BlueBird 第38話
翌朝、僕とペロが同時に目覚めると、ハヤテは既にいつもの髪型に戻っていた。
「ペロにも見せたかったな……面白かったのに」
「見せるか! 早く着替えろ、阿呆!」
「アゥ? 髪型が何だって?」
「お前は一生黙っとけ!」
朝から罵声が飛んでくるが、すっかりそんなやり取りに慣れてしまい、寧ろそんな余裕の無い一面を見せる彼が、可愛いとさえ思えてきた。
やっぱり弟だからかな、なんて親馬鹿ならぬ兄馬鹿っぷりに自分でも驚く。きっとこんな事を言ったら、ますますハヤテは膨れ面になるし、ペロにも大笑いされてしまいそうなので、この事は心の中にしまっておこう。
僕らが寝ている間に、宿の人が服を洗濯してくれていたらしく、服からはせっけんの良い匂いがした。
日付も気分も一転したところで、ハヤテはまず昨夜言っていた知り合いに連絡するため、宿に残ると僕らに伝えた。一方の僕らは、少しでも情報を求めて道行く人に尋ねつつ、街で最も情報が集まるという施設へ向かう。中に入ると、多くの人達が電話や新聞を片手に連絡を取り合い、あちこちで着信音やアナウンス放送が飛び交って、情報が輻輳しているのが分かる。
情報が溢れる中、ひと際多くの人達が注目して集まっている場所は、入口入ってすぐにある巨大な電光掲示板だ。この街に限らず世界中の至る所で起こっている出来事や、それに関連して人々が求める情報を、いち早く集めて知らせる機能があるらしい。
掲示板を見てみると、偶然にも一部画面に見覚えのある景色が映し出されていた。
「これ……僕の街だ」
「アゥ!?」
これには、ペロも驚いた。だが、あくまで彼女は僕の街が映っている事に驚いているのではない。
あれから暫く見ない間、街がいつの間にか光を取り戻し、復旧作業に取り掛かっている事態に驚いていたのだ。まだ空は薄暗いようだが、以前と違い多くの人々が街中を歩き、既に一部の建物は原状回復している。闇に吞まれた世界が、自ら光を取り戻すという事例は、ペロの中では存在していなかったようだ。
さらに街の詳細を見てみると、行方不明者の特定まで進んでおり、映像の下には該当する人達の名前がカタカナで記されている。
一覧を上から順に見下ろしていくと、苗字の関係で早くも彼が、「イガラシ シュウヤ」という名前が見つかる。
「やっぱりシュウヤは、見つかっていないんだ……」
「おいおいそれよりもお前、その下に自分の名前もあるじゃねえか」
「え……」
気づくと、連絡を取り終えたハヤテが合流しており、後ろから僕の名前を指さす。
確かにそこには自分の名前もある。これを見てペロが、ハッと口を開けて慌てた様子で僕に尋ねてくる。
「そういえばツバサ、今までずっとシュウヤの事で頭いっぱいだったけど……家族は大丈夫なのかアン? きっとツバサの事も心配してるはずだアン!」
「僕は、大丈夫だよ。シュウヤと一緒に帰らなきゃ、僕だけが無事でも仕方ないし」
「えぇ……」
「チッ、自分の事は後回しかよ」
何故舌打ちをされたのか分からない。僕は、当然の事を言っただけだ。
シュウヤがいなくては意味が無い。寧ろ、僕だけ無事だと知らせて何になるのだろう?
どうしてシュウヤがいないのに、僕がいるんだと聞かれるだけだ。
首を傾げている僕に、ハヤテはますます不機嫌な顔になって、突然僕の頭をガシガシと撫でまわしてくる。あまりに勢いよくかき乱してくるので、僕は少し目が回った。
「何でそうなるんだよ、馬鹿兄貴! お前の事を心配してない訳ねえっつーの!」
「何でぇ……?」
「『何でぇ』じゃねーよ! 普通に考えてそうだろうが。いいから連絡先寄越せ。お前が兄さん探してる間に、俺が向こうにお前が無事だって伝えてやるから」
「それはダメだアン!」
すると今度は、ペロが僕の頭に飛び乗って、頭をかき回すハヤテに便乗してさらにワシャワシャと弄り回してくる。周囲から視線が集まっているのを気にしているのは、僕だけのようだ。
「よくそんなナリで、信じてもらえると思ったアンね!? ペロだったら、ますます不安になるアン!」
「んだとてめえ! 折角気遣ってやってるのに、その言い方はねえだろ!? いいからお前は黙ってろ!」
「黙らないアン! 本当にツバサの事を心配するなら、その髪型を何とかして、ストーカーなんてするんじゃないアン!」
「はあ!? 何だよさっきから、喧嘩売ってんのか!?」
「上等アン! 自分が作った電撃で返り討ちにあった事、もう忘れたアン? お望みなら、いくらでもお見舞いしてあげるアン!」
「はいはい、ストーップ!」
そろそろ修羅場になりそうなので、僕は両サイドでもめる二人の口をそれぞれ塞いだ。突然押し付けられた事で、二人は同じタイミングで「フガッ!」と息が詰まる音を鳴らす。
