BlueBird 第78話
カノン達と別れて空高く飛翔すると、歪みの中はこの世のものとは思えない光景が広がっていた。決して入り混じる事の無い闇と光が無理矢理交錯して、不思議なオーラが生まれている。歪みの中を飛んでいると、突如今いた場所から前に、あるいは後の時間帯にいる場所へと移る事もあった。視界がぼやけて、光と闇が混じる事で激しく点滅する。頭痛がしたり、時々胸が苦しくなる。
どこからか怒りの声が近づいたり、遠ざかったりしている。僕は、あやふやな手掛かりを頼りに声のする方に向かって飛んだ。光が一瞬目を眩ませたところで、目の前に先客のアラベルとフェイが対峙している。
「フェイ!」
「なっ、お前……」
「やはり、来ましたか。予知した通りの展開ですね」
小さな彗星がアラベルに警戒したのか、僕の周囲を激しく飛び回る。光の軌跡から驚き呆れるフェイと、相も変わらぬ不気味な笑みを浮かべるアラベルの顔が映った。僕が影を破った事や、世界に歪みが生まれる事もまた、彼にとっては既知の範疇らしい。するとアラベルは、フェイ目掛けて闇のオーラを放ち、彼を僕の隣にまで移動させる。
「単刀直入に言おう。君達がここで死ねば、世界の歪みは消える」
「君『達』……?」
彼の言葉に、僕は思わずフェイの方へと顔を動かす。フェイは溜息を零しながら、奴の口から聞けと、わざとらしく視線をあちらに向けた。
「ツバサ、君が犯した世界の罪は重い。死の輪廻を抜け出し、新たな二人目の未来使いとしてこの地に残り、さらには君の心を他人に植えつける事で、他人の心をも操った」
「……」
「その証拠に、あの無惨な姿を見たにも関わらず、君の兄と呼ばれる人は、あの場で手を伸ばし、君のために力や夢を尽くす。君に永久の想いを誓わんとする彼女は、人ならぬ力を抱き、君と同じ人ならざる者へと変えた。全ては君が起こした事だ。無意識のうちに未来使いとなっただけでなく、その力を使って君は、自身を生かすために他人の未来を変えた――或いは奪ったのだ」
「……」
「そしてフェイ、お前は何もせずとも大罪を犯している。お前の存在は、生物の概念を根本から崩すものだ。お前がいる事で世界には既に歪みの基盤となるものが出来上がっていた」
「……」
「そこへさらなる歪みの要因が加わり、このような事態になったのだ。とくとして許されない罪を、君達は、生きたいと願った事で犯したのだよ」
「さっきから偉そうに。俺の件はともかく、こいつに関しては、完全にてめえがそうなるよう仕組んだ事だろうが」
どうしたのだろう。フェイが自分ではなく、僕について話をしている。異様かつ異質な状況に、僕は彼に対する反論を忘れて、フェイの心情の変化に呆気を取られた。そんな事構わず、フェイは続けて言及する。
「てめえがどうやって、こいつの過去を知ったのかはさておくとして、そこからこいつの仲間の心が偽物だと断言するのはお門違いな話だ。そして、未来使いに関する話をそれだけ卑下して語った張本人も未来使いだった、っていうのも気に食わない。こいつに散々絶望させるような事告げといて、何でてめえがそこまで余裕なんだって話さ。他人事にも程があるだろ」
「僕は自身の運命を最初から予知していたからね、絶望するのも飽きた頃合いなんだよ」
「違うね。てめえは最初からこいつの心に陰りを作って、歪みの要因にしようと目論んでいた。影を作ったのも、未来使いに関する『旧話』を唱えたのも、全部こいつを悪者として愚者として陥れるためにやった策略だろ。
そしてこいつを大きな歪みにして――自分よりも大きな歪みと周りに認識させたところで、こいつを消して『己の歪み』を隠匿しようとしているだけだ!」
世界の歪みは、この世界の条理を覆したのは、そうするように導いたのは、最初から世界の条理を崩していたのは
僕は顔を上げて、青白く光る目に自分の目を重ねた。
「本当の歪みは、君なんじゃないか?」
