BlueBird 第61話
木々が一瞬だけ激しく揺れる、日差しが照り付ける明るい空に似合わない一筋の光が、揺れた森の上を走っていった。
僕は突風を身に受けながら、夢中になって見えた方角へと空を翔けていた。カノンの不安な顔も、ペロの悩み苦しむ顔も置いて、僕は必死に歯を食いしばりながら、記憶が薄れないうちにあの城がある場所へと向かっていた。
だが、いくら心がその気であっても、人間の体は脆く弱い。ついに耐えきれなくなって、目の光が消えると突如胸に激しい痛みが走った。
「うぐっ!」
胸の痛みと同時に呼吸が詰まる。一気に減速しバランスを崩すと、僕は海面が見える所まで向かう前に、広い荒野と真っ逆さまに落ちていった。何の支えも無く、このまま地面にぶつかれば、僕の体はたちまち粉々に砕け散ってしまうだろう。
僕は何とか目を凝らして未来使いを発動させると、激しい上昇風を起こして、不時着を免れた。地面に当たる寸前のところで一瞬体が宙にとどまり、そのままバタリと土埃を起こす。
止まっていた呼吸が漸く復帰し、僕は砂煙が入るのも忘れて大きく息を吸った。そして、激しくせき込み後悔した。
慌てて呼吸した事だけじゃない。彼女達を置いてきてしまった事、ペロに酷い言い方をした事、僕一人で何とかなると考えた事。自然と涙が零れてくる。
「ごめん……」
すると、どこからか草が揺れる音がした。周囲を見渡すと、背の低い草木が点々と生えている。そして、その草木の中で小さな何かがキラリと光る。それは明らかに植物とは異なる物だった。
(まさか……狙われている?)
上空で光を放つなんて、目立った真似をしなければ良かった。だが、後悔するのは今だけさておこう。
銃口と思わしきものが目に映ると、周囲にある草木全体に警戒する。いつどこから飛んでくるか分からない。
下手に動けば撃たれるし、ここに居ても状況は変わらない。僕は目を細めて光を抑えつつも、未来使いを発動させて意識を研ぎ澄ます。
風が僅かに吹くと、遠方にある草木が一つだけ不自然に動いた。
それを合図に、音よりも速い銃弾が僕の視界に飛び込み、僕は顔を僅かにずらしてそれをかわす。さらに次、さらにもう一弾と草陰から放たれる銃弾は激しい土埃を起こす。相手の標準光が消えた次の瞬間、僕は剣を呼び出して巨大な竜巻を放った。草木をも呑み込む巨大な竜巻が、隠れていた人々をあっという間に宙へと浮かべ旋回させる。強い力で人々は銃から手を離し、その身は地上へ銃は遠方へと飛ばされた。
「はぁ……はぁ……」
「へえ、ちょっと見ない間に強くなったじゃねえか。偽善者さん」
「何!?」
すると僕の視界を一筋の光が走った。
一瞬撃たれたかと思った。だが、その銃弾は僕が気絶へ追い込めなかった相手目掛けて放たれており、刀を構えていた相手はその場でバタリと倒れた。
振り返ると、砂煙の中から人陰が浮かび上がっている。そのシルエットには床に着くくらいの長いマフラーと、風でなびく長髪が映し出されていた。
砂煙を抜け、その特徴的な姿を目の当たりにすると、僕はたちまち怒りを露わにして相手を睨む。
「フェイ……!」
「まさかこんな所で再会するとはな」
白髪で、片方に流された長髪。吸い込まれるような光の無い赤目。黒い上着からは物騒な道具が、飛び出ており、彼の手には先程使ったと思われる重厚感溢れる銃が握られていた。
「どうして君がここに?」
「それはこっちの台詞だ。お前みたいな素人が、しかも一人で来る場所じゃねえぞ。あいつはどうした?」
あいつとは、恐らくペロの事だろう。僕は答えない。どうせ興味の無い事だろうと思ったからだ。
「考えの入れ違い、といったところか。まあ、どうでもいいけど」
やはりそうだった。彼にとって他人の事情なんて大した事じゃない。自分に関わりが無ければ、さっきの質問はただの生返事同等の扱いだ。会話におけるお約束といったものかもしれない。
だが、僕が一人でいる状況には少し関心しているようで、珍しく僕に笑みを向けた。笑みと言っても、とても冷徹で皮肉めいたものだが。
「依存っていうのは、足元すくわれるための要素でしかない。そして、信用・信頼という言葉は、それを綺麗事に言い換えたもので、結局はただの依存なんだよ」
「そうかもな。そうかもしれない。けどだからと言って、何で他人を否定する必要があるんだ?」
「あ? 他人は必ず裏切るものだからだろ」
