BlueBird 第65話
扉を抜けると、そこは巨大な書斎だった。
数段にのぼる本棚には、分厚い書物が綺麗に整頓されており、よく見ると背表紙の色別に分類されているらしい。本棚は不規則に並んでおり、まるで本に囲まれた迷路だ。
「何……ここからどうやって抜けるの?」
ペロが本棚の上まで飛んでみると、迷路の先には出口と思われる扉がある。しかし、その前に鉄製の檻を想像させる柵があった。
どうやらこの部屋の仕掛けを使って柵を外す事が、ここでの試練らしい。
「とは言っても……こんな本しか無い場所に、何の仕掛けがあるっていうのよ?」
「ひとまず、本しか手掛かりが無いのかどうか調べてみよう」
「ペロ、天井の方調べてみるね」
「じゃあ私は、この迷路をぐるぐるしてみる!」
「迷路をぐるぐるって……」
まあいいか、と僕は本棚に目を向ける。これだけ整頓されているという事は、恐らくここには影も侵入しない。本をひっくり返すような過ちを犯さない限り、自由奔放に動いても安全だろう。
僕は遠くから本棚を眺め、色以外に特徴が無いか探してみる。深いワイン色から鮮やかな炎の色へと赤のグラデーションが綺麗な本棚だが、その中に一つだけ、場違いな黄土色の本が挿し込まれている事に気づく。
試しにその本を手に取ると、色だけでなく、表紙に施されている材質にも違いがある。これは古びた革張りの表紙なのに対し、他の本は染布が張られていた。茶色の本には、金色の文字で「名の無き作家の思い出」と書かれている。
(誰かの日記かな……?)
試しにその本を開いてみると、どうやらそれは日記ではないらしく、非常に細かい印字でかつての世界の状況が記されていた。
これは紛れもなく史書だ。しかも、この世界が分かれる以前の事を記した古文書だったのだ。僕は真っ先に目に飛び込んできた「世界の分離」という題名のものに、視線を落とす。
<世界の分離>
今となっては遥か昔かもしれない。かつて、この世界は一つであった。人々は同じ星に住む生き物とし、世の中全ては己の意思に準ずるものと考え暮らしていた。だがある時、人間は相手との差異に気づき、それは決して交わらない根強い心理だと悟った。
一つは創造を司り、自らの生き筋を見出すもの。相手は彼らを「リアル」と呼んだ。一つは神宗を想い、定められた運命を忠実に辿ると信じたもの。相手は彼らを「ファアル」と呼んだ。
二分化された人々は、互いに相手の尊重と己の意思貫徹のために、別れて生きる道を選んだ。それぞれに街を築き、互いの街の境にはいつの間にか見えぬ壁が生まれていた。この書を書く時まで、ある時から世界が二分されている事に気づく者はいなかった。
だが、今こうして書いている。人々は、互いに消えた世界を認識し始めている。しかし、恐らく人間は、好奇心によって、再び世界を一つに戻すだろう。そして次に起こる事は、過ちと後悔の泉。人間は過ちを繰り返す生き物で、神や世界はそんな人間を徒で眺めるものだから。
「何だよ……これ?」
「ペロちゃん、ツバサ君、ちょっと来て!」
来て、と言いつつカノンは、ある本を両手で抱えながらパタパタとこちらへ走ってきた。彼女曰く、迷路を辿っていると床にその本が落ちていたらしい。
だが、彼女はそれよりも、この緑色の表紙に記されている「未来を操る者」というタイトルに注目するよう訴えてきた。さらに中を開くと、そこには「未来使い」という文字が記されている。これには、ペロと僕も釘付けになった。
「それでね、この部分が特に大きく書かれているの……」
神ノ徒、人ノ欲望、共ニ交ワリ時ニ解レン。
その言葉を具体化させたものが、未来を知ることを与えられし人。かの力は定められぬ人に神が賜り、己が望む時に己が何をするのか報せ、何をすべからぬか、如何すべきかを示唆する、見えざる希望の軌跡だ。
人はかれを光と指した。かの力を持つものを光の誘導者と称えた。
だが未来に魅せられし者、これは決して魅せられるべき力ではない。あくまで神から徒の契り。人が人の言い様で操るものではない。これは神の力なのだから。
