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06 妄想検分

 この世界に来てから、どれ位の時間が過ぎ去ったのだろうか。

 おなかもすかないし、眠くもならない。その上、常時日暮れで、時計も動かないとなれば、正直、知る事も出来ない。

 ただ漠然とした感覚では、数ヶ月以上は経っているんじゃないかとは思ってはいたけれど……。

 でも、一つ分かっている事は、僕たちは年を取ってないということ。

 その証拠に、代謝が起きていない。生理現象が無いのだから、当然なのかもしれない。でも、しばらくの間、僕は気が付いていなかった。

 やる事が無く、居間の鏡の前でポージングしている時に、謎の中国人ぽい風貌になるはずの僕のお髭が、全く伸びない事に気が付いた。それで、確信したんだけれど。

 それにしても、最近のねえさんは遠慮が無くなって来た。

 そこらで、ごろごろと寝転がり無防備に、難しい本に夢中になる。しかも、気分転換だと、頻繁に、人目すら気にしないでポイポイ着替えるのである。人目と言っても、僕の腐った眼しかないのは事実なんだけども、まあ基本、はとこ同士だしね。

 でも、そうかと思えば、僕を寄せ付けず一人テラスで物思いに耽ったりするから、対応が難しい。

 これが良くいう、女の気まぐれなのだろうか。へっぽこな僕には分からない。

 漫画を読みながらそんな事を考えていると、うつ伏せで足をばたばたさせながら五輪の書を読んでいた姉さんが、突然、立ち上がって言った。

「うークン。もし、この世界から脱する事が出来たら、どうする?」

「分かんない」

 僕は、軽い気持ちでそう言った。正直、何も考えてなかった。

「……そっか」

 ねえさんは、困ったようにその場で頭を掻くと、背を向ける。そして、外を眺めるそぶりで数分間動かなかった。何かを考えている風にも感じられた。僕は知らぬふりで通すことにして、漫画に視点を戻す。

 そのしばらく後、ねえさんは、唐突に切り出したのだ。

「あのさ。例のコンピュータの件を考えて見たんだけど、聞いてくれる?」

 ねえさんの言葉に興味を覚えた僕は、七つの金玉を集める漫画を閉じた。ねえさんは振り返り、正面に座り込むとあぐらをかく。そして、何かを決断したように大きく空気を吸うと、僕の目を見て口を開いた。

