BlueBird 第66話
扉を抜けて次の部屋——と思いきや、そこは小さな広場と白い石畳の階段だった。無機質な壁に囲まれ、手摺の無い階段は、如何にも上へとのぼるよう訴えてかけている。
「この上にきっと、次の部屋があるアン!」
そう言ってペロは、飛行という階段を何段も一気にとばせる手段でのぼり始めた。狭い空間なので、影がいないか偵察もするとペロは言い残して姿を消す。
「やれやれ……」
「私達も行こっか」
苦笑いしつつ、僕らも薄暗い階段をのぼっていく。一段踏む毎に、足音がこの空間全体へと響き渡っていく感じがした。時々こだまも返ってくる。
階段はらせん状に伸びており、人一人分の細い道になっていた。光は勿論、外気すらまともに入る事の無い。密閉した空間は、僕に息苦しさを与えてくる。自分が立てている足音が、時々自分の頭を叩いてきた。
「二人共、遅いアン!」
先に進み過ぎて待ちくたびれたのか、暫くすると、ペロがぷりぷり怒りながら戻ってきた。
カノンが彼女をなだめながら進むうちに、階段が一時途切れ、踊り場へと辿り着いた。僕はここでひとまず腰をおろす。
ペロによると、影や何かが来る気配は無いそうだ。ただ石畳の空間を巡るだけで、のぼっているのか、おりているのか時々分からなくなってしまうらしい。
「そっか……この先も暫く階段なんだね」
「ただ、ここからさらに暗くなるアン。のぼる時は、くれぐれも足元に気をつけるアンよ」
「分かった。気をつけるよ」
そしてさらに上の階へ。確かに、いくら上っても景色が全く変わらないので退屈してくる。
ただ、ペロの言う通り、だんだん辺りが暗くなり、少し焦げくさい臭いもした。先導しているペロが、全身をほのかに光らせているのが、唯一の照明だ。
「カノン、ペロと先に行きなよ」
「えっ!? どうして?」
急に声を掛けられカノンはびっくりしていたが、僕は明かり代わりになるペロと、なるべく近くで行動した方が良いと思い、彼女の背中を押す。かくいう僕は、暗闇だと光を放つ剣があるので、大丈夫だと伝えた。
カノンは一瞬躊躇したものの、僕に背中を押された勢いで、そのまま数歩先へのぼってしまい、引き返しづらくなる。渋々、「気をつけてね」と言い残し、そのまま彼女の後を追うようにして先へ進む。
ここからは一人の道。
階段を一段進む度、音が異様に僕の頭を叩いてくる。真っ暗で見えないのが、まるで永遠に続いているのではと不安を煽ってくる。体力的にも苦しいのか、だんだん足取りも重くなってきた。
「大丈夫……」
きっと向こうでは、ペロが、まだかと怒っているのだろう。そんな事を脳裏に浮かばせながら、僕は少しずつ上の階へと進んで行く。
途中でまた同じような踊り場を見つけたが、今度は休まなかった。さっさと抜け出したい気持ちが先走っていた。
もう周囲の様子は伺えそうに無い。剣を出したものの、辛うじて自分の足元が見える程度で、辺りは暗闇に包まれている。
「大丈夫……大丈夫……」
僕は、首にぶら下がっているペンダントを握った。
どうしてか分からない。ただ、何となく彼女が恋しい。
すると、奥から足音とは別の音が聞こえてきた。とても低く、とても深く、とても重い――
「鐘の音……?」
さらに進む。もう、ここが何処なのかさっぱり分からない。
ただ重い足を持ち上げて、見えない真っ黒の壁に手を当てながら、「光」を探す。
(おかしいだろ……)
分かっている。この先が闇しかないと知っていながら、光を求めるのは明らかな矛盾だ。
それに、光を手にする方法も僕は知っている。なのに、僕は光源である剣をいつの間にか手放していた。
一人勝手に怯えていたのだ。この暗闇に怯えていた。
傍にある光に目を配ろうとせず、否、そんな事を考える余裕すらなかったのかもしれない。
それもまた違う。ただ光で照らすだけでは、ダメなのだ。
脳裏に、ペロの顔が思い浮かぶ。すると今度は、彼女の背後からシュウヤの顔も浮かんできた。
彼らは光に包まれ笑っている。
だが僕の視界は、真っ暗闇だ。
「!」
だんだん脳裏に闇が侵食する。
光の中にいた二人は闇に呑まれ、僕の脳裏もまた真っ暗闇に……
「ツバサ!」
声が、僕の耳に飛び込んできた。その声を聞いた瞬間、僕は油断して足が上がらず、階段に躓いてそのまま重心を前に投げ出す。
この後、本来なら全身に強い衝撃が走っていただろう。しかし、そこは狭い空間にも関わらず巨大化してクッションになってくれたペロのおかげで、最小限に抑えられた。最早、衝撃なんて感じられなかった。
「だい……じょ……ぶ」
「何が大丈夫なの!? ツバサ君、自分には正直になって、って約束したでしょ!」
「!」
漸く彼女の言葉の意味を理解した。僕はハッと顔を上げるが、足に力が入らず、そのままペロの体に顔をうずめる一方だった。困り果てた様子だったが、ペロは僕を背中に乗せると、体を器用にうねらせながら、ゆっくり階段をのぼる。カノンもその後に続いた。
その間ペロは、毛先に伝わってくる震えを不審に思い、僕に尋ねてきた。
「ツバサ……ペロはまだ何も、ツバサの事知らない。だから、この際話してくれないかな? 何が、そんなにツバサを苦しめているの?」
「……」
ここまで来たら、隠していても仕方無い。というよりはもう、これ以上彼女に隠す必要は無いのだろう。
僕は情けないと思いつつも、小声で彼女に伝える。
「暗い所は……怖いんだ。昔から灯りの無い所は嫌いでさ。一時期は、夜が本当に怖かった。でも、夜空に星という『光』がある事を知ってからは怖くなくなって、もう大丈夫だろうって思ってた。けど……」
「そっか。それで星が好きだったんだね」
彼女の問いかけに僕は相槌を打つ。どうやらカノンは、学生時代に僕が天文部に入ったり、星に関するものに興味を持っていた事を気にかけていたようだ。ここでその理由が分かり、彼女はすっきりしたと笑みを浮かべていた。
それにしても、いつもオーバーリアクションだったペロが、今回はそこまで驚かない。
まるで、以前から知っていたような……
「よかった」
「え?」
「ちゃんとツバサの口から聞けて。今まで、何だかあしらわれてる気がしてたから……でも今回はちゃんと言ってくれた。ありがとう。もう一人にしないからね」
「ペロ……?」
「一人にしない」という言葉に、思いを寄せてしまう。
甘えてしまう。
(情けないね……この年にもなって、まだ甘えたいなんて)
「甘えていいんだよ」
「え……?」
すると、ここでペロの足が止まった。どうやら階段をのぼり終えたようだ。
僕は、まるで彼女が僕の思考を読んでいるような態度に驚いたが、それについて言及する気までは起きなかった。先にある暗闇から一旦目を離し、ペロは僕の方にその美しい瞳を見せ、優しく微笑んだ。
「甘えていいんだよ。その方が……私は嬉しい」
「……うん」
自然と顔に笑みが戻ってきた。
視界は相変わらず暗かったが、彼女からの温かい光で、僕の脳裏にあった暗闇は消え去っていた。