、兄貴……」
挑発を続ける男の背後から、別の男がひそひそとこちらを見ながら話しかける。どうやら翔の姿を見て、何かに気づいたらしい。彼から話を聞いた男は、「ハン」と鼻で笑い、顎を突き出して見下す体勢に入る。
「どうやらお前、噂の『元未来使い』らしいな? だが、元である以上、その力はとっくに消えちまったんだろ? どうやって俺達に歯向かうって言うんだ?」
「それについては、心配無いよ。談合で済むならそれでいいし、もし話をつけてくれないって言うなら……」
と、そこで翔は鋭い目つきに変わり、ハルマの手を離した。「力ずくで取り返す」と、目で訴えていた。
これに男は、再び「ハン」と鼻で笑う。そして別の男が持っていたタバコを地面に投げ捨てたかと思うと、足元に巨大な魔法陣が飛び出した。
「これは!?」
「へへっ、さっきこのウサギから聞いたんだよ。この魔法を使うと、第三までの上格魔法が使えなくなるってな」
「なっ、何だって!?」
ファアルの世界から得た知識によると、魔法は五段階まで格式が定められている。第一魔法から第五魔法まである魔法のうち、第一から第三魔法と呼ばれるものは、何も無いところからある物質——例えば炎や水などを創り出したり、時間や空間といった人体に大きく影響を及ぼす魔法が含まれる。
それらが封印されたという事は、実質彼らに魔法で攻撃出来ない事を示していた。
魔法による攻撃手段を失ったハルマは、唇を噛み、己の無力さに失望する。一方翔は、とても冷静で慌てた様子が無く、まるで魔法陣の影響を受けていないと言わんばかりの落ち着いた表情だ。
「これで後ろにいる小僧の動きも封じた。で、お前はどうするんだ? そんなひょろっとした体で俺達に拳で対抗する気じゃないだろうな?」
「勿論、対抗はさせてもらうよ。ただ僕は、どちらかっていうと拳より……」
脚なんだけどね、と翔は片足を上げて、相手の動きをしっかり凝視する。これが彼の戦闘態勢。未来使いの力を失った彼の、新しい戦闘スタイルだ。
これに男達は爆笑した。挑発していた男や、後ろで観客として眺めていた男達が一斉に彼を侮辱し、聞き苦しい台詞をゴミくずの如くポンポン投げかける。翔はハルマに耳を塞ぐよう促した。彼のような純粋かつ心清らかな少年には、あまりに悲惨な台詞ばかりだった。
散々彼を馬鹿にしたところで、男は足元に転がっていた缶に足を乗せ
「出来るもんなら、やってみろよ!」
と、何やら足元から光を放ったかと思うと、そのまま翔目掛けて缶を蹴り飛ばした。風を切るようにして放たれた缶は、途中で眩く光ると真っ赤な炎をあげる。どうやら先程足元で光ったのは、何かしらの魔法が働いたものらしい。ただの缶から業火を放つ隕石のようなものへと変わり、物凄いスピードでこちらに迫ってくるにも関わらず、翔は尚冷静でじっと飛んでくるものの動きを捉える。そして、タイミングを計ったかと思うと、ハルマを後ろへ突き飛ばし、そのまま体を大きく回転させて、缶を足で受け止めた――ように見えた。
「何っ!?」
翔はまるでサッカーのシュートを決めるような体勢で、燃え上がる缶の動きを足で封じる。だが正確には、足で直接受け止めているのではなく、彼もまた足元から猛烈な風を起こし、その風圧で缶の動きをその場に留めていたのだ。
驚く男達を脇目に、翔は足を僅かに動かし、缶を勢いよく上空へと蹴り上げる。そしてどこからか吹き込む風を使って高く飛び上がったかと思うと、
「防いで!」という掛け声と共に、缶を勢いよく地面へと突き落とした。
それこそ隕石の如く急降下する炎の塊は、地面に激突したかと思うとたちまち周囲に熱風と爆音を起こし、笑い転げていた男達をあっという間に宙へ吹っ飛ばした。翔の掛け声で、咄嗟に防御魔法を発動させていたハルマとヒノは、暴風に煽られずただ茫然と倒れている男達を傍観する。
「何でだ……何で魔法が使える……?」
男達は魔法陣を作るのに失敗したのかと思った。しかし、地面には間違いなく魔法陣が働いている痕跡がある。ハルマ達が使ったバリアは、第五魔法にあたるため封印の影響を受けないが、翔が見せた魔法は、彼らの予想を覆すものだった。
「確かに風を起こす魔法は、君達が封じた第三魔法にあたるんだけどさ」
男達が見上げると、何故か翔は空中をゆっくりと降り立っており、得意気な笑みを浮かべている。そして、地面に着地したと同時に、体をかがめて両手を地につけながら
「僕が使っているのは、ただ空気の流れを変える『第五魔法』なんだよね」
「なっ……!?」
「最低ランク……だとおっ!?」
彼らが驚き、怒りのあまりに拳を振るい始めると、翔は地面を蹴って逆立ちになり、「よっ」と小さな掛け声を零しつつ、その場で素早く回転蹴りを仕掛ける。翔の周囲を突如竜巻が起こり、男達は彼に近づいたが故にまんまと竜巻の餌食にされる。遠心力で上空へと浮かび上がり、旋風ですっかり目が回った頃に翔は逆立ちから元の姿勢に戻り、竜巻をあっという間に消し去る。男達はぼやける視界で、翔の笑みだけを鮮明に捉えたのを最後に気を失った。
男達から解放され、ヒノの無事を確認すると、ハルマは再び泣きじゃくりながら翔の懐へと飛び込んだ。
「ありがとう! 本当にありがとう、翔兄ちゃん!」
「どういたしまして」
「しっかし、こりゃたまげたなあ……流石『疾風と旋風の使い魔』、『未来使いならぬ風使い』なんて通り名が出るだけの事はあるわ。まさか最低格の魔法を、そこまで巧みに使う奴がいたとは……驚きやで」
人質にされていたにも関わらず、ヒノは先程翔が見せた動きに興味津々だ。すっかりあの時の恐怖心は消え去ったらしい。一安心した翔は、ひとまずその場を後にし、元の場所へ帰ろうと歩き出す。
「さっきのは、男の人がわざわざ缶に魔法をかけて、熱風を起こしてくれたから出来たんだよ。普通に飛んで来ていたら、流石にあそこまで威力は出なかったさ」
「ねえっ、さっきのやり方教えて! 僕も第三魔法に頼らない方法で戦ってみたい!」
「そう言われても、あれはなかなか危ないからな……それにもう、こんな時間だし 」
「良い子はおうちでねんねしな、ってな」
最後の台詞は、その場にいた三人とは別の人物から発せられたものだ。振り返ると、月光に照らされるフェンスの上に、一人の少年が立っていた。ハルマ達は思わず身構えるが、先程の一戦を見た後なので心強い助っ人がいると、少し強気な姿勢だ。しかし、少年の手から放たれた雷光を目にすると、すぐさま威勢を引っ込める。一方翔は、その電気を見ると、寧ろ安心した様子で彼に話しかける。
「分かってるじゃないか。それだけの常識を弁えているなら、さっきの男達もしっかり叱っといてくれよ、颯」
「うっせえ。俺は、あいつらと無関係なんだよ。ここにいる連中が、皆同じ分類だと思ったら大間違いだぜ、兄貴」
翔の義弟であり、このハイラルで暮らす悪童の一人「氷室 颯」は、フェンスから飛び降りると、自身の額に指を立てて、ベーッと舌を出す非道なご挨拶をした。