「あのね。前に話したでしょ。私の場合、入力した内容が現実に起きたって。あれね、厳密にいうとちょっと違うの」

「どう違うの?」

「現実に起こるんだけど、暫くすると、何時の間にか無かった事にされてしまう。結果的には、起きてない事になるわけ。結局、自分には起こったように思えるだけなの――。

 だからきっと、あの携帯コンピュータは、実際には、時間を操ったり、願い事を現実にかなえてくれる様なモノではないと、私は思う」

 なら、自分が経験した、時間停止における朱美との攻防はなんだというのだろう。ぴゅうたんをどう説明付けるのか。

「うークンは、時間を遡らせたと言ってたけど、それって、実際何か証明できるものある? 例えば未来を変えたりとか」

 証明なんて出来るわけが無い。時間の止まった世界に居るのは僕だけなのだし。そもそも、EMOSの機能ではできる事など限られているんだ。

「それは、無理だよ。そもそも、あの構文は欠陥だらけで役に立たないし」

 僕は、中途半端なEMOSの効果を説明した。

「何それ。それじゃ確かに役に立たないわね。他にパラメータとかあるんじゃないの?」

 そりゃ、無いとは言い切れないけど。EMOSについては、簡単なサンプルがあっただけで、僕に、詳細など知りようが無いんだし。

「だから、ねえさんは何がいいたいの?」

 話しの核心からずれた事に苛立った僕は、話しを急かした。

「――話が逸れたわね。つまり、あの携帯コンピュータは、人の望みや願望をさも叶ったかのように見せているんじゃないのかって事。だから、この世界も……」

 ねえさんは、そこで言葉を止め視線をそらす。沈黙がこの場の空気を支配した。

 すなわち、これらすべての現象がぴゅうたんが見せる幻想なのだと、今更ねえさんは言っているのだ。

 僕の中で、何かが弾けていた。

「じゃあ、この世界も僕の、いや、ねえさんの妄想だと思うの!?」

 ねえさんは、少し辛そうな表情をした後、寂しげに言った。

「結局ね。そう考えると、私には納得が出来るの。

 それにね、私は、この世界を望んだかと聞かれたら否定できないから……」

 EMOSや時間操作をした事実を否定されたから、感情的になった訳じゃない。そんな事は、それ程問題じゃないんだ。

 僕とねえさんしか存在しない糸瀬河内。

 妙な話、僕は、この世界が嫌いじゃなかった。

 現に、僕はねえさんほどこの世界について深く考えようともせず、不毛な共同生活を自然に受け入れていた。僕は、むしろ気に入っていたのだと思う。

 だから、それを簡単に妄想と片づけられるのが許せなかった。僕自身を、姉さんに否定されているようで悲しかった。

「これが妄想だなんて、あり得ないよ……」

 僕だって、最初は夢かと思った。でも、長時間ねえさんと過ごしてみて分かった。それは断じて違う。こんなリアルで長い妄想などあるものか。

「じゃあさ、……うークンは望まなかったと言い切れる?」

 頭の中で、ここへ足を踏み入れる切欠となった馬鹿げた経緯がよみがえる。

 あの時、僕は確かに望んだのだ。暴君朱美からの逃避を――。

 僕は、閉口するしかなかった。

 ねえさんは、優しい吐息を一つこぼして小さく微笑んだ。僕の沈黙を肯定と捕らえたようだった。

 それに、この世界を否定されて、こんなにも僕は激昂した。

 やはり、僕は望んでいたのだ。具体的な形じゃないけど、結果的に、この世界を望んでいた事には変わらないのかもしれない。

「僕も、望んだのだと思う……。だから、ねえさんの言うことも分からなくはないけどさ」

「うん」

「でも、これだけは言える。この世界だけは絶対に夢とか妄想なんかじゃない!」

 その論拠を聞かれても、漠然としていてはっきりとは答えられないだろう。だが、それでも、僕は断言して見せた。

 願望を壊されるのが怖かったから? それもあったかもしれない。

 だけど、それだけじゃないんだ。歴然とした根拠がある訳じゃないけれど、僕の中には、ただ最初から確信だけがあったのだと思う。



 それからの僕は、生活を一変させる。

 時間の殆どを、この糸瀬河内の探索に向けた。時間だけでなく、熱意のすべてをそこにつぎ込んだ。それだけが僕とねえさんのこの大切な時間を、肯定できる方法だと信じたからだ。

 あの後、突然行動的になった僕に、ねえさんは良い顔をしなかった。

 もしかすると、例の口論の事を思い出して、きまりが悪い思いをしているのかもしれない。でも、それでも、僕の考えは変わらない。

 僕は、この世界の形状を調査しようと行動に移す事にした。だけど、それは具体的に何を見つければ解決するとか、そんなレベルでもなくて。それは雲をも掴むような行為なのは分かっていた。

 でも、もしかすれば、何処かに違和感や欠如が存在しているのではないかと考えた。

 まずは、この世界をおぼろげに仕切る境界線を明確にしようと取り組む。

 東西南北に足を進め、いつの間にか引き返してしまう地点を、マップに書き込んでいった。

 それと平行し、手当たり次第の建物や場所に足を運んで、しらみつぶしにチェックしていく事にした。

 具体的には、二千六年八月十五日に、存在してはならないもの。なければならないもの。この世界に、存在してはならないもの。なければならないものなど……。

 思いつく限りの違和感を探して、民家から山林、果ては図書館の資料を漁る。終わりの見えない不毛な作業だ。でも、時間は無限にあるのだから僕はあせらなかった。

 そんな生活を繰り返す内に、僕の調査に、時々ねえさんが付いて来るようになった。

 どちらにしろねえさんは、作業を手伝ってくれる訳でもなく側で好きな事をしているだけで、暇つぶしの一環でしかなかったのだと思う。

 まあ、それでもねえさんが楽しいなら良い。何となく仲直り出来た様に思えたし。それに、僕も当然嫌じゃなかったから……。

 結局、こんな感じで僕は、季節が変わる程の時間を費やしたんだ。

 いや、時間は止まったままだけど、そんな気がするまで続けた。我ながら、自分にこれほどの根気があったのかと感心する程だよ。今では、糸瀬河内、その北の神海町を含めたマップの大部分のエリアを、『問題なし』を意味するスマイルシールが埋め尽くしていた。

