BlueBird 第69話
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「ツバサには……これ以上背負って欲しくない。ツバサは、何も悪くないんだから」
彼がこれ以上悪者扱いされるのは、黙っていられない。
彼を幸せにする―—そう決めたのだ。
庭を後にし、薄暗いトンネルを抜けると、ペロは暗闇の世界へとやってきた。
周囲の物は一切見えず、唯一見えるのは、ほのかに光を放つ自分だけ。
(暗闇に目が慣れるまでの辛抱だ。早く出口を見つけない)
と、思ったところで、ペロは自身の耳を疑った。
どこからか、とても低い音が聞こえてきたような気がする。だがそれは生き物の声とは違い、何か大きな物が動いた時の鈍い音に近かった。さっき庭で訊いたのは、獣が唸るような音だったが……少なくともこの空間に何かがある事には違いない。
ペロは地に足をつけた体勢になり、身を低くして気配を殺す。
この暗闇に、何かがいる。しかも、どこからか視線を感じる。
物がずれるような音は次第に大きくなってきた。さらに、金属製の何かが擦れる音、そしてゆっくりとした足運びの足音まで聞こえてくる。
相変わらず唸り声は聞こえなかったが、何かが近づいてきている。
(……………………来る!)
いち早く動いたのはペロだった。相手が一瞬はっきりさせた気配で、ペロは相手の位置を読み取り、襲いかかってくる前にその場から素早く移動して、相手の奇襲から逃れる事に成功する。
振り返るとそこには、ペロよりも巨大な犬の頭が二つ、暗闇から顔を出していた。
「今回のゲームは、あいつを倒せって事?」
「その通りよ」
すると、双頭の獣の前に不適な笑い声をあげながら、ユールが現れる。
「あら、まさかのあなたお一人? それは役不足な事で……本来の計画なら、ここであなた諸共、邪魔な未来使いを消去するのがこの子のお役目だったのよ」
「本当に役不足だね? そんな少々大きい相手とは、今まで何度も戦ってきた。ペロ一人で十分だよ!」
「そう、あなた『一人』でね……?」
闘争心を働かせている相手に、ペロは余裕な表情を浮かべている。いつもの自信が満ちた様子だ。
だが、それは彼女も同じでまたしても不適な笑いを零したかと思うと、双頭の獣に両手を添え、彼女を狙うよう指示する。そして、ユールは再び闇の中へと消えていった。
「双頭の魔獣『オルトロス』、そこにいる孤高と孤独を履き違えた獲物を食らい、光の大半を奪いなさい。さすれば未来使いの心は、たちまち闇の深淵へと招かれる事でしょう……」
「そんな事、絶対させない!」
だがオルトロスは、双頭で轟音の雄たけびをあげ、ペロの動きを阻んでくる。その大きさに似合った強烈な技を繰り出し、特にこちらが放った光弾に対抗した闇の弾は、一度に二発放ってくるため回避が難しい。
ペロは相手の背後へと回り込むと、振り返った一頭の頬を、前足の爪で引っ掻いた。
すると、もう一頭が怒りに駆られ、その場で高く飛び上がる。暗闇のせいでどこまで高く飛んだのか読めず、ペロは相手ののしかかりを避けきれなかった。
(しまった!)
尾をしっかりと踏まれてしまい身動きが取れない。ペロは、すかさず相手を離すように、至近距離からの光弾をお見舞いする。だが、一頭が彼女の攻撃を防いだスキに、もう一頭が巨大な頭をふりかぶって殴打してきた。
あまりの痛みに、思わず甲高い悲鳴をあげてしまい、さらにその衝撃で吹っ飛ばされてしまう。巨大な体にも関わらず、ペロはボールの如く転がり、見えない壁に激突してしまった。
(正面での攻防は、歯が立たないか!)
オルトロスが、まるで大地を揺るがしているような低い唸り声をあげる。前方からの攻撃は、遠距離だと闇の弾、近距離だと鋭い牙で応戦される。
しかし、背後を取ればまた相手の反撃を受けてしまう。暗闇での戦いは圧倒的にこちらが不利だ。
今度は光弾ではなく光線を放ち、巨大な翼で相手を翻弄させようとする。が、あまり効果は無く、二つ頭ならではの思考の早さや攻撃の威力により、逆にこちらが翻弄される。
すると、オルトロスは再び耳を塞ぎたくなるほどの大きな雄たけびをあげ、暗闇の空に向かって高く飛び上がった。
(まずい!)