「……ああ、そうだよ」
あっさり認めた。彼は、自分こそが歪みの起源であり歪みの支配者だと語り、周囲で渦巻く光と闇を一瞬にして消し去った。
光と闇が無い――それが一体どういう事なのか、正直僕には上手く言い表せない。ただおどろおどろしい何かがそこにあって、浮かんでいるのか穴が空いている。光が無ければ陰も無く、陰が無いと僕らは立体として認識出来ない。そもそもそこに何かがあるのか、あるいは無くなってしまったのかすら分からない。何もかもがあべこべだ。
「僕はね、過去から来た未来使いなんだ。正確には、過去の未来使いからその力を奪って、現世まで生きている。そして君という『新しい』未来使いの存在を消すため、偶然あった歪みを使ったのさ。君諸共消し去り、未来使いの存在意義を元に戻すためにね……そしてこの願いは、どうやら叶うらしい」
「それは……僕が最期の未来予知をしたから?」
ある時見た、吐き気のする夢が再起した。それをくみ取ったアラベルが、わざとらしく優しい笑みを作る。彼の細目が笑いえくぼが気味悪い。
「そうだよ。君はこの世界の歪みを消し、ついでに闇も消して、リアルとファアルを一つにする事に己の人生を捧げるんだ。素晴らしいね。英雄みたいだね。
でも残念ながらその記憶や記録は、永久的に残されないよ。歪みを消すと、その中にいたものの存在や概念も、現実世界にいる者達から消えてしまうんだから。そして歪みを消すには、この中で僕と戦うしかない」
「こいつの存在諸共、未来使いの存在を消す……そんな事のためにお前は、こいつの人生を滅茶苦茶にしたのか。ただでさえ、散々な痛みも苦しみも味わったっていうのに、てめえはさらなる苦痛をこいつに被らせる気かよ!」
何故かフェイが怒っている。不覚にもこの気持ちは彼も同じらしく、アラベルは本当に不思議そうに首を傾げた。
「君が気にする事では無いだろう、フェイ=クライシス? 君は別にここから逃げてくれて構わない。彼がどうなると君には関係無い事だし、君がもし現実世界に戻ってくれたら、また歪みを作るきっかけ作りに貢献出来るんだからさ」
「ふざけるな。俺は、てめえの手先になった覚えは無い。それに……」
漸く自身の言動が、僕らを惑わしている事に気づいたようだ。フェイはフイと目を反らして、勘違いするなと小声でぼやいた。
「俺は別にこいつに慈悲を抱いた訳でもない。全て自分のためだ。俺もやっと願いが叶うんだ。歪みを使って不老不死の呪縛から解き放たれば、俺はやっと死ねるんだよ」
「フェイ……」
「君の事だ。そんなとこだろうと思ったよ。やっぱり不老不死はさぞ辛いものなんだろうね。周りの人が次から次へとこの世を去っていく有様を、常に看取らなくてはならないんだから」
「知ったような口聞くな」
「知っているさ。僕もこう見えて、不老不死なんだ」
空言を、とフェイは呆れ返ったように首を振った。
「これ以上こいつの口車に付き合う必要は無いな。さっさと肩つけるぞ、ツバサ」
「ああ、さっさと決着をつけるがいい。そして君達の結末へと辿り着くがいいさ。世界を一つにして、闇や歪みという驚異から救い、僕の願いも、フェイの願いも、人々の願いも――つまりはツバサの願いも、全て叶えて幸福な終わりを迎えよう」
「……」
一人だけ、願いを叶えられていない。誰よりも大事にしたい人の願いを、叶えられていない。
*
歪んだ世界。あの亀裂の中から時折降ってくる闇の塊が、地上に降り立つと同時に影へと姿を変え、襲いかかってくる。もう世界を脅かす闇の大半は、彼の神々しくきらびやかな光が切り払ってくれた。自分達に出来るのは、最早残骸と呼べる目の前の影を片づけるだけだ。
「うおおおおっ!」
シュウヤが地面を蹴ると、飛ばされた砂が硬化し、破壊力溢れる礫となって影を追い払う。セグルはサーベルによる華麗な突きと、魔法で生み出した氷の彫刻兵を使って、影を凍てつく冷気で踊らせた。空からは、セグルの命令通り、未完成だった武器を全て組み立てたカイトが、砲丸の如く巨大な火の弾を飛ばし、激しい爆音と熱風で空中に留まる影を一網打尽にしている。