 この異様なマップを見ていると、まるで、夏休み恒例、ラジオ体操参加カードの巨大版みたいにも見えて来て、変なトラウマがよみがえりそうになる。

 だけど、この無意味に微笑む黄色の笑顔の山は、この世界を構成するものが鮮明である事の証で、僕の行動を肯定する誇らしい勲章達でもあった。

 僕は、このスマイルが少しずつ増えていく様に喜び、この不毛な活動の活力にしていた。

 けれど、それは浅はかな考えだったんだ――。

「ねえ。このマークで埋め尽くされたら、どうするの?」

 ある時、居間で機嫌良くシールを貼っていた僕に、ねえさんが静かに問いかけた。それに僕は苛立ち、何を今更と言い返そうとした。それで、この世界を証明できるじゃないか――とね。

 でも、粛々としたねえさんの瞳に、僕はその言葉をのみこんだ。そして、その瞬間、僕は気がついたんだ。

 このマークでマップを埋め尽くしたって、この世界を証明することなんて叶わないんだと。ねえさんのいう妄想説を否定する事など出来ないって……。

 そうさ。違和感もなにも見つからないということは、調査を始める以前となんら変わらないって事で、結局、踏み出してすらないって事なんだ。

 本来ならニコちゃんシールがマップを埋め尽くす度に僕は、危機感を覚えるべきだった――。

 今まで僕のやっていた事とは、ただ継続的に世界を確認して、安堵していたに過ぎない。そして、それは、ねえさんに対してのポーズでしかなかったのだろう。

 ほら、こんなにリアルじゃないか、だからこの世界は現実なんだよ?――ってさ。

 こんなんじゃあ、ただの独りよがりと変わらない……。

 今になって、僕は、自分の考えの足りなさを実感していた。僕の思いつきは、何時だって中途半端なんだ……

「ふう……」

 僕は、相変わらずの夕焼け空を仰ぎ見て、思わずため息をついた。咄嗟に口をふさぐ。側に居るねえさんに、見られたくなかったからだ。

 崖上から滝を見下ろしていたねえさんは、ちらと振り返り優しく微笑んだ。

 調査の無意味さを痛感した後も、相変わらず僕は、今まで憎たらしいスマイルシールを貼り続けている。どちらにしても行動しないと、袋小路から脱する事は出来ないだろうし、何より、僕自身が落ち着かなかったからだ。

「そうだ、うークン。……シールが全部埋まったら、お祝いでもしようか」

 その優しい申し出に、僕は言葉を返すことが出来なかった。当然だ。今となっては、そんな心境になれる筈がない。僕は、複雑な表情をしていたと思う。ポーカーフェイスは得意じゃない。

 僕の顔を見て少し悲しそうにした後、ねえさんは、ゆっくりと背を向けた。そうしてまた滝に視線を戻す。丁度、蝉達が唄を止めていた。

 静けさの中に、崖下から響く滝の涼やかな飛沫のさざめきだけがくっきりと浮き上がって聞こえた。その中僕は、ねえさんの後ろ髪を見続けるだけで、次の言葉を待つことしか出来なかったんだ。

