BlueBird 第12話 ~エミレスの森~
「……本当に何かいたのかアン?」
「物音がしたんだ。ガサガサって」
半信半疑なペロを連れて、僕は森の中へと入っていた。
オアシスから眺めていた穏やかな雰囲気とは一変して、ここは思っていたよりも過酷な道だ。
高低差ある木が、頭上で僕らの集中を切らす上に、地面から剥き出しになった太い根が足場を邪魔し、なかなか奥へと進めない。
ペロは僕の肩で避難しているが、時々葉っぱが耳にひっかかりストレスが溜まっている。
「ねえ、引き返そうアン。きっとツバサの勘違いアンよ」
「そんな事無いと思うんだけどな……それに、あそこに戻っても何も無いし、進まなきゃ」
「うぅ……」
渋々ペロは大人しくなる。
すると、言ってるそばから再び音が聞こえてきた。
今度は、間違いなくペロも聞こえる程、鮮明な草木の揺れる音だ。
この場に張りつめた空気が漂い、すさまじい緊張が僕らを襲った。
どこからか鋭い視線を感じ、思わず僕は後ずさる。
(何だろう……人じゃない。まるで獲物を狩る『獣』のような……?)
すると草木が一瞬激しく揺れ、音の正体が姿を現した。
どうしてこんなに分かりやすい色なのに、僕らは気づかなかったのだろう。
薄暗い森の中では目立ち過ぎる純白な毛をした虎が、僕達の前に飛び出して来たのだ。
「ガルル……!」
「うわあああっ!」
ペロは思わず悲鳴をあげる。
しかし、それはあくまで虎に襲われたからではなく、咄嗟に予知した僕が、彼女を掴んで草木へと飛び込んだからだ。不意に自分の体が動けば、誰でも驚く。
僕達が虎の視界から消えると、遅れて
バーン!
という銃声が森の中に響き渡った。
僕らがいた場所の土が、一瞬にして跳ね跳ぶ。
「何アン……?」
この場において一番状況を理解していた虎は、銃声を聞くとすぐさま森の奥へと走り去った。
それに遅れて、別の草むらから一人の少女が現れる。
「わわっ、いつの間に!?」
ペロは驚きのあまり、頭上にあった枝に頭をぶつけた。
その音を聞いた彼女は、すぐさま僕らがいる草むらに銃を向けて、鋭い眼光を飛ばしてくる。
僕は慌てて草むらから顔を出し、ターゲットでない事を伝えた。
ここでようやく少女は、構えていた銃をおろし、肩に掛けなおした。
「ハ?」
「え……」
正確には、カタカナで表記出来る音ではない。もう少し独特な、違和感のある言い方だった。
少女は草木に紛れやすいような、暗い色の服に身を来ており、唯一帽子から出た長いツインテールだけが、澄き通った水のような青色をしていた。
彼女は、そのまま僕の元に歩み寄ると、じろじろと睨むように見つめ
「フー?」
と、何かを尋ねるように日本語ではない言葉で話してきた。
「あ……」
どうやら外国人のようだ。そしてこの質問から、間違いなく英語圏の者と考えられる。
英語を知らないペロにとっては、一体彼女が何を尋ねているのか、さっぱりだった。目をパチクリさせて、僕に助けを求めようとすがってくる。
すると、今度は彼女の後から背の高い長髪の女性がやってきた。どうやら彼女の仲間らしい。
少女はくるりと背を向けると、やってきた女性の元へ行き、残念そうに肩を下ろしながら、
「Sorry,I missed.(ごめんなさい。逃がしたわ)」
と先程の状況を報告した。
すると女性は彼女の肩に手を置きながら、その先にいる僕らへと目を向けた。
彼女は興味深そうに僕を見た後、笑顔になって手を振る。
「Hi,there. Are you speaking Japanese or English?(こんにちは。あなた、日本語を話すの? それとも英語?)」
「Japanese,please. (日本語でお願いします)」
「あら、そう! ならよかった、私も日本語なのよ! あ、私は『センセー』。もう、この呼び方に慣れちゃってるから、あなた達もそう呼んじゃって!」
なるほど、バイリンガルな人のようだ。ペロも聞き覚えのある言葉が聞けて安心する。
センセーの紹介で、彼女は「ニナ」という名前だと分かった。
こんなに小柄なのに、立派なプロのハンターだそうだ。
複雑な森において、その小柄さは自由が利いてかなり有能との事だ。
「それでシャガを仕留めるよう、依頼されてるのよ」
「シャガ?」
「We encountered it.You prevented me from hunting.(さっき遭遇したでしょう? あなたのせいで見逃しちゃったけど)」
「Oh……sorry.(あ……すみません)」
「あの虎は、村を襲う厄介者でね……彼女も被害者の一人なの。だから依頼されたというか、自ら志願した感じ」
「なるほどアン……」
彼女の説明を聞いてる限り、どうやらこの森にも村があるらしい。
人がいると分かり、僕は少し安心した。
そんな一方で、ペロがぼそりと僕の耳元で呟く。
「ツバサ……英語話せたんだアンね」
「ああ……少しだけ、ね」
話せると言っても、簡単な挨拶や応対程度で限界だ。
すると、センセーが珍しいものを目にしたと言わんばかりに瞳を輝かせて、肩に乗っていたペロを僕から引きはがした。
ペロは思わず犬のような声をあげながら抵抗するが、センセーの大きな手でしっかりと掴まれ、上手くもがけない。
「すごいわ、言葉を話せるなんて! とっても研究し甲斐のある生物よ! そう思わない?」
「アゥ!?」
ペロが今にも泣きそうな顔で、僕に助太刀を要求する。
僕も流石に洒落にならないと察し、失礼ながら力ずくで彼女を引き戻した。
「すいません。この子は、僕にとって大切なパートナーなので……」
「ええ~! じ、じゃあお金は……」
「ペロは売り物じゃないアン!」
再び手を伸ばしてくるセンセーに、ペロは怒りのあまり噛みつこうとした。
が、これはやり過ぎだと思い、僕はあえて彼女に自らの手を噛ませる。
センセーは僕らの必死さに折れて、渋々貴重な機会を逃す事にした。
「ところであなた達、お名前は?」
「あっ、失礼しました……僕はツバサ、んでこっちがペロです」
「Wing?(ツバサ?)」
「?」
突如僕とセンセーの間から割り込んできたニナが、目を丸くさせて僕を見る。
「Wing,huh?(ツバサ、ね)」
何故か名前を確認されて、僕は頷くものの少し違和感を覚えた。
すると、センセーがハッと何かを思い出したかと目を見開いて、
「ごめんなさい。この子、最近日本語の勉強してて、この間、翼がWing[ウィング]だって知ったから興味あるのよ」
と、半笑いしながら彼女を自分の背へとひっこめる。その様子は、まるで親子のようだ。
ニナは子供扱いされたのが悔しかったのか膨れ面になっている。
確かに音は「翼」だが、実際の漢字は違う。
けれど、まだ日本語に触れて間もない彼女に、例外を教えても混乱させてしまうと思い、僕はそのまま受け流す事にした。
ペロは何だか納得していなかったけれど。