BlueBird 第75話
僕は僕が嫌いだ。
でもそれは、自分が嫌いって意味じゃなくて、僕ではあるんだけど僕じゃない「僕」が嫌いって意味だ。
僕は知っている。自分がどれだけの不運に見舞われたのか。自分がどれだけの不幸を味わったのか。
おまけに僕は僕の体を作る時、その不幸を一度に二度も味わう羽目にあった。
これだけの思いをしているのに、何であんたは……自分を責めるんだ?
気づけば僕は、檻の中にいた。人サイズというより巨人サイズの鳥籠の中にいて、よく見ると柵を握る手がとても小さくなっていた事から、僕は幼少時の彼の姿へと変わっていた。
記憶を探る上で姿形が変化するのは、割とよくあるが、何故僕はこんな檻の中に入っているのだろう……と考えていると、目の前に小さな光が現れる。
「助けておくれよ」
僕は咄嗟に、この檻から出なければならないと悟っていた。そして、気づけば目の前にある形のはっきりしない不思議な光に、助けを求めていた。
暗闇に浮かぶ光が、一瞬歪んだように見えた次の瞬間——
モノクロの世界が反転し、僕の腹部を、一筋の黒い何かが貫いた。
「え……?」
僕は薄暗い路地裏に座っていた。さっき感じた違和感は無く、閉じ込めていた檻も見当たらない。
僕は夢を見ていたのかな。
ペタリ。
「おやおやこんな所に」
ゆらり。
「一緒に遊ぼうか」
振り返ろうとしたその時——
僕の体は宙に舞い、空中で無数の衝撃が、腕に足にお腹に背中に頭に顔に胸に心に襲いかかる。
パタリ。
「やめて……」
次に訪れた場所は、屋内のどこか。
もう目を開けるのが怖かった。
「お願いだ。夢であってください……!」
「何を言ってるの、ここは紛れもなく、貴方の世界——現実よ」
やけに頭に劈く女の人の声。そして輪唱するように、今度は脳裏に無数の衝撃が伝わってくる。
「いきなさい」
貴方はもう要らないから
「いきなさい」
貴方が望む夢の世界へ
「いきなさい」
二度と私の前に来ないよう
「いきなさい」
もう一層の事——
「いきなさい」
いきなさい。
「いきなさい。いきなさい。いきなさい」
いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。いきなさい。
いきなさ――――
「嫌だぁぁぁぁぁぁあああっ!!!」
そしてまた僕は夢の中へ。決して途絶える事のない、彼の記憶という夢をひたすら巡った。
痛かった。苦しかった。悲しかった。
「何で……?」
憎かった。狂っていた。許せなかった。
「ねえ、何で……?」
これだけの思いをしているのに、何であんたは……自分を責めるんだ?
どうしてこれ以上の苦しみを、自ら味わおうとしているんだよ?
「あの野郎……」
僕は僕が嫌いだ。
でもそれは、自分が嫌いって意味じゃなくて、僕ではあるんだけど僕じゃない「僕」が嫌いって意味だ。
散々僕を傷めつけた、 僕に恐怖を植え付けた、 僕に怒りを覚えさせた――
僕という名の「僕」が。
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「……あれ」
落下していたはずが、いつの間にかシュウヤは地のある所で倒れていた。体を起こすと、先程までの闇は面影すら見当たらず、白く時々視界が歪んだような錯覚を起こす妙な空間が広がっている。
「ここは一体……!?」
わずかに気配を感じ振り返ると、シュウヤの前には彼が倒れていた。
見た途端、悪寒が走った。この感じ、覚えがある。
だが、シュウヤはあの時と同じように、彼を助けたい一心で駆け寄り体を起こした。
「ツバサ、しっかりしろ! ツバサ……」
全身あちこちから血が流れ、傷が絶えない。さらに片方の袖が異様な程しわよっていて、地面に接触している部分があまりにも広かった。恐る恐る触れると、本来感じるはずの抵抗がない。中身が無いのだ。
「何で……」
「あっはっはっは!」
声がした。彼の声だ。
だが、彼はいかにも狂気じみた声で笑ったりしない。
「やっと来た~。待ちくたびれちゃって、死ぬかと思ったよ」
シュウヤは素早く剣を声がした方へ向ける。白い衣を着た彼に似た何者かが、ゆっくりと舞い降りてくる。
「お前が、ツバサに手を出したのか」
「出したと言ったら?」
シュウヤは彼を横に寝かせると、怒りを露わにし、剣を思い切り振り回す。それを見た彼に似た誰かは、ケラケラ笑い出した。
「へえ~、そいつがボロボロになってるのを見ても尚、君は僕に戦いを挑むんだ? 面白い人だね~」
「ふざけるな……絶対許さねえ!」
「ふ~ん。まっ、別に許さなくてもいいけど」
すると相手は両手を広げ、突如背中から棘で出来た大きな翼を広げる。さらに彼の両脇には白い光る球が現れ、そこから勢いよく棘がついた蔓がのびる。
「いばらの……」
「翼、だよ」
「お前があいつの名前を名乗るな!」
「あっはっはっは!」
シュウヤは、怒りのまま剣を振るう。体に似合わない巨大な剣が、相手に幾度となく襲い掛かるが、いばらの彼は楽しそうに軽々とかわし、自分の周囲に大量の棘を作り出す。
「一つ忠告してやるよ」
シュウヤの視界を棘で埋め尽くしたところで、相手は彼を見下しながらにやりと笑って言った。
