03 ぴゅうたんとわたし
結局、僕は一週間、この小型コンピュータに、ぴゅうたんと愛称をつけバイトに通勤に家にトイレに遊びつくした。
緑先生の事は、誰も触れないでくれた。バイト先のメンバーは、基本、みんなそこそこ良い奴なんだよな。
でも、休憩時間に、裏でぴゅうたんを弄っていると、大切なぴゅうたんを不意に床に叩き落とされた。
「目の前でニヤニヤニヤニヤして。もうキモいよ! お前自体キモイ」
唯一の例外、黒いナンバーワンキャバ嬢、ナイスバディの朱美さんだ。クラブジャンヌの影の支配者である。でも、僕は権力には負けないである。
「鬼畜はらめぇ!」
涙目の僕は、仕返しに朱美の鼻毛を光速で抜いてやった。
朱美さんは暫く、何がおきたか分からないようだったが、僕の親指と人差し指の間にある毛根の主張に視線を向ける。そして事を把握したように目を光らせ、続けざまに、朱美さんのぐーぱんが閃いた。
これもよくある日常の光景だ。
朱美は、かなりSで普通に鬼畜だ。おっぱいも大きいし、静かにしてればいい女なのになぁと思う。天は二物を与えないのである。
Sも鬼畜も、僕は許容する方だ。ただし、それは僕に被害がない事が前提条件である。
しかし、残念ながら朱美は、僕をいじめるのが好きらしいのだ。イジメイクナイ! 小学校のとき、僕は森田先生に習ったよ?
こんな大人を認めたくないけど、認めないといけないのが、この社会なんだよね。結局、大人の社会も子供理論の延長線にあるんじゃないのかなぁと最近、分かった気がする。
まあ、いいや。実は、この落下事件から、ぴゅうたんは、ファンがうるさくなり起動時の表示が変わってしまったのだ。氏ねよ、アケミ嬢。
こんな感じの起動表示。
Load A.S.TG ok
Load LONS concentration_1 ok
Load LONS concentration_2 ok
Load LONS concentration_3 ok
Load LONS concentration_4 ok
Attempt ‘λ’ central processing unit mode
E.S.S_BC Version 0.82 SystemIncluded [ESSH]
衝撃でどっかのスイッチが押され、起動モードが変わったようだった。マニュアルがないので、細かい事は分からなかったけれど、どうやら壊れたわけじゃなかったので僕は、安心した。
とにかく、その間僕は例のプログラムの事は忘れていたのだが、この時を境に大変な現象に遭遇する羽目になった。
それは、その日の晩に起こることになる。
僕は、毎週水曜日には晩の二十時から二十時半まで、隣のメカご飯(CS放送)を欠かさず見ている。実際、いままで見忘れた事がなかった。
外出中は録画しておくし、家に戻れば、ロボ助毒舌アラームのお知らせで普段見忘れることはない。
その番組内容は、セラミック製しゃもじを持ったロボ助こと、某自動車会社のロボが、一般家庭の晩飯の一切を食さず、毒舌でこき下ろすものである。
当初は、女形ロボ、メカ子が担当していたんだけど、あまりにキモイとねらーの人が叩きまくったのが原因で、放送三回にして降板させられたんだ。やっぱり、ねらーは怖いよ。
え? ヨ○スケ? ああ、ヨネ○ケは引退したよ。突然出家した。
ああ、まあ、そんなどうでも良い事はいいんだ……。
今日は、とってもついてない。
何がって、今日あのビッチ朱美が後輩の田中君を泣かして逃亡させたんだ。したがって、僕のバイト時間が、突然延長してしまった。そのせいで今日、隣のメカご飯を見逃してしまったのである。
末代まで祟ってやる!
