BlueBird 第79話
一方歪んだ場所では、光と闇、あるいは人と人ならざる者の激しい攻防が繰り広げられていた。陽炎のように揺らめく不安定な空間を貫くようにして走る彗星が、アラベルの後を追い、突如彼の前に現れたフェイが奇襲をかける。空間を巧みに操る二人を見て、アラベルはさらなる超人化を心待ちにしていた。
「もうすぐだ……君達はこの生まれたばかりの世界でもまた、条理を覆し、さらなる歪みとなる」
「黙れ!」
飛び掛かるフェイに向かってアラベルは手を伸ばし、漆黒の弾丸を放つ。「しまった」とフェイが歯を噛みしめたと思うと、それが彼の顔を直撃する事は無く、代わりにアラベルの手が闇の弾ごと彗星で弾き飛ばされる。これに苦しんだと思いきや、アラベルはさらに声高な笑い声をあげた。
「凄い……凄いぞ! とうとう闇と認識したものを強制離脱させる力まで伸ばしたか……ツバサ!」
「くっ……」
目が熱い。まるで燃えあがっているような激しい熱風が、目元をかすめる。あるいは、本当に燃えているのかもしれない。彼に襲い掛かる彗星はさらに勢いを増し、指示せずとも思い一つで簡単に飛んで行ってくれるようになっていた。けどそれはつまり、僕が未来使いとして、僕として最期の力を解き放つまでの前兆である事を報せていた。
体が熱い。今にも中身が蒸発して爆発しそうだ。その熱をもって、僕は確信を得た。すると、飛んで行った彗星がこちらへと引き返し、まるで光を、力を、さらなる熱を加えるようにして僕の元へと集まってくる。
アラベルはここで久しく驚愕した。さっきまでの余裕気な表情はどこかへ行ってしまった。轟々たる爆音から聞こえてくる小さなさえずり、彼から溢れる眩い光のシルエットが、アラベルの中にある何かを、アラベルじゃない何かの心を揺さぶったのだ。
「君は……貴様は……!」
「うがあああああああああああああああっ!!!」
焼ける喉を引きちぎる覚悟で、僕は力を抑えようとしていた心を栓抜きのように切った。あらゆる思い出が過る、たくさんの人の顔が思い浮かぶ、大好きな声が、大切な言葉が僕の中で再生される。その全てを守りたい思いが湧き上がる。皆のためなら、僕はいくらでも強くなれる。いくらでも犠牲になれる。
「これで、終わりだあああああああっ!!!」
心がバネのように跳ね上がった。それにつられて体も一瞬痙攣を起こした。そして、全身を纏う光が僕の体ごと、心ごと、意識ごと、この歪んだ世界全体へと広がっていった。歪んでいるとか関係無い。アラベルが闇の防衛も機能せず、肉体的制約も無視して、僕はあらゆるものを焦がした。
光に満ち、喝采とも呼べる音が耳に飛び込んでくる。光の泉で溺れないよう顔を上げ、微かに見える人陰からフェイの「うへえ」と笑う顔を見た。
(そういえば……)
あの夢の中に、彼の姿があったような気がする。
(そうか……)
これは決して初めて見る光景じゃない。だから僕は拒まなかったし、今こうして消えゆく運命も、受け入れられる。知っているって、こんなにも安心出来る事で、こんなにも諦められるものなんだと思った。
(ごめんな)
最期に出る言葉もやっぱり謝罪なのか、と僕は自分で笑った。でも謝る相手はたくさんいる。今もきっと僕のために戦ってくれている人達、旅が終わってもまた来てと誘ってくれた人達、例え未来使いのご加護だとしても、僕を本心から弟として迎え入れてくれたシュウヤ、兄を見つけたら兄弟共々一緒に話そうと約束したハヤテ、折角会えたのに親不孝してしまう事になるペロ―—母さん、守りたいと誓っていたのに最後で裏切ってしまうカノン、そして最期まで嘘を吐き続ける僕自身……
「本当に……ごめん」
嫌だけど、仕方ない。こんな形で別れたくないけど、仕方ない。死にたくないけど、仕方ない。
これが運命なんだ。
嫌だけど……こんな形で別れたくないけど……死にたくないけど……死にたくない。
(そうだ……)
何が運命だ。こんな運命は嫌だ。
こんな運命で別れるなんて、おかしな話だ。死にたくないに決まっているだろう。
僕は生きたい。やっと再会出来たシュウヤとちゃんと話したい。ここまで頑張ってきたんだ。ペロにも、母さんにも会えた事話したい。ハヤテの事も教えたい。
皆に会いたい。やっと会えたんだ。それを伝えて、皆に改めて感謝しないと。
それにやっぱり……カノンを一人にしたくない。母親を亡くして涙した彼女の顔を知っているから、間近で見てきたから、その思いを理解出来るのは僕しかいないから。そんな僕がいなくなって、おまけに約束を破ったなんて事したら、向こうで彼女に合わせる顔がない。
(嫌だ……)
嘘吐いてごめん。本当は嫌なんだ。本当は生きたいんだ。
仕方ないとか運命とか、そんな理由で簡単に諦められるはずがない。
僕はやっと、自分の気持ちと向き合えるようになったんだ。
――ツバサ、いつでも私の事呼んでね。
一人は嫌だから。君が好きだから。約束を守りたいから。君を悲しませたくないから。
