BlueBird 第40話
それからどれくらい時間が経っただろうか。太陽が見えないので、空の様子から時間の経過は分からないが、僕らはここでようやく、景色が大きく変化する場所へと行き着く。
「湖だアン!」
「綺麗……」
息を飲む程澄みきった美しい湖。そしてその湖の中心に小さな孤島があり、今まで見たものよりもはるかに大きな木が一つ、その孤島の大半を占めていた。
「あの木、まるで……この山の守り神みたいだアンね」
祀られててもおかしくない。圧倒的な迫力を見せつける大木だ。
風が吹くと、木から青々とした葉が舞い散り、ゆっくりと湖の水面に落ちて波紋を創る。その波紋がこちらの岸まで届いた時、どこからか別の大きな波紋が、こちらに運ばれた。
「まだ、気づかないのですか?」
突如どこからか強い風が吹き、湖は小さな波をいくつも立てる。
すると、大木の陰から一人の男が現れた。その見覚えある顔に、僕とペロは思わず顔を強張らせた。
忘れるはずがない。当時も今もどうしてあんな事をされたのか、一体何を話していたのかとく分からなかったが、あの衝撃的な出来事を、命の危機を脅した彼を、忘れるはずがなかった。
「アラベル!」
確かあの時もペロは彼の名を呼んでいたな。完全なデジャヴ。
でも今回、彼による奇襲は無かったし、今ならその奇襲をかわせる気がする。自信は無いが、不安も無かった。
「へえ、覚えてくれてるんですね。それは嬉しい限り。しかしそれなら尚更残念だ。それだけ長い旅路をしてきたのに、未だ本当の力を出せていない上、それに気づいていない。そのように伺えます」
恐らく「未来使い」の話だろう。前にどんな話をしていたか忘れてしまったが、確かあの時は「近未来ですら読めない」などと話していた気がする。
だが今なら多少は読める。それでも彼は、まだ僕が気づいていない何かを知っているらしい。
それにしても、どうして彼が僕の旅の事を知っているのだろう。ハヤテ同様ストーキングでもしていたのだろうか。弟ならまだ許せるが、もしこれが真実なら彼は決して許せない。
「私はあなたの力を信じ、今までずっと待っていたのです。でないと、つまらないでしょう?
でもそろそろ待ちくたびれたので、先程船員とあなた達が呼んでいた方々にご協力願い、ここまで連れてきていただきました。あの方達にこちらからも礼を言わないとなりませんね」
「船員さんからの協力? 一体、何を企んでるアン?」
「……」
隣でペロが問いかけると、アラベルは突然俯きだす。
初めて会った時とは違い、裾が破れたボロボロの白衣を羽織り、紫や紺色の混じった闇夜を連想させる髪の毛が、ひざ下にまで伸びている。邪魔なのか一括りにまとめられているところが、僕の探している人と似ていて、何だか気に入らなかった。
アラベルは大樹の周りを歩きだし、独り言を呟きながら考え事を始める。彼の思考に、僕らは到底ついていけない。
「まさか……忘れてしまったとか? なるほど、その発想はありませんでしたね。それではいくら待っても望みは叶えられない……ならば仕方ありません」
「?」
「少し手荒ですが、力ずくで思い出してもらいましょう」
そう言ってアラベルは、何も無い所から闇の空洞を創り出し、それを例の大木に押しあてた。
「やめろ!」
僕の声より先に動いたのはペロだった。ペロは、湖の上を勢いよく飛び駆けると、そのままアラベル目がけて突進する。だが、それをアラベルはくるりと一回転する事で難なくかわした。
どうやら今回は、一枚岩とはいかないらしい。次に耳で振り当てようとするが、突然目に見えない何かがペロの体を突き飛ばし、彼女は体勢を整える間もなく、湖の中へとダイブする。
「ペロ!」
「フフッ、私のものになるのも近い。健闘を祈るよ……奥さん」
「えっ……?」
彼の最後の言葉に疑問を抱いていると、アラベルは等身大の闇の穴を創り、その中へと入って行った。
僕はアラベルを追うため、そしてペロを助けるため、湖に入る。最初は浅かったものの、あるタイミングで急に深さが増し、僕は途中から泳いで孤島へと向かった。
