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05 ねえさんの居る家

 当初、ねえさんは信じられないとの態度を隠せない風でいた。

 でも、僕には、そんなことはどうでも良かった。ここが過去の世界を再現した僕の夢であっても関係ない。昔のねえさんにもう一度会えたのだから。

 取り付かれた様に僕は、思い出話を次から次へと吐き出した。

 ねえさんは暫くの間、黙って僕の話に耳を傾け、相槌だけを打っていた。その内にねえさんの表情は和らいでいった。

「本当に、うークンなんだね」 

「嫌だなぁ、さっきから、そう言ってるじゃないか」

「だってねうークン? 貴方、私より背も高いんだよ? 私の知っているうークンは、チビでお馬鹿で小生意気なんだからさ」

 そこで初めて気づいた。目の前に居るねえさんが、僕の子供時代のねえさんであるという事を。大人になった僕を、知るはずがないのだ。

「うむ。ほぉ、男前になったね? でも、面影あるよ。落ち着きの無い所なんか、昔のまんま」

 そう言って、あははと笑った。

 これが、ねえさんなのだ。こんなあり得ない出来事なのに、簡単に信用してくれる。

「ねえさんは、変わらないなあ。昔のまんまだ」

「馬鹿。当たり前じゃない。ここに居る私は、うークンの子供の頃の私なんでしょ?」

 背伸びして僕の頭を軽くはたく。

「あ、少し違うか。うークンと最後に会ったのは高校の最後だったし……。今の私は、こう見えても大学院生で、もう少し大人なんだけどな」

「ううん、大丈夫。髪型が変わったくらいで、全然、成長――、いや、変わってないよ」

 軽口が自然に溢れ出た。

「こら、ちょっと大きくなったからって生意気だ。ねえさんをもっと敬いなさい」

 ねえさんは胸を張り、偉そうなポーズを取りつつ人差し指を僕に突き出してみせる。そんな、芝居掛かった態度も懐かしい。僕は、込みあがる嬉しさに逆らえず、満面の笑みを浮かべてしまった。

 突き出した指先で、僕の胸を強めに弾くと、ねえさんも笑顔になる。

 これが、僕とねえさん。二人の親愛の表現なんだ。

「でも、やっぱり、うークンは大きくなってもうークンだね。なんか安心した」

 声を聞くたび、心の中が暖かくなる。僕は本当にねえさんが好きだったんだなと実感した。

「うークンが来てくれて、本当に良かった」

 ねえさんは、目を細め白い歯を見せて笑う。心底喜んでくれたようだった。

「そうだ。ねえ、母さんは? 美津子は? 皆、何処に居るの? 折角だから会いたいな」

 その僕の言葉にねえさんの表情が陰る。

「……ここには誰も居ないよ」

「ああ、そうか。お盆だから、みんな本家かな?」

 ねえさんは、言い難そうに暫く押し黙る。そして、もう一度僕の目を見ると、諦めたように答えた。

「……それは違う。この世界には私達しかいないから」

 不意に、側で鳴いていたツクツクボウシが飛び去った。

「え? ……どういうこと?」

 奇妙だとは思った。でも、正直、この時点で不安はなかった。僕は、これが夢か何かだろうと高をくくっていたからだ。

「ねえ、うークン? ここにはどうやって来たの? 貴方、もしかして、私の携帯端末を触らなかった?」

 言葉を失った。携帯端末とは、おそらくぴゅうたんの事だろう。僕は、直前までぴゅうたんを弄っていた事を思い出す。

「正直に答えて、大事な事だから」

 僕は頷いて答える。それにねえさんは、考え込むように視線を逸らした。

 幸せな夢から引き戻されるような感覚。現実感と共に悪寒が駆け上る。

「ねえさん。どういうことなの……?」

「わたしは、あの携帯端末を操作している内に、この世界に迷い込んだ。だから、うークンも、もしかしてと思ったの……」

 つまり僕は、やはりぴゅうたんの影響によって、今ここに居るということ。そして、それは、ねえさんも同様――。

「この世界って……」

「誰も居ない二千六年八月十五日、夕方の久米平、糸瀬河内――。

 信じられないのも無理ないと思う。私も半信半疑というのが本当のところよ……。でも、単純な状況とも思えない。だって私は、ここに来てから、もうかれこれ経つから。

 ただ、どれくらい経ったかはわからない。――正直、知りたくも無いわ」

 暫く、信じられない話に聞き入る。

 この糸瀬河内は、常時夕方である事。ここでは空腹も感じなければ、睡魔に襲われる事も無い。一切の生理的欲求が起こらないらしい。

 更には、糸瀬河内周辺からは一歩も出られないという。何度踏み出してみても、結局戻ってきてしまうらしい。

 衝動的に、外へ駆け出した。そして、自分が来た方角へ向かう。

 僕は、砂漠から近所の商店街を抜け、糸瀬河内の実家にたどり着いた筈だ。だから、その通り戻ればここから出られると思った。

 だが、行けども行けどもあの商店街は見えない。普段の糸瀬河内が続くだけだった。僕は、それでも走った。どれだけ全力疾走をしても、全く疲れすら感じなかった。だから、ひたすら走った。田園地帯を過ぎ住宅街を越えた。どれくらい走ったかは分からない。