未来とは、人が生き物としていられる時間全てのうち、今より先の時間という意味だと定義しておく。
「……要は神様から力を授かって、未来が見えるようになったって事?」
「そう。だから未来使いの力は、元々ファアルの世界でしか使えないものだったアン。でも、闇のせいで互いの概念が入り混じっちゃったから、リアルの人間であるツバサにも、その力が宿ったんだアンよ」
「けど、それってあくまで神様が気まぐれに与えた力なんだろう?」
「それがね……」
どうやら続きを読んで欲しいらしく、カノンは次のページをめくると、ある文章に指をあてる。
未来とは先の時間であり、知識欲ある人が望む時間全てである。ただし、一つのみ例外として挙げられるものが存在する。それをかの力は、いつか力の主に見せる。そしてその時を見せられた主はたちまち絶望し、望まぬ力を手にした事を後悔し、それを与えた神に怒りを覚える。これにより力持つものは、自らを壊す。
「……え?」
ペロは大きく首を傾げた。ここで彼女は、未来使いとは「希望の象徴」と呼べる力だと、改めて称賛する。
しかし、この書には希望という文字の代わりに「絶望」という文字が記されていた。カノンはこの文章の意味をいち早く察したらしく、たちまち青ざめた表情で僕を見る。
「最初のページに書かれていたけど、『未来』って私達が生きている時間のうち、今より先のものを指すんでしょ? そして未来使いは、その中で見たい未来をいつでも見る事が出来る――これって未来予知の事よね。でも一つだけ、見たくない未来を見せる時があるんだって……」
「そしてその未来を見せられた本人は、たちまち絶望する……」
「でも……それって一体何時だアン? 何か恥ずかしい事をした時……とか?」
「死ぬ時だよ」
僕の一言が部屋中に響き渡り、辺りが一気に張り詰めた空気と化す。遅れてペロが「あぁ……」と溜息混じりにうなずいた。
最初に読んだ「人が生き物としていられる時間全てのうち」という提言で、既に僕は引っ掛かっていた。生きている時間全て……それはつまり、命の灯火が消える寸前、もうすぐ死ぬがまだ生きているギリギリの瞬間までの事で、未来使いはそれも見てしまうのだ。
確かに、例え未来が分からなくても、わざわざ死に際を知りたいと思う人は少ないだろう。寧ろ、知りたくない未来かもしれない。生き物が生きたいと本能的に思う以上、死という真逆の概念には触れたくないのが、生き物として正しい道だ。
ならば、これは――死ぬ間際までも見てしまう未来使いという力は、決して希望の象徴とは呼べない。
そして文章にはさらに続きがあった。
絶望を知った時、神は再び徒を与える。それは人から未来を奪う事により、自らの未来を繋ぐ力があると諭すのだ。そして、かの者を未来使いと呼んだ。また時にはかの者を死神と呼んだ。
「未来使い……これ、蔑称だったんだ」
自身の未来を守るために、他人の未来を奪う。相手の未来を使う者。それが未来使い。
この内容は、確かハルマ達が最初に言っていた未来使いの解釈と合致する。彼らはこの書を読んで、僕を敵とみなし、あの時までずっと僕を探していたのだ。敵である未来使いを倒すために。
「どっちだ……」
どっちが正しいんだ。僕が正しいのか、この書が正しいのか。
どちらかが本物で、どちらかが偽物。僕はどうしてこうなってしまったんだろう。
「ツバサ君は、ツバサ君だよ」
カノンが僕の背中にそっと手を当てると、僕は自分の手に力が入っている事に気づいた。本が今にも破れそうになっていて、慌てて僕は力を緩める。
「ごめん」
「ううん、大丈夫。ツバサ君は、何も悪くないよ。今の今までずっと、ツバサ君は何も悪い事をしていない」
「でも……」
「ひょっとすると、昔はそうだったのかもね。ここにある本、どれもとっても古いからきっとそうだよ。でも昔は昔、今は今。きっと今の時代の未来使いは、ペロちゃんが言ってた通り『希望の象徴』なんだよ」
「……」
「信じよう。ツバサ君は自分を信じて。私もツバサ君を信じる」
