BlueBird 第41話
「ツバサ! ツバサ……そんな……」
ペロは、消えたパートナーの名前を何度も呼びながら、蔓に囲まれた空間から脱出しようと力を振るっていた。しかし、得意のホーリーボールを使えば、蔓の壁は逆に強固するし、残り少ない体力で耳を振り当てても、蔓はちっとも切れない。
切れたところで、またその奥に何本もの蔓が絡まり合って、外気に触れる事すら出来なくなっている。
この狭い空間で、酸素が不足してしまうのは時間の問題だった。
「ツバサ……あぁ……!」
力不足という事実を示された悔しさと同時に、ふと別の感情が芽生える。
簡潔に述べると、それは「怒り」だ。
「ツバサ……ツバサのばかああああ!」
これは単なる八つ当たりだ。
彼の希望だと自称した己の情けなさや、今こうして何も出来ずにいる虚しさを、どこにぶつけたらいいか分からなかった結果、ペロはこういう状況にしたのを、全て彼のせいにした。
違うと分かっていながら。理不尽だと分かっていながら。
本人に届いているかは分からない。だがそれでもペロは、ひたすら彼に向かって叫んでいた。
「何でこういう時、ペロに希望しないんだアン!?
いつもそう! ピンチだと思ったら、すぐペロを庇って……もっとペロに頼るアン!
そういう性格が自分に嫌な思いをさせてるって、ペロに嫌な思いをさせてるって、どうして気づかないんだアン!
ペロは、ツバサのパートナーなんだから! ツバサは……一人じゃないんだから……」
ありったけの力を声に変え、真っ暗な壁にぶつけていると、ペロは疲れてその場にうずくまった。
徐々に感情が、怒りから悲しみへ移る。ペロは、大いに泣きじゃくった。
「ペロは……ツバサの希望なんだアン!」
暗闇の世界。
頼られていない。信じられていない。そんな負の感情が、頭の中を巡る。
悔しかった。寂しかった。もっと話して欲しかった。
ペロは、自分が知らない、彼の心の事情を薄々感じ取っていた。
フェイとのやり取りで見せた、怒りを露わにした言動。ハヤテと共闘した時見せた、苦しそうな顔。「平気だよ」と言う時の口調の違和感。
あらゆる事において、ペロは彼と一定の距離間を感じていた。
そして、そんな彼の心の事情から、必死に目を逸らしている自覚もあった。
「そうだアン……」
ペロは再び立ち上がる。
「今度は……ペロから動かないと」
全身がほのかに光り、それに反応して蔓がきつく結び合っていくのが音から分かる。
すると、その音に混じって、どこからか声のようなものが聞こえてきた。
いや、それは耳で聞くというより、頭に直接入ってくるような感覚で、蔓が軋む音よりもはるかに鮮明に聞こえてきたのだ。
「……ペロ」
いつもの声だった。
「……助けて」
シンプルで分かりやすい。久しぶりに聞いた、彼の希望だった。
「分かった。ツバサの希望、叶えるアン!」
彼を助けたい。彼も助けてほしい。
希望と希望が重なると、全身が眩い光に包まれた。彼女の視界は、一気に真っ白に染まる。
一つの大樹が荒れ狂う湖は、底で眠っているはずの根を剥き出しにし、真っ黒い不穏な霧が森林内に漂っている。その木の一部である枝の一群が急激に伸び、孤島と岸の中間地で球状に集まっていた。
すると、その枝や蔓の隙間から、強い光が溢れ出した。他の蔓や枝がその光を覆い隠そうと伸ばすが、それでも眩い光は漏れ出ていた。
そして次の瞬間、そこからさらに強い光が内側から放たれ、枝や蔓が一瞬にして光に呑まれ、消え去った。消えた枝の巣からは、今までの何倍もの大きさになり、姿を変えたペロがいた。
「クオオオオオン!」
いつもより低音で、胸の奥にまで響いてきそうな雄たけびを、彼女は森中に響かせる。
耳は巨大な体よりもさらに大きく、完全に大きな鳥の翼へと形を変えている。胸元から背中、尻尾にかけて緑色の長く美しい毛が靡き、瞳は透き通るエメラルドのように輝いていた。首元には水色のオーブがぶら下がっており、その中には、以前買ってもらった蝶のペンダントが入っている。
「ツバサ……今行くよ!」
大樹が彼女の体の大きさに合わせて、より多くの枝をペロに放った。ペロは翼を大きく広げると、その巨体に似合わないスピードで次々に枝をかわしていく。その際、白い手足に銀色の爪を生やし、移動を阻む枝や蔓を華麗に切り払った。
枝を一通りあしらったところで、上空へ急上昇すると、全身を光のオーラで包み、真っ直ぐ大樹の幹へと飛翔した。