だから、あらん限りの力で壁を叩いた。
「うるせぇぞ!」
壁の向こうから隣の西田さんの声がしたので、僕は、次の攻撃を即座に控えた。
この前、玄関前でばったり鉢合わせしたとき、紳士的に抗議された事を思い出したからだ。僕は意外と、常識的で空気の読める奴なのである。
上半身裸で腹巻にパッチ姿。その上、背中には虎と龍が住んでいる西田さんが、お怒りなのだから当然だ。
ともあれ、悲しみに包まれていた僕は、何かにすがるしかなく。ぴゅうたんを手にする。そして床に転がり仕方なく自作プログラムを弄るうちに、ぴゅうたんの起動表示が変わった事を思い出した。
もしかすると例のサンプルプログラムが動くのではないか。そう閃いた僕は、EMOS構文の含まれた、例のプログラムを実行した。
すると、予想通りプログラムはあっさりと動作したのだ――。
今回はエラー表示もでなかった。僕は、小さなディスプレイを凝視続ける。このプログラムがどのような動きをするのか知りたかったんだ。
三十秒ほど経っただろうか、実行中にもかかわらず何もおきないので一人白けていると、突然、僕の携帯のロボ助アラームが駆動した。
「ウホ! これは、ゲロマズそうなメカご飯ですね? こんなんで俺様が満足すると思っていやがるのですか、バーロー。ペタワロス」
はて? これはおかしい――と僕は、顎に指を添わせ首を傾げてみる。そして、畳の上に落ちていた一本の太く短い縮れ毛を、拾い上げライトで透かして見た。
実に奇妙だ――。
いや――、縮れ毛の話じゃない。これは気にしないでくれ。枝毛が気になっただけだからさ。
不思議なのは、ロボ助アラームの事だ。このアラームは、隣のメカご飯専用なのである。
したがって、メカご飯放送時間以外には、鳴るはずがないのだが。
また無意識のうちに、変に弄ってしまったのだろうか。前科があるから、否定できない気もする。
そんな事を考えているうちに、プログラムは終了しディスプレイにOKと文字を吐き出した。
結局、実行出来たが、その一分間に何もおきなかった。
このプログラムは、一体何の処理をしたのだろう?
とりあえずアラームを修正しようと、携帯を手に取り設定を確認する。
「あれ?」
狐につままれたような気分になった。
そこにあるアラーム設定は、水曜二十時のロボ助音と、目覚まし設定のあずさ三号しかない。
じゃあ、さっきのは気のせい?
昨日は、ちゃんと寝たしスタンドも居ない。僕自身は、いたって正常だ。なら、誤動作だろうか? それとも――。
気になった僕は、もう一度サンプルプログラムを実行する。真っ白いディスプレイを凝視しつつ、携帯を握り締めた。
十秒、二十秒。
そして三十秒を超えたころに、それはまた鳴った。
「ウホ! これは、ゲロマズそうなメカご飯ですね? こんなんで俺様が満足すると思っていやがるのですか、バーロー。ペタワロス」
「……ペタワロス?」
戦慄した。これは偶然じゃない。
そうか、このプログラムは、マイ携帯の、ロボ助アラームを遠隔で起動させるすごいプログラムなのか? スパーハカーキタコレ!
僕は、とりあえずはしゃいで見た。そうだ、これは僕を妬むスパーハカーの仕業なのだ。
そう自分に言い聞かせたかった。でも、嫌な汗がこめかみをつたう。
そして猜疑心が、携帯ディスプレイ上部に目をやれと囁く。僕は、恐る恐る視覚の墨に、数字の羅列を引き入れる。
そこに映るのは、巻き戻っていくデジタル時間表示。
即座に、壁掛け時計を睨みつける。そこでもまた、長針が高速で巻き戻っていくではないか!
「なんじゃあこりゃぁあああ!」
某俳優の名シーンの如く僕は、わなないた。だが、僕の掌には血はなく、一介の縮れ毛があるだけであった。
「まじかよ、ぴゅうたん……」
それから落ち着きを取り戻した僕は、ある野望を心に、EMOSを使った禁断の実験に勤しむ。時間を遡るとあっては、小市民の僕としては、冷静で居られるわけがないのである。
EMOSが時間を遡らせる構文なのは分かった。
ただ、このプログラムのままだと、何度実行しても高速で一時間ほど巻き戻った後、実行直後の時間帯に戻る。
過去に遡っても実感する間すらない。味気ないもんだ。
EMOS構文を自在に使えれば、ぴゅうたんは、僕に希望色のウハウハを与えてくれるようになる筈なのだ。
僕は、Sample.essを力の限り凝視した
#Sample.ess;
for(time=0;time<=-60;time--){
EMOS(time,1000);
}
一時間巻き戻る事から、-60は単純に一時間前を指していると思われる。要するにマイナス六十分だ。そして、一分程度で巻き戻りプログラムが終了する事から1000は一分巻き戻った後の待機時間、1000ms(ミリ秒)すなわち一秒と推測できた。
要するに、一秒間に一分ずつ巻き戻り一時間をさかのぼる。
単純に、巻き戻る時間指定をして、待機時間を増やせばいいだけじゃないか!