「ペロだって、ツバサを信じているアン。それにペロの考えも、こんな書物一つで折れる程、弱くないアン!」
「うん……ありがとう」
「さて! 早くこの部屋の謎を解いて、次に進もう!」
カノン達の励ましで元気づけられると、僕は改めてこの部屋の仕掛けを見つける事に専念する。
まず、僕が手に取った黄土色の本だが、これは隣の茶色系統の本棚で、まさにこの本のために用意されたと思われるスペースにしまう。本を奥まで挿し込むと、カチッという手ごたえある音がして、突如本棚全体が大移動し始めた。
これにカノンは「何だ何だ~!?」と好奇心旺盛の子供みたく飛び跳ねながら、今度は自分が拾った本をはめ込めそうな本棚を探しだす。ペロが上から緑色の本棚を見つけ出し、そこへ彼女を誘導すると、カノンは「ワクワク」と自ら効果音を出しながらその本を挿し込んだ。すると、またしても本棚が動き出し、たちまち歓声が部屋中に響き渡る。相変わらず、とても楽しそうだ。
「見て! 本棚が綺麗に整列してて、階段まで真っ直ぐ進めるよ」
「でも扉の柵は外れていないアンね……」
肩を落とすペロに、僕は彼女の頭を撫でながら階段をのぼっていく。
ペロにとっては見た事のある景色だが、二階から眺めると如何にこの部屋が本に囲まれているのか伝わってくる。そして、本棚が整列した事により、さらに本棚を通して色が虹色に彩られている光景は、見事なものだった。
「そうそう、こうして上から見ている時、本棚の上に何か線が引かれていたんだアン。今の大移動で、何か変わったかも」
ペロの言う通り、本棚の上面には何やら模様が描かれてる。一部は模様と模様が繋がり、光のラインが浮かび上がっているものもあった。パズルゲームみたいだね~と上機嫌なカノンだったが、ふとその模様を見て思い出したように声をあげた。
「どうしたの?」
「もしかしてこれ……魔方陣?」
彼女の指摘で改めて模様を確認するが、模様が円形になっている事は分かるものの、そこから魔方陣を連想する事は難しかった。
だが、彼女はそれを魔方陣だと話す上に、見覚えがあるとまで言い出した。ここで僕は、彼女の奥の手が発動した事に気づく。
「ハルマ君達に会った時、ヒノ君が魔法陣を出してたでしょ? 多分あれと同じ模様だと思うんだ」
「同じ模様って……まさか、あの複雑な模様を一回しか見ていないのに、覚えているのかアン!?」
「カノン……その魔方陣を、幻の力で書き出す事って出来る?」
「うん、やってみる!」
カノンが頭を抱えて考え始めると、ペロが目を丸くさせて僕の元へと飛んできた。彼女の邪魔をしないよう気遣いながら、ペロはひそひそと小声で話しかける。
「カノンの記憶力……一体どうなってるアン?」
「彼女、昔から凄く記憶力が良いんだ。一度見たものはちゃんと覚えてるみたいで……」
「まさか! そんなの常軌を逸してるアン。あの子一体何者……」
「私は、至って普通の女子高生だよ~!」
「アゥ!?」
相変わらずひそひそ話が苦手だと自覚したところで、既に彼女は指で魔方陣のコピーを描き、それを本棚の模様と重ねるようにして移動させた。
本棚の上に巨大な魔法陣が出来ると、突然その魔方陣が眩い光を放ち、真っ直ぐ部屋の奥にある扉の方へと放たれる。光が柵に当たると、柵は瞬く間に光の粒子となって消えていった。
「やった~!」
「カノンのファインプレーだアンね!」
「えへへ、ありがとう」
「よし、早速先へ進むアン!」
無事謎を解き終え調子づいてきたペロは、真っ先に扉を開けて先へ進む。
僕も後を追おうと歩き出すが、途中カノンに腕を軽く掴まれた。
「ねえ、ツバサ君」
「何だい?」
「さっき未来使いについて話した時、どうして見たくない未来がアレだって分かったの?」
アレとは恐らく死ぬ直後の事だろう。
ペロが抱いた疑問に対し、僕が即座に答えを出していたのが、彼女的に少し気になったらしい。
僕は少し記憶を顧みて、
「勘、かな」と答えると、また歩き出す。
「そうなんだ」と、カノンはどこか不思議そうな口調ながらも、大人しく僕について行った。