 不意に、ねえさんの背筋が伸びる。

「――ここから飛び降りたら、楽になれるかな」

 ねえさんの言葉に愕然とした。

 その口から出た悲観的な言葉に驚いたのも、もちろんあった。でも、それだけじゃない。既視感だ。

 頭の中でリフレインするその言葉が僕の心をかき乱し、僕の脳の中で何かが蠢く。隔離されていた記憶の片鱗とシナプスが接続し、それがイメージとなって感情と共に蘇った。

 過去のイメージと今の景色が重なり合い、瞳に熱いものが込みあがる。

 子供の頃この場所、同様の状況で、ねえさんは僕に同じ事を言ったんだ……。

 振り返ったねえさんは、何時もの優しい笑顔を見せる。僕には、それが痛々しく見えた。

「覚えてる? 前に、ここで同じ事言ったら、一生懸命止めてくれたのよね」

「……うん」

 あれは、僕が八歳になる少し前の事だ。

 あの時のねえさんは、今にも折れそうだった。

 崖前で背を向けたまま今のように振る舞い、生きるのは疲れた、もう嫌だと僕に打ち明けたんだ。疲れ果て何かを諦めた様なあの表情は、出来れば思い出したくは無い。

 本当に飛び降りてしまいそうに思えて、僕はどうしようもなく悲しくて、泣きじゃくるくらいしか、そんなねえさんを救う方法を知らなかった――。 

 僕を無条件に庇い、叱り、そして励ましてくれるねえさんは、僕の強い母であり優しい姉で――それに比べて、僕は弱くて何時もねえさんに依存する事しか出来ない、愚かでちっぽけな子供だったのだから。

 あの時のねえさんは、間違いなく何かを抱えていたのだと思う。

 大学進学も間近に迫っていたし、色々悩みがあって当然の時期でもあったんだ。 あの後、僕に会う事も無く他県の大学に行ってしまったのも仕方が無かったんだろう。

 ……でも、何故ねえさんは、今、こんな事を言い出したのだろう。

 あの時とは違って、今の雰囲気は柔らかいものだ。単に、昔話をしたくて、もう一度言ったのか。それとも……。

 ねえさんが、眉に掛かる前髪をかきあげ、瞳を僕の視線に絡める。

 その瞬間、僕の心臓が跳ね上がり、背筋から頭頂部に向けて怖気が駆け上がった。決してねえさんを恐れたわけではない。ただ、ねえさんの優しげな微笑に隠されたその瞳の重さに気がついてしまったから……。

 きっと今の言葉も、昔と変わらぬままの本心なのだ。

「ねえ。……いい加減、こんなこと止めない? きっと無駄だよ」

 ふたたび長い沈黙が僕たちの間を隔てる。

 ねえさんは、僕の言葉を待っているようだった。瞳を決して逸らそうとはしない。それでも僕は、言葉を返さなかった。簡単に言葉を返してはいけない様な気がしていた。

 ねえさんの表情に落胆の影が一瞬だけ浮かぶ。そして、すぐに笑顔で掻き消えた。その笑顔は、きっと僕に対する優しさでしかないんだろう。

「うークンは、この世界を確かめたいのよね?」

 とまどいながら僕は、頷いた。

 それを合図にねえさんは、軽快な足取りで崖先まで駆けあがる。それはまるで、野ウサギを追う無邪気な少女の様だった。

 崖の先端に佇むと、ねえさんはこちらに振り向く。

「だったら――。だったら、試してみよう。私がここから飛び降りて、もし死ぬようなら限りなく現実。何事もなく生きているようなら限りなく妄想」

 世界から音が消え、目の前が真っ白になった。

 何を言ってるんだ、ねえさんは――。

 僕は、はっきりとその言葉を耳にしたにもかかわらず、把握できなかった。僕の脳は、その言葉を理解するのを拒否した。

 思考停止した僕は、間抜け面を晒すだけでなんの反応も出来ずにいた。  

 僕を尻目にねえさんは、滝の方へ向き直るとゆっくりと一歩踏み出し、深呼吸を始める。

 その時の僕は、映画の一シーンを取り続ける無機質なカメラでしかなかった。無感情のまま、ねえさんの自虐的な実験を見守り続ける。

 ――不意に蝉が飛び去った。

 我に帰った僕は、ねえさんの元へ、大声を上げながら無我夢中で駆け出した。

 張り裂けんばかりの心の叫びは言葉にならず、だらしのない喚き声にしかならなかった。でもそれでも、重力に体を委ねようとしていたねえさんは、僕の声に反応し一瞬だけ動きを止める。

 僕は、右腕を精一杯伸ばし、間一髪ねえさんの掌を掴んだ。そして、絶対に振り解けないように力の限り握り締め引き寄せた。

 ねえさんの指先は、やけに冷たかった……。

「ダメだよ……。そんなんじゃダメなんだよ」

 結局、こうして駄々をこねる事でしか、ねえさんを引き止められない――。僕は、子供のころのまんまだ。きっと、あの頃から何も変わってない。

 そんな僕を、ねえさんは、疲れた表情で見下ろすだけだった。 


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