他人は必ず裏切る……このタイミングでそんな言葉が飛んでくるとは。これが因果か。
「人間は、自分の事を考えるくらいの脳しか備わっていない。他の生き物と同じ、自己防衛・子孫繁栄が全てなんだよ。社会性とかそういうのを持った気になって、随分偉そうな態度を見せているが、つまるところ人間は自分勝手で、我がままの道を歩む事しか出来ない」
「よく人の心には黒い部分――陰りがあるって聞くけど、君にとってそれは当然の事であって、生物学的に正しいものなんだね」
「正しいも何もねえよ。でも……あー、この場合は正しいって言った方が良いのか」
フェイは頭をポリポリかいて、重く感じたのか持っていた銃を投げ捨てた。彼にとって同じ道具を使う事もまた信用、つまりは依存に値するらしく、彼は常に違う武器を使っているようだった。
「そうだな。これは生き物として正しい。だからお前は間違っている。他人を信じ、他人のために尽くそうと考えるお前は、人間として、生き物として間違っている」
「酷い言われ様だな」
「それに、お前の周りにいる連中もおかしい。お前が探している奴も、お前のそばにいた奴も、お前に対してやたら情を置き過ぎだ。何でだろうな? お前は他人を信じ、他人にもお前を信じさせる力があるんだよ。そういう不思議な能力を、異質なものを、この世界では何て言うか分かるか?」
まるで僕がこの世界の人じゃないような言い方だ。
彼は「分からないだろうな」と、ますます皮肉めいた表情を浮かべ、今までで一番低い声でその答えを言い放った。
「マショウだよ。魔の性と書いて『魔性』。つまり、お前は人間ではない。この世界では、恐れられている魔物なんだよ。この化け物」
「なるほど、僕は化け物か。じゃあ僕からも言わせてもらうけど、今の考えだと君も過ちを犯しているよね。人間はただの生き物じゃない。群れで生きる生き物だ」
群れで生きる――一体だけでは生きられない生き物。
人は孤独を感じると、たちまち心が荒み、生きる希望を失う。人間は、他の生き物と違って実行力があるので、絶望すると時に自殺する。これは、他の生き物には無い人間だけの性質だが、その一因となる孤独への恐怖は、群れで生きるものに共通して存在するものだ。
「でもお前は、一人で生きようとしている。一人で生きるために他人を捨て、時には殺し、群れで生きる事を忘れて独断行動をとっている……君も十分おかしいんじゃないか? 人間失格」
化け物と人間失格。互いに壊れた欠陥品。
本来あるべきものが欠け、互いにそれを必要としない僕らは、完全な人間とは言えないものだった。
「じゃあ……試してみるか? 互いに欠けた人間同士、どっちが未だ認められる存在なのかをよ!」
気づくと大きな物音が、大地に響き渡っていた。彼が片手を腰に回したかと思うと、次の瞬間には既に僕はその場から離れ、彼に向かって高く飛び上がって、足を振り下ろしていた。
一瞬のスキも許さない。一切の無駄も許さない。全てにおいて完璧とされる動作が、今の数秒間で行われていた。
フェイはすかさず両手を交差させて防いだが、この一瞬や前件もあって体力を消耗している僕に対し、余裕気な笑みを浮かべている。
「なめんなよ。幾度もの戦いを切り抜いてきた俺が、そんな簡単にくたばると思うんじゃねえ!」
「っ……!」
するとフェイは、バク転をして間合いを取る僕の足を握り、ひねるようにして僕を草木へと吹っ飛ばす。何という握力と腕力だ。僕は足の痛みに耐えながら、空中で体を回転させて体制を整えると、地面に足をつけて減速する。
ズザーという砂の音が響き渡ったかと思うと、いつの間にか僕の頭上にはフェイが銃を構えて飛び掛かってきていた。
「お前もなめるな。射手無勢が!」
目から眩い閃光が放たれると、僕は銃撃をかわし、着地する前に彼の足元へと飛び掛かった。長いマフラーを掴んでバランスを崩すと、そのまま背負い投げをするようにして彼を地面に突き落とす。
しかしフェイは、地面に不時着する寸前に重心を前に傾けてそのまま前転し、衝撃を和らげた。そして、素早く銃を新しいものに取り換えると、空中から降りてきた僕の背後へと回り込み、移動した際の遠心力を使って、僕の首筋に手刀を施す。
「かはっ!」
首からの衝撃で頭がぐらついたと思うと、僕の上へフェイが乗りかかり、握っていた銃を僕の額に向ける。
一発受ければ間違いなく即死……それでも僕は焦りや戸惑いを感じず、ただ目の前にいるフェイ目がけて
右手を、差し出した。