EMOS(-10,10000000);
これでどうだ!
物は試しと、EMOS構文だけ取り出し、十分前、待機時間10000000ミリ秒を代入してみる。
すると、即座にData out of rangeとディスプレイ表示されて速くも終了した。僕は固まる。いやな予感がした。
恐る恐る10000000の部分のゼロをひとつ削ってみる。1000000 Data out of range。さらに削ってみる。100000 Data out of range。
「オーノー!」
天を仰いだ。そうだった、ぴゅうたんは何気に十六ビットだった。
十六ビット機である限り、整数型を扱う場合は、基本的に扱える整数値の最大は二の十六乗、すなわち0から65536までなのだ。要するにEMOS側に、その縛りがあるという事。それに、何らかの意味があるのかもしれないけど……。
とにかく、ぴゅうたんは、時間を遡る超計算ができる十六ビット機なのである。
そうですか、結局六十五秒。一分と少しが限界ですか……。
しぼむ野望に涙が出そうになったが、待機時間一分でも成就可能である事に気が付いた僕は、
五十分前、待機時間、最大の六十五秒を入力して再実行をかけた。
EMOS(-50, 65536);
今度は、エラーはでない。
僕は、即座に携帯を確認する。十九時五十分。そこには、きっちり五十分前を示す愛器の姿があった。
やはりか!
今まさに僕は、世の勝ち組になった。野望は、ここに成就するのだ。
「フハハハハハハハッ ようこそ過去の世界へ!」
飛び上がると、型落ちのHDDレコーダーの録画スイッチに人差し指を突きたてた。そして瞬時に翻った僕は、腰をくねらせ背を限界まで背後にそらしポーズを決める。人差し指は前方を指すのがデフォだ。
「やれやれだぜ」
そうだ。僕は、見る事の叶わなかった隣のメカご飯放送時間まで時間を戻し、与えられた一分の時間にやれる事をした。
それは、メカご飯の録画である。
こうすれば時間が戻った時、ウハウハなのだ。なんという知能犯。僕は、自分の才能を恐ろしく感じた。
しかし、飽きてポーズを解いたとき、僕は、ある事に気が付いてしまった。
テレビ画面の映像が静止しているのだ。その上、スイッチを押したにもかかわらずHDDレコーダーが作動していない? 携帯のボタンに触れてみるが、当然、これも機能しない。
もしかして、時間そのものが停止している?
「えええええええっ」
待機時間って、時間が止まっちゃうの!? ザ・ワールドなの?
なんてこった! それじゃあ、メカご飯の録画が出来ないじゃないか!
僕は壁を叩いた。命の限り叩く。そうしないと、収まりが付かないのである。
え? 隣の西田さん? 時間が止まってるんだよカスが! だから、壁を殴っても問題ないんだよ!
「いい加減、殺すぞ、こんガキぁ!!」
何故だろう。隣の部屋から西田さんが紳士的に抗議してきた。一秒で僕は土下座した。僕は意外と反射神経も良いのである。
ああ、そうか。もう、一分過ぎたのか……。うかつだった。
携帯の表示時刻を確認すると二十時四十一分。元の時間に戻っている。
負け犬の僕は、畳に額をこすりつけながら、ポケットのタバコを取り出し火をつけ、煙を吸い込む。
何なんだよ。時間が止まってしまったら、過去に戻ったって意味がないじゃないか――。
クソォ。全く、凄いのか凄くないのか分かねぇ携帯コンピュータだよ。
ぴゅうたんの役立たずめ。床にポツンと転がるぴゅうたんを見ながら、ため息をついた。
だが、諦めかけたその時だった。
僕のゆとり脳に神が降臨する。いや、これは邪神か? さてはモッコス!
――時間が止まるだと? ザ・ワールドォォオ!?
自分の中のダークサイドが、むくりと起き上がる。ジェダイの騎士の気持ちが分かったような気がした。
「うひゃひゃひゃひゃ。うめぇ!」
ぴゅーたんを空に掲げて、吼える。
そうだよ。時間が止まるのなら、もっと壮大な野望を果たせるではないかぁ。
今、ここで僕は、悪魔に心を売り渡したのだ。うははははは。