 ふと気が付くと、僕は、今来た道を逆方向に走っている事に気が付き、愕然とする。僕は、その後も、方角を変え何度も何度も試した。

 その都度、家の前を通るたび、悲しげなねえさんの顔を見るのが辛かった。

 でも、結果は同じだった。最終的には戻されてしまうのだ。 

「なんで――」

「もうやめよう? 何かの拍子で、うークンが居なくなりそうで、少し怖いんだよね」

 ねえさんは、僕のポロシャツを掴んでそういった。一人取り残される事を恐れているのだ。

 側の松の木にとまったツクツクボウシが、恐々と鳴いた。

 自分、一人だけの世界――。

 ここに一人取り残されたらと考えたら、ぞっとした。ねえさんは、その一人の世界を経験しているから尚更なのだろう。

 だから、ねえさんのいうとおりにした。

 とにかく、二人で居る事が、現状では適切だと僕にも思えたからだ。



 ここでは時間は無限にあった。

 現実世界がこうあれば、どれだけ便利だろう。無限の時間を使って、好きなだけ遊び、どんな夢をかなえる事もできるだろう。

 でも、ここには、ねえさんと僕の二人しかいない。

 この世界にある不動の時間は、徐々に僕たちの心を腐敗させるに違いない。だから、僕たちは口にはしなくとも、お互いが毎日に変化を持たせた。

 意味無く模様替えをしたり、近くの本屋から借りてきた漫画や小説を読み漁ったり、電気屋から拝借してきたゲーム機一式を使って適当に和んだり、たまにはねえさんと市内を散策したりと、色々趣向を凝らした。

 何故かは分からないけど、電気水道ガスは普通に使えた。そのおかげもあって、堪え性の無い僕でも、それなりに時間をつぶせてはいた。 

 でも、だらけていただけじゃない。この世界ついての考察も忘れてはいなかった。

 ある時、ぴゅうたんについて、ねえさんはこう語った――。

「あの携帯コンピュータはね、私が専攻する理工学部の助教授のものだったの。

 変わり者で人格破綻者だったから、大学ではつまはじき者として有名だったけど、物理、化学、情報科学、哲学など多岐に渡って一流の知識と見識を持っていたわ。学者としては非常に優れた人だった。

 その助教授が、ある日突然、失踪してしまって、研究室に残されていたその携帯コンピュータが、研究チームのリーダーだった私の元に廻ってきたのね」

 要するに、元々ぴゅうたんは、ねえさんの物ではなく、大学の助教授の所有するものだったという事だ。

「ただね――これは、彼が独自研究していたノートに書かれていたんだけど、実は、哲学、特に科学哲学分野の数式での論理実証モデルを、独自に理論化した機構を内蔵してあるらしいの。正直、専門外だから私にも難解すぎて、詳細は分からなかったわ。でも、その特殊性が、今回の不思議な出来事に関わっていると思うのよ」

「科学哲学?」

 聞きなれない用語に首をかしげると、ねえさんは嬉々としてウンチクを語りだした。

「現代科学は、存在する理論を連結しマクロ化する事によってゆるやかに発展するのだけど、理論の乏しかった昔の科学は、現象から構築し証明し、理論を作る事から始まったの。それを繰り返す事によって大きな革新が起こる――」