「僕、めちゃくちゃ強いよ?」
「!」
彼が繰り出す棘の鞭は、四方八方から飛び出しては、シュウヤの体を傷つける。しかし、痛みは感じず、体にいくら傷がついても、血が飛び散っても、自身に痛いという感情は芽生えない。
異様な感覚に、シュウヤは暫し動揺していたが、それを見かねた彼が、棘の羽根を広げて突進してくる。
「ほらほら、もう一人の僕を助けるんでしょ? だったら早く倒せば? 倒せやしないこの僕をさ!」
「くっ……!」
棘の鞭を咄嗟に剣で防ごうと試みるが、圧倒的力差で押し負け、剣ごと壁際へ吹っ飛ばされる。不時着した時の衝撃も、棘の中に突っ込んだ痛みも、シュウヤには微塵として感じられない。ただ、全身は既にボロボロとなっていて、唯一生ぬるい感覚が走る。
「あーあ、つまんないの」
シュウヤが見上げる先で、自身の棘を弄ぶ彼が膨れ面になる。白い衣にだんだん黒い棘の模様が浮かび上がり、周囲に漂う黒い棘の数がさらに増えていく。彼の足元にある棘が、彼の衣へと絡まり、さらに力をみなぎらせているのが分かった。
「折角楽しめると思ったのに、雑魚じゃん。僕も僕だな。こんな弱い奴に心預けちゃうとか」
「何……!?」
「大体おかしいよ……あんな不平等なやり取りしといて何も反発しないって、どう考えてもおかしいよ。普通あんな事されたら、人間なんて信じずに、皆殺しちゃう勢いで傷つけるじゃないか。実際にやらなくても、それくらいの憎悪があっておかしくないだろう? それなのに、あいつにはその感情すら無かった……意味が分からない。強い力を持っておきながら、それを人のためやら世界のためやらに使おうとするなんて、もう訳分かんねえ……!」
「ツバサは、お前とは違うんだ」
「僕は僕だ! 僕はあいつがやるはずだったのにやらなかった、もう一つの可能性なんだよ!」
「もう一つの……可能性?」
彼が、もう一つの可能性。あの地獄のような経験から生まれるはずだった、もう一つの可能性。
憎悪を覚え、人を恨み、何もかも壊してしまいたいという怒りの感情。それは本来、あの経験から宿るはずだった、宿る可能性のあったものだった。
「でも、あいつは……」
彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。彼の泣く顔が脳裏を過る。彼の優しい声が、耳元でさえずる。彼の必死な法要が全身で感じられる。あらゆる思い出が蘇り、その一つ一つで見せた彼の選んだ可能性が、シュウヤの心を強くした。
シュウヤは剣を地面に突き立て、金色のオーラを放つ。地面が激しく揺れると、彼の周囲にあった棘を突き破り、平坦だった大地が所々隆起した。
「あいつは……それでも人のために生きようって思った。人と共に生きたいと思ったんだ。そしてあいつは、皆がそれぞれ思いを持って生きたいと願っている事も知っている。だから助けたいんだよ! 過酷な経験を乗り越えたからこそ、あいつは誰かの生きる力になりたいんだよ!」
「綺麗事だよ、そんなの!」
「かもな。でも俺は……」
シュウヤは剣を構え、いばらの彼に向かって高く飛び上がる。彼は羽根を大きく広げると、周囲に白い球体を作り、そこからシュウヤ目掛けて棘の鞭を放った。
だがシュウヤの目的は彼ではない。
剣を勢いよく振り回して棘を防いだ後、狙った先は彼の足元にのびる棘の群だ。彼の衣の模様と繋がっている巨大な棘の蔓が、シュウヤの黄金色に輝く剣に寄って切り離される。
「!」
彼の体勢が崩れる。そのスキにシュウヤは、剣を水晶のように光らせ、オーラを全開にして残りの棘を薙ぎ払った。斬られた黒い棘は弱々しく地面に落ち、辺りを真っ黒に染めた。
「あっはっは……変な人」
地面へと降りてくる彼を、気づくとシュウヤは受け止めていた。剣と棘の間に放たれた僅かな火花が、周囲の棘に火を点け、辺りは漆黒から赤色へと一変する。しかし、彼の不適な笑みは変わらず、シュウヤもその体制から動く気は無かった。
「君もおかしいよね……本体を酷い目に遭わせたのに、相手が僕だったらトドメも刺せないんだ?」
「当たり前だろ。お前もツバサなんだ。俺にとって、ツバサは大事な弟なんだよ」
「あっはっは……うざ」
するといばらの彼は、両手で勢いよくシュウヤを突き飛ばし、業火の中で緑と水色の目を光らせた。
その目には僅かに涙が零れていた。
「そういうのが嫌いなんだよ……僕は!」
僕はどこまでも「僕」が嫌いだ。
憎むべき人から、こんなにも深い愛情を注がれる僕が。
棘が燃え尽き灰となると、その灰は床全体に広がり、闇の穴へと変化する。どうやら影の力が強まり、ここも闇に呑まれるまで時間の問題らしい。
棘が燃えた事で飛べなくなったいばらの彼は、そのまま闇の穴へと溶けていき、さらにシュウヤの傍で横になっていた彼も、闇の穴へと沈んで行く。
(あいつ、自分ごと闇に堕ちて全てを終わらせる気か!)
シュウヤは彼を掴もうと手を伸ばす。だが、何故かシュウヤだけは闇に堕ちず、漆黒の大地に反し光溢れる空へと引き寄せられる。
彼の手に触れる事は出来なかった。
彼を呼ぶ声と、届かない遺憾の叫び声だけが暗闇の空間に響き、そのままシュウヤの視界は光に埋め尽くされた。