ここでようやく、周囲からの視線に気づき赤面になるが、一番恥ずかしいのは僕だ。何故か両者から頭をかき回され、すっかりボサボサになっている髪を見て、争っていた二人を始め一部の人にまで笑いものにされている僕の気持ちを、誰も分かるはずない。
けど、不本意でありながらも、彼らが討論を繰り出す種をまいたのも他ならぬ僕だ。これは、自業自得と言うべきかもしれない。相当気難しい顔をしていたのか、心配してくる二人に、僕は一呼吸吐くと、微笑み返した。
「分かった。じゃあペロの言う通り、家族にはちゃんと手紙書いて連絡する。んで、この手紙をハヤテに届けてもらう事にするよ」
「おう」
「いいのかアン? こんな奴に手紙なんて大事なもの渡しちゃって……」
また怒りの火を点けそうになったので、僕はすぐさま彼女の言葉を誤魔化しあしらう。
それに、どうして彼がここまで献身的なのかも薄々分かった。分かると、何だかおかしくなって、僕は一人クスクス笑っていた。
「ハヤテ、家に帰るのが億劫だから、僕の街へ行く用事作って回り道したいんだろ?」
「なっ……ち、違うし! 別に親にビビッてる訳じゃ……」
「じゃあやっぱり心配なのかアン? 義理とは言え、大切なお兄ちゃんだもんね。さっきからずっと『兄貴』って呼んでるし、ストーカーもしちゃうくらいだから、相当ツバサの事が気になるんだアン」
「違うわ! いや、違わないっちゃ違わな……いや違う!」
「あはは、困ってる困ってる」
「うるせえ、馬鹿兄! 犬も笑うな!」
「犬じゃないアン!」
威張ってばかりの彼を動揺させるのは、思っているよりも容易だ。やっぱり心はまだ僕よりも幼い。
やっぱり彼は僕の弟だ。
街は崩壊した様子だが、何だか希望を失うような気分ではなかった。ハヤテが調べたところ、これから舟が向かう港から少し進めば、僕の住んでいた街に着くらしい。
やはり一旦帰れと示唆されているようだ。
だが、それよりもハヤテが乗る予定の舟の方が僕の街に近いので、彼が手紙を送る方が早いらしい。問題は彼がいつ出港するかだが、そこは彼の気分に任せようと思う。
あまり急がなくてもいいから……そういうと、また両者から軽い叱責を受けた。
探している人に会うために、新しい世界へと足を踏み入れるのは、何だか嬉しい。
だがその一方で、僕は彼との暫しの別れに心細くもなっていた。数年ぶりに会えた、僕のもう一人の家族。僕にとって彼も大切な家族だ。そんな彼とまた離れてしまうのは……。
先導する彼の背中を見ていると港に着き、ハヤテは、たくさん並ぶ船の中から知り合いの舟を見つけて指さす。
「あれだわ。ほんじゃ、気をつけてな」
「うん。ハヤテこそ、ね」
「バーカ、俺はお前らと違ってそんなヘマしねえって!」
そう言って踵を返したかと思うと、たまたま踏んだ木板がきしみ、ハヤテは漫画の如く見事に尻もちを着いた。これに僕やペロを始め、周囲にいた漁師や街の住人が爆笑する。
「う、うるせえ! ちょっ、お前ら笑うな~!」
「やっぱり裏切らないなぁ……」
笑いと同時に涙が出てきた。笑い泣きに混じって、別れの寂しさがまでもが溢れだす。
僕は、そそくさ立ち去ろうとするハヤテに向かって、気付けば後から抱きついていた。
「兄貴?」
手が震える。やっと会う事が出来た、もう一人の家族。
ちょっと口は悪いけど、根は優しく、ずっと僕の事を心配してくれていた大切な弟。
何となく、そんな彼と似たような言葉を交わしたくなった。
「……ありがとな、マジで」
するとハヤテは、頭をぽりぽり掻いて周囲に目をやりつつも、はぁと溜息を零した。
「なあ、こういうのってさー……まあいいか。お前、兄貴のくせに泣き虫だったんだな」
「うっ……そこ突かれると痛いかも」
「いいって。昔はそんな顔全然しなかったんだから。今思えばお前、本当に変わったわ。勿論、良い意味で」
「ハヤテのおかげだよ。それに、今の兄さんのおかげ。だから行かないと……」
「おん」
ハヤテはポンポンと僕の頭を叩いて、ニカッと明るい笑顔を見せてくれた。
舟で待っていた二人の船員に挨拶をし、ペロが一足先に舟の中へと入って行く。僕も、ハヤテと互いの拳をコツンと当てて再会を約束してから、舟へと乗り込んだ。
「今度会う時は、お前の兄さんも連れて来いよ! 兄弟同士で話してみたいし、その人に言いたい事もあるからさ!」
「うん、必ず!」
「ちゃんと生きろよ、兄貴!」
義弟から贈られた言葉を、僕はしっかり受け止める。
舟が汽笛を鳴らし、港から、街から、ハヤテから離れていく。僕とペロは、街が見えなくなるまでいつまでも手を振り続けた。
振り返れば広大な海。一見何も無さそうだが、あの先にはまた別の街が、そして僕の街が待っている。
あの時が何だか遠い昔のように感じられる。久しい僕の故郷……。
(必ず、見つけるから。待ってて、シュウヤ……)
僕は、首にぶら下げているペンダントを握り、ペロと一緒に青い海を眺めていた。