 しまったと思ったが、ねえさんの言葉は止まらない。僕は、相槌を打ちながら右から左へ受け流す。数分間、頷き人形として、立派に稼動した。

「――簡単にいうと、世にある現象を科学として理論化する流れ。これを、幅広く考察する事なの」

 なるほど。最初と最後の言葉から推測すると、要するに科学哲学とは、科学自体を分析哲学するということらしい。

 小説でも映画でも理論書でも、最初と最後を抑えれば、おおまかに分かるものなのだ。これ、現代の情報過多社会には欠かせないテクなのである。

 とにかく、ぴゅうたんは天才科学者が作ったすごい奴だという事が分かった。

「よく分からないけど、その科学哲学の理論ってのが、この携帯コンピュータで時間を遡る事を可能にしてる訳だよね」

 僕の言葉に、ねえさんは、いぶかしげに眉をひそめた。

「遡るって……? うークンは、どんな使い方をしたの?」

「EMOSって構文を使って、時間を遡ったり止めたりした」

「時間を遡る? そんなの、あり得ないわ。そもそもEMOS構文は、単に数式をビルトインする為の構文だったはずよ」

 と言われても現に遡ったし、時も止めた。だから、僕はここに居る訳で。

「嘘じゃないよ。僕は、時間を止めて無限ループさせている内に、ここに行き着いたんだ」

「そんな非常識な。ベタなSFじゃあるまいし」

 ねえさんは、カラカラと笑った。

 確かに、時間を遡ったなどと馬鹿げた話は普通ありえないし、ネタとしても今時流行らないのは認める。でもさ、ねえさん――。

「あえて突っ込むけど、非常識なのは、ここもねえさんも同じだよ」

 瞬時に、ねえさんは笑い声を収めた。ここでは非現実こそ事実であり、非常識が日常なのだ。

「……そうね、その通りだね。ごめん。今の無し。でも妙だなぁ。EMOSは絶対、そんな構文じゃなかった。私、助教授の命令一覧のメモを持っていたし」

 そう口にすると、ねえさんは考え込んでしまった。

 はて? EMOSが原因じゃないなら、ねえさんは、何故ここにいるのだろう。

「じゃあさ、ねえさんは、どうしてここにいるのさ?」

「……わたしは、一覧表の中で唯一、斜線で消されていた命令文を試しに実行している内に、こうなったの。私の場合、Cissusって構文なんだけどね。構文名から内容が推測できなかったから、色々実験していたのだけど……、不思議な事が起きたわ」

 ねえさんの話す内容は、正直にわかには信じられないモノだった。

 Cissusに代入した文字列の内容が、現実に起きるという。厳密には、偶然とは到底思えない頻度で実現するようになったとの事だった。

 細かく説明すれば、その文字列は日本語表記ではなく英文表記じゃなくてはならないらしい。だが、そんな事は、この際重要とは思えない。

 要するにねえさんの話は、僕のEMOS時間遡りと同類かそれ以上に斜め上。ベタなSFを超え、ド○えもんの世界なのである

 つまり、ぴゅうたんは、もしもB○Xの能力もかね揃えていたと?

「だから、Cissusと現実の関わりを証明しようと色々試したわ」

 ねえさんは、そこで寂しそうな表情を一瞬浮かべ何故か言葉を濁す。

 そして僕と目を合わせると苦笑い「それで、そんな事をする内に、この世界にたどり着いてしまったのよ」と、わざとらしく肩をすくめおどけて見せた。

「ねえさん。そっちのが絶対現実味が無いよ……」

「そんな事ないわよ。タイムマシーンのが一層馬鹿げてるもの」

 ぐっと堪える。ねえさんは、言い出したら絶対に梃子でも動かない子なのだ。僕は、少年時代に、この意固地モードに泣かされて来たトラウマを持つ。僕が、あまり突っかかると、ねえさんは意固地モードからヒスモードになって鬼となる。

 詰まるところ、第三者の介在のないこの世界で、言い負かすのは不可能。

 僕は、大人の度量というモノを発揮してみる。日和って見た訳じゃないのだ。

「そ、そうだね。まあ、どちらにしても非現実的だよね。言われてみればタイムマシーンのがちょっと斜め上加減気味だよね……」

「うん」

 ねえさんは、即答した。これ以上ないタイミングで力強く即答した。

 大人の度量というものは、かくも苦しいものなのだ。社会は厳しいのだ。レディファーストなのだ。むしろ毎日レディースデイなのである。

「何にしろ、原因は、あの携帯コンピュータにあるのは間違いないわね。ここにないからどうしようもないけど」

 僕は、力なく同意した。幾ら原因を追究しようが、ぴゅうたんが手元に無い限り、打開策を試す事もかなわないからだ。

 それにしても、僕とねえさんがぴゅうたんを介して、ここに飛ばされたというのなら――。

「その助教授先生も、この世界に飛ばされていたりして……」

「うークン……」

 僕とねえさんの視線が交錯する。

 この世界では、あり得ない事こそ真に近い。その上、三人共、ぴゅうたんに関わっているとすれば、向かう先は一つに収束される。

 まさかとは考えつつ、否定しきれない思いが、ねえさんにもあるのだ。だからこそ、その視線は鋭い。

 これは、もしや新展開?

「――あのね、うーくん? 助教授も先生も敬称だから、どちらか一方だけにしなさい。間違った日本語を使っていると馬鹿になるよ」

 鋭い視線は、軽蔑のまなざしでしたか。

 その上、僕の華麗な推理は、スルーな訳ですね。ああ、そうですか……。そうかそうか。


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