大樹に、彗星の如く一筋の光線が貫通する。
「ツバサ!」
ペロの背中には、気を失ったパートナーの姿があった。まるで棘の中にいたかのように、服の所々が引き裂かれ、顔や腕は傷だらけになっていた。
ペロは全身に力を込め、希望の主が乗る背中の方へと光を集中させた。緑色の体毛の艶が増したところで、優しく出血が酷い所から順に怪我の箇所を撫でていく。すると、彼の体に刻まれた傷跡が一瞬で癒え、血も止まった。
顔色も元の赤みを取り戻し、冷たかった手から温もりが戻ると、彼は無意識のうちにペロは毛を握っていた。
「ペ……ロ……?」
「もう大丈夫だよ、ツバサ」
彼は自身の希望が満たされたのを感じると、安心したように再び眠りについた。
治癒の能力を確認したところでペロは、幹が崩れ大きく傾く大樹に視線を戻す。そして、全身の毛を逆立てたかと思うと、自身の前にオーラを集め、巨大な光弾を生み出した。
ホーリーボールならぬ、「ホーリーブースト」。眩い光の内側には、自身の目と似たエメラルド色のオーラが渦巻いている。
「もうこれ以上、ツバサを苦しめない……ペロが守るんだ。それがペロの希望だから!」
決意を固めたと同時に、ペロは光の結晶を勢いよく闇に染まった大樹へと解き放つ。
巨大な光弾は風を切り、周囲の枝や蔓も巻き込んで、再び彗星の如く大樹に突っ込んでいった。
大樹に当たると光は大きく弾け、そこからいくつもの流星が大樹から湖全体へ飛び回る。大樹は、枝先から根にかけて真っ白い光に包まれ、そのまま粒子となって消えた。
湖には小さな孤島と、一本の芽が残された。
アラベルが仕掛けた戦いを終え、ペロは休もうと岸部に降り、彼を木にもたれさせた。
(ツバサ……もう大丈夫だよね?)
念のため彼の腕をひと撫でし、これ以上治癒能力が発動しないか確認する。体は癒せても、服を繕うまでは出来なかった。
(けど、折角だし新しいのに変えたら……)
そこでふと、異変に気付く。袖の切れ端からまだ怪我が治せていない部分があった。
ペロは不思議に思いつつ袖を肩までまくりあげ、左腕にある傷に触れる。
だが反応しない。何度撫でても、何度触れても、腕の傷だけは癒えなかった。
それに、その傷は他の部分と違い、切り傷ではなく殴られた痣のようなものだった。
(この怪我……一体いつ……?)
すると、ペロの頭にいくつもの映像が流れてきた。
それはどれも、ペロの知らないところで彼が誰かとかわした会話の一部で、彼が頑なに隠していた、守っていたある思いだった。
「いつか……ちゃんと言わないと。もう僕にはこれしか残ってないんだ」
ペロが寝ている時に呟いた、彼の言葉。
「そういえば、ツバサっていつも長袖だよな。暑くねえの?」
「うん、大丈夫」
「せめて上着脱ぐとか、袖捲っ……」
「大丈夫だよ。ありがとう」
カイトと彼の会話。少し我が強かった彼の口調。
「お前は、あの時から時間が止まったままだ……」
「強くなりたい。だから……教えてよ」
彼と探している人とのやり取りの一部。何故か彼は竹刀を大事そうに持って、かの兄に訴えかけている。
涙目で。声を枯らしながら。
「お前さ……『あの人』に会いたいとかって、ペロにお願いしないのか?」
「……」
ハヤテの問いかけに、無言の答え。
その切なそうな顔はペロの心を掴むようで、その後に発した彼の言葉は、ペロの中にあった霧のようなものを一気に晴らすものだった。
さっき舟で訊こうとしていた彼の言葉が分かる。
彼が訊きたかった事は……彼が確かめたかった事は……。
ペロの中で、何かが弾けた。
「ああ……そうだったんだ」
彼の記憶の断片。そこから伝わる彼の思い。そこに自分が探していたものの答えがあった。
まさか自分よりも先に、彼の方が見つけていただなんて……。
ペロの体が光に包まれ、徐々に元の姿へと戻っていく。
「ツバサ……ペロ……私……!」
眠りについたままの彼に、ペロは思わず飛び付いた。
彼の首にかかったペンダントが、一瞬ペロの涙と一緒に輝いた気がした。
「ごめんアン……本当に……ごめんなさい!」
傷が癒えない理由、彼が知っててペロが知らなかった事、そしてペロがツバサの「希望」である理由も、ペロは今ここで全て悟った。
それ知った今、ペロはただひたすら謝り、涙を流すしかなかった。
ペロのすすり泣く声が、森中に響き渡った。