……死にたくないから。君と一緒にいきたいから、生きたいから。
(カノン……)
薄れていく意識の中で、何となく手を伸ばしてみる。すると、その手を誰かが掴み、そのまま僕の体は誰かの元へと引き寄せられる。光の中でよく見えない。ただ、頭を撫でられる感触を体は覚えている。
「ツバサ」
最期に、息が止まりそうなところに、彼女からそっと優しい口づけを受けた。
*
空に現れた裂け目から溢れた光は、城を中心にはるか遠くまで広がって行った。世界全体を覆うように。
「闇が……」
「光になって……」
光の粒子が舞い降りてくる空を、彼らは暫くの間ずっと眺めていた。
彼らだけではない。突然の異変に城の近くまで駆け込む人々も、王の帰りを待つエミレスの人達も、闇から抜け出し、復興活動に取りかかっていたハイラナの人達も、突然雪のように降ってきた光の粒子を不思議そうに眺めていた。数々の民族が交流の輪を広げている地にも、獣が眠る森にも、風が吹き荒れる砂漠にも、そして彼らが住んでいた街にも光は舞い散り、不穏だった空気を一瞬で浄化していく。
残っていた影は光に気づくと、まるで帰る場所を見つけたかのように自身も光の一部となって消え去った。
「これで……終わった、みたいだな」
すると、遠方からも光が溢れ、空から地上を見下ろしていたカイトは、海だった場所が一部陸へと変化する光景を目の当たりにする。陸には広大な森と豊かな街が広がっており、そこでも彼らと同じくして光の祭典を傍観する人達がいた。
「おい、セグル! 何か新しい世界が出てきたぞ!?」
「もう一つの世界、ファアルだ……」
「ファアルだって!?」
亀裂が光に呑まれるようにして徐々に小さくなっていく。歪みと呼ばれていたものも解決したらしい。
……解決した?
「なるほどな。闇が消えて、本当にリアルとファアルが繋がったんだ」
「本当に……終わったのか」
シュウヤはハヤテの言葉に頷かなかった。そして、焦りを隠せない表情で剣を構え、空に向かって大地を盛り上げようと図る、がセグルに止められる。
「何する気だ」
「離せよ! ツバサがまだ帰ってきてないのに、終わったとか言うな!」
「落ち着けシュウヤ」
「これが落ち着いてられるか! あの亀裂が消える前に、あいつを連れ帰るんだ! じゃないと……」
「分かっているのか? あの状態でわざわざ中へ入る馬鹿はいない。そんな愚行、ツバサは望んでないはずだ」
「じゃあ何だよ! お前は、ツバサを見殺しにしろって言うのか!?」
「……!」
セグルは言葉を詰まらせる。それにシュウヤは心底驚いた。
彼は最初から帰ってこない事を悟っていたのだ。祝福された雰囲気が一気に張り詰め、ハヤテは居たたまれない気持ちになる。そして、彼が兄貴の探していた人物だと確証し、自身の願いが叶わないと知らされ、一人膝をついた。
ヘリから降りて駆け付けたカイトも、この状況に戸惑いを隠せない。そして辺りを見渡し、本来いるはずの人物が一人欠けている事に気づく。
「そういや、カエデっちはどうした? あの子もあの中に入っちまったのか!?」
「!?」
シュウヤはすかさず剣を振るう。しかし、セグルがそれを頑なに拒んだ。彼の腕を固め、カイトにも化成するよう声をあげる。シュウヤの目から、僅かに涙が零れている。
「離してくれ!」
「彼女だけでなく、お前まで犠牲にしてたまるか!」
「俺はあいつを守るんだ……兄として弟を思うのは当然の事だろ!? だから行かせてくれ! 俺もあそこに行くんだ!」
「馬鹿! そんなんで死んだら、ツバサが泣くぞ!」
「それでも……」
そこで漸くシュウヤの力が緩んだ。抵抗するにも疲れてしまい、ガックリと項垂れながらシュウヤは嗚咽を吐いた。セグルも無力だと肩をすくめ、シュウヤに謝った。無念さが立ち込める中、彼らから離れた場所で、ハヤテが涙ながらに拳をぶつけていた。
「何でだよ兄貴……、約束したじゃねえか。こんな形で兄さんに会いたくねえ……お前が連れて来いよ……バカみたいに笑ってさ!」
苦渋を噛みしめ、傍に転がっていた石を蹴り上げると、その先でほのかに光る空間があった。
そして、再び眩い光が放たれたかと思うと、くすんでいた彼らの瞳がたちまち潤い輝きだす。
「!」
「おい……見ろよ!」
シュウヤを先頭に彼らは光のある方へと駆け出した。爽やかな風が髪をなびかせ、温かい光は徐々に形を作って、お互い離れぬようひしと抱き合う二人を彼らの目に映した。
「ツバサ~!」「カノン~!」
彼らの声に、カノンが先に目を覚ます。うつらうつらとしていたが、体を動かした事でもたれていた彼の身が傾き、慌てて意識を覚醒させて彼を抱えた。
口が小さく開いたまま、ゆっくり目を開ける彼を見て、カノンの目はたちまち熱を持ち、口角を上げた。
「生きてる……生きてるよ、ツバサ!」
緑色の目と琥珀色の目を持つ彼は、最初きょとんとしていたが、カノンに続き涙を零しながら笑いかけるシュウヤ達の顔を見て、ほっと一息ついて
「ただいま」と、皆に笑い返した。