BlueBird 第1話~はじまり~
春――たくさんの先輩達がそれぞれの道へと歩み出し、その過程をずっと見守っていた僕達にも、待ちに待った休暇がやってくる。
僕は、いつものようにリビングのソファで寝転がり、ニュースを聞き流しながら本を読んでいた。
最近起きた出来事を知りつつ、それとはかけ離れた「歴史」について学ぶのが、最近の日課だ。
今聞いているニュースの内容は、「新型PC開発プロジェクトの会談を生中継」とか「行列する人急増中の流行スイーツ特集」といった平和過ぎる出来事ばかりなので、歴史に出てくる戦争や事件、事故などの残酷な話がより面白く感じられる。
「はずなんだけどな……」
それはあくまで、歴史にとても関心があったり、好きだったり、少なくとも「苦手でない」事が前提の話だ。
生憎僕は、その最低限の条件すら満たせていない人だった。おかげでこの本から流れてくる情報は、ニュースの音にかき消される一方である。
「まーた平和ボケした話か? メディアは、ネタが無くて困ってるんだろうな」
「あ、おはよう。シュウヤ」
奥からコーヒー入りのコップを両手に、僕の兄「シュウヤ」がやってきた。
彼は剣道部所属で、祖父の影響からか侍のように長い後ろ髪を持つ。
「お前もまたそんな難しい本読んでるのか? 歴史苦手なくせに、いい度胸してるな、ツバサ」
僕は、シュウヤの言葉に笑いながら、淹れ立てのコーヒーを受け取る。
ちょうど一章を読み終え、ナイスタイミングだ。
「希望の大学が、地歴とらなくちゃいけないから、今のうちに強くなっておこうと思ってさ」
「あーそっか……お前、行きたい大学あるんだったな。俺よりも年下だっていうのに、すっかり大人だな」
「えへへ」
乾杯して一口。朝の目覚めにコーヒーは最高だ。
シュウヤは何も加えないブラックに対し、僕はミルクがたっぷり入ったカフェオレ。
「飲み物に関しては、シュウヤの方がずっと大人だよ」
「へへッ、どーも」
そんな何気無い会話をしながら、朝の一時を過ごす。
シュウヤは、この後またいつものように、朝練をしに行くようだ。引退試合が近いから、気合が入っているのだろう。
準備万端になったと思うと、
「ほんじゃ、いってくる。今日は多分早めに帰ってくるよ」
「分かった。気をつけてね」
「おん、じゃ」
「いってらっしゃい」
シュウヤが部屋を後に、ドアを閉めると、勢いよくアパートの階段を下りて行く音が響いた。
そして、床下から微かに「いってきまーす」と、挨拶する声も聞こえてきた。
恐らくその相手は、この寮の管理人さんに違いない。
何故ならここは、管理人が一名、住居者は僕含む二名しかいない、とても小さな寮だからだ。
シュウヤが朝練に行ってから約一時間。
テレビはどのチャンネルも、そろそろニュースからバラエティ番組へと移る頃だった。
「ふぅ」
読むのにもそろそろ疲れ、すっかり冷めてしまったカフェオレを飲み干すと、僕はテレビの電源を落とした。
そしてふと、テレビの横に置いてある写真立てに目をやる。
それは、僕が小学生になってまだ間も無い頃に撮った家族写真。僕らが寮で暮らすと決まった際、まず最初に持っていくよう渡された物だ。
もう写真を撮ってから、十年も経つ。
(家族……か)
隣で僕と肩を組んで得意気なシュウヤに、嬉しそうな笑みを浮かべる僕。
そんな僕達を優しく包み込むようにして両手を広げる母と父。
思わず口元がほころび、胸がじんわりと温かくなる。
そして、早くシュウヤが帰ってこないかと、期待に胸が膨らんだ。
(僕は、まだまだ子供だよ。シュウヤがいなくちゃ、何にも出来ないからね)
写真から蘇る数々の記憶に思いふけていると、外から人の声が鮮明に僕の耳へと飛び込んできた。
僕は、その人声の中に彼がいないかと、窓から外の景色を眺める。
と、その瞬間、
「え……」
声をあげたのもつかの間だった。
僕の目の前を黒い小さな球体が落下していくと、一瞬にして僕の目を暗まし、とてつもない轟音と共に、激しい突風を吹き起こした。
その直後、というよりはほぼ同時に、
「地震!?」
突如襲いかかる、激しい揺れ。
咄嗟に僕は、テーブルの下へと写真を抱えたままもぐりこむ。
後で気づいたが、この反射的動きが無ければ、僕は全身に割れた窓ガラスが突き刺さっていた。思わず息を切らす。
最初の轟音と共に、ガラスが飛び散る音、棚の中にあった物が滑り落ちる音、そして、どこかの大きな建物が崩れる音などが、部屋中に、街中に、僕の耳に、ぐちゃぐちゃに入り混じって響き渡る。
しかし僕はこの時、その音の中に人の声が一切無い事に気づいていた。
暫く経って、ようやく揺れがおさまる。
若干気を失いかけていた僕だったが、恐る恐るテーブルから身を出すと、真っ先に辺りの空気がおかしい事に気づく。
あまりの異様さに思わず、足元のガラスを避けながら、もう一度外を見る。
と、絶句した。
外は明るいのに、その光は明らか太陽からのものではない。
カスピ色の雲に覆われ、周囲のひび割れた石床の破片や、完全に倒壊してしまったビルの一部が、重力に逆らって上空の彼方へと昇っていく怪奇現象も起こっている。その途中、一部の欠片は突然焦げたような黒い物質へと変化していた。
そして先程まで居たはずの人影が、一切見当たらない。
「何だよ……これ……」
世界を丸ごとひっくり返されたような気分だ。
そして、この心情を伝えようにも、伝える相手がいないという、不安と恐怖に、僕の心は押しつぶされそうだった。
「シュウヤ……!」
シュウヤがいなきゃ、何も出来ない。そう自分に呟いていた。
直後にこの事態だ。
思わず僕は、シュウヤを探しに部屋を飛び出した。