また相手の姿が見えなくなり、どこから飛び掛かってくるか分からない。オルトロスは、狙いを定めるとペロの上へ見事のしかかり、前足でがっちり体を押さえつける。
さらに闇の弾を吐き出し、ペロは頭部に強い衝撃を受けて眩暈がした。相手が技を繰り出す度、前足に力が加わる。身動きの取れないペロは、ただ相手の圧に耐えるだけで精一杯だ。
「クゥ……!」
「どう? あなた『一人』での無謀な戦い、そろそろ気が済んだかしら?」
暗闇のどこかでユールが鑑賞しているらしく、上から意地悪い声が聞こえてきた。
ペロは思わず顔を上げようとしたが、オルトロスの前足で地面に伏せるよう強制される。上から涎が落ちてきて、気持ちが悪い。
「全く、惨めな事。彼は闇に怖気づき、あなたのような弱きものを、私の使いと戦わせた。それとも……あなたがそうさせたのかしら? 意志の弱い彼を利用して、己の信念を貫こうとしていたのだからね。けど、その結果もまた然りよ」
「違う、ツバサは弱くない。ツバサは……『あの子』は決して……!」
あの子という言葉に、ユールは再び苦笑を零した。そして、オルトロスにトドメを指すよう指示を下す。
このままでは負ける。
双頭が吠えたと思うと、鋭い牙を暗闇の中だが一瞬だけ光らせて、こちらに向けてきた。
このままでは負ける。
負けて、それを見たツバサが絶望して、ユールの思惑通りになってしまう。
それは……ダメだ。それこそ決して許される事じゃない。
彼の希望だと自称しておいて、彼を絶望させた挙句に闇の深淵へと堕ちるなんて――
(そんな事をしたら、ペロは……『私』は……!)
すると、彼女は翼を大きく広げ、羽根の先から眩い光を放つ。
オルトロスの牙が体に食い込むよりも先に、相手の身には次々と羽根の形をした光の矢が襲いかかった。
「ガウッ!?」
相手がひるんだスキに、ペロは翼を羽ばたかせて、オルトロスを背中に乗せたまま飛翔した。不意の空中移動にオルトロスは困惑し、闇の弾で応戦するものの、彼女はそれを難無くかわす。
素早く全身を縦回転させ、勢いに耐えきれなかったオルトロスはそのまま地面へと墜落する。これには、高みの見物をしていたユールも驚きの声をあげた。
オルトロスが怒りの遠吠えをしようと顔を上げた瞬間、上空にはオーラを口元に集中させ、巨大な光弾を作るペロの姿があった。
そして、出来上がった光弾がそのまま地上に投げつけられるかと思いきや、光弾はどんどん力を凝縮させ、普段ペロが放っている大きさの光弾と化す。
広大な暗闇の中に落ちる、小さな光——だが、それはオルトロスどころか、この空間にある暗闇一体を光に変える程の威力が込められていた。
小さな光弾は、オルトロスの足元に落ちたかと思うと、相手の周囲を取り囲むようにして、光の柱を起こした。光に呑まれたオルトロスは、悲鳴のような声をあげながら、必死に抜け出そうと足掻く。
(ここで、決める!)
ペロの全身が金色の光に包まれる。
翼をさらに大きく広げ、暗闇の空一体を光が覆いつくすと、そのままオルトロス目掛けて突進した。
「グオオオオッ!」
彼女の渾身の一撃。眩く、温かい光がオルトロスの体を包みこみ、一瞬で光の粒子へと変える。
さらに、光は空間全体へと広がり、辺りは暗闇から光ある世界へと戻った。部屋全体を覆う白い天蓋のレースに、白塗のレンガが敷かれた床や壁、そして部屋の隅には何故かツバサとカノンの姿があった。
「二人共!? 何で……」
「さっきの見たよ! ペロちゃん、まるで火の鳥みたいだった!」
感動のあまり涙ぐんでいるカノンの隣では、彼がいつもの瞳に戻った姿で、優しく微笑んでいた。
ペロは、力の使い過ぎで元の姿に戻ってしまった事も忘れて、真っ直ぐ彼に飛びついた。