すると、突然辺りに激しい地響きが起こる。
「!?」
下から巨大な根が勢いよく浮上し、僕の体は木の根ごと湖の外へと放り出された。
まるで動物の如く枝や根を激しく動かし、大樹が暴れ始めたのだ。
湖から顔を出した根の中に、ペロを見つける。
「ペロ!」
「……うぐぅ」
気絶状態から復活し、全身をブルブル震わせて、濡れた毛を一気に乾かす。
そして周囲を見回すと、ペロは山の木々が共鳴しそうな程の大声で叫んだ。
「な、何これええええっ!?」
「木が急に動き出したんだ! アラベルが何か仕掛けたんだよ」
「何だって!? ……あれ、アラベルは!?」
「ごめん、どっかに消えちゃった……」
「何だってぇ!?」
しかし、そんな会話をしている場合ではない。まるで腕のように動く太い枝が、根の上にいる僕達に真っ向から襲いかかってきた。ペロは乾いた耳を広げて大きく羽ばたいて回避する。
僕は剣で枝を防ぐと、勢いよく空中に投げ出されたが、そこで風を全身にまとい体制を整える。
「ツバサ、風に乗って浮遊出来るようになったんだアンね」
魔法の中でも、風を操るのは得意らしい。上空から孤島を見下ろすと、大木の幹に亀裂が入り、中から真っ黒いオーラが噴き出ていた。どうやらアラベルの手によって、影に近いものへと変えられたらしい。
しかし、どうして彼がそんな力を……?
「ツバサ! 可哀そうだけど、こうなったら木を倒すアン!」
「……仕方無いか」
小さな無人島だが、ここから闇が広がる危険を考えたら、ペロの判断に応じるしかなかった。
植物に有効なのは炎。僕は未来予知を繰り返し、空中で襲ってくる大木の腕の動きをかわしながら、剣身を撫でる。たちまち剣全体が緑からオレンジ色に輝き、両手で握ると同時に、剣は炎に包まれた。
(これで……!)
僕は次に飛んできた枝をよけると、剣を枝に向かって振り下ろした。
炎は剣から枝へと移り、大木の幹に向かって走っていく。
ところが、火に気づくと、他の枝が湖に先を降ろし、僕が当てた枝に湖の水を勢いよくかけて鎮火させる。まるで知識まで与えられたような行動に、僕とペロは唖然とするしかなかった。
そしてもう一つ、驚く事があった。ペロが得意のホーリーボールを当てたり、僕が光る剣を振るうと、枝の表面から小さな枝が生え、急成長して新たな腕を増やしたのだ。光を栄養源とする植物の特性を生かし、僕らの攻撃を次々無効にしていく。思っていたより厄介な相手に、僕らは術を失っていた。
(どうすれば……!)
しかし、考えている間にも暴走した大樹の枝が襲いかかってくる。四方八方に囲まれ逃げ場を失った僕は、咄嗟に剣を前に突き出し、光を放つ守りの壁を作る。
だが、この光を浴びると木はたちまち成長を遂げ、光の壁ごと僕を覆い隠してしまった。どんどん巨大化する何本もの太い枝に押しつぶされ、終いに僕が作った壁にひびが入る。
「ツバサ!」
ペロが援護のために近づくが、彼女の後方からも枝が襲いかかり、枝から伸びた蔓によって拘束された。
必死にもがくが、長い尾や耳に細い蔓が何本も絡まり、耳から放たれている僅かな光が蔓をどんどん成長させていく。
僕もひびわれた壁の隙間から侵入してきた蔓によって、手足の自由を奪われ、そのまま木の幹にある闇の方へと吸い寄せられる。
さらに、蔓は僕の腕に絡まったかと思うと、袖を突き破って先端を皮膚に差し込んできた。
「なっ……!?」
さらに首や顔にまで、いくつかの細い蔓が伸び、全身に小さな痛みがいくつも走る。
何かが……吸い取られている。だんだん全身の力が抜け、頭が痛くなってきた。
視界もどんどん薄暗くなっていき、枝や蔓が外からの光をどんどん遮断していった。必死に叫ぶペロの声も遠くなる。
そして、光の壁が破壊されたと同時に、僕の手から剣が滑り落ちた。
(何……これ……)
「まだ、気づかないのですか?」
(くっそう……)
どこからか聞こえてきたアラベルの声を最後に、僕の意識は完全に途絶えた。