さらにヘリから別の人物が降りてきたと思うと、辺りに一筋の紫光が走り、遅れて激しい爆発を起こす者がいた。光の先端には、稲妻を纏った槍を構える金髪の少年「ハヤテ」の姿があった。どうやらカイトが一時退いた際、偶然異様な光景を目の当たりにしていたところを拾われたそうだ。こんな所まで足を運んでいる動機は、言うまでもないだろう。
「ったく、何だこの数は!? 俺が決めたあの竜が親玉じゃなかったのかよ」
「残念だが、それより大きな影がいたものでな。おまけにそいつを倒しても、こうして小さな影が散り散りになって現れる始末さ」
「はぁ!? じゃあこれ、もしかしてエンドレスに続く無理ゲーか!?」
「いや、その心配は無い。俺の弟が、心強い言葉を残して脅威の原点に立ち向かってくれている」
「へえーお前の弟すげえな……って」
そこでハヤテとシュウヤの目がバチリと合い、ハヤテは思わず雷に撃たれたかのような衝撃に襲われる。が、話を続ける前に、地面から沸き上がってきた影で邪魔される。シュウヤとハヤテは背中合わせになり、それぞれ大剣と槍を構えた。
「……なあ、どこぞの兄さん」
「何だ?」
ハヤテは影へ視線を向けながら、後ろにいる「もう一人の兄」にある誘いを提案した。
「……これ終わったら、俺の兄貴と一緒にアイスでも食いながら駄弁ろーぜ」
「? いいけど……?」
「ヘヘッ、そりゃ……楽しみだぜ!」
彼にとって喜びの返事が飛んでくると、ハヤテは気合いを奮い立たせて、激しい雷撃を繰り出す。シュウヤも負けじと、黄金に光る剣を振るって影を薙ぎ倒した。
皆が戦う中、完全に戦中から外れた場所で、カノンは一人胸に手を当てながら何かを祈っていた。
(ツバサ君……約束、したよ?)
皆が影を倒すにつれ、空間の裂け目が揺らぎながら徐々に小さくなっていく。早くこちらへ戻ってこないと、彼らがあの中で取り残されてしまうような気がしていた。カノンの背中には、幻で作った小さな蝶の羽が生えている。勿論幻なので、彼のように飛べず、彼のように風を操る力も無い。彼の元へ飛んでいけない。
(ペロちゃん……お願い)
彼女は「ツバサの希望」だと言っていた。けれど一つこじつけを言うとしたら、自分は誰よりも彼に近い存在。彼の心に入り込む事だって、彼の心に自身を重ねる事だって、何なら彼女になりきる事だって出来る。
(だから……私の希望だって、叶えてくれていいでしょう?)
儚かった。あまりにも虚しかった。彼女はここにいない。彼女も一緒に行ってしまった。ここには大切な彼も、なりきるための彼女もいないのだ。
すると、亀裂の間から眩い光が放たれる。
「何だ!?」
「やったか!?」
誰もが希望を胸に、亀裂から溢れる光を見守る。きっとあの暖かくも爽やかな光は、彼が解き放ったものだろう。今の彼なら、闇に触れる事も、近づけさせる事も出来ない。心強く、勇気づけられる程に、亀裂から漏れでた光は辺りの影に触れると一瞬にして消しさり、闇のオーラで薄暗かった空間を、たちまち鮮明な世界へと変えていく。光は、亀裂が狭まるにつれてますます眩さが増し、まるで太陽が降ってきたかのような閃光に、一同は思わず目を閉じた。
白銀の世界で、カノンは念じる。きっと伝わると願いを込め、心の中で彼の名前を呼んだ。大丈夫だと言ってくれた彼の顔がどことなく切なかったのが、どうしても気になって、心がざわついて、ここにいてはいけないと悟らせる。
すると、彼女の思いが通じたように彼の声が、彼女の翼がカノンの体を亀裂ある空へと引き上げる。
――一人は嫌だから。君が好きだから。約束を守りたいから。君を悲しませたくないから。
――……死にたくないから。君と一緒にいきたいから、生きたいから。
「助けて」